石熊童子とウズラ料理(中編)
◇◇◇◇
コキュ、コキュ、コキュ
硬い何かが折れる音がする。
「もう、まったくここの男の子ったら意気地が無いんですから」
そう言って鶉の首の骨を捻り殺しているのが鬼人珠子。
本当に100%純正の人間なのか!?
心は鬼ではないか!?
「ウズラは別名”窒息鳥”とも呼ばれています。血抜きをせずに血液を体内に巡らせて風味を良くするんですよ。フランス料理では基本です、基本」
なぜ鶉を縊り殺しているのか。
その理由を珠子が解説している。
だが、それを聞いてもそれを実践する度胸は、少なくともこっちのふたりにには無いようだ。
「珠子ちゃんが作業みたいに淡々と殺しているだしー」
「し、師匠、せめて苦しまぬよう……」
石熊と鬼道丸は半歩、いや一歩下がって珠子を見ている。
「わかってますって、あたしも無用に苦しませる気はありません。最初に頸椎を捻ればそこで意識は途絶えるはずです」
そう言う珠子の手元からコキコキ、コキュっという音が聞こえ続けた。
いや、さしもの俺様でも『一瞬で意識を狩りとれば身体はじわじわと死に近づくような殺し方でも大丈夫』というのはどうかと思うぞ。
「それじゃあ、続きは鬼道丸さんにお願いします。羽を毟って下さい」
「はっ、はいっ! かしこまりました! うひぁ!? まだ、あったかい!」
鬼道丸が鶉を手に取り、恐る恐るその羽を毟る。
「あんっ、やだぁ、丸裸にされちゃうんだしー」
それを横目に石熊は平常運転に戻った。
「ふぃー、ちょっと休憩です」
「なんだ珠子、お前でも疲れる事があるのか? それとも心労か?」
珠子は非常に働き者だ。
元々の性分なのであろうか、俺様たちの料理の他、家事を一手に引き受けている。
茨木が『ウチがやるさかい、珠子はんはゆっくりしてて』と言っても聞かない。
『あはは、なにやら手持無沙汰で』と家事を続けるのだ。
おかげで、この大江山寝殿の暮らしは快適そのもの。
「うーん、あたしも無用の殺生をしたいわけじゃありません。だけど、これが人間の業という物なのでしょうかね。生き物を食さずには生きられない、そして、食べるならば美味しく頂きたいって思っちゃうんですよ。案外、あたしって非情なのかもしれませんね」
非情ではない。
本当に非情ならば、そんな事を考えず、心の赴くまま殺し、喰らうはずだ。
「そうか、それなら、それは俺様の舌を喜ばすためだと思えばよい」
「あら、酒呑さんって意外と優しいんですね。あたしの心の負担を軽くしようと気遣ってくれるなんて」
鬼のくせに。
そんな口ぶりで珠子が言う。
「俺様は俺様の配下や味方には優しいぞ。ときに、あれは美味いのか?」
「美味しいですよ。でも、本当はもっと美味しいはずなんですよねぇ」
「どういう意味だ?」
珠子の言葉に何やら裏を感じ俺様は尋ねる。
「あのウズラは養殖物なんですよ。本当なら天然ジビエのウズラの方が美味しいと思います」
「ジビエか……確か野山の鳥獣を狩りで仕留めて喰らうことだったな」
「はい、Gibierはフランス語で狩猟肉を意味します」
「それなら熊たちに命じれば良いではないか。喜び勇んで採ってくるぞ」
平安の頃はそれが当然であった。
熊たちも手馴れている。
姫を攫うより得意なくらいだ。
「それが駄目なんですよ。日本には『鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律』というのがありまして」
「長いな」
平安の世にも律令はあったが、こんなに長くはなかった。
ま、わかりやすくはあるが。
「そうですね。なので『鳥獣保護法』とも呼ばれています。この2013年の改定でウズラは狩猟対象外になちゃって、狩りで採ってはダメになったんですよ。個体数の減少が原因ですね」
昔は鶉なぞどこにでもおった。
