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あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第五章 遠征する物語とハッピーエンド
126/409

比翼の鳥と洗い(中編)

◇◇◇◇


 酒呑さんの包丁さばきはあたしの予想より達者だった。

 

 「この洋装交差(はさみ)とやらは使い勝手が良いな」


 キッチンバサミも難なく使いこなし、魚の(さば)き方の腕は二匹目でもう合格点を上げれるくらい。


 「こんなのでどうだ? 見た目は珠子に匹敵するだろう」

 「お上手です! これならすぐにでもプロになれますよ!」

 「ふん、俺様の才能なら当然だな。この分なら明日にでも珠子の腕を超えてしまいそうだ」


 調子にのった口調で酒呑童子さんが言う。

 実の所、切り口に乱れがあるのでプロとしてはまだまだですけど、あたしは褒めて伸ばすタイプですから、ここは黙っておきましょう。

 

 「それじゃあ、茨木さんに持っていきましょ。目の前で捌いてあげるときっと喜びますよ。この練習作は塩と酒で臭みを取って冷蔵庫にしまっておきますから」

 

 あたしは冷蔵庫の扉をパタンと閉め、よいしょっとクーラーボックスを持ち上げる。

 その中には三匹目の魚、本番用の魚が入っている。


 「それは重かろう、俺様が持つ」


 酒呑童子さんはそう言うと、あたしの返事も待たずにクーラーボックスを取り上げる。


 「あ、ありがとうございます」


 ちょっと助かった。

 あの中には氷もたくさん入っているので、正直ちょっと重かったの。

 

 「酒呑童子さんも少しは乙女心をわかってきたみたいですね」

 「日々の積み重ねが女の心を掴むのだ。母様もそう言っておったぞ。これを百回くらい繰り返せば珠子も俺様のモノになりたくなろうというもの」


 口に出さなければいいのに……

 やっぱりこの血筋はデリカシーが無い。


◇◇◇◇


 「茨木、入るぞ」


 北対(きたのたい)に着くなり酒呑童子さんは御簾を跳ね上げズカズカと室内に入る。

 うわー、女の子の部屋にノックも無しに入るなんて、やっぱりデリカシーが無い。


 「ちょっ、!? 酒呑!? そんないきなりやなんて!」


 いきなりの乱入に驚いた茨木童子さんが慌てて何か(・・)を後ろに隠す。

 

 「なんだ、まだそんな物を作っておったのか」

 「だ、だって、欲しいんやもん」


 見つかって観念したのか、茨木童子さんはその隠した物をそっと胸に抱きしめる。

 それは、人を模したぬいぐるみ。

 いや、角と髪型を見るに酒呑童子さんのぬいぐるみかしら。

 かなりデフォルメされているけど。


 「本物がここに居るのにそんな物に意味はなかろう」

 

 うわー、こりゃダメだわ。

 ”いつでも一緒にいたい、たとえそれが姿を模したぬいぐるみでも”という乙女心を全く理解していないわ。


 「ええやん、ウチが好きでやっているんやさかい」

 「まあよい。それよりもお前の望んだ”比翼の鳥の料理”を持ってきたぞ。これから俺様が手づから振る舞うから覚悟しておけ」


 酒呑童子さんが自信たっぷりにその手のクーラーボックスをポンポンと叩く。

 それは、さっき練習で上手くいった自信の現れなんでしょうけど、何だか蕎麦打ち自慢をするオッサン上司のようで少し閉口する。

 男の人って、こんな態度を取りたくなる本能でもあるのかしら。


 「へぇ、その様子だとウチの本当に食べたい料理(・・・・・・・・・)がわかったみたいやね。珠子はんの入れ知恵かいな」

 「珠子の助言はその通りだが、俺様がお前にこの料理を振る舞いたくなったのは、俺様の本心からだ。ま、料理で心を表現するというやつだな」

 「うん……わかってくれて嬉しいわぁ」


 酒呑童子さんの言葉に茨木童子さんの顔がほんのりと朱に染まる。

 おっ、これはポイント高い!

 酒呑童子さんは時にデリカシーの無い物言いをするけれど、それは素直な心の表れでもある。

 ストレートな気持ちの表現は時にロマンチックな台詞を超える。

 きっと酒呑童子さんのお母さまはそれがわかっていたのだろう。

 長所を伸ばす育て方をされたみたいで、それは彼の性分に合っていたみたいです。


 「はいこれ、魚を置く(おけ)


 あたしは砕かれた氷が敷き詰められた中型の桶を差し出す。

 これは寿司店のように魚を新鮮に見栄えよくディスプレイする工夫。

 

