花の精と天ぷら(前編)
夢……夢を見ている……
彼は美しかった。
その立ち振る舞い、刀の煌めき、迷いの無い瞳。
俺様の体調が万全だったとしても、遅れを取ったやもしれぬ。
それは噂通りの、いや噂以上の武士であった。
恨めしい……恨めしい……
俺様は勝ちたかった、真っ向からお前の刀のへし折りたかった。
負けるなら正々堂々と負けたかった。
お前はそれに足る男であったというのに。
何故にあのような卑劣な真似を。
毒の酒に鉄の縄、寝込みを襲う非道の業。
お前が貧弱であったならそれもよい。
だが、お前は、お前とその四天王は俺様の一団に匹敵するほどの強者であったのに。
正面から戦っても勝てようものを、何故に……
勝利は極上の物でなければならぬ。
それは口福をもたらす膳のようであり、五臓六腑に染み渡る名酒にも似た味。
だが、お前はそれに泥をぶちまけた。
空虚な名ばかりの勝利を得て、お前は何を得ようというのか。
見えたのは白刃の軌跡。
俺様の頸に振り下ろされる頼光の刃。
視界がぐるんと回り、その端に身体が見える。
それは鉄縄に縛られた自身の胴。
首だけとなりて、最後の妖力で頼光の頭に食いつくも、星兜に遮られ牙が届かぬ。
ああ、勝負らしい勝負となったのは最後の最期であったか。
力尽き、トスンと大地に落ちた瞳に映ったのは憎い頼光の顔ではなく、一輪の花。
橙の花弁を持つ美しい花だ。
たとえ花弁が血にまみれていようと、その美しさは変わらない。
名も知らぬ美麗な花よ、俺様の戦いを見ていたか。
見ていたのなら、それを忘れないでくれ……
ああ……憎い……憎い……
憎いぞ頼光……
◇◇◇◇
ガバッ
息が乱れる、胸に嫌な汗が流れる。
クソッ、またあの夢か。
日は昇り、ヂヂヂヂという虫の声は鳴りを潜め、ジジジジジジジという蝉時雨が聞こえ始めた。
「あっ、お目覚めになられましたか酒呑童子さん。ちょうど起こそうと思っていた所ですよ」
御簾越しの庇から女の声が聞こえる。
こいつの名は珠子。
俺様の棲み処、大江山寝殿の客人だ。
「どうしたんんです? 凄い汗ですよ。やっぱりエアコンを導入したらどうですか?」
俺様の着物はぐっしょりと濡れ、肩口より胸元へ染みを作っていた。
「ひょっとして、まだ体調が悪いのですか? だったらもう少しお休みになられますか? それとも再度瀉血をされますか?」
確かに俺様の体調は万全ではない。
神便鬼毒酒は今も俺様の身体を蝕み続けている。
数日前までは痛みで充分に寝ることもかなわなかった毒。
それは珠子の瀉血という治療法で和らぎ、幽世の食物で大幅に回復した。
今では日中の頭の重さがその残滓となって残っているくらいだ。
「いや、大事ない。少々、夢見が悪かっただけだ」
身体の痛みは消えた、だが、あの時の心を狂わすような悔恨は消えぬ。
眠れぬ日々は過ぎ去ったが、今度は悪夢にうなされる日々。
目の下のクマは未だ消えぬ。
「茨木と熊たちは?」
「茨木童子さんと四天王のみなさんはお休みになられましたよ」
「そうか」
俺様は日中は神便鬼毒酒の影響で軽い頭痛がある。
夜の方がぐっすり眠れるのではないかと思い、普通の”あやかし”とは逆の夜昼逆転の生活に変えてみたのだが……、この悪夢ではどちらも変わらぬな。
「それじゃあ、朝ごはんにしましょ。今、台盤所から朝餉を持ってきますね。ちょっとまってて下さい」
庇をトトトと歩きながら、珠子は台盤所へと向かう。
トトトトトトト
「あの……」
「どうした珠子」
「いや、どうして付いて来られるのですか? 母屋でお待ちになっていればよろしいですのに」
歩みを止め、こちらを振り返りながら珠子は言う。
ふむ、見返り美人という言葉があるが、この娘にそれは当てはまらぬな。
茨木のような美しさはないが、純朴な魅力がある。
「母様は幼き俺様に”男子厨房に入らず”と言いつけて、台盤所に近寄らせなかった」
「その言葉は前時代的ですけど、まあ、合っていますね」
「俺様は悪い鬼だからな。そんな言いつけは守らぬ。八分復活の手始めとして、悪事に身を染めたいのだ」
そう言って俺はニヤリと笑った。
