石熊童子とウズラ料理(後編)
◇◇◇◇
「お待たせしましたー! 締めたてウズラ料理です!」
母屋への御簾が上がると、そこからの風に乗ってふわりと焼けた肉の良い香りが漂う。
「うわーいいにおいだしー」
石熊が”キラーン”と星になってより半刻もせぬ間に、こいつは戻って来た。
まったく、その頑健さだけは俺様の部下一だな。
「今日の食事は洋装だな」
膳に並べられたのは白磁の大小に並べられた平皿には丸の鶉とパン、角皿には串打ちされた肉と、そして小さめの平皿。
「はい、メインはウズラの詰め物です。パンには小皿にのっているウズラのレバーペーストを塗ってお召し上がり下さい」
小さい平皿にのっているのは茶褐色の物体。
肝をすり潰したものだな。
「ねーねー、この薄切り肉と隣の串のお肉はなんだしー?」
角皿に乗った二品を指さして石熊が尋ねる。
「薄切りはローストウズラですね。ローストビーフのように中心ががピンク色になるように仕上げました。そして串はハツ、つまり心臓と、砂ずり、つまり砂嚢を炙って塩をかけただけのものです」
「ほう、心臓とは珍しい」
「そうですね、昔は内臓は捨てていたみたいですけど、近代ではホルモンや焼き鳥の具材として活躍しているんですよ」
平安の世では牛馬を喰らう事はあってもその内臓を食う事はなかった。
捨てていたものが今の世では活躍しているとは。
「ハァハァ、砂ずり、ずり……ずり……、ハァハァ」
石熊の妄想は放っておこう。
「では頂くとするか。まずは詰め物から」
「ボクも食べるんだしー」
この鶉はつぼ抜きで内臓と骨が無くなっているとは言えども、手足の形はしっかり残っている。
その残されている手足をつかみ、その胴体にガブリと噛みつく。
実に鬼らしい食い方ではないか。
この野趣あふれる自由で美味そうな食い方を見れば、珠子も『こんなに美味しそうに食べてくれるなんて素敵っ!』と俺様に惚れるに違いない。
そう思いながら俺様は歯を肉に食い込ませる。
ジュル……ジュル……
ジュジュジュジュジュジュ、ジュバァァァァァーーーー
なんだこれは!?
俺様の牙の間からあふれんばかりの旨みの肉汁がほとばしる。
そして、そこからあふれる香草の風味!
肉そのものだって負けてはおらぬ。
肉の旨みが肉汁とともに口腔にあふれ、熱々の旨みの汁が喉を駆け降りる。
ゴキュゴキュと喉がなるほどの肉汁。
それは溢れ出た分だけでなく、肉を噛むごとにさらに口内に満ちる。
「なんだ!? このほとばしるような肉汁は!?」
「あーん、こんなにいっぱいだなんてボクのお口に入らないんだしー」
あまりにもの量に石熊の口からは透明の汁がよだれのように垂れていた。
「あふれる肉汁の秘密は実に単純ですよ。肉は焼くと縮みます。ですからウズラに詰め物をして、再度肛門を糸で結んでおけば縮んだ身の圧力で噛んだ時に肉汁があふれ出るんです」
言われてみれば、この鶉の尻の部分になにやら縫い目の跡が見えた。
内臓を取り出した穴は窯の熱で癒着し、腹の詰め物は密閉状態にあったというわけか。
「こっちの串もおいしいんだしー」
今度は石熊の身体の大きさにあった品を選んだのだろう。
串に刺さった肉を頬張りながら石熊がその見る者によっては可愛らしいと感じる顔をほころばせていた。
「では、俺様も串を頂くとするか……たしか心臓と砂嚢と言っておったな……」
ザッザッサクッ
「おお! これは確かに砂のような食感」
少し固めでザクザクとした食感、砂を噛むようでもあるが、噛むごとにあふれる肉と少し効いた塩味がこれは砂ではなく肉である事を主張する。
キュキュ、サクッ
「このハツはクセが無いのに旨みがあふれるんだしー」
石熊の言う通り心臓、すなわちハツは臭みがなく、噛み応えのある食感の中から旨みが出てくる。
「心臓は筋肉ですからね。脂肪の無い純粋な肉の味が味わえますよ」
なるほど純粋な筋肉か。
