表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この身よ青に染まれ  作者: 璃依
第一話
2/8

沙良と文也2



 翌日は、昨日の雨などなかったかのようによく晴れた。

昼下がりの教室。窓からは、敷地内に植えられている木々が見える。葉が赤や黄色に色付くにはまだ早そうだ。九月も半ばを過ぎたが、未だ暑さが残っている。

濡れて帰ったにもかかわらず、風邪を引かなかったのは、気温の高さのおかげかもしれない。

私は視線を外から正面に戻すと、机の前で申し訳なさそうに立っている人物を見上げた。


沙良(さら)、悪い。昨日は急に用事が入っちゃってさ……」


 そう言って謝るのは、同じクラスの(あずま)文也(ふみや)だ。

沙良、というのは私の名前である。昨日、共に出かける約束をしていたのだが、部活のほうで呼び出されたらしく、急遽断られてしまった。

本当はあまり怒っていなかったのだが、素直に謝罪を受け入れる気分でもなかったので、私はわざとそっぽを向いて言った。


「今日は一緒に帰ってよ。埋め合わせはそれでいいから」


 文也がうん、と頷くのを目にして、私は僅かに口元を綻ばせた。



 放課後、私は校門の前で文也を待っていた。

文也は、今日は珍しく部活がない日なのだと言って笑っていたが、いくつかの部を掛け持ちしている彼に何もない日などあろうはずがない。案の定、文也は部活の先輩より呼び出しを受けて、「すぐに戻るから」と言いおいてどこかへ行ってしまった。自分から言い出した話であるだけに、先に帰ってしまうわけにもいかず、私はぼんやりと空を見上げていた。


 文也とは、中学の時に知り合った。たまたま入った委員会が同じで、関わっていくうちに、いつの間にか気安く話せる関係となっていたのだ。

高校も同じ学校を受験し、合格したときには手を取り合って喜び合った。

付き合っているのか、と聞かれることはたまにあるが、友達だと答えるのがお決まりになっている。

――そう、ただの友達なのだ。


 友達という言葉を思い浮かべると、胸が痛む。理由を、私はもう理解しかけていた。

完全に理解してしまったら、元には戻れなくなると分かっているから、考えないようにしているだけで。


 時折、思ってしまう。

このままでいいのだろうか、と。


「――ごめん、待たせた」


 それ以上何かを考える前に、文也が私を見つけて走り寄ってきた。

先輩の話が長引いてさ、と苦笑混じりに話す文也の表情に無理を見つけて、私はじっと彼を見つめた。


「……何の、話だったの?」


 聞くと、目に見えて文也の表情がこわばった。

沈黙が流れる。やがて、文也はぽつりと言った。


「サッカー部の部長にさ……、来年度のキャプテンにならないかって言われたんだ」


「――」


「俺、サッカーだけじゃなくていろいろやってるのにさ。試合はなんとか出てるけど、練習に毎回参加できるわけじゃない。そう言ったんだけど……お前が適任だ、って」


 文也はスポーツ万能で、面倒見も良い。後輩たちからも好かれていて、先輩が文也を選んだのが分かる気がする。

けれど……私は、文也の表情が晴れない理由を知っていた。


「……美穂(みほ)さんのこと、気にしてるんだね」


 橋村美穂。文也の幼なじみで、小学校高学年のころに交通事故で亡くなったと聞いた。

優しく、可憐な少女だったそうだ。クラスの人気者だったのだと文也は言った。

――彼女とした約束が、今も文也を離さないのだ。


「中学でサッカー部に入って、もし俺がキャプテンになったら、試合を見に来てほしい。――美穂が事故に遭う前日に、そう約束したんだ」


 約束が現実のものとなる前に、少女の未来は突として奪われた。

文也はサッカーを続けているが、内心、どれほどの思いがあったのだろう。つきり、と胸が痛んだ。


「――」


 俯いてしまった文也に何と言っていいのか分からず、視線を遠くに彷徨わせた、そのときだった。

深い青色の布が視界の端に入る。見覚えのある背中だ。

その人物は、幾人かの男達とともに路地へと入っていった。――違う。入っていったのではなく、入らされたのだ。

腕を掴まれた人物――少年の姿は、暗がりに隠れて見えなくなった。


「あそこ……」


 思わず声を上げると、文也が顔を上げた。私は路地を指さして、


「今、人が連れ込まれた。私が会ったことのある人だと思う」


 きっと、昨日の少年だ。大して会話もせず、タオルを渡しただけの関係なのに、不安になっている自分がいた。

私の不安を、文也も感じ取ったのだろう。彼は表情から翳りを消し、「様子を見てくる」と言って走り出した。

待っていろと言われたが、それは無理な話だ。文也はついてくる私をちらりと見て口を開きかけたが、結局何も言わなかった。


 薄暗い路地で、男達が少年を囲んでいた。

男が動くと、金属が擦れるような音がする。どうやら、腰に下げたチェーンが音の発生源のようだった。髪を鮮やかな色に染めている者もいる。少年を睨め付ける男達の様子を見れば、絡まれていることは明白だった。

