ハングベアー
第10階層に降りてきてから一月の月日が経過した。最初の数週間は二人で気の向くままに探索していない所を歩き回り、魔物を見つける度にーー敵が襲ってくる度にーー倒して行った。そして、この階層は5階層の時とは異なり空間に魔素はたくさん存在し、他の階層よろしく飽和状態になっていた。
このことからボスが見境なしに魔素を吸収している状態ではないという事だった。またはボスが存在しないこともあり得る。しかし、とりあえずカナタたちはこの顔層にボスが居ないと気を抜くのではなく、居ると思うことでしっかりと緊張感を保ち、戦闘能力の向上を図り続けていた。
そして、ここ数日程はリポップする魔物も数が限られてきたので二人は朝のうちに別々の方向に別れて自分の自己鍛錬や、見落としが無いかと探索などをして過ごしていたのだった。
これは、勿論二人でいることがどうこうというわけではなくて、一人になることでなお一層集中したり、常に二人でいることで相手への戦闘における依存をなくすことで個人の能力を向上しようと努めているのだった。そして二人が高めあった能力を共に戦闘する時に発揮することで加算ではなくて、乗算できるようにと考えたのだった。
そして本日、ついにボス部屋への挑戦をすることにしたのだ。
そう、しっかりボスは存在しているらしく二週間ほど前の時点で扉を発見していたのだ。
「この前初めて見たときは少し遠めから確認しただけだったから何とも思わなかったけれど、5層の時の扉と模様が違うな。とはいえ、5層の扉の模様はもう既にあんまり覚えてないけどな。」
『確か上の階層の時は黒い扉だった。それに、何かの網目とでもいえばいいのか、縄目とでもいえばいいのかわからないけれどそんな模様が所々にあったはず。でもこの扉は黒いけれど若干茶色が混ざっている。黒茶?茶黒?まあそんな感じね。』
「言われればそんな感じだったような気がするな。ただ俺が覚えているのは扉が遮ぎきれないような気配があったことだけれど、この階層の扉からはそんなものは感じない。これってこの階層に魔素があったことと関係しているのかもな。」
二人は扉の前で以前との差を話し合いながらも視線は扉からは離れない。5階層の時とは違い、ただならない気配を感じてというわけではなく、前回の経験があったからこそ一切の油断をしないのだ。
「さて。じゃあ作戦会議をしようか。」
『まず、5階層の時の経験から扉を潜ったらゆっくり中に入ろう。私はすぐに眼を使うし、カナタも最大限警戒して。そしたら、私が敵のことを鑑定して伝える。』
「わかった。前回を踏まえた上で俺が前衛、アリスが後衛を担当しよう。勿論そうならなかった場合も踏まえて臨機応変に動くことを心掛けて、様子を見て行こう。後、速すぎて俺が見えない、反応できないような相手だったらアリスの判断に任せる。」
『わかった。最悪の最悪は大規模の魔法を広範囲に放つから、カナタはダメージを受けてでも相手が隙を晒したら攻めてね。』
こうした作戦会議をその後も数時間続けながら様々なパターンに対応できるように話を詰めていく。また、その中で着替えも済まして二人が持つ最大の戦闘衣装ともいえるものに着替えた。
カナタは黒い長袖のTシャツに白字で笑顔の顔が簡易に描かれたキャラクターの服を着ている。場違い感は大いにあるが、この服には前回はしなかったアリスの魔法陣が付与されているのだ。アリスの魔法陣は魔素を生地に直接刻んでいくので、もともと目には見えない魔素を用いるこの魔方陣は目で捉えることはできない。
そして下も色は黒いズボンを履いている。この上下の服はご存じカナタの作である。これには防御力を+15させる効果がある。そして普段から履いている靴も速力を+15させる能力がある。
アリスの方は、白がベースの薄朱色が混ざったTシャツを着ている。こちらも長袖だ。そして下は、緑色のズボンを履いている。こちらもカナタの服と同様の効果を与えてある。
そして、アリスが羽織っているものは白夜のコートだ。その白色がアリスの清楚さによく映えている。二人は事この状況においてオシャレや統一感などの要素は全く考えていない。第一優先は過ごしやすさと動きやすさ、そして機能面にしか気が向いていない。
カナタの腰には二本の刀が差してあり、アリスの手にも杖が一つ握られている。