「あら、かわいらしくて悪い鬼ですねー」
そして、珠子もニヒヒと笑ったのだ。
◇◇◇◇
「あれ?」
珠子が疑問の声を上げたのは俺様がつまみ食いという悪事を働いていた時。
うん、この塩漬け豚バラ肉の賽の目切りと馬鈴薯の胡椒寄せとやらは美味いな。
「どうした珠子?」
「いや、この金針菜ってどなたかが採ってきてくれたものでしょうか?」
そう言う珠子が見せたものは、ザルに乗った花の蕾。
緑の中にすこし黄色がかった細長い姿。
「知らぬな。おおかた茨木か熊たちが採ってきたのであろう」
「うーん、昨晩はみなさんは『酒呑の復活パーティやー!』なんて騒いでいましたから違うと思うんですけど……まっ、いっか」
ニコニコと笑いながら珠子はそれを選り分ける。
「何やら嬉しそうだが、それは良い物か?」
「はい、とっても美味しい高級食材です」
「そうか、それを食べるのが楽しみだ」
「はい、晩御飯は期待して下さい」
珠子は料理が上手い。
かつて俺様は1000年以上も前に都の贅を尽くした膳を食べたこともあったが、珠子の料理はそれに勝る。
『1000年を経た人類の食いしん坊の叡智の結集ですっ!』なぞ言いおったが、昨晩の栗おこわは美味であった。
「あー、ちょっと、ベーコンばかりつまみ食いしないで下さいよ。あたしの分が減っちゃうじゃないですか」
「ふっ、つまみ食いの美味さは何よりだ。ましてや、お前の分を奪う悪事のスパイスが効くとなると気分がいい」
「あー、そんな事を言うと、あたしも悪に身を染めちゃいますからね」
ひょいパクと珠子の手と口が動き、俺様の目の前から肉の塊が消える。
「おいこら、それは一番大きいやつで、最後に取っといたやつだぞ」
「ホフホフ、やっぱりフライパンから直接食べるつまみ食いは最高ですね!」
「ぐぬぬ、俺様の楽しみを横取りするとは悪知恵の働くやつめ。負けぬぞ!」
ひょいパク
「味見は料理人の特権です! あたしは既得権益に固執する悪い女です!」
ひょいパクパク
パクパクパクパク
俺たちのつまみ食い合戦はそれからしばらく続いた。
…
……
………
「なあ珠子」
モグモグ
「なんですか?」
もむもむ
「ちょっとこれは炭水化物が多くないか」
モシャモシャ
「酒呑さんが肉を全部食べちゃうからですよ。そのせいでジャーマンポテトが、ポテトオンリーになっちゃったじゃないですか」
つまみ食いバトルの結果……朝食はトーストとイモだけになってしまった。
このトーストも悪くない、ポテトも味はいい。
だが、味に偏りがある。
「しかしこれでは味が単調過ぎないか? 他には何かないのか?」
「白いご飯ならありますよ。あとは昨日の栗ご飯の残り」
珠子はおひつを取り出し、それを自分の椀によそう。
「炭水化物まみれではないか!?」
「誰のせいで炭水化物祭りが朝から始まったと思ってるんですか!?」
ぐぬぬ、お前も嬉々としてつまみ食いに参加していたではないか。
「……責任の半分はお前にある」
「いいえ、3分の1くらいです。酒呑さんの責任が3分の2」
食べた肉の量を冷静な分析結果を口にしながら、珠子は冷たい声でもっきゅもっきゅとご飯をほおばり始めた。
◇◇◇◇
朝、目覚めると何やら違和感を覚えた。
スンと鼻を鳴らすと何やらほのかに甘い花の香りを感じる。
誰やら花でも生けたのかと思ったが、花の姿は見えない。
香りの出所は俺様の布団。
断っておくが、俺様の寝間着は”シャネルの5番”などではない。
それは石熊の寝間着だ。
誰ぞ同衾でも仕掛けたか?
茨木ではなかろう、あいつはこんな香水なぞつけぬ。
とすると……ほう……。
俺様の魅力になびかぬと思っていたが、あいつも可愛い所があるじゃないか。
俺様は闖入者の心当たりに逢いにトトトトトトトと台盤所へ向かう。
ガラッ
「あっ、酒呑さん、おはよーございまーす。ちょうど起こしに行こうと思ってたんですよ」
馬鈴薯と塩漬け豚バラをフライパンで炒めながら珠子が言う。
「おう、今日の朝餉もうまそうだな」
あのべーこんと馬鈴薯の胡椒炒めは美味い。
おや? 俺様はいつあの塩漬け豚バラ肉がベーコンという名前だと知ったんだ?
