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この身よ青に染まれ  作者: 璃依
第一話
7/8

沙良と文也7



「――時歪を通って、もとの時間に戻る。忘れ物はないか?」


 雨月に確認され、私と文也は揃って頷いた。

万が一物を置き忘れてしまうと、新たな歪みの原因になってしまうのだそうだ。

私は荷物を教室に置いたまま飛び出してきたので、制服のポケットにいれていたハンカチやスマホくらいしか持っていない。それらがポケットに収まっていることを、私は確かめた。


「行こう」


 長くいればいるほど、別れたくなくなるのが雨月にも分かっているのだろう。彼の口調は、きっぱりとしていた。


「美穂さん、じゃあね」


 さよならとは言いたくなくて、私は口の端を持ち上げた。重たくならないように、あえて明るく言う。私から見た美穂の最後の顔は、微笑んでいた。

目を閉じて時歪に足を踏み入れ、足裏に地面の感触を感じたときには、私は元の時間へと戻ってきていた。

少しして文也が、そして雨月が姿をみせる。


 文也が別れ際、美穂に何を言ったのかは知らない。

雨月も戻ってくるまで時間がかかったが、何をしていたのか聞く必要はないように思われた。


 しゃらん、というすずやかな音とともに、時雨刀が抜かれる。

雨月は洗練された動作で、剣を頭上にかかげた。重みなどまったく感じていない様子だ。

――直後、注視していなければ気付かないくらいの、ささやかな変化が剣におきた。時雨刀の青みがかった刀身が、波紋のように波打ったのだ。


 驚いて瞬きをすると、剣はいつもの状態に戻っていた。

見間違いかと思って文也のほうを窺うと、彼も呆けたように時雨刀を見ている。

何かを言う間もなく、次の変化が訪れた。


 ぽつ、と何かが降ってくる。瞬く間に数を増やしたそれは、勢いをまして私達に降りそそいだ。

――雨だ。

雨が、降っているのだ。


 空を見上げたが、雲はひとつも見えなかった。三メートルほど離れたところでは、雨は降っていないように見える。

不思議なことは、他にもあった。

雨は私の全身を打っているはずなのに、髪も服も、まったく濡れていない。

濡れなければ冷たくもない、それどころか水が触れる感覚すらない、奇妙な雨だ。


 ひとつだけ、分かっていることがあった。

――この雨は、時雨刀を中心として降っている。



 文也もまた、急に降り出した雨を見上げていた。

手のひらを上向けて、雨水を受け止めようとする。が、雨は手にあたって弾けることも、くぼみに溜まることもなかった。

そこに手などないように、真っ直ぐ落ちていくだけだ。


 昨日の光景が、脳裏によみがえる。

雨月が振り下ろした剣は、男の身体を毛ほども傷つけなかった。剣と同じで、雨も物体に干渉できないのかもしれない。

雨は地面すらもすり抜けて、ざらついたコンクリートには跡ひとつ残っていなかった。


 落ちてくる雨粒たちが光を反射して、ぼんやりと何かが見える。

虹かと思ったが、違った。写真に似ている。雨粒のスクリーンに映写された、一枚の写真。

――写っているのは、幼い俺と美穂だ。

笑顔の二人の姿が、そこに。


「――」


 雨が降る。

心が、洗われていく。流した涙も、黒い感情も、雨が全てを洗い流してゆく。


 雨月が、剣を中段に構えた。

時雨刀が、ひときわ強い光を放つ。

少年の両目に光が宿り――青の剣閃が、歪みを斬り裂いた。


 斬られた靄が、光の粒となってほどけていき、消滅する。

小降りになった雨の中、映し出されていた二人の笑みは、もう見えない。

けれど、心は晴れやかだった。

前を向いて歩いていけると、そう思えた。



 時雨刀が鞘に納められると、雨は止んだ。

ちらりと文也を見やると、思いのほか大丈夫そうで、私はほっとした。前よりも、表情がやわらかくなった気がする。


 雨月が振り返り、文也の様子を見て安堵の色をのぞかせた。

