珠子と今大江山酒呑童子一味と化物婚礼(その2)※全5部
「四天王のみなさん大丈夫でしょうか? あの人たちって、かつての大江山の鬼を壊滅させた人なんでしょ」
時折、珠子が心配そうに後ろを振り向くが、その心配は杞憂というものだ。
「その気遣いは無用だ、珠子。熊たちは負けぬ。それより茨木を助けねば」
「そ、そうですよね。早く助けに行きましょう」
「さっきからお話されている茨木さんって、酒呑さんの幼馴染って話ですよね」
珠子と同じく、鬼道丸の肩に乗っているノラが尋ねてくる。
「そうだ」
「馴れ初めというか、第一印象ってどんな感じでした?」
「なぜ、今、それを語る必要がある?」
俺様の鋭い眼光の前にノラが一瞬、ヒッっと身体を硬直させる。
「ノ、ノラさんは怖いんですよ、この戦闘という非日常が。だから少しでも心を落ち着けようと日常的な会話をしたいんです。あ、あたしも聞きたいなぁ」
少し媚びるような仕草で珠子も『ききたーい、ききたーい』と囃し立てる。
女子というものは何故に恋愛話を聞きたがるのだろうか。
まあよい、騒がれるのも困る、心を落ち着けるために少し語ってやるとしよう。
「茨木は親に捨てられていた所を母様が拾った。幼き俺様は少々乱暴者で爺様と母様以外の言う事は聞かなかった。だからそれを諫める相手として拾ったのだろう」
「それでそれで?」
「あいつは最初に言った、『ウチは飯と玉姫様の慈悲に応えるためにお前の相手をする。やからウチを好きにしてもええで。ま、こんな薄汚れて臭うガキに手出しする男なんておらへんけどな』と」
「ほほう、それで酒呑さんはどう返したので?」
ニヒヒと笑いながら興味津々とばかりに珠子が俺様の次の言葉を待つ。
「なんのことはない、その時の素直な心を口で示しただけだ。『ほう、その綺麗な瞳と声と心までも好きにしていいとは安い買い物だな。ではまずその小鳥のような声から頂くとしよう』と言って接吻をしただけだ」
「わるくない! わるくないけど!」
「びみょー、ちょーびみょー!」
「さすがは父上! それで茨木殿の心を掴んだのですね!」
「いや違うぞ。接吻の数秒後に俺様は吹っ飛ばされた。壁にめりこむほどの茨木の強烈な平手打ちでな」
カカカと笑いながら俺様は言う。
あの時ほど俺様は八岐大蛇の息子であったことを感謝したことはない。
常人なら死んでおったぞまったく。
「しかしよく手を出しましたね。時代を考えるなら地方の貧農の出なんて、泥や垢まみれだったでしょ」
「たわけ、この八岐大蛇の息子たる俺様が女の魅力に気付かぬはずがなかろう。どんな女でも磨けば光る、磨かずともありのままで良い魅力があるものだぞ」
珠子の言う通り、あの時の茨木はうすら汚れていた。
だが、それでも、その強く美しい意志の輝きを俺様が見落とすはずがない。
「ねぇ、だったら、あたしの魅力って何かしら? 見いだせるんでしょ」
ノラが自分を指さしながら尋ねてくる。
「たわけ、好いた女を救いに行く道程で他の女に風を送るなぞ野暮というもの。どうしても知りたいのなら後で閨にこい」
今の俺様にはやるべきことがある。
まずは茨木を救う、全てはそれから。
「いいねー! 花丸をあげちゃいましょー!」
「閨にはいきませんけどねー」
「「ねー」」
ふたりが声を合わせてそう言った時、
「父上! 師匠とノラ殿を頼みます」
何かを感じ取った鬼道丸がふたりをこっちに投げてよこしおった。
「うわっととぉー!」
「キャー、ちょっと危ないって!」
宙を舞うふたりを俺様は身を半回転させて受け取る。
そして、鬼道丸が感じた気配を俺様も察した。
「綱か!?」
「はい、あの刀『髭切』を見間違うはずがありません」
頼光四天王の最後のひとり、渡辺綱。
そしてその愛刀”髭切”、別名”鬼切丸”。
俺様も北野天満宮に伝わる名刀”鬼切丸”をすまほとやらで見せられたが、それと同じ輝きを持つ男が林の中で立っていた。
「ふっ、ハハハハハ! 僥倖! 僥倖!僥倖! 失敗せぬ失敗せぬ、失敗せぬぞぉ! 茨木殿が不在のこの時! よくぞ現れてくれた! 綱!」
鬼道丸の妖力が膨れ上がり、そこから半ば狂気にも似た嗤いが起こる。
衝動を抑えられぬとは半人前め。
だが、時が惜しいのも事実。
「任せてよいか?」
「無論! 是非!」
鬼道丸は一瞬こちらを振り向いて、親指を立てた。
「任せた! ゆくぞ珠子! ノラ! 方角を示せ!」
「はっはい! 北北東、距離800です!」
珠子の指さす方向に俺様たちは進む、背中に鬨の声と打ち合う金属音を受けながら。
あの程度に遅れを取るなよ鬼道丸。
そいつすら倒せぬようでは本番ではままならぬからな。
◇◇◇◇
「ちょ、ちょっとまってくださーい!」
「速い、速いですって! 酒呑さん」
日はすっかり落ち、もはや人の目ではこの藪の中を進むのは辛かろう。
たとえ俺様が即席の獣道を作っていてもだ。
「珠子、ノラ、そのすまほとやらをよこせ。これからは俺様ひとりで行く」
「だ、だめです。ひとりでなんて危険過ぎます」
「そうです、鬼道丸さんのように私たちを背負って進めばいいじゃないですか」
ノラが抗議の声を上げるが、それは所詮、平和な時代に生きる者の意見。
「これがただの山登りであったなら、ふたりを背負って進むこともできよう。だが、敵の襲撃を前提とするならば、両の手が自由でなければ守り切れん。正直に言えばお前らは足手まといだ。ここで助けを呼ぶか、俺様の帰りを待て」
厳しい物言いかもしれぬが仕方がない。
ここから先は平穏な時代に生まれた者の領分ではないのだ。
「わかりました酒呑さん」
「よし、ならばそのすまほを……」
「足手まといじゃなければいいんですね」
は?
