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千羽さんの短編集

幽かな背中

作者: 千羽稲穂

 幼い頃、私は祖母によく背中を向けていた。

 祖母の家に遊びに行くのは決まって、お盆や年末と言った期間で、お盆なら背中の痒いところをかいてもらっていたり、近くの銭湯に出かけて祖母に背中を洗い流してもらっていたり、年末なら眠気眼の私の髪をとかしてくれた。


 私は祖母に背中を任せて、目をつむり背中にもたれかかる感触をじっと感じていた。


 小学生の頃。祖母の家に遊びに行った日。両親は祖父となにやら楽しそうな話をしている間、私は蚊に刺され、背中の手が届かないところに痒みを感じ、部屋のすみっこで悪戦苦闘していた。下から手を伸ばしても、上から伸ばしても届かない。痒みはそこから広がり、全身を刺激し、意識を背けることができなかった。


 ーーかゆい、かゆい。


 私は肩を回し、祖父や両親が話している横で床に転がった。エアコンもない祖父母の家。扇風機が首を振る音が響く。それに紛れて耳にはぷーんっという蚊の羽音。それを聞いて一層かゆくなる。それから転がり、額に汗が一層浮き出る。


 ーーああ、かゆい、かゆい。


 見かねた祖母は私にすりより、背中を向けさせた。その手には鋭く尖った爪。ほんのりと橙色。それから爪をたてて、私の背中をがりがりと服の上からかきはじめる。

 だが、そのかいているところはかゆみの箇所とは若干のずれがあり、私は不満そうにむくれていた。


 ーーお嬢さん。かゆいのは治まった?

 ーーまだ。ぜんぜん。


 私はそこじゃない、ここでもない、と偉そうに指定した。祖母の爪は鋭く削られ痛い。痒い箇所を祖母がかいてくれるまで問答は繰り返された。がりがりと、その間中ずっと肌がかかれる。背中の肌が赤くなるのを感じていた。そうして祖母がちょうど痒い箇所をかいてくれても、私は全くと言っていいほど祖母に感謝はしなかった。


 ーーそこ、そこそこ。やればできるじゃん。


 祖母は嬉しそうに応えていた。


 ーーよかったよかった。私の爪伸びてるからいい気持ちでしょ。


 なんて言っていたが、その時のかきかたはかなりの痛さだったのを覚えている。しかし、私は何も言わず、そっと目をつむって、祖母が背中をかく音を聞いていた。がりがり、と木目を背中に刻み付けるみたいな音。その背後にある祖父と両親の会話。

 この背中を祖母に向けていなければ、きっと私は両親の会話という子守唄をきかず痒みに苦しめられていたに違いない。

 お酒を呑みつつの祖父と両親の会話は楽し気だった。それを聞いて私の心に温もりが広がっていくように感じた。私が眠ってしまったと勘違いした祖母は次第に爪で背中をかくのではなく、指の腹で背中をなで始めた。こそばゆいそれは何かの文字を書いているよう。私はその漢字を知らなかったので首をひねる。

 未だにあの漢字が何かは分からない。秘密の暗号のように背中に刻み付けられて、大きな物事をする時背中を押してくれる。


 時としてその物事は悪いものだった。

 祖母の家の近くの公園には高い台があった。祖母の家には遊び道具もなく、ただただ時間が過ぎて行くだけだった。眠るのも飽きて、夏休みの勉強もしたくなかった私はよく両親や祖父母の目をかいくぐり、その公園に遊びに行っていた。両親が別段気にしなかったのは同伴にいとこもいたからかもしれない。同伴していたとして、その遊びをとめないのでは意味はないが。

 その遊びというのは、公園にある高い台から飛び降りるというものだった。およそ階段十段くらいの高さがある台だ。この台は隣の家の段差から生じていたもので、小さな家の密集地の中にある公園特有の小さなくぼみだった。本来昇ってはいけない段差だが、いとこたちや私はそこに乗って飛び降りるという度胸試しをやっていた。