 「おう、気が利くな。それでは見て驚け! これから俺様がこれを見事に捌いてやる!」


 パチンとクーラーボックスの留め金が外れ、その中から1m近い茶褐色の大きな魚が取り出される。

 あたしが市場で買った中で一番の大物。


 「なんやその魚は? (コイ)やないと!?」


 やっぱり茨木童子さんの望んだ料理は鯉料理、それは恋に通じる言葉遊び。

 だけど、酒呑童子さんの取り出した魚は違う。


 「なんだ知らんのか? これは(コチ)という魚だ」

 

 氷の上に載ったのはカサゴ(もく)コチ科の魚、正式名称”真鯒(マゴチ)”。

 夏が旬の美味しい海水魚です。

 

◇◇◇◇


 コチは海岸から浅瀬に生息する魚で、日本海側でも太平洋側でも北の方を除けばよく()れる。

 いや、よく採れた。

 今は生息数が減ってきてしまい高級魚になっているの。

 比較的浅瀬で採れるので平安の世でも知られていたはず。

 だから、茨木童子さんが驚いているのは、きっとコチという魚の珍しさではなく、なぜ(・・)それが出てきたか、という所。


 「いや、コチはわかる。せやけど、なんで(コイ)ではなくコチなん?」


 うん、あたしの予想通り。


 「茨木さん、あなたが望んだ”比翼の鳥の料理”の答えは”鯉こく”ですね」

 「せや」

 「ほう、流石は珠子。茨木の心を見事に当てていたか」


 ザシュザシュと棘のあるヒレを取りながら酒呑童子さんが感心したように言う。


 「茨木、俺様は憶えておるぞ、かつてお前が”比翼の鳥”と”連理の枝”が(うた)われている『長恨歌』を読んでいた時の事を」

 「ウチも憶えとる。その時、酒呑は『その詩は好かぬ。愛した女に自死を命じるなど男の風上にもおけぬ』って言うたね」

 「そしてお前は『でも、自死を命じられた楊貴妃はそれでも玄宗を愛し続け、死後もそれを想う詩を伝えたなんて素敵やん』と返したな」


 比翼連理の由来となった長恨歌(ちょうこんか)の一節。


 在天願作比翼鳥(天に在りて願わくば比翼の鳥と()り)

 在地願為連理枝(地に在りて願わくば連理の枝と()らん)


 それは、死後、神仙に転生した楊貴妃が、玄宗の使いに(ことづ)けた詩。

 天では互いに支え合う比翼の鳥となり、地では互いに(むつ)み合う連理の枝となりたいという彼女の心。

 死後も玄宗を想っていると伝えたロマンチックな愛の詩。


 もちろん! 白居易(はくきょい)さんの創作ですけど!!


 「だけどな、俺様はどうしても玄宗と楊貴妃に共感出来んのだ」

 「知っとる、酒呑は頑固やさかい」 

 「だから、俺様は”比翼の鳥の料理”なんて作らない」


 会話を続けながらも酒呑さんの包丁は止まらない。

 鱗も内臓も取り除かれ、包丁が血合いの箇所の骨を削ぎ、やや大ざっぱにその身が取り出されていく。

 うーん、プロだったらあんなに骨周りに身は残さないんですけど。

 ま、骨周りの身はスプーンでこそぎ取って、なめろう風にしても美味しいので良しとしましょう。

 続けて、包丁は最後に残った皮を引き、刺身のサクは完成する。

 そして、酒呑さんの刃はサクから少し厚めのそぎ切りにされた刺身を造り出す。

 ぷりっっとした透明感を思わせる白い刺身が何枚も何枚も切り出された。

 うん、上出来です。

 

 「はい酒呑さん、水と氷水」

 

 あたしはふたつのボウルに用意していた水と氷水を入れると、それを酒呑さんの前に差し出す。


 「茨木よ俺様がお前のために造る(・・)なら、同じ意味を持つ中国古典にちなんだ料理。俺様好みの”水魚の交わりの料理”だ」


 そして、ぷりっとしたコチの刺身は水の中で泳がされ、氷水の中に沈められていく。

 

 「あっ!? 色が白っぽくなった!」


 半透明のコチの身は、氷水のなかで白っぽっく色が変わり、その身が()ぜたように、ぷりっぷりの刺身へと変貌する。

 これは水と魚が交わっていく料理。

 これが茨木童子さんの”比翼の鳥”に隠された真意、”水魚の交わり”。

 三国志の劉備と諸葛亮の出会いと、それ以降の興隆に端を発する故事成語。

 ”比翼の鳥”が互いに支え合う恋人や夫婦を表すのなら、

 ”水魚の交わり”は互いに高め合う友人や恋人夫婦を表す。


 え? どうして劉備と諸葛亮が恋人や夫婦を示すのかって?