対して、少年は冷然とした目で男達を見ている。


 改めてみると、少年は明らかに異質だった。吹けば飛びそうなくらい細いのに、洗練された立ち姿は無視できない存在感を放っている。

すらりとした痩身を包むのは、紺青色の装束だ。上着は膝下まであり、和服によく似ていた。ふくらみをもたせたズボンが、上着の下にのぞいている。左手に、白い布でくるまれた細長い物体を持っていた。


 あの細長い物体は何なのだろうか。気になったが、声を出すのは憚られ、私達はしばらく様子を見ることにした。


 男達は何か喋っているようだが、通りからでは声が切れ切れにしか聞こえてこない。仕方なく、私と文也は気付かれぬよう、そろそろと路地に足を踏み入れた。


「……だよ、目立つ格好しやがって」


 男達の声が近付く。内心、人のことを言えないのでは、と思った私だったが、口に出すのは自重した。不必要な一言で、事を荒立ててしまったら大変だ。


 幸い、男達は私と文也には気が付かなかったようだった。電柱の陰に隠れて耳をすますと、さきほどよりはっきりと声が聞こえる。


「――痛いことされたくなきゃ、金出しな。持ってんだろ」


 もしやとは思っていたのだが、少年は強請られているらしい。

警察を呼ぶべきか迷い、動けずにいるうちに、少年は正面の男に向かって一歩足を踏み出した。


「生憎、持ち合わせがない。それに、ボクにはやることがある。どいてくれないか」


 少年の口調は、淡々としたものだった。男達が怖くはないのだろうか。そう思って横顔を見るが、端正な顔には汗ひとつ浮かんでいない。――つまり、意に介していないのだ。この状況も、男達も、全部。


 空気が張り詰める。金髪の男が前に出て、少年の胸倉を掴んだ。大柄な男に引かれ、少年のかかとが浮く。


「――調子乗ってんじゃねぇぞ、コラ」


 顔を近付けての脅しに、しかし少年は屈しない。

男が、布の包みをむしり取るようにして奪った。乱暴に結び目を解かれ、包まれていたものが露わになる。身を乗り出して見ていた私達は、あやうく声を出してしまいそうになった。


 中身は――剣だ。

控えめな装飾をほどこされた剣が、鞘ごと布で包まれていた。

冷気のようなものが頬を撫で、私は瞬きする。ひんやりした気配は、剣から発されているようだった。

――模造剣ではない。うまく言えないけれど、そう感じた。


 男達も、まさか剣が出てくるとは思っていなかったのだろう。彼らの顔には揃って驚きと疑念の表情が浮かんでいたが、それはすぐに消えた。

入れ替わるようにして浮かんだのは、嗜虐的な色だ。


「ちょうどいいもん持ってんじゃねぇか。――コイツで斬ってやろうか?」


 笑い声が響く。金髪の男が剣を抜くと、笑い声はさらに大きくなった。

彼らは、剣が本物だと気付いているのだろうか。


「返せ」


 少年が短く言った。事ここに至っても、彼の声に動揺の響きは欠片もない。そのことが男を苛立たせたらしい。男は鞘を放り投げると、抜き身の剣を振りかぶった。重たいのか、剣先が揺れる。

