鬼道丸と失敗チョコケーキ(その3) ※全4部
◇◇◇◇
「珠子とー!」
「き、鬼道丸のぉー!」
「「簡単クッキング―」」
ドンドンドン、パチパチパチパチー
あたしたちのセルフ拍手が母屋に響き渡る。
「また妙な事を始めおって……」
突如持ち込まれたテーブルと食材、そしてオーブン。
そして、いきなり始まった大江山クッキング番組を横目に、酒呑童子さんが軽い溜息をつく。
あたしが鬼道丸さんに昨晩仕掛けた策はこう。
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『鬼道丸さん、あたしは大江山の一時的な来訪者で、いずれ東京に帰ります。その時、あたしの料理で舌の肥えた酒呑さんは困ってしまうでしょう。”このままだと、また味気ない食事の日々に戻ってしまう”と』
『なるほど、そこで私が珠子師匠の弟子として新しい料理番として父上の配下に加わるという事ですね!』
『はい、酒呑さんの完全復活にはまだまだ十分な栄養と休養が必要です。あたしが酒呑さんに料理で貴方の有用性を示すように仕向けますから、一緒においしいチョコケーキを作ってそれを証明しましょう』
『わかりました師匠!』
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そして、あたしたちはその作戦遂行の真っ最中ってわけ。
「さて、今日は誰でも簡単に作れるアーモンドチョコケーキを作ります」
「えっ!? 師匠、チョコケーキって難しいのではないでしょうか? 私に上手く作れるでしょうか?」
「大丈夫ですっ! 基本はイギリス伝統の簡単ケーキ”パウンドケーキ”ですから!」
パウンドケーキ、それは小麦粉、砂糖、卵、バターの4つの材料を混ぜてオーブンで焼くだけの簡単ケーキ。
だけど、その味わいは簡素な作り方とは裏腹にとってもおいしい。
「おお! パウンドケーキなら出来そうです。私がよく作るスコーンより少し難易度は高いですけど」
あの庵で食べたスコーンは魅力的だった。
明日のティーブレイクでも食べたくなるような素朴で素敵な味。
派手な味わいの料理はおいしいけれど、ずっと食べていると飽きが来るのよね。
だけど素材の味が活きた料理は、毎日でも食べられる。
あたしの好きな白米系!
「ええ、今日のアーモンドチョコレートケーキの材料はこの六つ! 小麦粉、アーモンドパウダー、チョコレート、卵、砂糖、バターでーす!」
「師匠! 基本はパウンドケーキということは?」
「はい、よく気付きました! パウンドケーキは小麦粉、卵、砂糖、バターを1ポンドずつ混ぜて焼くだけの簡単ケーキです。これも同じく六つの材料を等量まぜて焼くだけ! かんたーん!」
「おお、これなら私でも失敗しないぞ」
このアーモンドチョコケーキは昨晩の特訓でも一緒に試作した。
出来栄えは上々、というか、オーブンの焼き時間さえ間違えなければ失敗なんてしない。
「それじゃぁ、鬼道丸さんはチョコを湯煎で溶かして下さい。あたしは粉をふるいます」
「はい、わかりました」
あたしにそう言われて、素直に鬼道丸さんは湯煎でチョコを溶かす。
そしてあたしは小麦粉をふるう……とみせかけて、ちょこちょこっと鬼道丸さんに見えないように秘密の仕込みを……
「師匠! 湯煎が終わりました!」
「よろしい! それではオーブンの余熱です! ここは重要! 180℃です!」
「はいっ!」
あたしに言われるがまま彼はトトトトトとオーブンに向かい、温度を設定する。
うーん、ちょっと忠犬っぽい。
「あとは混ぜるだけでーす! これまた湯煎で柔らかくしたバターに五つの素材を混ぜていきましょう! 素早く!」
「了解しました師匠!」
テーブルに並べられた六つのボウル、その中心のバターが入ったボウルに残りの五つの食材が次々に投入され、混ぜられていく」
