彼女と恐怖②
編集をしたら、少し長くなったので分割です。内容も少し変わっています。
「やめろ! 冒険者カードと短剣は……」
「やめろ? どっちが上なのかわからないのか?」
「!!……、やめてください。カードと短剣を差し上げますから、どうか、彼女を傷つけないでください」
ニヤリと胸糞の悪い笑みを浮かべた。
「ああああああああああああああああああ。これだから、人質を取ることはやめらんねえ。卑怯最高。ゾクゾクするわー」
地面に冒険者カードと短剣を置こうとする。だが、その様子を見る彼女が鋭い視線を向けていることがわかった。この目は、僕を責めている目だ。ひどく怒っている目だった。
その視線のまま、彼女は言う。
「あの時——あの時、逃げなかったのは誰? 立ち向かうと決めたのは誰?——あなた自身でしょ!! だったら、戦いなさい。私なんかを言い訳にしないで!! 戦うと決めて出てきたあなたは戦わなくてはいけないの! 私を守るために戦わなくてはダメなの! 私は、今ここで戦わないあなたを笑って許すことなんてできないわよ? 逃げたあなたから! 戦わないあなたから! 私がどこまでも逃げてやる」
彼女の言葉は、衝撃的だった。しかし、彼女とはこう言う人だった。自分よりも他の人の背中を押してしまう人だった。
僕にとって––––僕にとって彼女が全てだ。それは今も昔も、そして、これからも変わることなんてない。天秤にかけてしまえば、秤は全振りで彼女の方に傾いてしまう。それは世界が傾こうと、決して均衡になることすらない真実の羽根なのだ。
僕とあいつの誤算は、彼女という存在だった。
彼女は、気高く、強く、そして、わがままだ。そんな彼女に戦えと、言われれば、僕は戦う。それは蛮勇と等しいもので、直りそうにない。
男は、彼女の髪をつかんで後ろから蹴りとばした。
「きゃああ!」
彼女の悲鳴と髪の毛が再びぶちぶちっとちぎれる音が僕の耳を掠める。
「黙ってろ、クソアマ! せっかく、俺様の大好きな展開になるはずだったのによ!」
それを見た瞬間に、聞いた瞬間に僕は飛び出していた。
何も考えられないほどの行為だった。今すぐにでも、この男を滅多刺しにして、彼女に詫びを入れさせたいと思った。
この時仮説のことなんて頭になかったが、目に付いたという唯それだけの理由で、僕と彼女の間にいるBとCに切りかかった。
ナイフのようなものの使い方は心得ていない。だから、僕は適当に振り回すしかできなかったが、それでもスキルによる偵察隊は、容易に攻撃を与えることができた。本当に用途が違うスキルなのだろう。
しかし、驚いたことにスキルに攻撃をすると、本体の男に異変が起こった。
何もしていないのに、額に汗が滲み出た。
この時、僕の仮説は、次なるステージへと上がった。
この下っ端たちは、スキルによって作られたもので、本体である男とつながっていると。それがわかった時、少しおかしくなって笑った。
「何がおかしい」
男に言われたことで、ハッと真面目な顔を作り直した。そして、“生意気なガキ”を装い、挑発めいたことを言う。
「いや、案外チョロいんだなと思っただけです」
男は、僕を弱いものだと認識している。それは、間違いではなく歴とした事実。
「はあ、俺様の分身を消したくらいで、いい気になっているんだな? だからって、勘違いするな。お前と俺様は対等じゃねえんだよ。見るからに力の差が存在するんだ。それで得意になるのは、命を削るぞ?」
「それでも、僕は、あなたに勝つイメージが少し湧きました。彼女に激励されてから、なんだか心のそこから力が湧いてくるんです。そして、それは彼女を守りたいと思えば思うほど、二人で生きてゆきたいと思えば思うほど、大きく、力強く、あなたを倒せるんだと教えてくれます」
男は、身動きの取れない彼女をほっといて、こちら目掛けて近づいてきた。
当然だ。痛ぶる目的がなく、生意気な言葉を聞きたくないのなら、一対一での勝負の方が断然に効率がいい。それほどまでに力の差があり、男のプライドは高かった。
徹底抗戦だ。包丁を持つように構えた短剣は、あまりにも不格好だった。
男は、こちらを見下ろした。
「殺される覚悟はいいか? もう、後戻りはできないぞ?」
「クスッ。忠告なんてして、そんなに僕が怖いんですか?」
「ぬかせ。お前の事を怖いやつなんて、この世にも存在せんだろ」