まずい、と思ったが、どうしていいか分からない。飛び出したところで、状況が好転するとも思えないし、通報しても間に合わないだろう。それは、文也も同様のようだった。

かといって、放っておくこともできない。となれば、できるのは――、


「――誰か!!」


 私は大きく息を吸うと、思い切り叫んだ。意図を察した文也が、同じように声を上げる。


「誰か、来てくれ――!!」


 二人で叫ぶと、かなりの大声となった。男達がびくりと肩をはねさせ、私達が隠れている電柱を見たのが分かる。――成功だ。

あとは、男達の意識がそれたこの隙に、少年が逃げ出してくれれば――、


 ――とん。

 耳に届いたのは、ひどくささやかな音だった。

おそるおそる顔を出すと、動きを止めた男の背後――片膝をついた少年の姿が視界に入った。


 胸倉を掴まれていた手を離され、力が抜けてしまったのだろうか。いや、違う。少年の左手には、奪われたはずの剣が握られていた。

――まさか、今の一瞬で取り返したというのか。


 少年はすっと立ち上がると、剣を金髪の男に向けた。冷徹な目と剣を向けられ、男達から笑いが消える。――少年は本気だ。本気で、斬ろうとしているのだ。


 やめて、と叫ぶよりも先に、剣が振られる。斬られる瞬間を見たくなくて、私は目を瞑った。

しかし、いつまでたっても、男の苦鳴は聞こえなかった。


 ゆっくりと瞼を持ち上げて、私は悲鳴をあげそうになった。

少年の剣が、男の左胸――ちょうど、心臓の位置で停止している。

すんでのところで悲鳴を飲み込んだのは、全く血が出ていなかったからだ。私は、刺すと刃が引っ込むマジックナイフを思い出した。

だが、剣は刃が引っ込んだわけではなかった。男の背からは、剣の先端部分がつき出している。


 全員が凍り付いた中、少年だけは表情を変えることなく剣を振りぬいた。右わき腹から抜けた剣には、一滴の血もついてはいない。男の身体にも、傷は見あたらなかった。

少年は真横にした剣を顔の前に持ってくると、


「この剣は、『時雨刀(しぐれとう)』という。――時を斬るための剣だ」


 少年の言葉に呼応するように、剣がきらめいた気がした。

現状をうまくのみ込めずにいる私達に構わず、少年は続ける。


「今のように、ものは全く斬れない。だから、振ったところで君達には無害だ。――ああ、寿命はいくらか削られたかもしれないな」


 それを聞いた男の喉がひゅっ、と鳴った。

少年がもう一度剣を突きつけると、男の恐怖は限界に達したようだった。腰を抜かして座り込み、逃げ出すこともできない彼らを一瞥すると、少年は通りに向かって歩き出した。途中で、転がっていた鞘と布を拾う。


 私と文也は、少年を追いかけて足早に路地を出た。警察を呼ぶ必要はないように思われた。少年のやったことは、男達にとって、どんな罰よりも恐ろしいことだったのだろうから。


 私達が追い付いたときには、早くも少年は剣を布で包み終えていた。

昨日は気が付かなかったのだが、こうしてみると少年の髪は真っ黒ではなかった。頭頂部のあたりはしっかり黒いのに、毛先のほうにいくにつれて青色が強くなっていく。

この髪のグラデーションは、染めてできたのだろうか。天然の青髪はありえないと聞いた気がするが、非現実的なことばかり起こったせいで、常識すらも揺らいでいた。


「あ……あの」


 声をかけると、少年はこちらを振り返った。彼のほうも私のことを覚えていたらしい。君は、と呟いた少年の目は、軽く見開かれていた。

少なくとも、剣を向けられることはなさそうで、私は身体から力を抜く。


「さっきの、どういうこと……?それと、その剣は……」


「………本来は、話すべきではないことだけれど、君達には助けられた。そのお礼として、話せる限りのことは話す。

ただ、場所を変えたい。ここは人が多いから」


 少年はしばし考えたのち、そう答えた。

確かに、こんなところで立ってする話ではないかもしれない。彼の意見には賛成だったが、格好が目立つ上に、この美貌だ。どこへ行っても注目されて、ゆっくり話もできないだろう。現に、少年には通行人たちの視線が集まっていた。


 どこに行こうか考えていると、くぅ、という音が聞こえてきた。ふい、と目をそらした少年の頬が微かに赤くなっている。やけに可愛らしい音の出どころは、少年の腹部らしい。

私と文也は顔を見合わせると、同時に吹き出した。

あれだけ冷然とした目をみせておいて、これだ。むくれたような表情を見て、笑いをおさめようとするのだが、うまくいかない。止めようとすればするほど、笑えてきてしまうのだ。


 ひとしきり笑い、呼吸を整えてから、私は言った。


「私の家に行こう。家なら、ご飯も出してあげられるし」


 説明を求めたのは私なのだから、私の家に呼ぶのが筋というものだろう。

文也が「いいのか?」といいたげな目を向けていたが、悪い人間ではなさそうだし、きっと大丈夫だ。いざとなったら……まあ、そのとき考えよう。

私の後先を考えない性格は今に始まったことでもないので、文也は諦めたようだった。


 少年のほうはためらう素振りを見せていたが、空腹には勝てなかったらしく、素直に頷いた。

そうと決まれば、さっさと移動してしまおうと歩き出しかけたところで、私はまだ少年の名前を聞いていなかったことに気付く。

名を問うと、少年は布越しに剣に触れてから答えた。


「――朔夜(さくや)雨月(うづき)


 雨月。雨の月。

――耳慣れない、だが妙にしっくりと馴染む音が、この不思議な少年の名前だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