だけど彼は知らない……テーブルの下にひとつのボウルが隠された事を。
彼が小麦粉だと思って加えたボウルの中身は、全粒の茶色がかったアーモンドパウダーとは別に、こっそり用意した皮なしの真っ白なアーモンドパウダーだって事を。
◇◇◇◇
オーブンからチョコレートの焼けるいい匂いが漂ってくる。
焼き上がりまでは約40分、鬼道丸さんが時間を念入りにセットしたので間違いはない。
数分後には焼きあがる。
鬼道丸さんは、あたしの『異常がないかちゃんと見ててくださいね』という言葉に従って、オーブンとにらめっこ中。
うん、そろそろ頃合いかしら。
「あーーーーっ!? たーいーへーんだぁーーーーー!!」
あたしはテーブルの上のひとつのボウルを指さしながら大声を上げる。
「ど、どうしたのです!? 師匠!?」
「たいへんですよ! 鬼道丸さん! ほらこれ! 混ぜ忘れちゃってます!」
ボウルの中には白い粉、その正体は小麦粉。
「えっ!? どうしてこれがここに!?」
「混ぜ忘れちゃったんですよ! 鬼道丸さんが! ケーキの柱とも言うべき小麦粉を!」
ガバッっとそんなバカなという素振りで、鬼道丸さんがボウルにかぶりつく。
だけど、その中にある粉は消えてなくなりはしない。
「あああああああぅっ、うわぁあぁあああああー! 失敗した! 失敗した! 失敗した! あんなにも、あんなにも、あんなにも注意したのに! 特訓もしたのに、それがそれがそれが! あああああぁうあああぁー! お許しを父上! 申しわけありません師匠! 鬼道丸は! 鬼道丸はぁ! 父上の期待とお腹を満たせず! 師匠の御恩にも報えませなんだぁぁぁぁぁあーーーーーー!!」
髪を上下に振り乱し、ともすればテーブルに叩きつけるような勢いで鬼道丸さんは頭を振る。
スコーン
「あたっ!?」
「いいから落ち着け」
鬼道丸さんの額に命中したのは酒呑童子さんの手から放たれた扇。
「し、しかし父上、私はまた失敗を……」
「まだわからんのか、たわけ。これはそこの女の策だ。俺様だけでなく純粋なお前までたばかろうとは、まったく小賢しい」
「あら、やっぱり気付かれてました」
ニヤッとあたしはいやらしい笑いを浮かべて言う。
「お前の怪しい動きを見ればわかるわ。鬼道丸よ小麦粉を入れ忘れたのはお前の落ち度ではない、珠子がそうなるように仕向けたのだ。こっそりと小麦粉の鉢を机の下に隠してな」
「わ、私を! う、裏切ったのですか!? 師匠!?」
「フハハハハ! 純情な青年の心の隙に入りこみ、あたしの甘言に騙され悶える姿を見るのは大層気持ち良かったぞ! 甘言だけにスイートでな! フハハハハハハッ!」
ドゴーン
「うわたぁ!」
今度はひじ掛け、脇息が飛んできた。
酒呑童子さん、さすがにそれは痛いです。
「道化を演じるのも大概にせんか珠子! 鬼道丸、さっさと、そのオーブンの中身をもってこい」
「え!? で、ですが父上、これは小麦粉が入っていない失敗作で……」
「よい、失敗作かどうかは俺様が決める」
「……はい」
彼の手でオーブンが開かれると、熱気で抑圧された空気が、チョコレート甘さとアーモンドのローストされた香ばしさが母屋中に一気に広がった。
「これは!? なんという芳わしさ!?」
机の上で粗熱がとれてゆく最中でも、その香りの奔流は止まらない。
粗熱が取れたのを確認すると、鬼道丸さんは息を飲みながらスッスッとナイフがケーキを切り分けていく。
そして、そのひとつが白磁の皿にのせられて、御帳の酒呑童子さんの元へ運ばれた。
見た目は美しい白と黒のコントラスト。
「ど、どうぞ父上」
恐る恐る、かすかに震えた手で鬼道丸さんが皿を渡す。
「うむ」
フォークで二等辺三角形の頂点の部分をサクッと切り取り、酒呑童子さんはそれを口に入れる。
「ど、どうでしょうか父上」
カチリと音がして、フォークが皿に置かれた。
「や、やはり不味かったので……」
ガシッ、ムッシャー!