 それはふたりがBL関係に……ではなく、魚はその繁殖力の強さから古代中国では恋人や妻を暗喩しているから。

 この場合、酒呑さんが水、茨木さんが魚ってわけ。

 茨木さんのリクエストは、実は”比翼の鳥の料理”ではなく、”水魚の交わりの料理”だったの。

 死してなお、想い続ける悲恋ではなく、共に支え合い、栄える関係になりたい。

 それは、平安の世で果たせなかった願い。

 彼女はその答えとして”鯉こく”を望んでいた。

 それは、共に栄えるという意味と、恋の告(・・・)白という言葉遊びに想いが秘められた料理。

 だけど、その酒呑さんの返事は”コチの洗い”


 「お前の気持ち”鯉こく”に込められた『恋の告白』それをそのまま返すのも芸がない。だから俺様の気持ちとして”コチの洗い”を返す。俺様の心を受け取ってくれるか?」


 クラッシュアイスで満たされた玻璃(はり)の器にコチの洗いが丁寧に並べられ、それが酒呑童子さんから茨木童子さんの手に渡される。


 「もちろんや。ウチは酒呑がくれるものならば何でも喜んで受け取る」


 ふたりの手がそっと触れ合い、玻璃の器がコトンと床に下ろされた。


 「では頂くで。めったにない酒呑の手料理やから、しっかりと味あわんと」


 朱塗りの箸が刺身に伸び、あたしがこっそりと用意していた山葵(わさび)醤油にチョンと付け、それを口に運ぶ。


 プリッ、コリッ


 「おほぉ! これはええやん! 刺身よぷりっぷりで、脂がのっとんのにスッキリとした味わいで!」

 「珠子の受け売りだが、洗いは氷水で身を締めることで刺身に弾力を生み、切断面の余分な脂を流してスッキリとさせてくれるのだそうだ」


 そう、酒呑童子さんの言う通り、洗いは切断面の細胞が引き締まり、身がぷりっぷりになる。

 そして、夏の脂がのったコチの身の表面から余分な脂を除いてくれるのだ。

 始めはスッキリと、口腔で噛む毎に中の身の旬の味わいが広がる料理。

 

 「ええ味やぁ」


 パクパクと箸は進み、器に盛られた”コチの洗い”は瞬く間に茨木童子さんの口に消えていき、最後の一切れの手前でその箸は止まった。

 そして器に注がれていた茨木童子さんの視線は、酒呑童子さんに向かう。

 

 「ええ料理やぁ。でも、最後まで食べる前に聞かせて」

 「よいぞ、何でも聞け」


 その言葉の前に、酒呑童子さんもその視線を真剣に茨木童子さんに向けた。


 「酒呑はまだ答えを言っておらへん。このコチの洗いが『水魚の交わり』を意味するのは分かる。でもどうしてコチなん?」

 

 ”鯉こく”も”コチの洗い”も同じく『水魚の交わり』を表した料理。

 でもそれなら『鯉こくでいいんちゃう? 秘められた意味は恋の告白なんやし』と茨木童子さんが思うのは当然。

 でも、それはあたしたちの想定内。

 あたしは、その答えを酒呑童子さんにちゃんと伝授しているから。

 さあ! 酒呑童子さん! ロマンチックに決めて下さい!


 「これも珠子の受け売りなんだが……」


 ブッ! 

 ブブッ!


 あたしは噴き出した。

 茨木童子さんも噴き出した。


 「おい待て! このとーへんぼく!! なんでここで、あたしの受け売りなんて言うの!? ここは嘘でも『これは俺様が真摯(しんし)に考えて出した答えだ』って言うところでしょ!」

 

 あたしの声に茨木童子さんもウンウンと同意を示す。


 「そ、そうか。俺様は少なくとも茨木の前で嘘はつきたくないと思ったから、そう言ったのだが……」


 少しシュンとしながら酒呑童子さんが、その唐変木の理由(わけ)を説明する。

 あらやだ、結構まともな理由。

 少し見直しました。

 うーん、ここら辺が男と女の恋愛観の違いってやつかしら。


 「それで、それで、続きはどうなっとるん?」


 茨木童子さんも納得がいったのか、やれやれといった風に続きをせがむ。


 「ああ、コチはなとても夫婦仲が良い魚と言われていて、雄の横には雌が常に寄り添っているそうだ。どちらかが釣られたら、もう一方もそれを追いかけて水面まで来るほどに。かつて俺様はお前に『そのままの君でいいので俺様の側に居てくれ』と言い、お前もそれを受け入れた。一時は俺様の不覚で離ればなれになったが、再び巡り合えた。茨木が望むのなら、俺様はあの時の言葉をもう一度言おう。それを料理に込めた。嘘ではないぞ」


 最後のひと言が余計。

 ま、でも、あたしの計略は見事に成功したみたい。


 「う、うん。うれしいわぁ」


 茨木童子さんの顔が再び乙女になっているもの。

 でもね、あたしにはこの料理にさらなる策を潜めているんですよ。

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