仁王立から放つ言葉は、自身に満ち溢れていた。
戦ったことのない僕は、達人のように相手の”隙”などというものはわからない。だから、とにかく攻撃をした。
はじめに胸目掛けて、短剣を差し向けた。
「バーカ。天才の俺様は、お前のみたいな素人の動きなんて動く前からわかんだよ」
足を掛けられて、転ばされた。
でも、すぐに立ちあがった。また、簡単に短剣を突き出した。
僕には、それくらいしか攻撃手段がなかった。
男は、また簡単に避け、そのついでに僕の頭を鷲掴みにして地面に叩きつけた。
また立ち上がり、斬りかかるが、男は、それを紙一重で避けて、カウンターで顔を思いっきり殴られた。鼻血が滝のように流れてきて、鼻息することもできない。
「カハッ! あ、あ”あ”あ”あ”あああ」
「まだやるつもりか? ここまでやれば、お前にもわかるだろう? いや、わからないんだな。なら殺そう。そっちの方がいい」
現実はあまりにも困難で過酷だ。一人では、力のある悪に立ち向かうことなんてできない。
二人の間にある力の差なんていうのは、四つん這いで立ち上がれない僕とそれを見下ろす男の画だけでも誰にでもわかる。それが現実だった。
視野は狭く、暗くなる、僕は、今、何が見えているのだろうか。
男の声だけが聞こえてきた。
「頭がクラクラするだろう? 受身も知らんど素人が身の程を弁えないからそうなる、そのまま気絶すればいい、カードと剣の場所は分かっているからな」
息ができない、気が遠くなる。意識が手を離れようとする。
「がああああああああああああああ!」
「呆れた。自分の手の甲を刺して気付けをしたか……。お前に戦う理由なんてないだろ? 女にほだされるな。諦めて死ね」
男が彼女を貶す。
だから、きつく男を睨めつけたが、手が痛い。とてつもなく痛い。でも、これで気絶をせずに済んだ。これで、まだ戦える。
はっきりと冴え渡る意識の中で、彼女の声が心地よく響いてきた。
「戦う理由がない? あなたがそれを決めないで!!」
彼女が力強く言う。だから、力が湧いてくる。痛さなんて飛んでいく。
「––––そうです。愛して止まない彼女がいる。それだけで僕は戦うんです。あれ? それだけでと思いましたか? そうです、たったそれだけなんです。––––僕の天秤は、彼女に出会ってから、ずっと傾きっぱなしなんです」
ゆっくりと立ち上がった。
「「僕(私)は彼女(彼)と一緒に生きていきたい(の!)んです」」
「腐ってやがる。そんなことで、自分を犠牲にして、他の奴のために生きていくっていうのか?」
「そうです!! 当たり前です!」
これが最後の攻撃だった。もう、すでに立っていることは、不可能に近かった。
「クソッタレ! 殺してやる。死んだら、そんな綺麗事なんて意味のないものだ」
「綺麗事を言って生きていくんだ。それが大切に思えるように生きていくんだ。お前を倒して生きていく!!」
男が懐から刃渡り20センチほどのダガーナイフを取り出した。
男が走りだすと同じく僕も走り出した。
「うおおおおおお」
「おらあああああ」
目の前にダガーナイフの鋭利な先が向けられた。
次のカットで迫っていた男は、視線の下にいた。
「!? は!? 何だ? 血!? ダメージだと?」
男が大きく体を崩したのを見逃さない。僕の構えた短剣がそのまま男の左横腹に突き刺さった。
「!!」
そして、後ろから彼女が男にぶつかった力と正面倒れこむ男の力が合わさり、突き刺さった短剣が滑るように横腹を引き裂いて、離れていく。
「く……、そったれ」
彼女は、いつも行動をしている。捕まったからといって、蹴られたからといって、傷つき、諦めるような彼女ではなかった。僕一人を戦わせるような彼女ではなかった。
常に状況を読んで、いつでも一矢報いることができるように準備をしている。それが彼女だった。
倒れている彼女は、僕を目掛けて走り出した男の死角である背後から体当たりするようにぶつかった。
自分の犠牲なんていうのは、彼女はあまり考えず、失敗したらどうなるかなんて考えない。だから、大胆に行動できる。
ああ、そうだった。僕の彼女は、勇猛果敢にして正々堂々、用意周到にして臨機応変、不惜身命にして天衣無縫。僕の愛した人は、そんな人だった——。
男が刺されたのは、無理もない。