その他にも山しぎ、雉、山鳩、鶫など多く生息しておったが、なるほど、言われてみれば今はあまり見ぬな。
「あたしも法律と生態系保護に逆らう気はありません。なので、あのウズラは養殖物です。あー、昔、おばあさまが食べさせてくれたジビエのウズラが懐かしいっ! 昔、漫画で読んだキャンプでウズラを採って食べた話が羨ましいっ!」
何かに祈るようなポーズで珠子の瞳が天を見つめる。
「そうか、それは残念だ……」
ま、俺様はその昔、天然物を何度となく食べたからな。
「ですが、その消沈を仰天に変えて見せますっ! そのための小休止でしたっ!」
珠子がピョンと反動をつけて立ち上がったのと、「ハァハァ、師匠、終わりました……」と鬼道丸がこちらを向いたのは同じだった。
「さあ! ここからがあたしの全力調理! 激しくいきますよー!」
「激しいのはボクも大好きだしー」
隣で石熊が「オー」と喜声をあげていた。
◇◇◇◇
「まずは残った細かい毛を取るために料理用バーナーで表面を軽く炙りまーす」
珠子の手に握られた器具より炎がほとばしり、チリチリと毛が焼ける音がする。
「ああんっ! あついっ、いきなり火責めなんてぇ!」
耐えろ……
「次に肛門を拡張しまーす」
小さめのナイフで鶉の尻穴に切れ目が入り、珠子の指でそれが拡張される。
「んひぃっ! だめぇ、ボクのお尻の穴が広げられちゃうっ!」
駄目だ……突っ込むな……
「それじゃあ、指をズボッと突っ込んで内臓を引っ張り出しちゃいましょう。あたしは手が小さいので指でもギリギリ大丈夫ですが、大きい方はピンセットを使った方がいいでしょう」
珠子の二本の指が鶉の体内に突っ込まれ、その指が何度か捻られる。
「ひぎっ、そんなに奥まで突っ込まれちゃうと、ボクのナカがぐちゃぐちゃになっちゃうっ!」
石熊が身をよじり、身体をくねくねさせながら俺様にもたれかかる。
負けるな俺様……突っ込んだら負けだ……
「さて、引っ張り出した内臓は砂嚢と心臓と肝臓をより分けます。次は首をダンッと落として、首の皮をめくりあげまーす」
落とされた首の部分よりペリペリと皮が剥がされつつめくられていく。
「あっ、それは大事な皮の部分なのっ! めくられた皮の下はとっても敏感なんだから優しく弄ってぇー!」
珠子の指がピンク色の肉に触れる度に石熊の身体がビクッビクンッと痙攣を繰り返す。
「そ、そして、見えた肉の部分から骨に向かって切り込みを入れて、関節を外しつつ、骨と肉を外していきまーす。首からが終わったら、今度はお尻から胴体に向かって同じように骨と肉を外していきまーす」
珠子のナイフが肉に差し込まれ、それが捻られるとコキュと肩関節の外れる音が聞こえた。
「そんなぁ、前と後ろから両方で攻められちゃうなんてぇ、ボク壊れちゃう~!」
身体をガクガクと揺らしながら、目の焦点をあえて外した表情で石熊が虚空を見つめる。
「そして皮を破かないように肋骨と手先と足先を除いた腕と脚の骨を抜き取り、皮を戻せばウズラの”つぼ抜き”のかんせーい! かんたんじゃなーい!」
…
……
………
珠子が何かを訴えるかのようにこっちを見る。
みなまで言うな、俺様もわかっている。
わかっているんだ……俺様が全力で突っ込むとどうなるのか……
「ハァハァ、ボクったら抜かされちゃった……、いっぱい抜かされちゃって、骨抜きにされちゃった~! 珠子ちゃんたら、とっても上手ぅ~」
だが、さすがに俺様も我慢の限界に達する。
こいつらしく言えば、しんぼうたまらん! といった具合だ。
「誤解を生むような実況解説はやめんかー!!」
俺様の逆水平がヒュンと風を切って石熊の胸元に叩き込まれ、「へぶぁ!!」という声と共に石熊は吹っ飛んだ。
壁にめり込むほどの勢いで。
「うわーい、ご主人さまったら、とっても元気になっちゃって、ボクうれしいんだしー!」
俺様のツッコミを受け、壁にその人型を残しながらも、石熊は嬉しそうに言葉の矛先を俺様に変えた。
