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透明少女と混濁少年  作者: 雨焼なつ
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第三話 透過病と涙

 そして、放課後の夕方六時。いよいよ心配になった陽大は、夢路がいる病院を訪問することにした。学校からも家からも近いため、中学生の頃なんかはよく通っていたものだ。

 人通りの多い大通りを抜け、桜並木を眺めながら花びらを全身に受け、歩いていく。信号を左に曲がると、総合病院が見えた。広い院内へと足を踏み入れ、受付へと向かう。

「あの……陽本夢路さんの友人なんですけど、夢路さんの病室ってどこですか?」

「陽本…夢路さん、ですね。少々お待ちください。……えーと、あちらのエレベーターで十二階まで行き、右に曲がって少し歩いたところの三六二号室になります」

「分かりました」

 受付のお姉さんに軽く頭を下げて「ありがとうございます」と言い、その場を後にする。陽大は言われたとおりエレベーターに乗り、病室へ向かった。

「えー……っと、三六二、三六二……ここか」

 順番に病室をまわり、三六二号室の入り口に貼ってある札に夢路の名前が書かれているのを確認してから、扉を軽くノックした。

「はーい」

 少し間を開けた返事の直後、ぱたぱたとサンダルの音が聞こえたと思ったら、扉が開き、中から夢路が顔を出した。その表情は思っていたより元気そうだ。

「およ、陽大じゃん」

 夢路は大きな瞳をぱちくりとさせ、驚きの表情で陽大を見た。

「見舞い来た、けど、案外元気そうだな」

「まあねー。なんか、えーっと、貧血とかだったっぽい」

 病室へ入るよう促され、夢路がベッドに腰掛けたので、陽大も入室し、ベッドの脇のイスに座った。

「そういや、なんでそんな元気そうなのに今日来なかったんだ?」

「……あー、学校のこと?」

 長い髪の毛先を右手でいじりながら、夢路は「んー」と視線を上へ向ける。何か来られない事情でもあったのだろうか。

「まあ、それは明日にでも話すよ。今日は、今はこのままで」

 瞳を伏せ、淡い笑みを浮かべて話す夢路。その後も他愛もない会話をしたが、何か、おかしい。虚ろというか、心ここにあらずというか。いつもより小さな声で陽大と会話する夢路の横顔は、なんだかひどく悲しげで。

「っと、俺、今日は宿題終わらせないといけないから、そろそろ帰るよ。また、明日な」

「……うん」

「明日は学校、来いよ」

「……うん」

 別れの挨拶をしても返事はおそらくから返事。うつむいているためそう表情はよく見えないが、絶対になにか変だ。しかし本人に話す気がない以上、こちらはどうすることも出来ない。諦めて病室を出ようと立ち上がった、とき――――

「っ待って!」

 そう叫び、朝と同じように夢路が陽大の腕を掴んだ。しかし朝よりも、力強く。そして、朝とは違い、小刻みに震えた手で。

「な、なんだ?どうした?」

 正面を向いて問いかけるも、何かをこらえるように唇を噛みしめるだけで返事はない。しかし、腕を離す気配もない。

「ぐ、具合でも悪いのか?看護師さん呼ぶか?」

 そう尋ねるもふるふると力なく首を振るだけで、何もしようとしない夢路。ただただ、座ったまま陽大の腕にしがみついているだけだ。陽大が何も出来ず立ち往生していると、ふいに夢路が口を開き、言った。

「……わたし、ね」

 その声に、陽大は慌てて夢路の方を見る。震えていたのは手だけではなく、声も。夢路の声を聞き取ろうと耳をすませると、かすれた声で、かろうじて聞こえるくらいの小さな声で、夢路は言った。

「私ね、病気にかかってるんだって」

「びょう、き?」

 陽大の問いに、こくりと一つ、うなずく。先程よりかは少し落ち着いたようだが、震える手は尚も陽大を離そうとしない。

 そして一度深呼吸をしてから、小さく口を開き、言った。


「私、もうすぐ、消えちゃうの」


 静寂に包まれる病室。二人きりだったため元々静かではあったのだが、今では互いの呼吸音しか聞こえない。落ち着いた呼吸音と、少しだけ荒い呼吸音。後者が自分のものであるということは陽大には分かっていた。

