泥田坊とおこげごはん (前編)
「やっぽー!」
やっぽー、やっぽ~、やっほ……
山間にあたしの声がこだまする。
爽やかな朝の空気。
朝露を浴びて活性化した森林の空気があたしをリラックスさせてくれる。
あれから一週間、幽霊列車の中でお盆の帰省ラッシュの忙しさを乗り越え、あたしは再び現世に戻ってきた。
お土産にと食べ物も頂いたし、体調もばっちり、お天気も晴れ。
意気揚々とあたしは京都への旅を再開する。
だけど、この旅路には問題があるの。
根本的な、いや原点的な問題が。
「こ、ここはどこなのぉー!」
なのー、なの~、なの……
あたしは今、絶賛迷子中なのだ。
◇◇◇◇
そりゃま、幽霊列車が普通の駅に止まるなんて思っていませんでしたよ。
だけど、道すら通ってない山の中の廃駅に止まることはないじゃない。
気が付いたけど後の祭り、あたしはひとり山の中。
頼りになるのは夏の草が生い茂る錆びたレールだけ。
それを伝っていくうちに、だんだんと山を登り、見晴らしの良いここで山彦を聞いているってわけ。
チチチチチチ、ゲコゲコゲコゲコ、ミーンミーンミーン
車のエンジン音どころか人の声さえ聞こえない。
聞こえるのは野山の生き物たちの声。
ああ暑い、今年は猛暑、あたしの荷物の中の水分は残り少ない。
えっ!? あたしは今からサバイバルなの!?
そんな~、キャンプ料理もサバイバル料理も好きだけど、あれは安全が担保されているから楽しいのであって、脱水症状と隣り合わせのサバイバルなんてしたくない。
あたしは文明人! 人類の叡智が大好き!
もう人間でも”あやかし”でもいいから助けて! ヘルプミー!
「あら、こんな僻地に珍しいわね。スタンドバイミーごっこかしら?」
人の声!?
あたしは首をキョロキョロさせる。
いた!
「あたしが来た先に死体はないわよ、死後の世界はあったけど」
あたしは親指で背後を示しながら言う。
「ふふっ、面白い事を言うね。私はノラ、あなたは?」
「珠子です、ノラさん。地獄で仏に会うより、現世で人間に出会う方が嬉しい珠子です」
「ふふっ、やっぱり面白いわ」
そう言って笑うノラさんは、ツバの広いガーデンハットと情熱的な赤のTシャツにデニムのズボンをはき、手にスケッチブックを持った素敵な女性でした。
◇◇◇◇
「そうなの、京都に向かう途中で迷子にねぇ」
「はい、近くの駅とかバス停への道を教えて頂けるとありがたいのですが……」
「うーん、どうやってここに迷い込んだかは知らないけど、いったいどーやって来たの? ここはそう簡単に迷い込む所じゃないわ。公共交通機関もなければ、道すらないのに」
あれ? そうだったの?
うーん、そんな僻地だったのか、ちょっと怪しまれちゃうかな。
「ま、まあ、色々と彷徨い続けまして」
あははと笑いながらあたしは誤魔化す。
「ふーん、まあいいわ。誰しも触れられたくない過去ってあるしね。私もちょうど故郷に戻る所だったし、一緒に行きましょ。そこからなら街へのバスが出ているわ」
よかった! 誤魔化されてくれた!
「ありがとうございます!」
「いいのよ、私もひとりじゃ心細かったから、ちょうどよかった」
「えっ!? それってどういう……」
少し嫌な予感がする……、そしてあたしの予感は結構あたるのだ。
特に嫌な予感に関しては。
「私の故郷はあの山を越えた所よ」
そう言うノラさんの指は、緑の木々で生い茂る山の稜線を示したのです。
◇◇◇◇
「ほら、もう少しですから、頑張って」
「は、はい~」
ゼーゼーとあたしの息が切れる。
あたしたちが通っているのはかつて道だった道。
それは、もはや道が道ではない事を意味する。
固められた土は所々が盛り上がり、そこを青々とした草が埋める。
少し歩けば枯れた蔦と生きた蔦が足を絡めとり、草で見えない縁石が足を打つ。
「うーん、たった数年でこんなに荒れちゃうなんてねー」
「そうなんですか、植物の生命力は強いですね」
ここはかつてミカン畑とノラさんの故郷をつなぐ農道だったんですって。
だけど、農家の方の高齢化からミカン栽培は終了。
手入れする方も農作業機械も入らなくなったこの地域は自然の天国になったそうです。
人が入らない自然の天国、そんな所には”あやかし”さんたちがいっぱい棲んでいても不思議じゃない。
彼女が心細く思うのも無理ないわ。
でも大丈夫! 慈道さんんから対”あやかし”の護符はちゃんと仕入れていますから!
