比翼の鳥と洗い(後編)
◇◇◇◇
「酒呑さん、それだけじゃないでしょ。コチに込められた意味は」
「ん? 珠子は何を言っているのだ?」
んふふ、やっぱり気付いてないみたい。
これがあたしの一の太刀!
「酒呑さんはこの”コチの洗い”にあなたの気持ちを込めたとおっしゃいましたけど、それに偽りはありませんよね?」
「無論だ。この”コチの洗い”に込めたのは嘘偽りの無い俺様の本心だ。しかし何故、そんな事を?」
「”コチの洗い”、それは洗われて綺麗になったコチを示します」
「その通りだな」
「ではヒント。和歌でコチと言えば?」
和歌には言葉遊びに気持ちが込められている事が往々にしてあるの。
そして、平安の世に生きた酒呑童子さんも茨木童子さんも、それは身についているはず。
”鯉こく”に茨木童子さんが”恋の告白”を込めたなら……
「コチと言えば『東風吹かば……』やねぇ。菅原道真やったっけ」
「そうだな」
思っていた通り、ふたりは和歌にも明るい。
だったら、次のヒントであたしの意図に辿り着くはず。
「うんうん、その通りです。では東風の別名は?」
「それは東風であろ……」
「せやねぇ……」
一瞬の間の後、ふたりの顔が紅潮した。
「珠子! お前! 俺様をたばかったな!」
「いややもうー、酒呑ったらー」
きっと酒呑童子さんの紅潮は恥ずかしさのせい。
そして茨木童子さんの紅潮は恋する乙女心のせい。
やっぱりふたりは気付いたみたい。
東風には別の読み方があるの。
東風とか、東風とか。
そして”東風”とも読む。
ちなみに同じ東から吹く風でも東風は春の季語で、東風は夏の季語。
そして今は夏!
やっぱり恋を投げられたなら、愛で返さないとねっ!
「へへーん、しりませーん。そして、さっきの酒呑さんの言葉を録音したデータがここに!」
あたしがスマホをタップすると、そこから酒呑童子さんの声が再生される。
『この”コチの洗い”に込められたのは嘘偽りの無い俺様の本心だ』
「これぞ人類の叡智! スマホ録音機能による言質の取得! へへーん」
ボンッ
酒呑童子さんの手が一瞬煌めいたかと思うと、あたしのスマホが粉々に砕け散った。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁー! あ゛だしのスマホがぁー!!」
「うん、これで俺様の恥ずかしい音声なぞは闇へと消えたな」
そう言いながら、不敵にふっふっふっと酒呑童子さんが嗤う。
少し恥ずかしさを隠しながら。
「ぐっふっふっ」
「なんだ、その厭らしい声は?」
「ここにあたしのセカンド端末がありまーす! ほい、ログインしてピコっと」
『この”コチの洗い”に込められたのは嘘偽りの無い俺様の本心だ』
Wi-Fiを通じて、再び酒呑童子さんの音声がスマホより再生される。
「んふふー、この通り、音声データはバックアップしていますよ。何なら百台を超える端末にデータを落とす事も可能です」
「珠子! そのでーたとやらを消せ! 消さないなら俺様が再びそのすまほとやらをこの世から消滅させてやる!」
「珠子はん! そのデータをウチにも!」
立ち上がった酒呑童子さんの妖力が高まり、茨木童子さんの手が上がる。
「端末を何台消滅させても無駄ですよ。この録音データはクラウドに上げていますから」
「く、くらうど? 玄人が守っているということか?」
うーん、やっぱり平安に生きた酒呑童子さんはITには疎いようですね。
「酒呑、クラウドは人間が作ったデータを管理サーバーに上げるシステムや。今頃、酒呑の録音データは遠く離れたサーバーに保存されとるで」
おっ、平安から現代まで生き抜いた茨木童子さんはITにも明るい。
「そ、そのサーバーとやらはどこにある!? 俺様が直々に叩き壊してやる!」
乏しいIT知識ながらも大体のシステムを理解したのか、酒呑童子さんがデータの破壊にやっきになる。
でもね、きっと無理!
「……ええと、日本のどこかでしょうか?」
「ひょっとしたらアメリカにバックアップがあるかもしれへんねぇ」
「ええ、それに別の物理ストレージに移されているかもしれません」
あたしも林檎社のサーバーがどこにあるか知らない。
というか一般には公開されていないの、セキュリティの問題で。
「多分、候補となる日本とアメリカの数百ヶ所の町を同時に灰塵に帰せば、データは無くなるんじゃないでしょうか。できないと思いますけど」
順番にじゃなく同時に、って所が難易度高いわよね。
というか、できっこないっす!