「こんなこともあろうかと! 準備してきたこのお酒!」
「酒だと!? まさか!?」
「そうでーす! 復刻版神便鬼毒酒ー! はい、ノラさんの分」
あの時、俺様の血より精製した酒、神便鬼毒酒。
まだ予備があったのか。
「あ、ありがと。この神便鬼毒酒って……まさか伝説の!?」
「その通りですっ! はい、キュポンと」
俺様のあきれ顔を横目に珠子は小瓶の蓋を空け、その中身を一気に飲み干す。
「ぐふぅー! きっくうー!!」
乙女とはとても思えぬ堂に入った仕草で珠子が叫ぶ。
「なんだか眉唾だけど……」
続けてノラもコクンと喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。
「あら、意外と柑橘系の爽やかな感じね……うぉっしゃー!!」
一瞬の間が空いて、ノラはドスンと地面を踏み鳴らした。
「湧き上がる! 力が! 見える! 見えるぞ! この闇の中でも爛々と! これが神便鬼毒酒の効力なのか!? 勝てる! 勝てるわわたしたち! ハーハッハッハッ!」
ふたりの目は煌々と光り、その体は今までの疲れなぞ微塵も感じさせないほどに力強く大地を踏みしめた。
「すごいわこれ! 体から命のガソリンが湧き上がるみたい! これなら足手まといなんてならないわ!」
「ええ! さあ、行きましょう! こっちです!」
そして、のっしのっしとふたりは肩を組み、前へ前へと歩みを進めた。
◇◇◇◇
「ねえ酒呑さん」
「なんだ」
「ちょっと恋バナしてもいいですか?」
「あとにしろ」
「あの時の状況を知りたいんです。酒呑さんが『そのままの君でいいので、俺様の側にいてくれ』と言った時の」
後にしろと言った俺様の言葉を聞かず、珠子は質問を続けた。
「あら、素敵な告白じゃない。私も興味あるわ」
珠子の隣のノラも目を光らせて珠子の質問に乗る。
その目を神便鬼毒酒を飲んだ時よりも、いっそう爛々と輝かせて。
これは……語ってやらんと収まらなさそうだな。
ふぅ、と俺様は溜息をつき、遠い過去に記憶を馳せる。
「俺様と茨木が平和に暮らしていた時、少々のいざこざがあってな」
あれは、いざこざというものではなかった。
「とある事件が起きて、母様と俺様は生まれ故郷を追われる事になった。母様はこの伊吹山に奉られ神使となり。俺様も寺にでも預けられそうになった時に茨木に言った言葉がそれだ」
「えー、もうちょっと詳しく」
「そうそう、それじゃよくわかりません」
俺様は迷った。
あのことを語るべきか。
人の欲望と愚かしさを煮詰めたようなあの出来事は、平和に暮らすこいつらには刺激が強すぎるやもしれぬ。
「ひょっとして、国司の横暴ですか?」
「それと身内の裏切りとかあったりして?」
「なぜわかる!?」
珠子とノラの核心を得た推察に俺様は驚愕の声をあげる。
「時代的にそうだと思いましたから」
「酒呑さんの表情からなんとなく」
あっけらかんと、軽い口調でふたりは言う。
仕方ない、そこまで予見されているなら語るしかあるまい。
「ある時、中央から送られた国司が先祖代々の爺様の土地を奪うと言い始めた。その土地はな、母様の兄、つまり叔父上と俺様が継ぐ予定だったが、国司からの圧力を避けるため、俺様が継ぐ分を差し出して事なきを得ようとしたのだ」
「そうだったんですね。だから酒呑さんは寺に入れられそうになったんだ」
「そうなるはずだったが、国司はそれでは足りぬと全ての土地を接収しようとした」
「平安初期に起きた国司による郡司の縮小と集権化ね。歴史の講義で学んだわ」
この程度は一般教養とでも言わんばかりにノラが言う。
そうか、こいつらにとっては、あれはもはや歴史の出来事なのだな。
「そこで、叔父上は一族で力を合わせ、国司の横暴を武力を使ってでも打ち払うという計画を立てた。俺様の武力があればそれが出来るはずだった。事実、国司の軍勢を俺様は何度も打ち払った」
「そこで……裏切りが起きたのですね」
