僕と彼女
よろしくお願いします。
教会の扉を肩で押して開けると、ギィと耳障りな音が鳴り、大きな扉が鳴いた。ベル代わりのようなその音とともに牧師が目の前にゆっくりと現れた。
「ずいぶんと遅かったですね」
暢気にも牧師は、いつもと変わらぬ口調と落ち着きで話しかけた。だから、怪我のことを急ぎ早に伝える。
「牧師様!! 彼女が怪我をしました、突然アンダーに襲われて……。僕は、何もできず……。お願いです。手当をお願いできませんか?」
牧師は、少し驚いたようだったが、いつもの落ち着きを取り戻して言う。
「それはそれは……大変でしたね。早速洗礼を受けたのですか……。——とりあえず、サキさんをすぐに長椅子に! 大丈夫ですよ、すぐに治ります。それとあなたの方も一緒に治療しましょう」
指示のまま、背中に背負っている彼女を近くの長椅子に下した。彼女は、珍しくちょこんと静かに座っていた。
そして、
「サトシさんは少し大袈裟なんです」
そう言って彼女は口を尖らせた。
「いいえ、サトシさんの心配もわかります。だから、とても大事にされているんだと思うことです」
「それは……、そうですけど——」
牧師に諭されると彼女は、少し頬を染めて下を向いた。
そんな彼女に牧師は、近づきながら、手に持っていた本のページを適当に開き、2枚破った。そして、1枚を彼女に、もう1枚を僕に貼り付ける。
全身の傷も相まって、キョンシーの仮装のようになってしまっている。
「私は回復魔法というのが苦手で、今回は補助的な道具を使い、さらに、お二人のMPで治していきます。——そうですね。道具を使えば、効果は変わらないですが、嵩張る上に、MPの消費量が多いこと、発動までに時間がかかってしまうことが難点ですね。だから、戦闘で使う者はいません」
その言葉通り、魔法は即座に発動せず、わずかな間が掛かり、紙の魔法陣が少し輝き出した。その光が体に強く拡がって彼女と僕を包むように魔法が発動した。
「……す、すごいですね。みるみる、痛みが和らいでいく……」
「ええ、これが魔法です。道具を使えば、魔法は誰にでも使える技術です。生活を豊かにするものであり、欠かすことのできない発明なのです——」
素晴らしい技術とは言いつつ、その言葉には明らかに抵抗が含まれていた。そして、その理由は、牧師の次に言われる牧師の言葉で明らかになる。
「——しかし、人々の“生活”を豊かにした技術ですが、実は、この道具たち……人を殺すために発明されたのです」
牧師の表情は、至って冷静で真面目だった。だから、僕は、牧師が言ったと思えない物騒な言葉を繰り返し口にした。
「人を殺す……」
「……そう。人を殺すために発明されたものです。だから、冒険者になったあなた方は、この技術を正しく使ってはいけない」
優しい光と暖かな光の中で、僕は、とても人を殺すために発明されたものだとは思わなかった。
「僕たちの体の傷を癒しているのに、人を殺すために作られているなんて……、とても信じられない」
「暖かいと言うか、守られている感じがするね」
「うん……、心に残ってた恐怖も無くなる感じ……」
牧師は笑った。
「私に害意がないからです。それを体感として感じ取りますか……」
そして、穏やかな心とともに彼女が言った。
「サトシさんごめんなさい。私が軽率な行動したから、勝手に捕まっちゃって……」
彼女のせいではない。考えが足りなかった。土地勘のない場所で奇襲などとできるはずがなかった。
そんなことが今になってわかってしまう。下手をすれば、僕は一生彼女と会えなくなってしまっていたようだ。だから、反省点は多い。——強くなりたい——
魔法は、光の消失と共に終わった。
彼女の傷は、完治したと言っていい。だからわかる。彼女の手首に残る痛々しい傷跡が——。
彼女は、その傷跡を僕から隠すようにして牧師に言った。
「ところで、洗礼ってなんですの? もしかして、牧師様は、私たちが冒険者になったら、アンダーに襲われてしまうこと知っていましたの?」
彼女が鋭い視線で牧師を睨むと、今更の予期せぬカウンターとばかりに牧師は今まで見たこともないような感じで慌てふためいた。