肩を落とす鬼道丸さんの目の前で、酒呑童子さんは残りのケーキを鷲づかみにし、あんぐりと開けた大きな口に放り込んだ。
モッシャモッシャ、もっきゅもっきゅ、ゴクン。
「おい珠子」
「はい」
「追加を持ってこい。こいつの分もな」
「はーい、ただいま」
あたしがお代わりを持っていくと、酒呑童子さんは再びそれをムンズと掴み、ガブガブペロリと3口で食べ終える。
「ち、父上、その失敗作のお味は……」
「いいからお前も食え。そうすればわかる」
酒呑童子さんに促されるがまま、鬼道丸さんも
あたしもいただいちゃおっと。
サクッ
「これは!? 濃厚なチョコレートの味わいがしっとりと口の中を包み、そこから生まれ出ずるアーモンドの香ばしさと相まって、どっしりとした重厚な甘さが広がりまする! スポンジのチョコケーキとは違う! これはチョコ! そしてケーキ! チョコレートでありながら、ケーキを思わせる深い味わい! チョコは舐めるもの、でもこれは違う! ああ……私は今、チョコレートを食べている……」
うん、ちょっと鬼道丸さんの感想は混乱気味だけど、気にいってくれたみたい。
もちろん、酒呑童子さんも。
「珠子、これは何という料理だ?」
「はい、これは”トルタ・カプレーゼ”! 『人類の歴史上、失敗から生まれた幸運な物のひとつ』とも称されるイタリアのケーキです」
そう説明しながら、あたしも失敗チョコケーキ”トルタ・カプレーゼ”を口にする。
うーん、アーモンドとチョコの濃厚な味、おいしー。
このケーキはガツンと舌にくる系。
「これが失敗なのですか!?」
”失敗とはとても思えない”そんな口調で鬼道丸が疑問を口にする。
「はい、諸説ありますが、とある説ではイタリアのカプリ島のレストランにマフィアが来店された事に端を発するエピソードがあります」
「マフィア……イタリアの悪党だな」
「はい、それはもう、こわーい人達です」
酒呑童子さんが言う”悪党”とは平安の世に荘園などの中央権力に逆らった人達のことだろう。
そういう意味では、酒呑童子一味も立派な”悪党”よね。
「あまりの怖さにレストランの主人はアーモンドチョコケーキを作る時に小麦粉を入れ忘れてしまいます。そして、あろうことかそれに気づかずマフィアに出してしまったのです!」
「それは恐ろしい! そんな失敗をしてしまっては生きた心地がしませぬ」
「はい、厨房に戻ったオーナーは小麦粉の入れ忘れに気付いて青ざめました。しかも、マフィアの席から自分を呼ぶ声が聞こえるではないですか!」
「ほう、それでそれで!?」
「ですが、恐る恐るマフィアの席へと向かったオーナーを待っていたのは予想とは大違いの大絶賛! 『こんな美味しいチョコケーキは食べた事がない!』 そして、その後、そのレストランでは小麦粉を抜いて作ったチョコケーキが名物となり、やがて”トルタ・カプレーゼ”、その意味はカプリ島の名物ケーキ! という名で呼ばれるようになったそうです。めでたしめでたし」
ま、これはかなり眉唾なエピソードなんですけど。
「料理の世界って失敗から生まれた物も数多くあるんですよ。酒呑さんが昨日食べたソースの青かびチーズもそうですね。ケーキだとタルトタタンという失敗アップルパイなんてのもあります。人類の叡智は一朝一夕にあらず! 数多くの失敗と研鑽の賜物なのです!」
「なるほど、このとるたかぷれーぜを出した意図は俺様に喰らえということか。失敗を飲み込めと」
すでに3つのトルタ・カプレーゼが腹の中に収め、4つ目に手を伸ばしながら酒呑童子さんは言う。
「さすがです師匠! そこまで深くお考えとは!」
「ええ、それで半分くらいは合っていますね」
そう”失敗を飲み込む”、それだけじゃ酒呑童子さんの心は動かない。
鬼道丸さんを一味に加えるほどまでには。
「だな。失敗から生まれる物にも役に立つ物があるという事はわかった。だが、それではこいつが有能だという事は示してはおらんぞ」
その厳しめの口調に鬼道丸さんの口が詰まる。
「ええ、鬼道丸さんが成し遂げた事を説明するのはこれからです」
「私が? 何かを成した遂げた? そんな、何を?」
”自分は何も成し遂げていない”そんな口調で鬼道丸さんはあたしに尋ねる。
だけどあたしは知っている。
彼が成したことが、彼の存在そのものが酒呑童子さんのためになるって事を。
「ただ、これは確証があるわけじゃありません。あたしの想像として聞いて下さい」
「なんだ? 申してみよ」
「鬼道丸さんの……彼のお母さまは狂ってなんていません」
”狂っていない”、その言葉に酒呑童子さんは一瞬息を飲み、
「根拠を述べてみよ。御託だったら許さぬ」
そして、今までになく真剣な目で、あたしを見つめたのです。