二人は準備を整え、ついにその扉に手をかけた。
ゆっくりと扉を開き中を確認する。中は5階層と同じくらいの広さがあり、戦闘するには申し分ない。また、中は平原でただ大きな空間が広がっていることしかわからなかった。
しかし扉を開いて中が見えた瞬間に二人は示し合わせてでもないのにある一点を見ていた。しかし視線の先には何も見えない。いや、神眼スキルを発動したアリスには視えていた。
二人が感じたのは5階層に足を踏み入れた時と同様、もしくはそれ以上の気配だった。
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【ハングベアー】
【HP】(体力):99
【MP】(魔力):5
【STR】(筋力):150
【AGI】(速度):100
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『敵は”ハングベアー”体長二メートルほどのクマ。攻撃としては爪や嚙み付きを警戒。』
「クマか。ウサギであの攻撃力だったんだ、基本回避重視で様子見しよう。」
『了解。......来るよ!』
カナタたちが敵の存在に気づいたように、相手もカナタたちのことに気づいた。そして相手は何の躊躇もなく猛然と向かってきた。
推定で数百メートルはあった距離を四足を駆使し、まっすぐ走ってくるハングベアーはわずか数秒でその距離をゼロにした。
「GRAAAAAAAA」
その雄たけびは、聞く者を威圧し、体を竦ませるような体の芯に響くものだった。しかしカナタたちもこれまでの数多の経験で、この程度の雄たけび程度では特に何も影響は現れない。
そして、確かにハングベアーの速度は並ではなく速いのだが、第5層で戦ったハントラビット程ではなく、そして、カナタたちはこの部屋に入った時から待ちに徹し、敵の行動をしっかり確認しながら備えていた。
そんな二人にはハングベアーが接近に要した数秒の時間でさえ先手を用意するには十分だった。
すでにこの部屋に入る前には魔法で身体強化のバフをアリスが掛けていたので、ハングベアーの接近に合わせて二人は動き出す。
『轟くは、”雷砲”』
「GRUUUUUUU]
アリスの詠唱は、ここに来るまでにこなした戦闘での実験と研究の成果により、かなり短いものにまで短縮できるようになった。
アリスの杖から放たれる雷により形作られた砲弾は一直線にハングベアーの前足に激突する。
「抜刀術、”一閃”」
「GYUU]
アリスの攻撃は、その魔法の発動に気づいたハングベアーが走ってきた勢いをそのままに右前足、というよりは腕のようなそれで振り払った。この時ハングベアーは後ろ足で二足立ちの状態になっていたためにやはり腕と評した方が正確かもしれない。
アリスの雷砲は腕に触れ、衝撃が伝わるとその形が崩れて玉のような丸い形から一筋の線のような雷に姿を変えてハングベアーの毛皮を伝い全身に微電流を与えた。
ハングベアーの茶色い毛皮は雷を防ぎきれず、ダメージというには蚊に刺されたほどにしか感じなかったが、電流の効果でほんの数瞬その体が痺れて動きを止めた。
そしてその瞬間を狙って、雷砲が直撃した瞬間からまだ僅かにあったその距離を詰めてカナタは凪を振るったのだった。
「ハントラビットの時で分かってはいたが、剣で切るとかの物理攻撃はその硬い体毛で防がれてしまうな。今で左腕を半分ほどだ!」
『......』
カナタは左側より切りかかり、その刀はハングベアーの左腕を半分ほど切り裂いた。カナタたちはこの最初の隙で腕を削り、機動力と攻撃力の双方の低下を狙っていた。しかし、その腕は万全とは言えないほどには傷つけたが、まだその鋭い爪は健在だし、ハングベアーの筋力で振り回せばその半分ほど切れて骨で何とか繋がっているような太い腕も立派に凶器たりえる。
そのことをアリスにすぐに伝え、二人は初撃の攻撃プランから相手の様子を伺う構えにシフトしていく。
カナタとアリスはハングベアーを中心に挟むような立ち位置で、その距離約五メートルほどで相対した。
ハングベアーは切られた腕から血を垂れ流しながらもその眼光の鋭さは衰えず、左右に居る二人を睨み付けている。そしてその比重は、自身の腕を切り裂いたカナタの方をより警戒している。