そのまま、彼はこちらに歩み寄ってこようとしたのだが、眩暈でも起こしたのか、数歩よろめいてしまう。近くにいた文也が肩のあたりを掴んで支えると、雨月は顔をそらした。


「だ、大丈夫?」


 聞くと、雨月は軽く顎を引き、「慣れている」と答えた。慣れているとは、いったいどういうことなのだろう。

雨月は小さく息をつくと、


「時雨刀を使った、反動だ。……この剣は、ひとが扱えるものじゃない。身に余る力を行使すれば、相応の反動が返ってくるのが道理」


「扱えるものじゃないって……使えてるのに?」


「使えるのと、使いこなせるのはまた別だ」


 そういうものなのだろうか。

雨月は「もういい」と言って文也の手から抜け出すと、服の衿を直した。


「――早く、戻ったほうがいい。皆心配しているだろう」


 それを聞き、文也が思い出したように手を打った。


「登校中だったってこと、すっかり忘れてた。……そういえば、沙良は?授業、どうしたんだよ?」


 そうだった。急用だと言って、学校を抜け出してきたのだ。説教を想像してしまい、私は口もとを引きつらせた。

きっと、帰ったら帰ったで大騒ぎになるのだろうが――、


「……ありがとな、沙良」


――たったの一言で、何でもないことのように思えてくるから不思議だ。

私はわざとため息をついてみせると、


「仕方ない、一緒に怒られるとしますか」


「言っとくけど、怒られるのは沙良だけだから。俺は時歪に巻き込まれただけだし」


「……」


 もっともな意見に、私は黙り込んだ。

文也は私の顔を見て吹き出すと、慌てて視線をそらした。顔が赤い。急にどうしたのだろうと首をひねったが、すぐに理由に思い当たった。

かあっ、と頬が熱くなる。文也に告白したことを、すっかり忘れていた。


「そ、その……さっきのは……」


 あの告白を聞いて、文也はどう思ったのだろう。

文也の顔を見ていることができず、できることなら、今すぐ逃げ出してしまいたかった。


「沙良」


 少ししてから、文也が私の名を呼んだ。

頑なに顔を上げない私に、文也は言葉を紡ぐ。


「俺さ……、これまで沙良のこと、見ているようで見てなかったんだと思う」


 告げられた言葉は、思っていたのとは違った。

てっきり、「沙良とは友達以上の関係にはなれない」と言われるかと覚悟をしていたのに。

視線だけを動かすと、文也と目があった。文也は、私をまっすぐ見つめて話をしていた。


「だから俺は、沙良の気持ちに気付けなかった。沙良の好きなものすら、俺は分かってないんだ」


 それは――私も同じだ。

中学の頃から一緒にいて、文也のことを見てきたつもりだった。

でも、知っている気になっていただけで、分かっていないことはたくさんあるのだと、今日思い知った。

思い知った上で、私は――、


「俺、沙良を知りたい」


――もっと、文也のことを知っていきたい。

心の中で呟いた言葉と、文也の声が重なった。


「知ってから、沙良との関係についてちゃんと考えてみたいんだ。……駄目、か……?」


 ダメだ。ああもう、ダメだ。

――そんなことを言われたら、なおさら好きになってしまう。


「……一緒に、知っていこう」


 そう返すのが精一杯だった。語尾が震えるのを、抑えることができない。

待つから。待って、いるから。答えが出るまで。

――文也のことを、もっともっと好きになって、待っているから。


 私の返事に、文也は目を丸くしていたが、やがて口もとを綻ばせた。


「――そろそろ、いいか?」


 こほんと咳払いして、雨月が私の隣に立つ。

彼には申し訳ないのだが、すっかり存在を忘れていた。告白から何から全部、雨月に聞かれていたのだと思うと、文也に対するものとはまた別の恥ずかしさがこみ上げてくる。


 私の内心を知ってか知らずか、雨月は表情を変えないまま話し始めた。


「沙良、文也。戻れば色々と聞かれるだろうが、過去に行ったことは伏せてほしい。沙良はたまたま文也を見つけたことにするとして、文也は……そうだな、気が付いたら目の前に沙良がいたことにすれば……」