 最初の頃は私も怖かった。大きな段差だ。上ったのは良い。そこから飛び降りて地面に無事に着地できるかは分からない。いとこたちは飛び降りて着地し足が痺れる、その瞬間が面白いみたいでどんどん上っては飛び降りてを繰り返していた。


 ーー大丈夫。楽しいから飛びなよ。


 下から手を振るいとこたち。どの子も満面の笑みで出迎えていた。一歩間違えば骨折、あるいは転落事故になりかねない。が、そこに魅力があった。そうして犯したリスクの先に自身が地面に着地する快感が待っていた。

 震えていた。足元もおぼつかず、飛び降りずにそのままずるずるとおしりを壁に伝わせて降りようとすら思っていた。


 最近、この台を見に行ったが思ったよりも高さがなかった。しかし、あの頃の背や恐怖心は克明に覚えている。

 

 遠い地面。落ちて死ぬ自身の転落死体。同時に自身の着地成功の姿が思い浮かんだ。

 最後に浮かんだのは祖母が背中に刻んだ想いだった。


 祖母の想いが背を押した。


 飛んだ。背中に翼が生えたみたいに滑空した。空中にふわっと浮いた感覚。頬に汗が伝う。空色が視界をかすませる。白い雲すらない澄み切った空。いとこはその光景にぽかーんと口を空ける。黒くどこまでも深い目。

 私は足をきちんと地面に向ける。着地。大きな音はしなかったが、足元から雷をうけたみたいに痺れが伝わってくる。痛みがふくらはぎを駆ける。木の根がはうように痛みは数秒留まる。その痛みに耐えかねて私は片足でその場でくるくる回った。そしてその場にうずくまり、背中を地面向けて、仰向けになる。


 ーーたのしー。


 両腕を高くあげる。

 こんなに簡単に空が飛べて、その後に刺激を感じられる。そのことが私にとっては新鮮だった。飛んでひやっとして引っ込んだ汗が一気に噴き出し、感情の高ぶりを助長していた。


 後ほど、祖母にそのことを話すとこってりと怒られた。背中に込めた想いをこんな度胸試しに使うなんてもってのほかだ。が、しかし、私も幼かったのだ。祖母の叱りに私はつっけんどんな対応をした。

 私にとってその台から飛び降りたことは誇らしかった。だが、その誇りを祖母は分かってくれない。そのことに悲しんだ。その認識違いを分かっているのか分かっていないのか、分からないが祖母は私の背中に手のひらをあてた。冷たい手は空を飛んだあの冷たさとは違い、手のひらの輪郭は冷たいのに中身はぬくもりが感じられた。背中越しに伝わってくる温かさは、冷汗ではなくきちんとした新陳代謝の熱さをはらみ、肌に汗をにじませる。次第に熱くなる祖母の熱に私は扇風機に向けあー、と声を上げて知らないふりをした。

 肌の皮膚が伸び切っていて、骨や血管が見える祖母の手。背中越しにどくどくと手の脈が聞こえた気がした。


 その温かさをより感じたのは中学になった時、年末に祖父母の家に行った時だった。思わず炬燵で丸まり、寝てしまった私はあさっぱらに起きて、くしゅんっとくしゃみをした。鼻をすすり、髪の毛をかきむしる。伸びっぱなしの私の髪の毛を見て、祖母は櫛を持ってきて、私を炬燵からだした。それから背中を向けさせた。背後にいる祖母は小学生の時と同じように、お嬢さんと私を呼んだ。


 ーーお嬢さんなんだから髪の毛の手入れはするべきよ。


 さらさらと櫛で祖母はといていく。耳にちらっと祖母の手が触れる。祖母のかさかさになった手の感覚を感じる。数年前と変わらないのに、より年が感じ取れるようになっていてすぐにも崩れそうで不安になった。後ろへ振り返ろうとするも、祖母は私の顔を正面に向けさせる。櫛は途中からみあい、なかなかとけない箇所に行き当たる。私なら力づくでとかす部分を祖母は何分もかけて絡む髪をほどいていた。