突然の視界の変化に誰だって思考が一つに絞られる。この場合、その原因が何かという一点にだけ脳をフル回転させる。
そして、そこに追い討ちをかけるように、別のタスクが加えられたなら、一瞬なんていう言葉では収まらない時間を処理に追われてしまう。通常通りに脳が回転するのは、少し時間が経ち、状況が飲み込めた後になる。
だから、今、男は腹を割かれ、目に倒れているのだ。
再び追撃を加えようと、男の顔を力のかぎり蹴った。
ぐはっと言う悲鳴とビキビキという骨の異常音とともに男は気を失った。
気を失うのを確認した僕は、男にとどめを刺そうと手に持っていた短剣を喉元に置いた。
「ダメ!!!」
という彼女の声が聞こえて、そちらを見た。そこには涙を浮かべる彼女がいた。
「必要ないわ。その人も懲りたでしょう。だから、むやみに人を殺さないで」
許すことができなかった。彼女を傷つけた男を殺してやりたい。そう強く願った。が、彼女の言葉に僕は、地団駄を踏みならすことになる。
「どうしてですか? 君がそんな姿になったのは、この男のせいじゃないですか」
「ありがとう、私は大丈夫よ」
「それでも……」
「あら? 私が大丈夫って言っているのよ?」
「……はあ、わかりました。今縄を……」
彼女は自分を顧みない。他人に対して少し強情で、優しすぎる。
僕は、彼女の懇願に言葉を飲み込んだ。
う、ううと唸り、浅い眠りから目を覚まそうとしている男を僕は彼女を縛っていた縄で、がんじがらめにした。
殴られた男は、鼻が折れているらしく青くなっている。なんともみっともない姿だ。
男が目を覚まさないのを見て彼女の元に駆け寄った。
「すぐに止血しなちゃ!」
気付けのために貫通してしまっている左手を彼女は、服を引き裂いて応急手当をした。
その時は視線を落とさずにはいられなかった。彼女の手は、荒縄によって傷だらけになっている。
彼女は全体的に満身創痍で、僕よりもボロボロの状態だった。
僕のせいだ。彼女がこんな姿になってしまったのは、僕のせいだ。
痛そうな傷を見て、涙がこぼれてきた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
僕は泣きながら、ひたすら彼女に謝り続けた。
「なんでサトシさんが謝るの?」
「だって、サキに傷が……」
「う〜ん。そうねえ。あなたの心配事もわかる。傷跡が残っちゃうってことでしょ? でもね、私は気にしていないの。だって、サトシさんなら、変わらず私のことを愛してくれるでしょ?」
彼女はとびっきりの笑顔を向けた。そして、涙を拭いてくれた。
この笑顔を見たとき、彼女には敵わないと思った。
彼女がこれ以上傷つけないように、彼女が幸せに暮らしていけるようにという決心が彼女を抱き寄せていた。
「ずっと大好きです。ずっと愛しています」
「ふふ、嬉しい。助けてくれてありがとう。私も大好きよ」
二人で教会に戻る。
牧師なら彼女の傷を治してくれるだろうと思ったし、今日のことを話しておいた方がいいだろうという判断だった。
僕の背中には、彼女がいる。別に今すぐ死んでしまうような大きな傷を負ったわけではないのだけれど、彼女は少し目を離した隙にどこかに行ってしまうという幼子のような持病を持っているので、あえて彼女をおんぶしている。
僕にとっては、本当に至福の時なのだけれど、彼女にとっては少し背負われているということが嫌であるらしくて、背中で暴れながら、僕に対して文句を言う。
「足は少しひねったくらいだから大丈夫よ? 一人で歩けるわ」
「ダメです」
「大したことないんだから、しっかり歩ける」
「それでもダメです」
「だけど、これから二人で歩んでいくのに、私だけお荷物みたいで嫌だわ」
「なんでそうなるんですか? 傷ついた時くらい背負わせてください。君はどんなことでもできるのに、僕は愚図で弱虫です。今は、背中を貸したり、一緒にいることしかできません」
彼女の甘い息が聞こえる。
「そっか。なら、背負われてあげるわ。あなたには、私を幸せにしてもらわなくちゃ困るんだから」
「見といてください。絶対に幸せにしますから」
そういうと彼女は、両肩に置いていた手をそっと首に回した。そして、僕の右肩に彼女はあごを乗せた。
今日、僕は冒険者になった。
ありがとうございました。




