酒呑童子とお粥(その2) ※全5部
◇◇◇◇
「しゅてーん! しゅてーん!」
「ボスぅー! あねごー!」
ドンドンドンと見えない何かが叩かれて空気が震える音がする。
すごいなー、慈道さん特製の護符。
あの強大な妖力を持っている茨木童子さんの全力体当たりでも破られないぞ。
『もし、ここの野獣どもに襲われそうになったら、これを使うとよかろう。なーに、お礼はそこの高そうな発泡葡萄般若で……』
そんな事を言いながらお高いシャンパンを所望していたけど、お高かっただけはある。
しかも! なんとWi-Fiの電波を阻害しないし、電気も通ったまま!
Wi-Fiと電気が通っているこの館も大概だけど、人類の叡智はその上を行く!
すごいなー、高野山の結界。
さて、お膳立ては出来た。
これからがあたしの作戦を実行に移す時。
「では、まずはお酌を」
そう言ってあたしは盃にお酒をトトトと注ぐ。
「これは?」
「『季の美』というジンです。いかがですか?」
「酒などみな同じだ。だが、これでは俺様に食事を取らせたとは言えぬぞ」
「はい、この次が本番です」
たっぷりと500mlは飲んだだろうか、その名の通り彼は酒を呑む鬼。
「酒はいい、酒を飲んでいる間だけは痛みがやわらぐ」
人間にとって体調が悪い時に飲酒はダメ、ますます体調が悪くなってしまう。
だけど、”あやかし”の彼にとってはそれは関係ないみたい。
「ではいきます! 失礼!」
あたしは酒呑童子さんの右腕の着物をめくり上げ、その細く青白い二の腕にゴムチューブを巻き付ける。
「おい、何をする!?」
「何かをするのはこれからです! いいからだまって! 手元が狂います!」
肘の内側に静脈の太い血管が浮かぶ。
そこを素早く消毒用アルコールを含ませたガーゼで拭き、あたしは右手にそれを取る。
あたしの指に光るそれはクリーム色のチューブが付いた銀色の針。
「おい、止めろ!」
「あたしの好きにさせるっていったでしょ! 男の子なら我慢しなさい! なんなら、目をつぶってあたしを滅茶苦茶にしている姿でも想像してなさい!」
あたしの剣幕に彼は一瞬たじろぎ、やがて観念したように左手で目を覆う。
プスッ
彼の皮膚は思ったよりも柔らかかった。
あたしが気合と霊力を込めてたせいか、彼が自らそれを受け入れたからかはわからない。
「よしっ、これであとは動かないでいて下さい。10~20分くらいで終わります」
針に続くチューブを紙テープで固定し、二の腕を締め付けるゴムチューブを外すと、クリーム色のチューブの中に赤黒い液体が通っていくのが見える。
よかった、上手く出来たみたい。
帳台の下にチューブは続き、そこにあるバッグの中に彼の血液が溜まっていく。
「おい糞女、これは何だ?」
今までにない厳しい視線で酒呑童子さんがあたしを睨む
うーん、あたしへの呼称が飯炊き女から大幅にグレードダウンしちゃいました。
「瀉血です。ご存知ですか?」
「知らぬ」
首を振って彼は否定する。
「そうですか。”瀉血”とは身体から血を抜く治療法です。中世のヨーロッパでは病気の治療として活発に行われていました。”悪い血を外に出す”という治療法として。ですが、今ではその治療法は否定されています」
近代医学的に考えれば血液を抜けば体力の低下を招く。
それは特殊な症状を除き、害にしかならない。
だけど、中世の瀉血は否定されているが、瀉血そのものが無くなったわけじゃない。
このチューブ一式も”瀉血バッグ”という名で医療機器としてちゃんと販売されている。
あたしは、これを緑乱おじさんと橙依くんが確立してくれた献血センターへの裏ルートから手に入れた。
「現代医療の瀉血はうっ血の治療や、一部のC型肝炎からガン化の防止に使われるだけですね」
「そんな不確実な方法を俺様に施したというのか!? 噂の人類の叡智とやらも大したことないな」
馬鹿にしたような口調で、彼はあたしの説明を一蹴する。
「そうかもしれません。ですが、この5日間は先ほどおっしゃられたようにあたしの好きにさせて頂きます。うん、血液は十分に抜けたみたいですね」
あたしと彼との会話の間、重力と血圧の力で排出された血液が、帳台の下でバッグを丸く膨らませていた。
「じゃあ、針を抜きますね。ちょっとチクッっとしますよ」
あたしはゆっくりと針を抜き、その傷跡を脱脂綿付きの絆創膏で塞ぐ。
「はい、今日はこの400mlで終わりです。あとは……そうですね、水でも飲んでいて下さい」