カナタたちは自分たちから動くつもりはなかった。すでに腕を切り裂いたため出血で弱っていくのを待てばいいし、何か予想外の動きをされて隙を作りたくはないため、相手の行動に神経を集中させている。また、二対一で挟んだ状況なのでハングベアーが遠距離攻撃を使えなければ片方に攻撃へと動いた時に、もう片方は攻撃できる隙ができると踏んでいるのだ。
そしてその思考は正解だったようで、カナタに向かいハングベアーがまだ無事なその左の爪を振るって攻撃を仕掛けてきた。
カナタは華月を下段に構え、慎重にその腕の軌跡を見切りながら躱していく。右腕での攻撃が来ないためその後の左腕での攻撃は何度振るわれても落ち着いて躱し続けることが来た。そしてカナタは回避行動のタイミングをハングベアーの攻撃に対して完璧に行うことができ、尚且つ、左側へ回り込むように回避できた時だけ華月を振るってその胴体に刃を薙いでいった。
左側にいれば攻撃直後の腕からでは攻撃の可能性も低いし、足による攻撃もここまでしてきていないことから、警戒はしつつも安全に攻撃をすることができた。
それから数分は同じような戦闘が続いて、ハングベアーはその体の左半身が血だらけになりながらも、まだ攻撃をし続けるだけの体力を残していた。
ハングベアーの実力は5階層のハントラビットと同じか少し強い位なのだが、カナタたちとは相性が少し悪かった。
第5階層の時はハントラビットのその強靭な脚により生み出される速力により、ダメージを早い段階から貰ったカナタたちは苦戦を強いられた。しかしハングベアーの強さはその攻撃力だった。その見るからに重そうな攻撃は掠っただけでその付近の肉ごと抉られるほどの威力をしている。しかしカナタたちにはその攻撃が当たらない。奇しくもハントラビットとの戦闘により、速さに対する修練をここまでの階層で意識して行っていたことが功を奏してこのような結果になった。
またアリスに関しては今はもう神眼を使用していない素の状態で状況を把握している。つまり、いざとなればまだ奥の手がある状態でここまでの戦闘に至っているのだ。
そして当然ここまでアリスはただ黙って見ていたわけではない。ハングベアーの意識がカナタの方に向いたと察したアリスは静かに状況を伺いながらも自身に”隠密”の魔法をかけ、更に”消音”や、”消臭”など念には念を入れて自身の気配を消していった。
そして今では見向きもされず、カナタのみに向かって行っているハングベアーに漸く組み上げた終わった魔法を放つのだった。
(我、燃やすは意志の灯、その灯は魔力になりて我が敵を滅す咢とならん。その性質は迅雷、窺うは白きその風貌に我が思いを乗せる!”竜咆”)
アリスの放った白い竜の頭部を模した魔法は、そのサイズをハングベアーの一回り程大きなサイズに調整することで何とか今のアリスのMPでも放つことができるように作り出したしたものだ。
アリスは幻術魔法も使用して自身を隠している。その効果にカナタは含まれていないため、そしてこのことは最初から作戦のプランに含まれていたため、アリスの気配が消え始めた頃から口に出さず脳内で数をカウントしていた。そしてそのカウントが丁度三百に達した時、カナタは全速力で後ろを振り向き、駆けだした。
自分が何かをしたわけでもないのにいきなり逃げ出した敵に対して、ハングベアーは本当に一瞬だがその思考と行動を止めて隙を作ってしまった。
アリスの魔法はそこを見計らったように見事に直撃し、周囲に轟音と爆風を撒き散らした。
「『.........』」
カナタは背後からの爆風に数メートル吹き飛ばされたが、体勢を即座に整え、ハングベアーの様子を伺った。
そしてアリスも自身の魔法の威力に押されて背後に吹き飛ばされたが、カナタ程接近していたわけではなかったので無事に着地してカナタ同様に敵を見据えた。
粉塵吹き荒れる中で漸く視界が取れるようになった時に現れたのは、アリスの魔法が直撃してその背を焼け焦がしたハングベアーだった。
しかしもう既に大量の血液を垂れ流し、腕や足を喪失した姿はその命の終わりが近いことを表していた。
そして、そう時間もかからないうちにその姿をアイテムへと変え、10階層の探索は終了したのだった。
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