だからツッコミたくなかったんだ……
◇◇◇◇
なるほど、”つぼ抜き”とは鳥の形を保ったまま骨を抜く手法か。
「そうです、このままオーブンで焼いたり、中に詰め物をして焼くと美味しいんですよ」
「しかし師匠、これはかなり高度な包丁技術のように見受けられますが……」
『さっ、次は鬼道丸さんもやってみましょう!』とナイフを渡された鬼道丸が手本のつぼ抜き済のとそのままの鶉を見ながら言う。
「確かにこの”つぼ抜き”には修練が必要ですけど、修練すれば出来るようになります。細工料理ほどの才能は必要ありません。まずは実践あるのみです、あたしは隣で他のウズラを捌くのと、この内臓の下処理や調理をやっていますから、落ち着いてゆっくりとやって下さいね」
そして珠子と鬼道丸は次の鶉の解体を始める。
スッスッ
ズッボゴッ
コキッコキッ、ズボッ
ゴゴゴリゴリジビョーン
やはり珠子と鬼道丸とでは腕前が違うな。
鬼道丸が1体目に悪戦苦闘している間に珠子は3体目の解体を終え、次の調理に入っていた。
玉ねぎといくつかの香草を炒めバターで炒めておる。
「さて、やはり鬼らしい料理といえば生き胆! レバーですね! これを美味しくしちゃいましょー!」
「えー、レバーってボクは嫌いだしー。何だか嫌な味がするんだしー」
鶉の内臓から取り分けられたレバーを見て石熊が不満を口にする。
「あら、石熊さんはレバーはお嫌いですか?」
「そーだしー、ご主人様も生き胆は嫌いなんだしー」
「そうなんですか?」
「そうだな、俺様も好きではない。生はドロリとして生臭いし、煮ても焼いても臭い」
かつて、鬼は人の生き胆を喰らうと人間どもは言っておったが、実はそうではない。
そもそも人間なぞ食わんし、牛馬であっても内臓は食わん。
俺様は鬼なのだ、好きな部分を喰う。
腿肉や肋骨周りの肉などが脂がのって俺様の好みだ。
人間の女なら褥で喰うに限る。
「ふっふっふっ、そーなんですか、臭みねぇー」
口に手をあて、ぐふふと厭らしい笑みを浮かべる。
「また何か企んでおるな。その企みとやらは生き胆に牛乳をかけていることか」
白色の液体がレバーの入ったボウルと呼ばれる椀に注がれ、その色が血で赤く染まる。
「ええ、これは臭み抜きの一手、フレンチでは基本の臭み抜きですよ。そしてジャーン! 低温調理器ー! パーパー、パーパー、パパレバー!」
珠子がエプロンのポケットから何やらごそごそと取り出して見せたのは一本の棒。
「そのエロそうな棒って何だしー!?」
「これはエロい事に使う棒ではありませんっ! これを鍋に止めて……」
珠子は石熊の色ボケを一蹴すると、機械の棒を鍋に取り付け、そこに水を注いだ。
「この牛乳で臭みを抜いたレバーをジップロックに入れてポチャン! そして、これまた別のジップロップに入れたウズラの腿肉を入れて、温度を85℃にセット! あとは放置プレイで出っきあがりー! ちょー簡単!」
おそらく水に入った棒の部分が電気で加熱されているのだろう。
水面からほんのりと湯気が見える。
「すみません師匠……、私がつぼ抜きに失敗したばかりに……」
「いいんですよ。料理に失敗はつきものです。最初から一羽はバラバラにする予定でしたし。鬼道丸さんのおかげで手間が省けたってものです」
あの腿肉は鬼道丸が捌いていた分か。
「さっ、残りのウズラの詰め物も完了しましたし、あとはオーブンに任せましょう。酒呑さんと石熊さんは母屋で待っていて下さい」
その珠子の言葉と共にバタンと窯の扉を締まる音が聞こえた。
「ハァハァ、珠子ちゃんはボクが出来上がるのを待ってるんんだしー」
石熊の台詞に再び俺様と珠子のアイコンタクトが成立した。
「出来上がるのは料理ですっ!」
「お前はひとりで出来上がっとれ!」
俺様と珠子のふたりの双撃が”キラーン”と石熊を扉の外へ吹っ飛ばした。