 その優しい手。祖母の非力な力。とかすごとに首筋に当たる祖母の温もり。温かいが、儚さがあって苦手だった。


 ーー女の子だからってしなきゃならないのは、よくわかんない。


 不安だからか私はまたもや不満が吹きこぼれた。祖母の表情は見えなかった。代わりに祖母はお嬢さんお加減はいかがですか。と非難するでもなく優し気に耳元で囁く。祖母の加齢臭がぷぅん、と鼻につく。祖父母の家がはらんでいる懐かしい香りと同じ匂いで、目を閉じて空間の香りを吸った。去年より、一昨年より、私はより強くその香りを体内にいれる。


 その夜、近くの銭湯に親子三代で行った。銭湯に行くこと自体は別段珍しいことではなく、昔からしていたことだった。銭湯へ行くと母は決まって、最初にのぼせ上りすぐに出てしまう。残った私と祖母で背中の洗いあいをしていた。

 私は背を見せて、祖母のタオルが背中をふくのをつぶさに感じ取る。やはりそれは少しだけ力が弱まっているように思えた。泡が背中を覆い、石鹸のかぐわしい香りが充満する。体は火照り、銭湯の霧に私達は身を紛れさせる。裸体の私が銭湯の鏡にうつる。洗面台が置かれた分厚い台の上にぷくぷくと泡が飛び散っていた。そして私の背中からお湯が流れていき、台の上の泡は波に流される海の霜のように消えていく。


 ーーお嬢さん、おかゆいところはないですか。


 と祖母が言うものだから、私はないって、とまた突っ張ってしまった。今度はこちらがくるっと体を回転させて祖母の背中を洗い流す番だ。


 祖母の背中を見るのはなにもお風呂に行ったときだけでない。祖母がキッチンに立つ時など、よく祖母の後姿を眺めていた。お盆はそうめん、年越しは年越しそばを祖母は作るため台所に立つ。

 私はぼんやりと祖母の後姿を見る。手際よく料理をする祖母。しわしわの手を器用に動かし、水道の蛇口をきゅっと捻り、水を流す。祖母の手が水にあてられる。夏は気持ちのよさそうな手も、冬場の台所では冷たそうだ。瞬時に赤くなる手にどのくらい冷たいかを知るのは想像にかたくない。

 せっせとそばを茹で年越しそばにのせる具材を煮ていく。ぬっとりとした年越しそばのつゆの匂いがすぐさま部屋の隅々に行き渡らせる。

 もうすぐ見たいテレビが始まる。騒がしくがなりたてるテレビ。お酒を呑む父と祖父。母は祖母の隣でつゆを注ぐ。炬燵はぬくぬくとしていて、瞼が閉じられていく。眠気とつゆの甘美な匂いにほだされる。

 母と祖母の背が見える。


 ーーお母さん、そちらは砂糖ですよ。お塩はこちらです。


 母が指摘し、祖母は慌てて塩を手に取った。塩も砂糖も似ているが、どちらの容器にも名前付きテープは貼られていて、祖母が見間違えるには不自然に感じた。

 酒を呑みかわす、会話が遠くから聞こえてくる。私は背中を見つつうつらうつらと炬燵の中に入りだした。亀の甲羅を背負ってるみたいに炬燵を背負う。


 ーー最近あいつもボケてきてなあ。


 ーーもう母さんも認知症になってもおかしくないからな。ほら最近問題になってる、徘徊ってやつになると、流石に親父一人じゃ母さんの面倒も見れないだろ。


 ーーわしももう年だし、ボケてきてもしかたない。『その時』になったら覚悟をしなければならないな。


 『その時』とはいつだろうか。数年先だろうか。それとももっと先だろうか。もっと近くかもしれない。

 薄ぼんやりとした視界に映る祖母の悲哀に満ちた背中は光をはらむ。しかし、それは懐中電灯が照らすしっかりとした光ではなく灯篭のようなぼやぁとした乱反射した光で、母の強い光の横で小さく点っている。炬燵の中でふっと吹けば、祖母の光は揺らぐ。