肉といえば肉汁が旨味と人間どもは言う事もあるが、鬼たる俺様にとっては筋肉の旨みの方が好みだ。
「このローストもおいしいんだしー! うっすらと赤身が残っていて、そこがしっとりとしているんだしー!」
「ローストビーフやローストチキン、そしてこのローストCaille、すなわちローストウズラは赤身が命! 窒息させて殺した事により血の風味が肉に巡っていて美味しくなっているんですよ!」
あの『縊り殺せ』という珠子の指示。
一見、残酷なように聞こえ、そして実際残酷なのだが、それも全て鶉を美味しく食べるが故のこと。
まったく、人間というのは鬼より恐ろしいかもしれぬな。
「うーん、でもこのレバーはちょっといやかもだしー」
小皿にのったレバーペーストを匙でツンツンと触りながら石熊は軽い溜息をつく。
「やはり生き胆、肝臓はお苦手で?」
「そーだしー、レバーは臭みがあってやだしー」
「それじゃあ、これは酒呑さんに食べてもらいましょう」
コトリと俺様の膳に小皿が追加される。
「酒呑さんはレバーは大丈夫なのでしょう」
「ああ、鬼たる俺様が好き嫌いなぞあるはずがなかろう」
ちと困ったな、俺様は確かに好き嫌いは無いが、それでも好みというものはある。
肝臓はあまり好きではない。
だが、ここでこれを拒絶すれば珠子に『あー、日本三大妖怪の酒呑童子様でもレバーが苦手なんですねー』なぞ吹聴されかねん。
ま、仕方がないか。
「これをこのパンとやらに塗って食べればよいのだな」
「はい、このレバーペーストはそのままでも美味しいですが、パンに塗って食べるのも美味しいんですよ」
珠子に促されるがまま、俺様は未だ熱を持つパンにレバーペーストを塗って一口噛む。
サクッ、トロッ
なんだこれは!?
香ばしいパンの味の上に濃厚な旨みが、それも肉や脂とは違う旨みが口の中で広がった。
「これは!? この旨みは!?」
「どうです? おいしいでしょ」
珠子がニヤニヤとこちらを見ておるが、そんな場合ではない。
俺様はもう一度、その味を確認すべくレバーペーストを匙に取り、そして再びパンに塗ってそれを食べた。
「これは! 例えるならばコクのあるバター! いやバターのコクとは一味違ったクリームのような口当たりと肉の旨みを濃縮したような深み! いやいや肉とも焼いた肝とも違う! いやいやいや、味は確かに肝なのだが、焼き肝の臭みを全て取り除いて、旨みだけを濃縮したような味が、軽い焦げ目のついたパンと合わさって、旨い! 確かに旨い! これが肝なのか!?」
「ええ、まごうかたなきレバーですよ。このレバーペーストのレシピは簡単で、牛乳で臭みを抜いたレバーに炒めた玉ねぎとニンニク、それに卵とバターとお酒を少々加えブレンダーでペースト状にして、仕上げに低温調理器で火を通せば完成です。かんたーん」
言われてみれば、あの湯煎用の袋に入れられていた肝は回転する刃の付いた棒でドロドロになるまで刻まれていた。
しかし口当たりは滑らかになるだろうが、それだけではこの旨みの説明がつかぬ。
「本当にこれはあの肝なのか? それにしては臭みを全く感じぬが」
「レバーの臭みは血の鉄分と肝臓に含まれるアラキドン酸との反応物によるものです。ですが、その反応は100℃以上で起こります。ですから、その反応が進むより低い85℃程度で調理すれば臭みは出ないんですよ」
そう言って珠子は先ほど鍋に取り付けた一本の機械棒を取り出す。
「この低温調理機はこの銀色の部分がヒーターになっていまして、温度センサで温度を測りながらヒーターで温める事により、100℃を超えない低温での調理が可能なのです。昔はこのレバーペーストは湯煎や蒸す方法で料理人の勘を頼りに作っていたのですが今ならこんなに便利な道具が! これで100℃を超えることない調理が可能! ローストビーフにレバーペーストが簡単に美味しく出来ちゃう! 人類の叡智! フィードバック制御の勝利ですよっ!」
シャキーンとその機械棒を高く掲げながら珠子が自慢げに言う。