 消え、る?今夢路は、死ぬとは言わずに、消えると言った。言い方が妙に引っかかる。

 不思議に思っている陽大を見据え、小さな苦笑の後、夢路はベッドから夜空を見上げた。空に散りばめられた無数の星を瞳に映し、口元に微笑みを浮かべる。

「病名は、透過病。日に日に全身が薄くなっていって、最後には誰の記憶からも透けて消えちゃうんだって」

 星空へと目を向けたまま、悲痛な笑みを浮かべる夢路。その声は、かすれていた。

 数秒の間、陽大は息が出来なかった。呆然と目を見開き、脳が聞いた事実を否定しようとする。

 ――――透過病。発症理由・治療方法ともに不明の奇病。現在存在する病気の中では最も謎に包まれている病気である。その名の通り体が透明、不可視になる病で、完全に透過す

ると、生きていた証と患者が一番大切にしていたものを残して他人の記憶からも消えてしまうらしい。

「透過病、って、なんで、そんな、夢路が」

「わ、落ち着いてよ陽大、今はまだこんなにぴんぴんしてるんだから!」

 そう言って夢路は陽大の腕を掴んでいた両手を離し、離した両腕に力こぶをつくった。しかしそう簡単に落ち着けるほど小さな話ではない。

「っ夢路は、なんでそんな明るくいられるんだ……?」

 そう尋ねると、夢路は静かに陽大から目を離し、再び顔をうつむかせてぽつりと言った。

「……私には、悲しんでくれるような優しいお母さんもお父さんも、友達もいないからさ」

 陽大は数秒の間、言葉が出なかった。両親がいないということは知っていたが、友達がいないなどというのは聞いたことがなかった。いつもあんなに笑顔で、学校も楽しそうに行っているように、見えた。でも――クラスでは……?

 陽大がそんなことを考えていると、夢路はまた、続けた。

「陽大は知らなかっただろうけど……私には、友達って呼べる人なんていないんだよ。中学生の頃なんて、親がいないってだけで、毎日いじめられてた。洋服に隠れて普段は見えないところに痣を作られたり、物を隠されたり。……すごく、苦しかった。すごく辛かった。それ以来人と話そうとすると言葉が出なくなって、友達なんてできなくなった。今普通にしゃべれるのも、陽大くらいだよ」

「……そんな、こと……なんで、俺に言わなかったんだよ」

「言えるわけないじゃん!!」

 悲鳴も混じった唐突な叫びと共に、顔が持ち上がる。そして同時にあらわになった表情。

――涙でぐしゃぐしゃになったその顔は、悲しみで溢れていた。嗚咽をこらえて、夢路は必死に続ける。

「迷惑は、かけたくなかったのっ……! 小さい頃、さんざんお世話になったし、何度も助けてもらった! 中学生からはいろんなことを自分で頑張ろうって、小学生の頃に決めたんだっ!!」

「そんなの――俺が知るかよ!!」

 そう叫んだ陽大は夢路の前に勢いよくしゃがみ込み、大きな丸い瞳を正面から見つめる。息を呑み、目を見開いて陽大を見つめる、大きな瞳。新たにつくられた今にも零れ落ちそうな涙の雫は、病室の照明に反射してきらきらと輝いている。

「俺が好きで夢路にかまってんだ! それを迷惑とか思ったことなんて、一度もない!! 苦しいなら――辛いなら!! っ、頼れよ!!」

 再び、大きく見開いた夢路の瞳。そこからぼろぼろと溢れ出す、たくさんの涙。しかし構わず陽大は続ける。

「いつだって頼ればいい!! お前には俺がいるだろ! 小さい頃から支え合ってきた! 今更ためらうな、迷惑だなんて思うな!! 俺を! ――――頼れ!!」

 眉間にしわを刻み、必死に訴えかけるような陽大の姿。陽大の真摯な言葉を聞き、夢路は感情を抑えきれず、ついに本心をこぼした。

「…………私、だって――苦しかったよ!! ずっと……ずっと、一人で!!」

 ベッドに座ったまま、陽大にしがみつき、何かを掻き集めるように抱きしめる夢路。陽大も、そっと夢路を包み込んだ。

「私は、何も悪いことなんてしてないのに、殴られて……! 蹴られて! クラスメイトも、先生も、助けてくれなくて……っ!」

「……っ、分かってる。ずっと一人で頑張ってきたんだよな。耐えてきたんだよな……お前はもう、十分頑張ってるよ。だから俺には、助けを求めていい。辛いなら俺のところで泣いていいんだ」

「う、ん……! うん……!」

 そして夢路は、陽大の腕の中で涙を拭いながら、自分の気持ちを受け止めながら、陽大に向かって小さく、しかし確かに告げた。

「わ、私、消えたくない、よ……!陽大にも、忘れられたく、ない……っ!!」

 震えた声で漏らした本音。夢路の正直な気持ち。陽大は瞳に強い決意の光を灯し、夢路をまっすぐ見つめて、告げた。

「……たとえお前が消えても、俺以外の全員がお前のことを忘れても、俺はお前を忘れない。すぐにお前のことを見つけてやる。絶対に、俺がお前を救うから!」

 小さい頃からの絆。固く結ばれた糸は、鋭い刃を当てられても、解けることはなかった。


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