まだ林檎社の株を買い占めて該当データを消すように働きかけた方が現実的なくらい。
1000億円くらいあれば何とかなるんじゃないかしら。
…
……
………
「た、珠子……、珠子さん、そのデータを消して頂けないでしょうか?」
物理的にクラウドデータを消す事が不可能だという事を理解したのか、酒呑童子さんが少し媚びるような声であたしにお願いしてくる。
「えー、どうしよっかなー、さっき壊されたスマホって結構したんだけどなぁー」
「い、茨木……珠子に金を……」
「えー、どうしよっかなー、珠子はんに味方すれば酒呑のボイス聞き放題やしなぁー」
酒呑童子さんが茨木童子さんに視線を送るが、彼女はそれを、ふふふーんと受け流す。
「ええい! わかった! お前とふたりっきりの時に何度でも言ってやるから! 珠子を金で懐柔しろ!」
ひどい言い草ですね!
ま、あたしも鬼じゃないので、金で懐柔されますけど!
酒呑童子さんの命令風の懇願に「ひゃっほー! 珠子はんこれくらいでどうや?」と茨木童子さんが示した額はかなりのもの。
あたしも納得のお値段です!
「まったくもう、聞きしに勝る金の亡者だな……」
ドカッと腰を下ろし、酒呑童子さんは再び包丁とまな板に見合う。
そこには、まだサクのままのコチの半身。
そして、酒呑童子さんの視線がふと横を見ると、そこにはキリっと冷えた日本酒の瓶が。
ピコーン
何かを閃いたように彼はサクから刺身を切り出すと、
「なあ珠子、魚の臭み取りには酒を使うとも言っておったな」
「はい、日本料理では定番です」
「ではこういうのはどうだ?」
そう言って酒呑童子さんは酒瓶を持ち上げ、その中身を水と氷水の器に注いだ。
かかった!
んっ、ふっふっ、誰がその酒瓶を置いておいたとお思いです?
もちろんあたし!
そしてそれは二の太刀! 撒き餌のトラップなのよ!
「うん、やはりこっちの方が美味い。俺様好みだ」
酒呑童子さんは日本酒が入った水と氷水で作られた”コチの洗い”に舌鼓を打つと、
「茨木、お前もどうだ?」
『どうだ俺様の工夫は』とばかりにそれを茨木さんへと差し出した。
ヒットォー!!
あたしの中で心のリールが大回転!
「あら、こっちもええなぁ。水魚の交わりの洗いに酒を加えるなんて、ほんに酒呑はセンスあるわぁ」
比較的、現代知識に明るい茨木童子さんも、その意味はわからないみたい。
そうよね、料理界に席を置いていないと、普通は知りませんよね。
「酒呑さんが今やったお酒と水で洗いを作るのも料理界の技法のひとつですよ。でも、そこに自力で辿り着くなんて、想像力が豊かですね」
「そうか、ま、人間が1000年かけて積み上げた技法に、俺様はわずか半日で辿り着いたという事か。この分なら料理で天下を取れそうだな」
うわー、明らかに料理が趣味のオヤジっぽい言い方。
「では、その酒と水で作ったものを何と呼ぶかご存知ですか?」
「知らぬな」
「うちも知らへんなぁ」
そう言いながら、ふたりは”コチの洗い”を口に運ぶ。
「へへへー、それは『玉酒』って言うんですよ。水魚の交わりに酒を加えて玉酒とする、その料理に込められた意味は!」
『玉酒』、その言葉にふたりの箸が止まる。
平安の世に生まれたふたりにはわかるはず。
今日の料理には平安時代よろしく言葉遊びが含まれているのだから。
この”水魚の交わり”を表した”コチの洗い”、そして玉酒。
魚は女を茨木童子さんを、酒は当然酒呑童子さんの暗喩。
コチは東風から愛の風に通じる。
そこに、玉酒の玉が加わると……それが意味する所とは!?
「珠子! お前も俺様と茨木の睦事に加わりたいと言うのか!? よいぞ!」
「いややもう、珠子はんたら破廉恥やねぇ。まぁ珠子はんは恩人やし、ちょっとなら……」
ふたりが顔を赤らめながら、あたしに熱い視線を送る。
「ちっがーう! 玉酒の玉は珠子の珠じゃありません! 玉姫の玉です! つまり、水魚の交わりを表現した”コチの洗い”に酒を加えて玉酒にするって事は!」
まったくもう、水魚の交わりに玉が加わる事を、珠子の珠が加わると思って退廃的な情事だと解釈するなんて、勘違いも甚だしいわ。
あたしは茨木童子さんから酒呑童子さんを横取りするなんてこれっぽっちも思っていないのに。
玉姫は言わずと知れた酒呑童子さんのお母さま。
その意味に気付いたのか、酒呑童子さんの顔が箸から刺身がポロリと落ち、茨木童子さんの頬が喜色に染まる。
「いややもう、酒呑たら~。玉姫様にウチを紹介したいやなんて~。そりゃ玉姫様とは昔から知っとるけど、こうハッキリと申し込まれると照れるわぁ」
そう、それが意味する所は『玉姫母さまにお嫁さんの茨木童子さんをを連れてご挨拶したーい』!
