お腹にちからを
姿勢を正し、呼吸を整え、舞台の上を具体的に想像できたら、覚悟を決めて顔を上げましょう。さあ、いってらっしゃい。今日はあなたが主役です。
足を肩幅より少し広く開き、膝を僅かに曲げる。上体を屈めて腕を伸ばすのではなく、腰を落としていく要領で姿勢を低くする。地面に張り付いているような取っ手を、片方ずつ確実に握る。身体を横向け、左半身を前へ向ける。
「大丈夫か?」
優しい声に後ろを振り返り、僕は黙ったまま頷き返す。
握り手を一度緩め、それぞれ小指に引っ掛けるよう意識し、人差し指を前に出す。さあ、持ち上げよう。上体を後ろへ逸らさず、地面に垂直な方向へ“真っ直ぐ”引っ張る。腰に荷重が集中するし、肩が外れるかもしれないので肘は伸ばし切らず、上着のポケットに手を突っ込むくらいに曲げておく。
「いいぞ、縦ならきっと出来る」
「まか、せて」ああ、変な声が出た、と僕はいやに冷静に思っている。
お腹に力を、気持ちに勢いを、と僕は僕に願う。
「ああ……」と、やっぱり変な声が出る。
「いけ、思いっきり叫べ」
いちいち、嫌なやつだな、なんて思いながら、自然と声が大きくなっていく。
「ちょ、」大きく息を吸い込んで、「っこれーとお!」
バキバキ、という音を伴い私の一歩前の地面が揺れ、直角に左右へひび割れができる。ひび割れは忽ち広がり、一瞬の内に五○○メートル程進む。そこから再び直角に曲がり、更に加速する。ひび割れがどこまで進んだか分からなくなったかと思うと、三,〇〇〇メートル程先の街のビルの下からアスファルトやコンクリートの破片が舞い上がった。
「サンディエゴォ、ドーバーアアア、マナウス!」
落ち物パズルゲームの棒状ブロックのような形に、地面が剥がれた。その上にあったあらゆる物が空高く投げ上げられ、心許なく宇宙へ落ちていく。雲を割りながら、空中で互いにぶつかり合いながら、土と岩と街と空を飛べない動植物が星から切り離されていく。巨大な風の渦が生まれ、放電現象が起こり、粉々になった様々なものが砂嵐のように轟音を立てて噴出していく。その煙のようになった瓦礫は世界中のどんなに大きな柱よりも高く聳え立ち、やがて暗い空間へ至り、ハイビスカスが開花するように広がり、真空の中に散っていく。
「ひゃっふーい、ちょ、っこれーと、さんでぃええごおおお」鳴り渡る轟音に負けじと平塚が声を張り上げている。「流石だ、縦、愛してるぜ!」
真っ直ぐ吹き上がっていた砂嵐の渦が次第に外側へ広がりつつあった。カールするように吹いていた旋毛が、今は逆向きになっている。吸い込むような風に体重を掛けても真っ直ぐ立っていられるような気がした。
それから僕たちは地方放送局にインタヴューを受けた。「盛大だったでしょう。きっちり、文字通り、足元を掬ってやってくれましたからね。うちの縦丸は世界一ですよ」カメラの前で平塚は上機嫌に語り、遺憾無く、幾らか過剰に思えるほど僕たちの成果を宣伝した。
「戦果は釣果だ。ここで謙虚は損だぞ。縦がしたことをより多くの人々に知ってもらうためにも、嘘でもはったりでも吹かしていかなきゃあなあ」
「嘘はだめじゃん」
平塚は快活に笑った。
「まあまあ。今日は豪遊しようじゃないか。パールホワイトアイスクリームにベビーチークピンクストロベリーソースをたっぷり掛け、それを熱々のゴールデントロピカルサンドパンケーキの上でとろけさせてあげよう。それだけじゃないぞ、ふわっふわのシルクバブルクリームをたっぷり添えて、それからサンシャインクリスタルハニーとレモンのピュレでお皿の狭い隙間もBCCな模様に飾ってあげよう。ノーブルダークパープルベリーで色付けた飴細工のドームにバジルを差して立体的な演出も忘れないぞ」
「普通に、ゴールドケーキでいいよ。純ケベック産のメープルシロップをつけて」
「うんうん」
「あ、けど紅茶より珈琲の方がいいな」
「おっけーい。じゃあ、いつもの喫茶店に行こうか」
平塚が僕の腕の傍に肘を突き出す。「さあ、お嬢さん」
僕は平塚の腕に手を掛け、歩き出す。力を掛け過ぎないよう、平塚を粉々にして宇宙へ吹き飛ばしてしまわないよう、そっと添えるだけ、と自らに言い聞かせている。
「ところで、何故、サンディエゴ、ドーバー、マナウスなんだ?」
「その位の広さを、」
「はあん?」
「その位の広さを、ひっくり返せる力を発揮する……意気込みだよ」
「はあぁん。じゃあ、次はその位やってやろうぜ。そしたら今度こそパールホワイトアイス、」
「それはいいから」
お腹いっぱい、気持ちもいっぱい。