大船に乗った気持ちで安心してください!
「いやー、最近、熊の目撃情報がでちゃってさー、私もちょっと不安だったのよ」
天国のおばあさま、珠子は今、泥船に乗っています。
◇◇◇◇
「ぜ、せひー、ぜひー」
あたしの体力が限界に達する。
足は棒、腕は鉛、頭はグラグラ。
「もうちょっとよ珠子さん、もう少しで素敵な景色が見れるはずだから」
ノラさんはそう言うけど、そんな景色なんかであたしの体力が回復するとは思えない。
「み、みず~、たべもの~、クーラーのガンガン効いた部屋で食べるアイス~」
「やけに具体的ね。ま、アイスを食べたい気持ちは私も同じだけど」
あたしは重い足を引きずり、坂道を一歩一歩登る。
そして……尾根にたどり着いた。
パァァと視界が広がり、谷間に広がる遠くの街へ続く一面の緑が見れる。
「うわぁ! やったー! 本当ですノラさん! 素敵な景色が広がってます!」
深緑の木々と淡い緑の草々、谷間を流れる深青の水路。
生命力が満ち満ちた夏の自然の景色。
「違う……」
「へ? 違いませんよ。ノラさんの言った通り、素敵な景色じゃないですか」
「違うの……あたしが見せたかったのは、これ」
そう言ってノラさんはスケッチブックをめくり、あたしの前に差し出す。
そこに描かれていたのは淡い緑の合間に見える空の色が反射した空色。
「これって……棚田……」
そこにあるのは田園風景、かつての日本の所々で見られた風景。
だけど、今、目の前にあるのは、稲と水田の水面ではなく、鬱蒼と茂った一面の雑草。
「5年前はこうだったの。だけど、やっぱり時代の流れには逆らえないみたいね」
そう言うノラさんの顔は笑っていたけど、少し寂しそう。
あれ? このスケッチブックの棚田のこの部分には黒い影と茶色の笠、おそらく農作業中の方が描かれている。
今、あたしの眼前に広がる風景の同じ箇所、同じ場所にも同じ人影がひとつ。
「ノラさん!? あれって、農家の方じゃありません? ひょっとしたら、棚田がこうなった事情を何かご存知かも!」
そう言い残してあたしは駆け出した。
「まって! あれは……」
あたしの背中越しにノラさんの声が聞こえる。
だけど、あたしの足は止まらない。
山道の疲れもなんのその、あたしは重力を味方に下り坂を駆け降りる。
あたしの足音に気付いたのかその人影が立ち上がり、振り向く。
「えっ!?」
その容貌にあたしは一瞬動揺し、たたらを踏む。
やばっ、背中のリュックの中の調理器具がガランガランと金属音を鳴らし、あたしは大地に情熱的な口づけの体制に入る。
ポフッ
何か力強い腕に抱き留められ、あたしの唇は大地とのキスから守られた。
「気をつけなさい……」
「あ、ありがとうございます」
見上げたあたしの顔が瞳の中に映る。
そこには大きなつぶらな瞳がひとつ……ひとつだけ。
肌の色は土気色……というか土色。
気配は”あやかし”。
おそらく、その名は……
「もう、泥田坊ったら、普通の人を驚かしちゃダメじゃない」
そう、泥田坊……って、えっ!?