「ちょ、ちょっと待って」


 雨月の話を、私は遮った。中断してしまったというのに、彼は怒ることもせず、無言で私の言葉を待っている。


「記憶は、消さなくていいの……?」


 文也が、もの言いたげな顔をした。分かっている。聞かなければ、消去されないですむかもしれないのに、と彼はいいたいのだろう。

私とて、記憶を消されたくはないが……聞かずにはいられなかった。

雨月の苦悩の表情が、頭から離れないから。


「――消さないよ」


 返ってきた言葉に、私は目を瞬いた。

信じられなかった。だって、あれほど雨月は無理だと言っていたのに。


「そのせいで時が歪んでも、ボクが斬ればすむ話だから」


 沙良たちは気にしなくていい、と雨月は言ったが、不可能な話だ。

どうして、と思う。

どうして調整者の役割に背いてまで、私と文也を。


「それはもちろん……沙良の告白に免じて、さ」


 雨月はそう言って、片目を瞑ってみせた。

私は、何ともいえない気分になる。文也に「沙良のおかげだな」などと言われ、私はより頬を赤くした。

とりあえず文也の脇腹を肘で小突いてから、雨月に向き直る。


「それで、私たちはどうすればいいの?」


 羞恥を誤魔化そうとしたら、つい強い口調となってしまい、「しまったな」と思ったのだが、十秒経っても二十秒経っても、雨月は反応を返さなかった。


「雨月?」


 雨月は物思いに沈んでいたようで、数度目の呼びかけでハッと顔を上げた。

彼の目が憂いを帯びていた気がしたのだが、曖昧だったのと、すぐに無表情に取り繕われてしまったせいで、確信は持てなかった。

何と言ったのか教えてほしいというので、質問を繰り返すと、雨月は私によって中断されていた話を再開した。


「文也は、記憶喪失のふりをしてほしい。何を聞かれても、分からないと答えるんだ。あとは、おそらく問題はない」


「分かった。いなくなってた間の記憶だけ、無いことにすればいいんだな?」


 雨月はそうだ、と頷いた。

文也は、周囲の人々を騙すことに罪悪感もあるようだったが、ついた嘘がバレるということはないだろう。そのあたり、文也は上手くやるはずだ。


「雨月、ありがとう」


 礼を言うと、雨月は戸惑った様子を見せた。何故感謝されるのか、分からないといった雰囲気だ。

彼を見ていたら、私は言ってみようかどうしようか、悩んでいたことを言ってみる気になった。


「お願いがあるんだけど、いい?」


 お願いと聞き、雨月が姿勢を正した。

雨月と文也の二人に見つめられ、私は言った。


「――私と、友達になってほしいな」


 友達になりたいと、誰かに言うのは初めてだった。友人というものは、なろうと言ってなるものではないと思っていたからだ。

でも、雨月には言いたかった。この少年との、明確な繋がりがほしかった。


「ボクと、友達に……?」


 茫然と呟く雨月に、私も戸惑ってしまった。友達になろうと言って、ここまで動揺されるとは思っていなかったのだ。

――男達に絡まれても、ぴくりとも表情を動かさなかった雨月が、泣きそうな顔をするなんて。


「……もしかして、友達いなかった?」


 首肯した雨月は、自身の髪に指を通した。指先は、青色の毛先をなぞっていく。

――完全な黒にはなり切れていない、異質な髪の色。


 気が付けば、私は雨月の手をとっていた。

想像よりも、やわらかな手のひら。私は、彼の腕を引いた。そうして数歩歩けばもう、路地の外だ。

太陽の光が、私達を照らす。雨月が、眩しそうに目を細めた。


「――じゃあ、私は雨月の友達第一号だね」


 返答を聞かないうちから友人を名乗った私を、雨月は僅かに目を大きくして見ていた。

待っていると、彼はおずおずと私の手を握り返してくる。

にこっと笑ってみせると、つられたように雨月も微笑った。

文也が路地から出てきて、


「沙良が一なら、俺は第二号か。……なんか語弊ないか?」


 自分で言っておいて微妙な表情をした文也は、雨月のもう片方の手をとった。


「――」


「よろしくな、雨月」


 文也の笑みを受けて、しかし雨月は手を引き抜いてしまった。私のほうは、まだ握ったままだ。

雨月はぷいと顔を横に向けると、


「……馴れ馴れしくしすぎだ」


「ええ……沙良はいいのに、なんでだよ……」


 納得がいかなそうな文也の声に、私は「まあまあ」と苦笑して二人の間に入った。


「男同士なんだし、仲良くしようよ」


――本当に、何気なく言ったつもりだったのだが。

雨月はぴく、と目もとを動かすと、私の方を凝視した。


「な、何……?」


「――……だと言った?」


 前半の声は小さくて、聞き取れなかった。

雨月は後ずさりかけた私に、ぐいと顔を近付けた。

互いの吐息が触れそうな距離。私は慌てたが、それも雨月が口を開くまでのことだった。


「いつ、ボクが男だと言った?」


「「…………は?」」


 想定外の方向からきた言葉に、私と文也の声が被る。

今の言い方ではまるで、雨月が男ではないみたいな……。

いや、まさか。

言われてみれば、雨月の身体の輪郭は、全体的に丸みを帯びていて。


「「……ええええええっ!?」」


 二人分の叫び声が晴れ渡った空に響き渡り、少年――否、少女は嘆息したのだった。



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