沙良と文也3
「お待たせ」
扉を開けて自室に入ると、部屋の中央に置かれた小さなテーブルの前に、文也と雨月が座っていた。
湯気の立つ皿を二人の前に置く。昨日の私の夕飯と同じ、ふわとろ卵のオムライスだ。いちから作っている時間はなかったので、冷蔵庫に残っていたチキンライスを手早く包んだのだ。
「――」
腹を空かせた男二人は、「いただきます」と声をそろえると、競うように食べ始めた。
ひとくち食べて、雨月が目を丸くする。
「美味い……」
雨月の横で、文也は「うまっ」と言いながらスプーンを動かしていた。思えば、文也に手料理を振る舞うのは今回が初めてだ。反応が良かったことにほっとしながら、私は心なしか食べる速度が上がったようにみえる雨月に声をかけた。
「慌てないでいいから。そんなにお腹すいてた?」
雨月はこくりと頷いた。羨ましいほど白い頬にチキンライスがつまっているせいで、しゃべれないのだ。時間をかけてそれらを飲み込んだ雨月は、オムライスをすくう手を止めて言った。
「確か、五日前に食べたきりだ」
「五日!?」
想像の遥か上をいっていて、開いた口がふさがらない。断食でもしていたのか。消化の良いものにすればよかったと思ったが、雨月は気にせずオムライスを口に詰め込んでいく。
あっという間に皿は空となり、文也と雨月は満足げなため息を洩らした。
「ボクが今まで食べてきたものの中で、間違いなく一番の美味しさだ。断言できる」
などと、雨月が至極真面目な顔で言うものだから、私は「いくらなんでも」と苦笑したのだが、彼は首を横に振った。
「沙良のご飯は、あたたかいから」
沙良、と呼び捨てにした雨月が、料理の温度について言っているわけではないことは、聞くまでもなく分かった。
あたたかいなんて、一度も言われたことはなかった。
照れ隠しに文也を見ると、彼もまたうまかったと頷いている。頬が火照るのを感じて、私は早々に本題へと入ることにした。
「それで……あなたは何者なの?」
単刀直入に聞く。まだるっこしいのは苦手だし、二人とも迂遠な言い回しは好まなさそうだ。……雨月は直球すぎる気もするが。
表情を引き締めた私と文也に、雨月もまた姿勢を正した。
「ボクは言わば、時の調整者だ」
「「時の調整者?」」
鸚鵡返しにたずねると、雨月はそう、と頷いた。
「世界には『時歪』と呼ばれる、時間がひずんでいる場所があるんだ。時歪は、過去や未来につながっていて、人が迷い込んでしまうことがある」
「それってつまり、タイムトラベル……ってこと?」
「そういうことになる。その間の記憶は消されるから、本人も分からないだろうけれど……神隠しと言われているのは大体これだ」
内心、かなり驚いていた。
それはそうだろう。いきなりタイムトラベルだ何だの話をされて、はいそうですかと頷ける人がいるなら、会ってみたいものだ。
驚きはしたが、私は雨月の話が嘘だとは思っていなかった。
雨月の持つ、不思議な剣を見てしまったから、というのもある。が、信じる理由はそればかりではない。
直感、とでも言えばいいのだろうか。雨月が嘘を言ったり、作り話をしているようには、どうにも思えないのだ。
雨月に続きを促し、私は座りなおした。いろいろと聞き流せない内容もあったが、質問は後だ。今はとりあえず、雨月の話を聞きたい。
「時間旅行をしてみたいなんて声もあるみたいだけれど、ボクからすればおきないほうがいい。時歪に人が入ってしまうと、歪みはより大きくなってしまうからだ」
過去に戻れば、本来ありえない存在が世界に何かしらの影響を与え、未来が変わってしまう。
反対に、未来を知れば今の生き方が変わる。今が変われば、結果的に未来も変化してしまうのだ。
もともとの未来と、変わってしまった未来。その差異が、歪みとなるのだと雨月は説明した。
「ボクの役割は、歪んだ時を正常な状態に戻すことだ。――現在との繋がりを断ち斬るのが、この時雨刀」
雨月は壁に立てかけていた剣を引き寄せると、指先で軽く叩いた。
「時雨刀は、誰でも扱えるわけじゃない。さっきの男のように、柄を握って振り下ろすことはできても、時は斬れない」
不意に、文也があっと声を上げた。
「そういえば、あの男に剣を振り下ろしたとき、なんか言ってたよな?寿命を削ったとかなんとか……」
人を傷つけるような人間にはとても見えないが、あのときの雨月はぞっとするほどの無表情だった。
返事を聞くのが怖くて、私は俯き――、
「ああ、あれはただの冗談だ」
――あっさりとした雨月の答えに、私と文也は「へっ?」という間抜けな声を出してかたまった。
冗談、と言ったのか。あまりに淡々とした言い方だったため、脳が理解するのに時間がかかった。
「時雨刀は確かに時を斬るが、好き勝手に斬れるわけじゃない。あくまでも、時雨刀が斬れるのは時の歪みだけだ」
心の底から安堵して、私達は息をついた。次いで、恨めしいような気持ちが沸き起こる。
何が冗談だ。全く笑えないではないか。そう言うと、雨月は「笑えなくていい」と言った。
「人を傷つけるということを、笑うような人間であってほしくない」
私は、息をつめた。文也もまた、僅かに目を見開いていた。
静けさが部屋を包み込む。カチ、カチと秒針が時を刻む音だけが響いていた。
「……さてと」
沈黙を破ったのは、雨月だった。彼は立ち上がると、私達を見て口を開く。
「そろそろ行くよ。誰かを巻き込まないうちに、時歪を見つけないといけないから」
「え……もしかして、ここの近くにもあるの……?」
聞くと、雨月は頷いた。
時歪に近付くと、時雨刀が反応するらしい。振動でもするのだろうか。分からなかったが、それよりも聞きたいことがあった。
「聞いておいて何だけど……私達が聞いていい話だったの?話した記憶を消したりとかは……」
「消してほしいか?」
部屋を出ようとしていた雨月に聞き返され、私はぶんぶんと首を横に振った。忘れたくはない。どんな記憶でも、ちゃんと覚えておきたいと思う。
雨月は私の反応が分かっていたかのように薄く微笑すると、
「他言は避けてほしい。面倒だから。でも、それだけだ」
玄関を出て数歩歩いたところで、雨月はこちらを振り返った。
「昨日と今日は、ありがとう」
短く礼を言って、雨月は背を向ける。文也が「昨日……?」と首をかしげていたが、私は何も言わなかった。
遠ざかっていく背中――彼と会うのは、これが最後だと思った。
――思っていた、のだが。
まさか、あんなに早く再会することになろうとは、このときの私は知る由もなかったのである。