白澤様とよだれ鶏(中編)
◇◇◇◇
「ハァハァ……買って参りました師匠」
あれから小一時間、珠子の命を受けた鬼道丸が母屋に戻って来た頃、料理はすっかり出来上がっていた。
「お疲れ様です。それじゃ、少し早いですけど晩御飯にしましょ。今日はあの伝説の神獣、白澤様をゲストにお招きしていまーす」
パチパチパチと鬼道丸と熊たちが大テーブルの向かいの席から拍手する。
茨木と石熊は座っていない。
「給仕はウチらやで」
「スリット全開でご奉仕するしー」
スリットで白い腿が露わになったその服は、チャイナドレスと言うらしい。
胸のボディラインがくっきり見える、母様が見れば扇情的と眉をひそめそうな服だ。
茨木はその豊満な胸がパッツンパッツンと強調され、いつもの直垂より肌は見えぬが、そのシルエットは男の想像力をかきたてる。
つまるところ、俺好み。
石熊は脚と脇のスリットをさらに深く、もはや腰の一部しか被ってないくらい露出しているが、正直どうでもいい。
「おい珠子、お前はあの衣装に着替えんのか?」
それに対し、珠子はいつもの割烹着。
その姿は嫌いではないが、普段とは違う姿も見てみたい。
「あははー、帯に短し襷に長しってやつでして……」
「ボクのサイズだと小さすぎて入んないだしー」
「ウチの服だと胸がブカブカやけんね」
珠子が茨木を見て『うぬぬ』と言っていたが聞かなかったことにしよう。
「それはさておき、本日の料理をお持ちしました!」
俺様たちの前にどんぶりより一回り大きい逆さ富士のような鉢が運ばれてくる。
その中にあるのは真っ赤な汁。
タプタプの真っ赤な汁の中心で存在感を示しているのが鶏肉。
それと茶碗に山盛りの飯。
「うわー、真っ赤だクマー」
「きっと辛いトラ!」
「赤色巨星みたいだスター」
「姉御、これは何という料理カナー?」
熊たちが初めて見た料理の名をたずねる。
「これは本場四川の口水鶏、日本では”よだれ鶏”と呼ばれている料理ですっ!」
「ほう、四川では一般的な人気料理の口水鶏か。見た所、本場のものと遜色なさそうだが……」
白澤の望んだ料理は中国のレシピはそのままに日本向けにアレンジされた料理。
確かにこの真っ赤な見た目は日本の料理とは思えぬ。
白澤の言う通り、中国のレシピそのままなのであろう。
だが、それでは日本向けのアレンジなどとは言えぬが……
「四川料理は辛いことで有名ですが、この”よだれ鶏”も辛いです。ですので、気を付けて食べて下さいね」
珠子説明されるまでもなく、これが辛い料理というのはわかる。
俺様は別に辛い物が苦手ではない、まあ、大丈夫であろう。
パクッ
俺様の箸が器に伸び、スライスされた鶏肉の一片を口に運ぶ。
「ゲッ、ゲホッゲホッ! ゲホホッ!」
辛い! なんだこれは!?
辛さのあまり俺様はむせる。
「ああ酒呑、珠子はんの言うた通り気を付けんから。ほら水や」
茨木の手で差し出されたコップの水を俺様はガブガブと飲み干す。
「なんだこの辛さは!?」
辛い、それは間違いない。
だが、この辛さは俺様の知る辛さとは違う。
「ああ、酒呑さんは中国山椒の麻味に慣れてらっしゃらないのですね。このよだれ鶏は唐辛子の辣味も強いですが、それ以上に山椒の麻味も強いんですよ」
なるほど、山椒の辛さであったか。
「若いわりには情けないのぉ。この程度の辛さなぞ四川では序の口ぞ」
そう言って白澤はパクリとよだれ鶏を口にする。
「これは……冷たい!?」
「はい口水鶏のレシピはまず鶏肉を茹でて氷水で締めます。その間に熱した菜種油に八角、草果、桂皮、陳皮、生姜などのスパイスを入れて、トドメに四川山椒をたぁーっぷり入れて油に香りを移したら、粉唐辛子と胡麻に熱々の油をドバーっとかけて特製辣油を作ります」
なるほど、先ほどの刺激的ながらも複雑で香り高い味わいは、唐辛子と山椒以外の香辛料から来たものだったか。
「そうして出来た特製辣油に醤油と酢と塩を加えてかけ汁を作ったら、スライスした鶏肉に砕いた落花生を散らして、それになみなみとかけ汁をかけて冷製に仕上げたら、かんせーい! かんたーん! 慣れれば一時間かかりませんよ」
ふふんと自慢げに珠子がよだれ鶏のレシピを説明する。
確かにこの料理が出てくるまで一時間もかからなかった。
「ぐぬぬ……確かにレシピはそれで合っておる。冷製仕立てにする所も……」
「はい、ともすれば熱ささえ感じる辛さの特製辣油ですが、冷製仕立てにすることで爽やかにアッサリと食べられますよね」
「辛いけど冷たくておいしいクマー」