 祖母の光はどんどん小さくなっていった。

 私達家族と祖父母て買い物に行った時だ。大きなショッピングモールに買いに行ったのだが、そこにはキャラクターの形をしたバルーンがあった。幼い私なら、そこに駆け寄りぎゅーっと抱きしめたり、握った拳で殴って遊んだだろうものだが、流石にそんな年ではなかったので、家族と一緒に通り過ぎようとしていた。祖母は私の前に歩き、祖父と二人で歩いていた。ゆっくりとした歩み。手には緑や赤といった派手な色合いの萎れた鞄を下げていた。コンビニでもらうビニール袋のように薄く、派手な色合いも使い古しているせいか、黒ずんでいる。

 その祖母の背中は私達家族から次第に離れていった。気づいたときには祖母はバルーンの前に立ち、皮膚と骨だけになったかさかさの手でキャラクターを撫でていた。背中をさすり、次には励ましているのかのように背中を叩く。


 ーーおばあちゃん、何してるの?


 いち早く気づいた私は祖母の手を掴んだ。祖母は虚ろな目をしてこちらを見上げて、頬を膨らませ、そうして私を認識したのかすぐに朗らかな微笑を浮かばせた。

 背中に手を回すと小柄な体躯がつぶさに体感出来た。

小さな頃思っていた祖母は体躯が大きく頼もしかった。近くの公園や銭湯に出かける時の祖母の手はすべすべしていたが、私の手は滑り落ちさせないぐらいの握力はあった。

 私の指と祖母の指を絡ませると、祖母の細っこい指が弱弱しく握り返してきた。私は手を引き、両親や祖父のもとに戻ったが、あの時の祖母が祖母ではない誰か分からない全くの他人になっていたことを、強く記憶している。


 背中の光が弱弱しくなるにつれて、『その時』が迫ってきていることは分かっていた。

 その時が来る前に、私は成人になった。振袖は祖母が着せてくれた。母も私もてっきりもう祖母はボケてしまって、着せられないと思っていた。そんな矢先、祖母がそれぐらいできると怒り半分に名乗りを上げたのだ。昔の祖母の気性からは考えられないぐらいの強気で、正直母と私は不安だった。そのため祖母が私に着せられなかった場合に備えて、写真やさんに着付けもできるように一応頼んでいた。

 そんな不安を払拭して、祖母は鮮やかな手つきで振袖を私に着せてくれた。力が弱く絞められなかった帯は母の手を借りた。その際帯の結び方を丁寧に母に教え込む。母はあっけにとられながら、ゆっくりとその教えをメモしながら覚えていった。

 出来上がった私の振り袖姿は美しかった。祖母が着て、母が着て、そして私が着ている振袖。年季のはいったものだったが、保存状態がよく、振袖の花はきらきらと金色に光ったままだった。金色の糸であしらった刺繍は火の鳥のような高貴な鳥が縫われていた。散りばめられた華の中に飛び立つ鳥はあの時飛び降りた台が思い出され背筋が冷えた。

 とっておいた写真屋さんの予約は結局なくなり、写真を撮るだけとなった。私の振袖に合わせ両親はスーツやドレスに着替え祖父母は無難な正装に身を包んだ。

 家族写真は私が真ん中。祖父母が両隣。両親は後ろで立ち私の肩に手を置く一枚目と、私のわがままから祖母を中心に私が後ろに立ち祖母の肩に手を置く二枚目を撮ることになった。

 祖母の小さな肩に手を置くと、晴れやかな私と祖母の地味な服装がちぐはぐに写った。振袖に合わせた化粧も相まって、祖母の化粧っけのないつるつるな皮膚と皺がたるむ顔が浮き彫りになる。写真を撮るからにはと祖母は最低限の化粧をしていたものの、唇に薄いピンクの紅をひいたり、シワが目立たぬよう、シミが隠れるようにファンデーションを軽く塗っているだけのようで、頭皮の白さや頭皮の薄さが目立つ。

 細くなった祖母。どんどん小さくなっていく。手のしわも顔のしみも、目立ち、そのうち私のことも忘れてしまうかもしれない。祖母の中の私は死んでいく。祖母も祖母の世界も朽ちていく。ただ背中の光だけはそこにある。