トンとあたしはペットボトルの経口補水液を帳台の上に置く。
「おい、食事はどうした!? 俺様に食べさせるのではなかったのか!?」
「はい、いずれ。でも、今日は水だけです」
針先をキャップでカバーして、あたしは瀉血バッグをよっこいしょと抱える。
あら、思ったより重い。
「ちょっと待て! せめて酒だけでもおいていけ!」
「だめでーす、お酒は明日の夕方までおあずけです。それまで水を飲んでしのいで下さい。お水はたっぷり置いておきますから」
そう言って、あたしは立ち上がり、寝殿を後にする。
さて、この酒呑童子さんの血液はどうしようかしら。
「くそっ! あの糞女、5日後には凌辱の限りを尽くして殺してやる!」
台盤所へ歩みを進めるあたしの背中から、そんな物騒な声が聞こえた。
◇◇◇◇
「ご気分はどうですか?」
「お前の顔を見たら最悪になった。糞女」
うん、悪態をつく元気はあるようですね。
「それじゃあ、お待ちかねのお酒でーす」
昨日と同じくあたしはお酒を盃に注ぐ。
「いいからよこせ」
あたしの手からひったくるように盃を奪い取ると、酒呑童子さんがそれを一気に飲み干す。
「わー、いい飲みっぷりです」
「いいから代わりを注げ」
「はい、ただいま」
あたしのお酌で酒呑童子さんがお酒を進める。
「さて、そろそろいいでしょうか」
「またやるのか」
「はい、ひょっとして怖いのですか?」
口角を上げ、あたしはニヒヒと笑う。
「俺様に怖いものなぞない、やるなら早くやれ」
「はい、今日は左手にしましょう」
あたしは彼の着物の袖をまくり上げ、昨日と同じように針を肘の内側に刺す。
赤黒い液体がチューブからその先に続く瀉血用バッグに流れていく。
10分程度でバッグは大きく膨らんだ。
「うん、今日もよく頑張りました。えらいえらい」
そう言ってあたりは彼の頭をなでる。
「俺様を馬鹿にするのも大概にしろ糞女。で、今日こそは料理が出てくるのか?」
「いいえ、今日も経口補水液だけです。今日はバリエーションとしてスポーツドリンクも用意しました。お好きな方をどうぞ」
あたしはペットボトルのキャップを捻り、彼に渡す。
「ふん、こんなのより酒の方がずっとうまい」
そう言いながらも、彼は経口補水液を一気に飲み干した。
「……」
彼の視線がペットボトルに止まる。
「どうされました?」
「いや、美味い水だな」
「『水は甘露』とも言いますし、喉が渇いている時に飲む水はいつもより美味しいのは当然ですよ。血を抜いて水分不足になっていますから」
「そうか……」
彼の表情が少し柔らかくなる。
ここに来てから怒り顔しか見ていなかったから、少し新鮮かも。
あれ? 普通の表情していたら、この子ってちょっと可愛らしい顔をしているかも。
酒呑童子絵巻には『容顔美麗にて四十ばかりに見える大男』って描かれていたけど、これは『容姿端麗にて十五ばかりに見える優男』って感じかしら。
「何をみている! 食事を出さぬなら飯炊き女なぞに用はない! 下がれ、俺様はもう少し寝るっ!」
あっ、いつもの怒り顔に戻った。
「そうですか、失礼します。あっ、水分補給は頻繁に行って下さいね。『酔い醒めの水の美味さ、下戸知らず』というお酒を呑んで起きた朝に飲む水の美味しさを表現した言葉もありますし、きっと美味しいですよ」
「ふん、水は水だ。それ以上でもそれ以下でもない」
そんな悪態を背に、あたしは台盤所へ戻る。
次の日、彼の帳台に置いておいたペットボトルの群れは全部なくなっていた。
◇◇◇◇
「ねえ、今日は一時休戦にしませんか」
3日目、あたしはの休戦の申し出に彼は目を丸くした。
「ふん、一日でもその身の安全が惜しくなったか」
「はい、それにちょっと困った事がありまして……」
そう言ってあたしはスマホを彼に見せる。
そこに映し出されていたのは茨木童子さんからのメッセージの数々。
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『やってくれたな! この泥棒猫ー! ウチの酒呑に手を出したら許さへんでー!』
『しゅてーん! しゅてーん! こっそりこのスマホをみとったら、返事してー!』
『珠子はん、いいかげんにしいや! もし、酒呑に何かあったらぶっころす!』
『ごめんね。ぶっ殺すなんていうて、ウチは珠子はんのことも心配なんよ。だから返事して』
『お願いや、酒呑はウチのすべてや、だから後生やから早まった真似はせんといて』