「そう、叔父上は長く続く戦いと尽きぬ国司の軍勢に畏れをなして裏切った。俺様と母様を国司に差し出して、自らの地位の安堵を得ようとしたのだ。長期化する戦で田畑は荒れ、先祖代々の土地は荒野と成り果てた。このままだと、たとえ勝利しても何も手に入らぬと思ったのだろう」
叔父上の気持ちは理解できなくもない。
日々の糧を生み出す田畑を失っての勝利なぞ意味がないからだ。
「なるほど、そこでその叔父さんとやらは最悪の手を打ったわけですね」
少し重い口調で珠子が言う。
やはり気付いておるか。
そう、この話は俺様が茨木に『そのままの君で……』と言った時の背景。
なのにこの国司との争いに茨木が登場せぬ理由を。
「察しがいいな珠子。お前の予想通り叔父上はそこで大きな過ちを犯した。俺様の武力に誰も敵わぬ。ならばと叔父上は俺様が逆らえぬよう人質を取ろうとした。母様にはいつも俺様が側にいたため手が出せぬ。だから、あろうことか……叔父上は標的を茨木に定め、襲った」
そう言って俺様は深く溜息をつく。
「あたしはずっと不思議に思っていました。どうして酒呑童子さんは鬼なのか。八岐大蛇の息子なら大蛇じゃないのかと」
珠子の疑問は正しい。
俺様は八岐大蛇の息子、生まれながら鬼であったわけではない。
「叔父上は、愚かで卑怯で、そして運の無い男だ。俺様がその企てに気付き、茨木の下にたどり着いた時、俺様は鬼を見た。かつて人であった肉塊と血だまりの上で嗤う美鬼。そう、生まれながらの鬼は……茨木の方だ」
◇◇◇◇
あの時のことは今も鮮明に覚えている。
夜の闇よりなお昏い血の黒。
その中で佇むひとりの女。
その姿は洗練された刃のようで、その瞳は紅玉のごとし。
美鬼という言葉が脳内で精製されるほどの美しさ。
「あの時、鬼であることを露呈した茨木はそのまま夜の闇に去ろうとした。俺様は茨木を手離したくなかった……」
「へぇー、それであの『そのままの君で……』という台詞が飛び出したんですね」
「そうだ」
「それで、その後、みなさんはどうなったのですか?」
「母様は予定通りこの伊吹山の神使となり、俺たちはお前たちが伝承でよく知っている通り……」
記憶を巡らせる俺様の頭にザワリとした不快な気配が流れ込む。
「……待て、いや下がれ」
「どうされました? 茨木さんの所まであと少しですよ」
珠子がすまほを見ながら指さす先には人影がひとつ。
だがそれは茨木ではない。
「あっ!? さっきの!?」
月の光を受け、そこに立つ姿は俺様のかつての宿敵。
源 頼光。
見ているだけで憎々しい姿。
「よく我が四天王を退け、この鎮守府将軍の下までたどり着いた。だが、それもここまで、再びこの童子切の錆になるがいい」
「口上はよい」
妖力を高めつつ、俺様はザッザッと草をかき分け進む。
「我の間合いに近づくとは愚かにもほどがある」
「間合いだからなんだというのだ?」
「こうだっ!」
ヒュンと刀が夏の夜の空気を切り裂き、その刃が月の光を映す。
「迅い!」
違うぞ珠子、欠伸が出るほど鈍いわ。
やはりこいつは違う……
パキッ
俺様が気だるげに手を振るい刀の腹を打ち据えると、乾いた音を立ててその刃先は弾け折れた。
「馬鹿な!? 童子切がこうも易々と!?」
「黙れ」
そして、俺様の掌はそのまま敵の頭をガシッと鷲づかみにする。
「この憎たらしい顔で、その不愉快な声で、あの忌々しいあいつの名を騙るな木偶」
俺様の怒りと共に妖力が膨れ上がり、掴んた掌の中で渦を巻き、竜巻となる。
豪!!
妖力の奔流の中で憎っくきあやつの姿が千々に引き裂かれ消える。
「酒呑さん、勝った……のですか?」
「いや、これはただの木偶に過ぎぬ。こいつを、こやつらを操っていたのはそこにいる。出てこい! 朱雀門の!」
「よく気付いた。久しいな大江山の」
そう言って夜の闇よりのそりと這い出してきたのは、かつての京で俺様と何度も戦った同族。
「ど、どうしてあなたがここに居るんですか?」
珠子が驚きの声を上げる。
そういえば、珠子が東京から大江山の旅路で逢うたとも言っていたな。
こいつの名は……
「朱雀門の鬼さん!」
そう”朱雀門の鬼”だ。