「ホントにおいしいんんだしー?」
「ああ、うまいぞ」
珠子の説明を聞きながらも俺様の手は止まらぬ。
一口、また一口とパンは俺様の口に消えていった。
「ご主人さまー、やっぱりボクも欲しいんだし―」
俺様が二つ目の小皿からレバーペーストをパンに塗り、それを口に運ぼうとした時、石熊が指をくわえながらこちらを向いた。
まあ、俺様の美味そうに食べる姿を見たのなら、そう考えなおすのも仕方ない。
そして、俺様はこの大江山の首魁とは言えども、宝を俺様の手に独り占めするほど悪辣ではないのだ。
「いいぞ、残りはお前が食え」
「わーい、やったんだしー!」
そう言うと石熊は俺様の顔めがけて、いや俺様の手から口に放り込まれようとしているパンに向かって跳びこんで来た。
「おおっ! 男の娘と強気系少年との禁断の濃厚ベーゼシーン!」
視界の端に映る珠子がそんな事を言いながらスマホという板を操作していたが、それを確かめている場合ではない。
「お前の取り分は! こっちだろうがー!!」
かつての平安の時、俺様の体調が万全の時を超える速さで動いた手が、皿を素早く石熊の口に叩き込む。
完全な交差法。
石熊の顔がパイ投げを受けた芸人のように皿で覆われ、それがズルリと落ちる。
「いやーん、ご主人さまのペースト状のものがボクの顔をドロドロにしちゃったんだしー!」
顔についたレバーペーストをペロリと舐め取りながら石熊は笑う。
その顔が喜びに満ちていたのは、珠子の作ったレバーペーストが美味であったからだと思いたい。
この石熊の相手は本当に疲れる。
もう突っ込む気も起きんわ。
◇◇◇◇
「珠子ちゃんの料理は最高だったんだしー! ボクはもう完堕ちなんだしー!」
その後、レバーペーストに舌鼓を打ち、膳を完食した石熊がゴロゴロと珠子の膝の上に頭を転がす。
石熊が望んだのは『鬼のボクにふさわしくって、可愛いボクに似合った料理』。
どうやら、石熊にこの料理が大層気に入ったようだ。
「えへへ、今日の膳は見た目は和洋折衷のコース風ですけど、血のように流れ落ちる肉汁や、内臓の串焼き、レバーペーストで鬼の食事をオシャレに演出してみました! お気に召したようで何よりです」
膝の上に乗せた石熊の頭を撫でながら珠子が少し自慢げに言う。
「うふふ、石熊さんってとっても可愛らしいですね。猫みたいです」
「ボクはネコなんだしー、タチじゃないんだしー」
「へー、そうなんですかー、ネコなんですかー、ぐへへ」
うん、言っている意味はよくわからぬが、珠子の表情からして卑猥な事なのだろう。
「決めた! ボク、珠子ちゃんの舎弟になるんだしー! これからはボクに何でも命令していいんだしー」
「あらー、それは楽しみですねぇ。ぐえっへへへ」
「うっししーだしー」
珠子の顔に欲情にまみれた表情が浮かび、石熊の顔にも欲望にまみれた笑いが浮かぶ。
だが、こいつと付き合いの長い俺様は知っている。
こいつがこんな顔をする時は何かよからぬこと……いや性欲的な事を考えている時だ。
「石熊、何を企んでおる?」
「な、なにも企んでいないんだしー、ボクは素直に珠子ちゃんに恐れ入ってモノになっちゃったんだしー」
やはりな。
「今、素直に吐けば見逃してやる」
こいつが俺様に害成すことはない。
だが、こいつは熊たちとは別の意味で俺様を悩ませるのだ。
「本当だしー?」
「嘘は言わん」
熊たちはその無邪気さ故の行動で騒動を起こす。
それとは違い、石熊は邪気故に騒動を起こすのだ、主に淫猥な関係で。
だが、わかっていれば対応の立てようがあるというもの。
「じゃあ、素直に言うんだしー。あのね、ボクはね珠子ちゃんのモノになっちゃったでしょ」
「ああ」
「だけどね、ご主人さまが珠子ちゃんをご主人さまのモノにしちゃえば、ボクも間接的にご主人さまのモノになって可愛がってもらえてハッピーエンドなんだしー! これからご主人さまの欲望を後押しするんだしー」