そんな意味になるのです。
「ん、もう。本当ならウチは文を通わせて申し込まれたかったんやけど、今は同居中やさかい料理での申し込みで許したる」
平安の世の貴族の恋愛は文による歌のやり取りが一般的。
おそらくは平民の、ううん、もっと身分が低かったかもしれない茨木童子さんの憧れが、今、料理で成就した。
「ちょ、ちょっと待て! 俺様は知らなかったのだ! これが玉酒だという事を!」
「あれ~『男なら好いた女の前での言葉や行動には責任を持つべきだ』なんて言ってませんでしたっけ~」
あたしはそう言うと、セカンド端末を操作し、そこから酒呑童子さんの声を再生する。
これもこっそり録音しておいたデータ。
「せやねぇ、それに歌に込められた意味が、本人の意図とは違う解釈になって、思いもよらぬ結婚の申し込みになるって話もよくある話や。ま、男なら自分の言動に責任を取るのが筋ってもんや」
「「ね~」」
あたしたちの声がハモる。
「た、た~ま~こ~、お前というやつはぁ~! 俺様の味方ではなかったのか!?」
「違いますっ! あたしはあたしの味方で! そして恋する女の子の味方なんですぅ~」
そう言って、あたしは茨木童子さんの肩を抱く。
「せやなー、うんうん。やっぱ珠子はんはウチの親友や。ズッ友ってやつや」
「ええ、あたしが茨木さんの恋の後押しをして、ハッピーエンドに導いてみせますよ。ちょうどあたしも酒呑さん関係とは全然別件で玉姫様にお会いしたいと思っていましたし」
「うんうん、ウチも玉姫様とは知らん仲でもない。珠子はんの別件でも協力したる」
あたしたちは固く手を握りあい、その友情を確かめ合った。
「珠子! お前、俺様を罠に嵌めたな!」
「ほほほ、あたしの料理の策が一太刀だけど思っていましたか? 珠子流料理活法は”隙を逃さぬ二段構え!” なのですよ!」
あたしは手刀で空を二回切り裂き、ポーズを決める。
「さて、酒呑さん。コチの身で一番美味しい部位はどこかご存知ですか?」
「知らぬ」
「それは頭にある頬肉です。両頬から取れますので、酒呑さんと茨木さんで召し上がって下さい。洗いは厚めのそぎ切りが美味しいですけど、頬肉なら薄造りのお刺身が美味しいですよ」
あたしは、コチの頭をまな板に載せ、酒呑さんの前に差し出す。
魚の頬肉は知る人ぞ知る、ううん、今はみんなが知りつつある美味しい部位。
コチの頬肉も、そりゃあもう美味い。
「まったく、一番旨い部位でも食わんとやっとれんわ」
「へへっ、あたしは食わせもんですから。あっ、包丁の入れ方はですね……」
ブツブツ愚痴を言いながらも酒呑童子さんはあたしの指示に従って、コチの頭を割り、頬肉を取り出し、薄切りの刺身にしていく。
「ほら、茨木。お前の分だ」
「ありがと酒呑。愛してるで」
「ふん、そういうのは閨で言え」
そう言いながらも、ほんの少し嬉しさを隠した顔で酒呑童子さんは箸を取る。
そして、コチの頬の刺身を口にした。
クキュ
「ほう! これは! 噛むごとに旨味が生まれてくる」」
「うひゃぁ! こりゃ絶品や! この弾力と旨味は例えようがないで!」
頬肉は筋肉の部位でもあり、よく運動するので弾力と旨みがぎっしり詰まっているの。
刺身は言わずもがな、煮つけやカマ焼きもとっても美味しい。
季節のコチの希少肉、頬肉の刺身だなんて、お店で食べれば万は下らない!
「さて、酒呑さん。こんな格言をご存知ですか? 『コチの頭は嫁に食わせよ』というものです」
これは表裏一体の格言で、意味はふたつある。
ひとつ目はコチの頭は棘だらけで食べる部位が無いので、嫁いびりの意味。
そしてふたつ目は実は頭の頬肉が一番美味しく、本当に大切な嫁にはそれを与えよという意味。
でも、今それは重要じゃない。
重要なのは、それを”嫁”に与えるという所。
「嫁!」
「お嫁さん!」
酒呑童子さんの目が驚きに見開かれ、茨木童子さんの顔が再びでへぇと緩む。
「珠子! お前ってやつはどこまで!!」
酒呑さんが怒りと半ばあきれたような声を上げるけど、気にしなーい。
珠子流料理活法は一の太刀、二の太刀、そして三の太刀と瞬きも許さぬ三連撃なんですよ。