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「茨木童子さんが心配されているような事は起きませんが、流石に心が痛みます」
「心配症だな茨木は。俺様はこの通りピンピンしているというのに」
そう言って彼はクスリと笑う。
彼の笑顔を見たのは初めて。
「それでですね、ちょっと茨木童子さんに電話をして頂きたいと……」
「それはできぬ?」
「えっ、どうしてですか? 彼女は貴方を心から心配しているんですよ」
「そんな事は飯炊き女に言われるまでもない。ただ俺様は……そのすまほという板の使い方がわからぬ」
おおう……
まあ、しょうがないか、それならスマホポチポチっと
「まあ、そんな物に頼らずとも、俺様に任せておけ」
そう言って、酒呑童子さんは大きく息を吸い込む。
「茨木! 俺様は無事だ! 3日後には、この飯炊き女を肴に狂乱淫靡な宴を開こうぞ! それまで胸を高鳴らせて待っておけ!」
酒呑童子さんのその声は音量はさほど大きくない、だけど力強い響きを持った声。
ううん妖力強いと言った方が正確かしら。
かつて蒼明さんがあたしの横で地域の”あやかし”に向けて宣言したような声。
…
……
………
「しゅてーん! ぶじやったんやねー、よかったよかったよー! ……ん、淫靡ってなんやー!? ウチ以外の女に手を出したらゆるさへんでー! 朝までしっぽりおしおきやー!! いやっほー!」
酒呑童子さんの声から数秒の間があって、結界の外から混乱気味の茨木童子さんの声が聞こえた。
「いいんですか、あんな事を言ってますけど」
「かまわぬ、茨木はそういう女なのだ。ま、それが可愛い所でもあるがな」
あっ、また笑った。
へー、笑うとやっぱり色男じゃない。
あたしの”げへへ”センサーに引っかかるかも。
「さて、それじゃあ休戦中ですがこれを」
そう言ってあたしは土鍋を取り出し、その蓋を取る。
中身は白がゆ。
出汁も塩も入っていない、水だけでお米を炊いた粥だ。
「粗末だな」
「はい、お米を煮ただけの物です。料理とも言えませんね。はいアーン」
木の匙に乗ったお粥を、あたしの息で冷ましながら、あたしはそれを彼の口元に運ぶ。
パクッ
「味が……ある……」
「お米の甘さが感じられるでしょ」
そう言いながらあたしは次のひと匙をフーフーと息で冷まし始める」
「おい、飯炊き女。今は休戦中という話だったな」
「はいそうです。こんなのは料理とは言えません。賭けの範疇外という事で」
本当は立派な料理と言いたい所だけど。
「そうか……。俺様はガキじゃない、自分で食べれる」
あたしの手から木匙が奪われ、彼は粥を食べ進めた。
「食事の間、少しお話しましょ。ちょっと聞きたい事があるんです」
「なんだ? 言ってみろ」
「貴方の復活の時に何があったんです? 完全復活じゃないって話ですけど」
大体はわかっている。
だけど、ほんのちょっと確証が欲しい。
「大した事はない、幽世での休息が不十分だっただけだ」
「もっと休むわけにはいかなかったのですか?」
あたしが幽霊列車でアズラさんから聞いた話だと、幽世は死んだ人間があの世に行く中間地点。
それだけじゃなく、現世で調伏、つまり殺されてしまった”あやかし”が傷を癒す所。
傷が癒えた”あやかし”は再び現世に戻れるけど、妖力が強い”あやかし”ほど、回復に時間がかかるらしい。
「俺様が頼光に討たれて1000年以上経過し配下の鬼たちも復活を遂げた。ひとり残った俺様は少しさび……退屈していた。それに……」
「それに?」
「茨木に早く逢いたかったのかもな。あいつがずっと俺様との逢瀬に焦がれていたと人づてに聞いてな。可愛い所があると思ったのだ。だから、現世からの召喚に応じた。それだけだ」
ほんの少し寂しそうに、だけど後悔はない、そんな口調で彼は語る。
「まあ、完全復活ではないので、あいつに心配や苦労を掛け続けているのが少し心苦しいがな」
「そうですか、それで幽世ではどうやって傷を癒すのです? 不思議な温泉とかがあるのですか?」
「いや、幽世自体に癒しの効果がある。あそこで息を吸い、食べ物を食べるだけで体は少しずつだが癒えていく」
「それで、幽世の食べ物って美味しいんですか?」
あたしは幽霊列車でいくつか幽世の食べ物を食べた。
正直、味はイマイチ。
素材をそのまま食べるのが一番おいしかった。
「マズイ。この粥の方がずっと美味いぞ」
カランと木匙が土鍋の中で音を立てる。
土鍋が空になった。