「なるほど!」
俺様はポンと手を打つ。
俺様は今でも珠子を諦めてはおらん。
俺様の珠子への心情を読み取った上でそれを援護するとは、さすがは色事については大江山一。
やるではないか、石熊。
「なるほどではありません! なんですか!? あたしが酒呑さんのモノになるっですて!?」
この前、断ったはずの俺様からの申し出。
それが再燃に珠子が抗議の声をあげる。
「なんだ、やっぱり嫌なのか? 俺様は珠子の事を気に入っている。具体的には”好き”だというやつだ。大切にしたいとも思っている」
「えっ、そ、そうなんですか……」
俺様の率直な申し出に珠子の頬が朱に染まる。
うんうん、やはり女子をモノにするには心を素直に言葉にするのが一番だ。
過去からの経験上、これが最も成功率が高い。
「うーん、嫌ではないですけど、やっぱりあたしは人としての自由を満喫したいです」
おっ、この前は『お断りします』と一蹴されたが、少しは前進しておるようだぞ。
「かまわぬ。俺様は意外と気が長い。お前の気が変わるまで待つさ。具体的には百年くらいはな」
「もう、この前は”しんぼうたまらん”とばかりに襲い掛かってきたくせに……」
うん、良い感じだ。
このままの雰囲気ならば、やがて珠子が俺様のモノになる日も遠くなかろう。
「なにやら師匠も父上も楽しそうで良い感じですね」
カラリと御簾を上げて鬼道丸が母屋に入ってくる。
ちっ、いい雰囲気だったのに気の利かぬやつだ。
「師匠、追加の品をお持ちしました」
「あ、ありがとうございます」
鬼道丸が持って来た皿に乗っていたのは鶉の詰め物。
見た目は先ほどの物と変わらぬ。
「珠子、それは?」
「これは石熊さんへのトドメとして準備したウズラの詰め物です。石熊さんらしく、ちょっとエロティックに仕上げたんですけど、これは無用だったみたいですね」
「そうだったんですか? 私には普通の美味しそうな詰め物に見えましたが……」
「へー、どんなのだしー?」
ひょこりと俺様と珠子の間から頭を出しながら、石熊が尋ねる。
「へへへ、知っています? ウズラは主に雌が卵を採る用で、雄は主に食肉用なんですよ」
「へー、そうなんだしー。じゃあ、これも雄なんだしー?」
「はい、そうです。そして、この中の詰め物はっと……」
ナイフがスッっとパリッっと焼かれた鶉の皮を破ると、そこからは白と黄色の丸い断面が覗いていた。
「あー、中は卵でパンパンなんだしー」
「この大きさからすると、これは鶉の卵ではなく鶏卵か?」
鶉の卵よりも二回りほど大きい鶏の卵、それがゆで卵となって腹に詰められていた。
「そうです! 名づけて! ”ウズラの托卵詰め”! またの名を! “ウズラの『ボク、男の娘なのに、赤の他人の卵を孕まされちゃったの……』詰め”ですっ!」
そう言って、やや興奮気味に早口で珠子がまくし立てる。
…
……
………
場の雰囲気が笑いでもなく、淫靡でもなく、冷めた感じになる。
なるほど、これが場が凍るというやつか。
「珠子ちゃん……さすがにそれは妄想が過ぎるんだしー。というか、変態?」
「私は比較的人間の文化にも明るいのですが……それはかなりの上級者向けでは?」
「さしもの鬼たる俺様も、お前たち人間の妄想には負けたぞ……」
『さすがにそれはない』
そんな俺様たちの感想が珠子の顔を赤から青に、そして再び赤に染める。
「ちがう! ちがうの! これはあたしの気の迷いなの! ちょっと調子に乗っちゃって暴走しちゃったの! 本当のあたしは、こんな事をいつも考えているような変態じゃないんだから!」
珠子が顔を真っ赤にして取り繕うように否定しているが、みな”お前には負けたよ”といった表情で彼女を見る。
「うん、大江山一味の一の変態色物の座は珠子ちゃんにお譲りするんだしー」
そう言って石熊が珠子の肩をポンと叩いた。
「ちっがーう!」
珠子の全力の叫びが大江山の山間に木霊した。