「い……。いえ、知らなかったですよ? ほら、ここと組合は近いので、よく情報交換をしている時に態度の悪いアンダーがいると小耳に挟んでいたので、もしかしたら、狙われるかなーと思っていた程度で、確証があったわけではないのです。別に知らせて恐怖を煽ることもないだろうなと思っていたくらいです。はい……」
牧師の言葉に、毛が逆立つような怒りを見せたのは、彼女の方だった。
「それは知らせるべき案件です!! それを知っていたら、私は今、サトシさんに冒険者になるようには勧めなかった。サトシさんが弱いうちにそんな危険な目に会うようなことを私が許すと思っているんですか」
彼女の言葉に牧師の影がみるみる小さくなっていくのを感じ、ダガシカシ、何よりその言葉で傷ついたのは僕の方だった。
「弱いうちって……」
当然に泣きたくなった。いや、事実だけどそう言葉にされるとどうしても落ち込んでしまう。言霊ってやつ。
「いや……、ほ……ら、まだこちらに来たばかりだから、弱いのは当たり前じゃない。これから私を守れるくらいに強くなってくれればいいんだから、気にしなくていいわ。これからは私がサトシさんを強くしていくからね!」
最初こそ言い淀んだ彼女だったが、だんだん説得するというよりもそうしろという強制性を含んだ言葉へと変わっていく口調に”はい”としか言うことができなかった。うまく隠しているが、ちらっと視界に入る彼女の治ったばかりの傷が反論の余地を削いだ。
返事の後に、彼女の怒りの矛先は永遠と牧師に対して“報・連・相”を怠った罰のような説教に向かっていった。
彼女は強い。些細なことでいざこざになったとき、僕は、彼女との口喧嘩で一度として勝てたことがない。彼女の話術を駆使した理路の整った話の筋にかなうものなどもうこの世界にはいないのではないかと錯覚する。
「わかりましたか? これからは、些細なことでもすぐに報告してくださいね」
「はい。すみませんでした。これからは気をつけます」
「気をつけます?」
「は、はい!!! すみません。必ず報告、連絡、相談をいたします」
「よろしい。よくできました」
どうやら、牧師への教育的指導は終わったみたいだ。
彼女の太陽のような笑顔でそれを把握した。
「さあ、サトシさん。今日は遅いので、もう床の準備をいたしましょうか」
「床の準備って?」
この質問に答えたのは彼女ではなく牧師だった。
「この大聖堂では、日々迷える子羊たちが昼夜問わず訪れ、懺悔や祈りを捧げます。ですので、私が普段使っている家に屋根裏部屋があるので、本日は、そこを使ってください」
「ありがとうございます。では、使わせていただきますわ」
彼女は、そう言うと図々しいまでにすぐに行動を開始する。どうやら、牧師と彼女の間には、力関係が出来上がってしまった様子。
それはそれで彼女らしくて微笑ましく思った。
そんな力強い彼女の後ろを追うように歩いた。牧師が言う普段使いの家とは中庭を通り、大聖堂の真反対にある大きくはない小屋のことだ。
そこに行くために、大聖堂から一歩、中庭に足を入れて、広く見渡した。
そこは雑草などはなく、きれいに咲き誇る花と幾何学的に、芸術的に並べられた木々があった。——無駄に伸びた枝などはなく、きれいに整えられている。——実に手入れが行き届いているという印象を持った。
この美しい中庭で一層に目を引く中央大噴水は、地下水を使ったもので、太陽の光の加減で目紛しく色を変える。その大噴水は、今、夕焼けで黄金色に染まった空に幻想的な色を与えられていた。
前を歩く彼女は、少し迷ったふりをした。中庭を楽しむように遠回りをして歩く。
僕がそう看破した理由は、ここの“聖ルイス教会”は、僕たちのいた世界の教会と外装はもちろん内装やその建造物の位置関係に至るまで、まるまる同じであり、住み込みの牧師が住んでいる場所も同じだった。この教会の違う部分は、唯一、あちらの世界よりも歴史を感じさせるということだけだった。
この教会で結婚式を挙げたいねと、僕たちは常々願っていた場所だった。だから、彼女がこの教会の配置を知らないはずがないと言うわけだ。
なので、僕も彼女の可愛いワガママに付き合い、迷ったふりをした。