 写真を撮った後、私達はいつもの銭湯に行くことになった。祖父母の家により、振袖を祖母や母と一緒に脱ぐ。後は着せた通りの手順を辿った。祖母に背中を見せる。背中の帯は大きな縦結びになっており、見えないながらも超大作なのが伺える。巻きついた金と黒の帯を、名残惜しくも母と祖母がゆっくりと解いていく。途端にゆるくなる腹回りに私の口からは息が自然と漏れでる。帯をとると残りは振袖だったものの残骸だけだ。細い一本の紐を解いて、振袖の前がはける。そこからは私服を脱ぐ要領で、袖からするりと手を出して丁寧に丁寧に振袖を脱ぎ、ハンガーにかける。

 私服に着替えると、自身の化粧や髪の結い上げが不似合いになり、祖母の隣に自然と立てた。


 ーーお嬢さん、もうきつくないでしょ。


 祖母の微笑みは変わらない。飾りたてるのが苦手な祖母は普通の私の方が親しみやすいのか、振袖を着ていた時より朗らかに喋りかけてくれる。母はそうですよお母さんと、乗ってきて、珍しく銭湯へ行くことを提案した。


 元々、祖母はお風呂が好きだった。銭湯へ行き、意気揚揚とお風呂に入り、長風呂し、体を洗い流す。私との背中の流し合いも、背中を向け合うあの儀式も、祖母は気に入っていた。

 それは半分ボケている今でも変わらない。

 銭湯へ家族で行き、私は最初に化粧を洗い流させてもらった。濃かった化粧はしめり、もとの肌色が顕になる。祖母と母は先に風呂へ入っていたが、やはり母はすぐに音を上げた。頭の先から足先まで肌を真っ赤に染め上げて出ていく。残ったのは冷たい肌色をした祖母と洗い場にいる私のみになった。

 鏡に映るのは私。昔の小さな乳房はそこにはない。立派な乳房が二つ。お腹周りがきゅっと絞られている。化粧はないが、整った眉毛があり、髪は結あげている。そこには女の子な私がいた。

 銭湯はむわっとした霧がたちこめ、一歩先すら分からない。湿り気のある霧は肌に吸いつき、水粒が生み出される。体中は火照り、産毛が逆立つ。

 霧の中、祖母がやってくる。

 私に背中を向けるように言い、私は首を振った。祖母に背中を向けるように促した。祖母は少しも不満がらずこちらに背中を向けてくる。真っ白な背中だった。肌はかさつき、老いをすぐさま見て取れる。浮かぶ水滴をタオルでごしごしとぬぐい、泡を立てた。今度は泡と共に背中をこする。桶にお湯をたっぷりいれ、祖母の背中の泡を流した。湯気がむわっと立ちはだかり、視界をくもらせる。

 視界があけると、そこには祖母の姿。しわしわでかさかさな肌。垂れた乳。萎んだ唇のしわ。

 思わず目を背けてしまう。その姿はいずれ母が、私がなっていく朽ちはてた先の未来。

 永遠なんてないから、『その時』の明確な時間を知りたくなる。祖母がいなくなった時私は果たしてこの背を思い出すだろうか。それとも自身の背中がいずれなくなることに絶望し大好きな祖母すら思い出さなくなるのだろうか。

 祖母の背中に伝う水滴を指の腹で拭う。そうしたら、自身の気持ちに区切りがつかなくなり、心に何かが押し込まれる。押し込まれた瞬間、心の空間は耐えきれず爆発する。

 祖母の背に私は額をもたれかけさせる。祖母の背中は冷たく、幽霊にもたれかかっているようだった。


「おばあちゃん」


 ーーなぁに、お嬢さん。


 次第に祖母の背が下がってくる。私の重さにつぶされそうになっているのに祖母は何も言わない。ただ笑って応えてくれる。


「長生きしてね」


 ーーもちろん。


 もわっとした霧が体にまきつく。しかし額の熱はどんどん祖母の冷たい背中に吸い込まれていく。

 そうして私は瞼を再び開けた。

 視界は明けて、霧は晴れていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良いお話でした。淡々としているようで、祖母との交流が温かく描かれています。「その時」は、確かに来るもので避けられず、だからこそ今が愛おしいのでしょう。
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