「すまないノラ……つい化けるのをサボってしまってな」
あたしの前でノラさんと泥田坊は仲良さそうに会話している。
そういえば、あのスケッチブックに描かれていたってことは、ノラさんも視える側の人なんだ。
「ほら、珠子さんがビックリしちゃっているじゃない」
「だ、大丈夫ですよ。あたしも普通じゃない方の人ですから」
「えっ!? 異常な人なの!?」
「違います…」
◇◇◇◇
「こっちが珠子さん、京都へ行く途中なんだって。で、こっちが泥田坊、村の守り主よ」
ノラさんがあたしたちを互いに紹介する。
泥田坊さんはあの少し不気味な顔を止めて、人間っぽい顔に化けている。
例えるならば……精悍なサーファーおじいちゃん。
小麦色の肌にスッキリと整った顔立ち、片目に千鳥模様の眼帯を付けて隻眼ファッションにしている。
「儂は守り主なんかじゃ……」
「いーえ、泥田坊はこの村の守り主よ。今まで何度もこの村の田園を守ってくれたじゃない。『田を返せ~』って」
泥田坊は江戸時代の『今昔百鬼拾遺』にも載っている”あやかし”。
決め台詞は『田を返せ』。
田んぼをないがしろにしたり、田を売り飛ばして別のものにしようとすると現れると言われている。
「でも、この田んぼは手入れがされていませんね。何かあったのですか? 休耕期ですか?」
目の前に広がる棚田は水も張られておらず、雑草が伸び放題。
連作障害を避けるために休耕期の可能性もあるけど、そもそも稲が連作障害を起こしにくい作物だから、ちょっとおかしい。
「ここって親戚の権田叔父さんの田んぼだったよね。何かあったの?」
「何もなかったんじゃ……ただ、権田は80を超えて隠居した。それだけじゃ……」
農作業はとても体力が要る。
80を超えたおじいさんでは無理もない。
「そう……誰も継がなかったのね」
「そうじゃ、昔は継ぐ者も、この土地を欲しがる者もいっぱい居たんじゃ。豊かな田を横取りしようとするやつ、バブルとやらの時にゴルフ場にしたいと言ってくるやつ、その後もマンションにしないかとか、太陽光発電にしないかとか、いっぱい来よった」
日本の土地には好景気が何度か波となってやってきた事を私は知っている。
80年代後半のバブル景気、2000年代前半のイザナミ景気の時のプチバブル、そして近年の太陽光バブル。
その度に土地に踊らされる人々が現れ、泣く人も居た。
もう太陽光バブルは崩壊しているって噂をも聞いた。
お金は欲しいけど、やっぱり地道に働くのが一番よね。
「儂はその度に戦った」
「私もおぼえているわ。もう四半世紀以上も前のバブルの時、子供だったあたしは泥田坊と一緒にゴルフ場開発しようとする土建屋と戦った事を」
あたしは知っている、90年代前後のバブル景気の時に日本の各地で熱狂的ともいえるリゾート開発が盛んにおこなわれた事を。
それが、かなり強引なやり口だったって事も。
「じゃが、戦って、戦って、戦い抜いた後、気が付いたら……田を欲しがる者はいなくなってしまった……、共に田を守った人間は村を離れたり、年老いてもはや静かに老後を過ごすだけじゃ……」
泥田坊さんはそう言うと、ゆっくりと田んぼの畦道に腰を下ろし、再び谷間の風景を眺め始めた。
「そうね……私もこの村は好きよ。だけど、進学も就職も都会でしてしまったわ。ここに戻るのは5年ぶり……」
そう言うノラさんの表情は少し暗い。
「儂はもういい。もう疲れた……儂はこのまま、この田と共に朽ちよう……」
泥田坊さんも暗い表情で雑草の茂るかつて棚田だった土地を見つめる。
ちょっとかわいそう。
よしっ! お腹も空いた事だし、ここはあたしが一肌脱ぎましょう!
「元気を出して下さい泥田坊さん! あたしはお米が大好き! そしてそれを生み出す田んぼの素晴らしさを知っています! だから、そんな貴方が元気になる料理を作りますから、それを食べてみて下さい!」
「珠子さん? ”あやかし”に料理って!?」
「噂には聞いておる……東京の『酒処 七王子』に”あやかし”の舌を唸らせて止まぬ珠子という素っ頓狂な料理人がおるという事を」
おおう、あたしの噂がこの地まで。
「えっ!? ”あやかし”向けの料理!? 料理人!?」
「はい、あたしが噂の舞妓ガイではなく、珠子ですっ! こんな事もあろうかと、食材と調理器具の準備はバッチリです!」
あたしはリュックを下ろし、その中から食材と調理道具を取り出す。
もちろん、食材のほとんどは現世にお使いに行ってくれたアズラさんとイールさんが買ってきてくれたもの。
食べても幽世行きにならずに済む食材。
「そ、そうなの。見た目によらず凄腕の人なのね。それでどんな豪勢な料理を作ってくれるのかしら。私もご相伴に預かりたいわ」
「野外で食べる定番料理と言えば!」
「いえば?」
「当然! レトルトカレーですっ!」
「へっ?」




