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「事態は深刻だ」
オーディンのその一言で集結した神々の顔から笑顔が消えた。未だ、信じきれてないものが多かったのだ。この楽園に危機が迫っていることに。しかし、それは最早目を背向けられない現実である。そのことにようやく気付いたのだった。
恐ろしい夢が、バルドルを危険に晒している。
バルドルをどうやって守るのか話しあう日々が続いた。それしか彼らに方法はなかったのだ。勿論、バルドルは既に結末を知っていた。神々だって、バルドルの運命は知らないものの、いつかラグナロクが来る事は知っていた。バルドルが危険に晒されれば、そのラグナロクに影響するだろうと考えたのだ。
神々は彼を死に至らしめる危険を全て挙げていき、それらをどうにか防ごうと考えた。この世界に存在する全ての物に「バルドルを傷つけないように」と誓いを立てさせてはどうかという意見が出た。原始的ではあったが、それしか彼らには出来なかったのである。
万物に誓いを立てさせることは不可能に思えた。しかし、フリッグの愛により成し遂げることが出来たのだ。彼女は自らの足で、動物や人間、小石から草木に至るまで全てと契約を結んで見せたのである。
あらゆるものが、バルドルを傷つけまいと彼を避けた。試しに彼に石を投げつけたら、石は軌道を変えて彼を避けたし、転んだら大地が柔らかくなりクッションとなった。ならばナイフはと、試してみれば、石と同様、彼に刺さることは無い。そうなれば、ホズの役目はもう無用だというように、フリッグはホズに掛っていた魔法をすんなり解いた。
ホズを長年苦しめた戒めは、あとかたもない。
「これで、あなたが心配することは何もないわ。バルドル」
フリッグは愛しそうに我が子の頬を撫でた。バルドルがゆっくりとフリッグに視線を運んだ。隣には妻であるナンナが寄り添っている。
「私は何も心配していません」
「あら、だって悪い夢を見るのでしょう?」
フリッグは困ったように眉根を寄せた。バルドルはそんな母にも関心は示さず、無表情で淡々とした口調で話す。
「私を傷つけるものなど、元から何もない。何も恐れるものはない。ただ、一つあるとすれば、それは……」
「それは?」
「皆の愛が、私から離れて行く事ですよ。母上」
ナンナが密かに顔をゆがめる。
バルドルは己の妻を見て、すぐに視線を外した。そして突然群衆に向かって大声を上げる。
「さぁ、みんな! 私に石でもナイフでも投げ付けるが良い! 痛くも痒くもないぞ! これは世界の全てが私を愛している証拠、目に見える証拠ではないか!」
皆は驚いた。だが、バルドルが「やれ」と何度も言ってくるのでとうとう一柱の神が手近な小石を投げる。やはり、小石はバルドルにあたらない。どんどんバルドルがやれ、と命じるので次第に石を投げつける神が増えた。それは一種恐ろしい光景であったが、彼らの間でバルドルの力を誇示する遊びとなっていった。
それを、物陰で見ていたものがいた。ロキだ。じっと、鋭い目つきで眺めていた。




