第一話 焦げ茶と猫と浅い夢
春。物事の始まりの季節。
今年で十七歳になった陽大は、目を細めて空を見上げながら、高校への道を歩いていた。心地よい風が、優しく頬をなでていく。
穏やかな春の陽気に包まれながらも、陽大は昨晩、内容は覚えていないが嫌な夢を見たため、透明感のある空に比べて、暗く憂鬱な気持ちでいた。
「あー……だりぃ」
小さくぼやきながらポケットに手を入れ、重い足取りで歩を進める陽大。と、そこで陽大は道路の端でうずくまっているナニカを見つけた。
怪しく思いながら、なんとなく忍び足で歩きよっていく陽大。近づくにつれて、それが人間ということが分かり始める。そして更に進み、ようやくそれが何か、はっきりと判別できたところで――陽大は踵を返して元来た道をかけていこうとした。
「あーっ! 待ってよ陽大ぁ!!」
ナニカ――いや、陽大の幼馴染である少女の夢路は、叫びながら制服の袖を掴んで、陽大を引き止めた。
「うっげ見つかってた……。んだよ、制服引っ張るんじゃ……ってお前それ何抱えてんの!?」
「え? 猫」
きょとんとした顔で、ふところの猫と共に目をぱちくりさせる夢路。……いやそんな当たり前のように言われても。そして猫にまでそんな顔されても。
よく見ると、猫は足を負傷していた。右足に切り傷のようなものが見える。というか、夢路は猫など飼っていなかったはずだが……。
陽大はため息をつき、横目で夢路を見やる。
水色の三角形が二つ重なっているピンを付け、焦げ茶色の長髪をそよ風に揺らしている夢路。そして同じく焦げ茶色の瞳を真っ直ぐに陽大に向け、首を傾げていた。
「……何なのその猫」
そんな夢路を見て陽大の鼓動が一瞬高鳴ったことは置いておき、とりあえず事情聴取。
「んー、話すと長くなるんだけど」
「いいから話せ」
陽大が有無を言わせず告げると、夢路は少しだけ目線を上にあげ、話しだした。
「えーっとね、今朝、いつもどおり口にかっぱ巻きを咥えながら登校してたの」
「ちょっと待てそこからおかしくないか?せめてパンだろ、なんでかっぱ巻きをチョイスしたんだ」
「日本人ですから」
意味分かんねえし何のドヤ顔だよ……。
「……で?」
「でね、途中でかっぱ巻きが口から落ちちゃったの。そんで落ちたかっぱ巻きを急いで拾おうと思ったら、道の端でうごめく生き物を見つけたんだよ」
「それが、その猫だったってわけか……」
「あ、ううん、うごめいてたのは猫じゃなくて私」
顎に手を当てて確信したように呟いた、過去の俺を返してくれ。
そう思いながら静かに夢路を睨む陽大をよそに、夢路は話を続ける。
「うんとね、道の端にカーブミラーがたっててね、その中にしゃがみこんだ私が映ってたってわけ! でもそこに映ってたのは私だけじゃなくて、私のちょっと後ろに、この怪我した猫ちゃんも映ってたの。それで、助けてあげようと思って」
「……そうか。じゃあ一回戻るのか?」
「うん! お隣のおばさんに預けてくる。すぐ戻るから先行ってていいよー」
夢路には、両親がいない。母親は中学生の頃、父親の家庭内暴力が悪辣だったため、それに耐えかねて家を出ていき、父親は母親が家を出ていった直後、アルコールの過剰摂取でこの世を去ってしまったと聞いた。
陽大の親に預けるという手もあったのだが、あいにく仕事にでかけてしまっている。
猫を優しく撫でながら花が咲くような笑顔で答え、来た道を帰っていく夢路。昔から変わらない笑顔。なぜだろう、今だけは、この笑顔が儚く思えた――――。
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