敗北で見えてくるものがある
よろしくお願いします。
風が誰かが来ることを知らせた。その知らせの後に、扉が弱々しく叩かれ、来客を知らせた。
「入れ」
部屋の主人はぶっきらぼうに言い放つ。その声が聞こえたのか大きなドアは、ゆっくりと風の力を借りて開いた。
「失礼します、バーナード様。相談役がお見えになっています。いかがなさいますか?」
ドアの前に立っていた警護兵が規律正しく、用件だけを簡潔に述べた。
「通せ。どうせ、使徒の件だ……、そろそろ時期だからな」
警護兵は、それを聞き届けると、返事の代わりに敬礼をした。そして、その後ろから、さらに人が現れた。
そこに現れたのは、老だった。
「フォッフォフォ。お久しゅうございます。いかがお過ごしでしたか? 私の方は……」
老が世間話を始めようとした時、バーナードがその無駄話を遮った。
「そんな話は時間の無駄だ。用件は、使徒だろ? さっさと話せ」
「……申し訳ございませぬ。ちと、気持ちを和ませようと思いまして」
「そんな必要はない。使徒の時期だ。お前がくるのに、それ以外の理由はないだろう」
その言葉に老は、小さく笑い声をあげた。
「そんな寂しいことを言ってくださるな。わしとて、逐一バーナード様とお会いしたいのです。それと……」
また、老の話が長くなりそうなのをバーナードは感じ取り、話を遮った。
「もういい。ハンスよ、使徒は動き出した。それでいいな」
老は、小さく頷くことで返事とした。
「北側、赤の国の方面で使徒の蠢きを感知しております。12使徒の気配が1つ、こちらに向かって進行中であるとの情報が入っております」
バーナードは、眉毛を小さく上下させた。
「12使徒がきているのか……。まあ、一機だけならなんとかなるだろう」
バーナードがそういうと、老は目を伏せて言葉を隠した。
「ハンスよ。お主たちの願いを聞き届け、明日出発するとしよう」
バーナードがその依頼を承諾したことによって、バーナードは肩の荷が下りた。
「お願いいたします」
老が深々と腰を曲げた。すると、どこからか笑い声が聞こえてきた。
「クスクスクス。ハンス。あなたは、昔に比べたら、随分と変わりましたね。あの頃の覇気を感じない……」
その声を超えて、現れたのは精霊だった。
精霊は、バーナードの頭の上に乗り、頬杖をついて老を見下ろしていた。
「精霊様。あなたと契約をしていた時から随分と時間が経ちました。それは、私から若さを失わせるには十分すぎる時間です」
「いいえ、ハンス。あなたは、あの時より急速に年をとりました。“敗北”を知った……あの時より。到底追いつけない相手がいると知ったあの時より……」
精霊が舐めるように言い放った言葉で、老は震え出した。その震えを見て、精霊は笑い声をあげる。
「クスクスクス。まだ怖いの? あなたには、才能がなかったわけじゃないのよ? あなたに足りなかったのは、この子のように、私に身を預ける勇気だけでしたの」
精霊の笑いは、老を蔑む笑いに他ならなかった。しかし、老は、バカにされても、顔に負の感情は一片も表さなかった。
「私は、不義なのです、精霊様。この国に生まれた民として、あなたを信じることができなかった。しかし、それを間違いだと思いません。例え、この恐怖が消えなくても」
老の言葉に強がりはなかった。
「ふん。あなたのそういうとことが嫌いなの。一を知って、十を悟ったと勘違いをしているところがね」
そう精霊が吐き捨てると、老はバーナードに向かって言った。
「バーナード様、使徒の殲滅……、よろしくお願いします」
それだけ伝えると、踵を返して大きな部屋から出ていった。
「なんなのあいつ。弱虫のくせに」
「あの男は、強くはないが……賢い。ああ言ったのにも、何か確信があっていっているのだろう」
「あなただけだわ。私を信じて、全てを委ねてくれるのは……」
精霊は、バーナードの頰を愛おしそうに頬ずりをすると、優しく息を吹きかけた。そして、風とともに消えていく。
◇
長い廊下を歩きながら、老は考えていた。
『ユーラシスに会わなければ、私もきっとああいう風に力に溺れた存在になっていたのだろう。彼は、人としての次元が違った。いや、生物——はたまた、世界の次元すら違ったように思う』
老は、過去を懐古する。
現赤の国・国王 ユーラシス=ナーガラージャに会った過去を回想する。
大きく分厚い鱗に覆われた巨軀。太く力強く振り降ろされた尻尾。切り裂けぬものなど無いと思わせる強靭な爪。全てを滅ぼし尽くし得る視線。その存在自体が別次元の生き物だと思わせた。
実際、その体に備わっている全てのものは、使徒を一撃で討ち滅ぼした。多くの使徒を物の数とせず、その背後に一機たりとも、踏み込ませなかった。
大昔の使徒侵攻で、老は本当の王の姿を見た。
先ほど、精霊が言ったことは、正しいが間違いでもある。
老は、ユーラシス=ナーガラージャの姿に恐怖した。しかし、その反対にその姿に涙していた。その絶対の存在に感動したのだ。
老は、その姿に膝をつき、到底追いつくことができない存在だとわかった。力では、到底追いつけないことを悟った。
その時から老は変わることができた。精霊と契約し、力を使った時の全能感からの支配を自ら打ち破ることができた。それは誰にもできることではない。
多くの人は、より力に溺れていき、力を求めるため精霊とより深い契約をすることになるだろう。しかし、老は力を手放した。
それは精霊との契約を反故することに他ならない。それには、大きな代償を支払うことになるが、老は惜しいとは思わなかった。
「精霊様との契約の破棄で、私は未来を奪われた。見えずとも、見えるものがある」
老は、歩き出す。新たな希望を見つけたことで、その軽快な足取りは、未来へと歩き出していた。
◆
精霊の名前は、アン=リード・リー。
アンは、いつからだろうか。男に興味を失くしつつあった。アンの憑いた男はどこか違う。
一体、いつからだろうか。男を一人の男として見れなくなったのは——。
精霊が力を使う時、精霊と人は1つになる。極端な話、力の使用時に限り、人は精霊へ昇格する。
しかし、それは高揚感や多幸感、優越感。ありとあらゆる好感を多分に含む。断じて、気味が悪い、鳥肌が立つような不気味な感覚をもたらすものではない。
だが、男との力の使用に限り、アンは不快感を禁じ得なかった。
「…体の相性が悪いのかしら……、いつになっても堕ちてくれない」
精霊の契約者は、他の人間とは違う。精霊はひとりでに呟いた。
「王になる器ではない……。しかし、良質な我が子になる素質はある。その境が難しい。いや、あの子はどこか不気味なの……」
アンと契約者の契約進行度は、100パーセントに達している。それは精霊の力をこの現実に100パーセント降ろすことができるということ。
その事実と同時に、力の溺れ方は精神状態に異常をきたす……はずだが、毛役は至って平常心を保っていた。それが不気味だった。
力を使うたびに、いつ堕ちるのかと楽しみにしていたアンだったが、ある時から不可解という感情が大きくなった。
いつになっても我が子になってくれない——。彼女は、男に興味を失くしつつあった。
まだまだ続きます。