「ご飯とも良く合うトラ!」
いやいや、あの刺激はアッサリではなかろう。
だが……
ジュルリ
美味そうに食う熊たちの姿を見ていると、先ほどの刺激が思い起こされ、口腔に唾液があふれる。
なるほど、だから”よだれ鶏”か。
俺様は意を決してふたたび”よだれ鶏”に箸をつける。
ピリビリッ、コリッ、ジュワワー
油の中に溶け込んだ香辛料の刺激と、砕かれた落花生の食感に続けて鶏の旨みが口の中にあふれる。
ともすれば甘く感じてしまうほどの旨み。
冷製仕立てと言うだけあって冷たい、だが熱い。
冷たくて、辛くて、熱くて、甘くて、旨い。
そして炊きあがったばかりの熱々の飯を口に加えると、その温かさで再び花開いた刺激と香りが口を満たす。
これはいかん、よだれが止まらぬ。
パック、パククッ、パクパクパク
隣を見れば俺様と同じように白澤の箸もよだれ鶏と飯との往復を止めぬ。
「くそっ、こんなんで、これは違うというのに」
そんな事を呟いておるが、少なくともお前の姿はこの料理が口に合ったように見えるぞ。
「さて、ここらで一息、お酒で口をスッキリさせましょ。まずは本場中国の白酒ですよ」
コポポと薄い緑の器に透明な酒が注がれ、その器が白澤の手に渡される。
「はい白澤様、どうぞ」
「ほう、翡翠の器か」
中国では翡翠は五徳を高める高級品と母様に聞いた事がある。
神獣の歓待には相応しかろう。
「ほい、酒呑も」
だが、五徳など俺様とっては知ったことではない。
茨木はそれがよくわかっている。
俺様の器は愛用の備前物だ。
キュッ
ほう、この白酒とやらは強めの酒だな。
だが、焼けるようなのどごしの後には花のような甘い香りが口に広がり、そして消えていく。
辛さで満たされた口腔で、一瞬辛みが強く広がり、そして消えた。
「ふむ五粮液か。安直だが名品だな」
「はい、四川のブランドのお酒です。そして続いては!」
プシュっと缶の開く音がしたかと思うと、トトトシュワーと何やら泡立つ音が聞こえた。
石熊がそれをガラスの器に注いでいる。
「はーい、ボクからはビールだよ。白酒のチェイサーにもいいんだしー。そのまま飲んでもからーい四川料理と良く合うんだしー」
石熊が白澤の手から空になった翡翠の器を受け取ると、その代わりになみなみと注がれた琥珀色の泡立つビールが渡された。
「ぐぬぅ!? うぬぅ!? うぬぬぬぬぅ!? 白酒にビールとな!?」
「はい、中国の大衆ビールの代表格、燕京ビールですよ。さっきの白酒と合わせて鬼道丸さんが京都の中心街で買ってきてもらった物です」
何を驚いているのだ?
この京都で中国のビールは珍しかろうが、そこまで驚くほどではあるまい。
人間どもの交易の発展には目を見張るものがある。
京の中心ならば中国の酒が買えても不思議ではなかろう。
そんな事を知らんわけでもあるまいし。
グビッと俺様も茨木より酌を受けた燕京ビールを飲む。
美味いビールだ、だが声を上げて驚くほどではない。
珠子も大衆ビールと言っておったしな。
「いやー、白酒もビールもうまくてご飯が進むクマー」
「あれ……よだれ鶏がなくなっちゃったトラ!」
「これは困ったカナー」
向かいの熊たちも特段に驚いた様子はない。
確かに美味い料理と酒で俺様もさっきから箸が止まらぬが、珠子の料理を味わっていればよくある事。
しかし……今日の飯はやけに大盛だな。
熊たちの言う通り、よだれ鶏が尽きてご飯が余ってしまったではないか。
「ひらめいたスター!」
四天王の中で最も機知に富み、最も油断してはならぬ鬼が声を上げる。
星熊だ。
あいつは生卵を殻のまま油で揚げたり、電子レンジに中華鍋を入れた前科があるからな。
まともな閃きであればいいのだが……
「この、なみなみと残ったよだれ鶏のかけ汁に、ご飯を入れればいいんじゃないかスター」
「それはいい考えだクマー! こんなに残っているともったいないクマー!」
「最後まで全部いただきますするのが礼儀トラ! やはり四天王一の知恵者は違うトラ!」
「ラーメンライスみたいでうまそうカナー」
なんだ、まともではないか。
確かにこの鶏の旨みがたっぷり染みこんだかけ汁に、飯をぶっこめば美味そうではある。
ま、母様がみれば下品と窘められかねんが、俺様は鬼だ、知ったことではない。
チャポンチャポンと音を立て、飯がよだれ鶏の皿に放りこまれ、飯が真紅に染まる。
「おほっ、それ、それがぁ、それわはぁ!」
なにやら白澤が素っ頓狂な声を上げておるが意に介さぬ。
ここは俺様の大江山寝殿なのだ。