しかし、彼女の髪と目の色が空と同じく黄金色に染まるのを見て、僕は立ち止まってしまった。
黄昏時で少しセンチメンタルになった不安定な精神は、見て見ぬ振りをしていた、聞かないようにしていた、心の片隅に追いやっていた罪悪感と近しいシコリが気になってしまうようでそれが口を動かした。
「僕はずっと迷っています」
そう言った。
彼女は、辺りに視線を走らせながら、麗しい景色を身に纏うように僕の方に振り返る。
綺麗だと感じた。
「やっぱり素敵な場所。サトシさんとここでこんな風に歩ける日が来るなんて……。それなのにサトシさんは何を迷うの?」
一拍間が空き、口を開く。
「勢いでここまで来てしまいました。でも、君をあの結婚式から連れ去ってもよかったのかと、どうしても迷ってしまいます。今……、こうして、君の幸せを考えたなら……、とんでもなく大きな間違いをしてしまったように思ってしまいます」
「私は今が幸せよ!」
「でも、あの時……、連れ去らなかったら、君はここで怪我をすることも…なかったし、着るもの、住む家や食べるものにだって困らない。何よりも…、今の僕には与えられないどこよりも不自由することのない生活がありました……。君は、きっといつの日か、明日がわからない恐怖に震えてしまうと思います」
彼女は、頬を膨らませた。
「バカ!!!」
彼女の言葉に下を向いて、何も言うことができずにいると、彼女が言う。
「あなたを知った時から私の幸せは、あなたと一緒のところにしかないの。何をする時もそばにいなさい! 綺麗な景色を見る時も、食事をする時も、寝る時だって! 一緒にいてくれなきゃ嫌だ! 私が怖いと感じたら、あなたが私の手を握ってくれなきゃ! 全部が全部、あなたじゃなきゃ嫌なの!!」
「でも……、でも……」
僕が言葉に詰まっていると、彼女は僕に伝える。
「でもじゃない! あなたは私の幸運のシンボルよ。それは一流シェフのフルコースがあっても、高価なブランド物のバックがあっても、目の前に積まれた大金があっても……、あなたがいなければ、そこに意味なんてないの……」
「僕なんかがそんな大層な……」
「そんなことない! お父様の言いなりだった人形のモノクロに進む時間にカラフルな色彩を連れてきたのはサトシさんだけよ!」
「本当にそんなことできていたのかな……、思い出せないや」
彼女は、薄く鼻で笑った。
「ふふ、私が選んだ人ですもの。あなたならできるって、私は信じているの」
彼女の瞳が藍色に染まる。もう太陽と夜の境がわからないほどに辺りは青黒く、なった。
彼女は誰かに認めてもらえることや頼られることがどうしようもなく嬉しくて、照れくさいことなのを教えてくれた。彼女が僕を信じてくれるなら、僕は自信が湧いてくる。単純になんでもできるんだと思った。
彼女の存在が僕という個を確立してくれるように思う。そう、そこにいてくださいってお願いされているように感じて——そこに飛び込んでしまうんだ。
「僕にそんなことできるのか疑っていたけど、君にそう言われるとなんだかできるんだと思ってしまいます。——ねえサキ? 改めてこんなこというのは、恥ずかしいんだけど、待っていてください。すぐに…、すぐに君にふさわしい男になります。だから、その時は二人の憧れのこの教会でまた愛を誓いましょう」
「少し……回りくどいわね。もっと分かりやすく言える? ふふ」
彼女の大きな目がよりフォーカスするように細くなる。その顔がいたずらっ子のように意地悪な顔であることに気がついている。
だから、一歩、彼女に近づいてその手を握った。
「結婚しよう!」
決して大きな声ではないけれど、彼女には、聞こえる声だった。
「はい、喜んで!!!——ふふっ」
そう言って彼女は顔を近づけて、僕の左頬に一瞬触れた。
太陽は夜と一つになった。
「早く私にふさわしい男になって! 私はいつまでも待っているけど、気は長くないからね」
小屋の方に数歩歩いてから後ろをちらっと振り返る彼女をいつものように見て彼女に追いつくように右足を前に出す。
彼女の言葉は、ずしりと重い。でも、なぜだか力が湧いてくる。
すっかり陽は沈んでしまったけれど、彼女の姿だけはしっかりと見えている。
また明日にでも投稿できればと思います。