「ところで酒呑さん」
「なんだ?」
「このこの金針菜を持ってきてくれた方をご存知ですか?」
そう言って珠子はザルの上に乗った細長い花の蕾を見せる。
「知らぬな。それよりも俺様は腹が減ってるんだ。ちょいとつまみ食いをさせてもらうぞ」
「ちょっとだったらいいですよー」
ガシッ
許可が出たので俺様は珠子を後ろから抱きしめる。
「ちょいと酒呑さん」
「何か?」
「料理の邪魔です。”男子厨房に入らず”という前時代的な事を言う気はありませんが、つまみ食いしないのなら、部屋で待っていて下さい」
「そ、そうか……すまぬ……」
珠子の見返り顔は夜叉のごとき表情だった。
かつて俺様を叱る母様のように。
◇◇◇◇
胡椒の効いたベーコンは美味い。
このトーストにも白米にも合う。
俺様は珠子の朝餉を堪能した。
「酒呑さん、あたしはちょっと宅配便を受け取りに離れまで出かけてきますから、留守をお願いします」
茨木や熊たちは就寝している、昼に起きているのは俺様と珠子だけだ。
だが、この大江山寝殿には惑いの術が掛けられておるので一般の人間はたどり着けぬ。
それでは不便やからと茨木が駅の近くに粗末な拠点を築いた、それが”離れ”。
何やら”宅配ぼっくす”とやらが備わっていて、物品を受け取れるようになっているらしい。
「誰ぞ何か買ったのか?」
「うーん、そうみたいですけど、誰が何を買ったのでしょうね」
こめかみに指を当て、何かを考えこみながら珠子は離れへと向かって行った。
◇◇◇◇
「酒呑さん。お茶が入りましたよ。ご一緒しましょ」
「おう、よいぞ」
珠子は数時間で離れより戻った。
朱塗りの盆にガラスの急須をのせて、珠子が俺様の母屋に入ってくる。
「美しい茶だな」
ガラスの中には薄紫色の花が浮かび、薄い緑の茶と相まって清涼感を映し出していた。
「はい、勿忘草の花茶です。先ほど宅配便で届いた物です」
コポポと急須より茶碗に茶を注ぐと大きな湯口より紫の花がこぼれ落ちる。
「どうぞ」
「いただこう」
俺様は足を正し、ズッと茶を口にする。
味は薄い、香りも薄い、白湯を飲んでいるかのよう。
だが、その薄い中にも仄かな香りを感じる。
”白湯とは違う白湯”それがこの茶の感想。
「なるほど、俺様の身体を気遣って白湯のようでそうではない茶を出したか」
俺様の体調は万全ではない。
珠子はそれを気遣ってくれているのだ。
可愛いやつめ。
「うーん、そうなのかもしれませんが……」
「どうした? 他に何かこの茶を出した理由があるのか? 何ぞ薬効でもあるのか?」
「確かにこの勿忘草にはリラックス効果があるんですけど……、なんであたしはこれを買ったんでしょう?」
あたまに”?”の疑問符を浮かべながら珠子が花茶をじっと見つめる。
「買ったのは珠子であろう」
「はい、スマホの注文履歴にも残っていました。でも、おぼえていないんですよねー」
「珠子は大切な客人で、俺様が全力で守り抜くと心に決めたからな。その安心感で心が緩んだのであろう。京への旅路は苦労の連続だったと聞いたぞ」
「またまたー、嘘ばっかり。そういう台詞は茨木童子さんに言って下さいよ」
顔の前で手を横に振り、少しおちゃらけた調子で珠子が言う。
嘘ではない。
こう見えても俺様は恩義と信義に厚い。
俺様を、いいや大江山の酒呑童子一味を救ってくれた珠子に害を成す者があれば、全力で守り抜く。
まあ、ここであえてそれを念押しする必要もないがな。
「ところで珠子」
「はい、なんでしょう?」
茶碗を口に運びながら珠子が言う。
「お前、昨晩、俺様に夜這いをかけなかったか?」
ブバッ
茶が美しい軌跡を描いた。
「はぁ!? あ、あ、あああああ、あたしがそんな事をするわけないでしょ!」
「そうか、今朝、目覚めた時に誰ぞが居た残滓が部屋に残っていたのだが……」
「誰かが酒呑さんの母屋に侵入したと」
「そうだ。御帳の中にまでな」
霊力の高い人間の盗賊の類が宝を求めて母屋に侵入する事はあり得る。
俺様がそのような些事に気付かぬ事も。
だが、俺様の寝所である御帳まで入られたとなると、気付かぬはずがない。
唯一、可能性があるとしたら、俺様が心を許している茨木か珠子、それに熊たち。
石熊だったら絶対に気付いて叩き出す。
「それはないと思います。だって茨木童子さんが一晩中、狼藉者が入らないよう酒呑さんの部屋を見張っていますから」
「そうなのか?」
俺様が就寝している間にそんな事をしていたとは。
心配性だな茨木も。
「はい、彼女の目を盗んで酒呑さんの部屋に侵入するなんて出来るとは思えません。たとえ悪意のない夜這いが目的であっても。ううん、夜這い目的であったならなおさら」
まあ、茨木の目を誤魔化せるやつなど”あやかし”であっても早々おらぬ。
この寝殿の惑いの術を看破する程度の霊力しかもたぬ人間なぞ軽く追い払われるであろう。
「すると、やはり珠子しか思い浮かばんのだが」
「だから、違いますって。それにあたしが酒呑さんの部屋に夜這いに行っても、絶対に茨木童子さんに止められますって」
「そうでもないぞ、茨木も珠子の事は好ましく思っている。きっとウキウキで『じゃあ、三人でやろっか』なんて言うやもしれん」
ブ、ブゥゥゥゥ-
茶が綺麗な七色の虹を描いた。