「白澤様、ご存じだとは思いますが、この食べ方は東京の名店でもおススメの食べ方なのですよ」
「そ、そうなのか!?」
「はい、嘘だとお思いならば、その第三の目でご確認されてはいかがですか」
珠子のその言葉に白澤が両目を閉じると、額の中心から第三の目が現れる。
あれが、万物を見通すと言われる千里眼が宿る瞳か。
「信じられん……本当じゃ……」
「白澤様、”郷に入っては郷に従え”とも申しますし。ここはひとつ真似をされてみては?」
「そ、そうじゃが……」
白澤が何かをためらっているようにも見えるが、俺様の知った事ではない。
それよりもこの汁かけ飯を楽しむとしよう。
俺様はなぜか膳に用意してあったレンゲをで真っ赤な汁でダクダクとなった飯を口にする。
モムッモムッ、ハフッ、ハフッ
うむ、冷たいかけ汁と温かい飯が合わさって温度が上がっている。
さきほどの冷製仕立てでは感じられなかった香辛料の刺激が、飯と共に鼻に抜け、舌を満たす。
辛い、だが、そこにあふれる旨みが辛さ故に引き立っている。
「予想通りおいしいクマー」
「この旨い汁を全部いただくトラ!」
「えっへんだスター」
「一滴残らず米に吸わせて食べるカナー」
熊たちが美味そうによだれ鶏の汁かけ飯を食いおる。
ま、俺様も負けてはおらぬがな。
俺様は器を持ち、流し込むような勢いでジャブジャブズルズルと飯をかき込む。
熊たちもそれに続いてジャブジャブと。
「うわぁあわぁわあああぁあ!? どぼしでぇぇぇぇぇへへぇ!?」
目を覆い、信じられないものでも見るような目で白澤が何やら叫んでいるが気にしない。
下品かもしれぬが、そういった食べ方も俺様の好みなのだ。
「うるさいぞ白澤。これは神獣から見れば下品かもしれないが、ここの主は俺様だ。好きなように喰らうのが鬼というもの」
たかが器を持って、汁かけ飯をかっこむくらいどうだと言うのだ。
こうやって思い思いに喰らってこそ美味。
「そ、それはうまいのか?」
白澤の視線がこちらを見る。
「うまかったぞ、このうまさを知らずして万物に精通しているとは名乗れぬくらいにな」
カランと空になった器にレンゲを置き、俺様は満足である事を示した。
「白澤様、あなたは万物に精通していると聞きおよんでいます。ならば『清濁併せ呑む』の”濁”も味わってみてはどうでしょうか」
珠子の言う通りだ。
きれいごとしか知らぬなら、それは万物に精通しているとは言えまい。
「仕方ないのう。美味そうなのは確かじゃし、儂もたまには羽目を外すとするか」
そう言って白澤はポチャンポチャンと飯をかけ汁に落とすと、器を持ち上げザブザブとそれをかき込んだ。
「うわー、白澤様、いい食いっぷりだしー」
「せや、美味しそうに食べてもらってウチもうれしいわ」
白澤は1分もかからず食べ尽くし、その掌で宙に浮いた器を見つめると、フゥーと深い息を吐いた。
そして……
「うまい! 間違いなくうまい! 実に日本向けでうまかったぞ!」
ほんの少し重たい声で、わずかな悔しさをも匂わせるような口調で、空になった器を置いた。
「いやぁ、料理が気にいってくれたみたいでうれしいわぁ。でも、この料理のどこが日本向けなん?」
「ボクもよくわからないしー」
日本向け。
その意外な言葉に茨木と石熊が疑問を口にする。
そう、今回、白澤が望んだ料理は『中国のレシピはそのままで、日本向けにアレンジされた物』だ。
俺様もこれのどこが日本向けなのかはわからぬ。
「そうだな、これは料理も酒も中国の料理ものそのものではないか。なあ珠子、この料理のどこが日本向けなのだ?」
俺様も茨木たちと同意見だ。
この麻辣の効いた味付けも、白酒もビールも日本のものとは違う。
確かに美味ではあったが、それでは日本向けとはとても思えぬ。
「は? お前さんたちはわかっておらんのか!?」
こちらを指さしながら何やら小馬鹿にしたような口調で白澤が言う。
「ええ白澤様、その通りみたいです。この料理の意味を理解しているのは白澤様とあたしだけみたいですよ。ここは白澤様の叡智をお授けになっては頂けませんか」
ちょっと小馬鹿にした口ぶりで珠子が言う。
「ぷっ、くっ、くはははっ、はははっ。これは驚いた! ここの若造共は未だ物を知らんと見える。ま、千年程度の歳では無理もないか。ははっ、よかろう、小娘に出し抜かれたのは悔しいが、ここは若造に文化を教えてやって溜飲を下げるとするか」
「ええ、お願いします」
ふたりは『あたしたちはわかってまーす』みたいな態度でそう言うと、クススと笑いながらこっちを向いた。




