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彼女と恐怖

宜しくお願いします。

 走った。早く走ることしかできなかった。彼女の元に早く着きたかったから。


 これは事実として、女の子の言う通りの方角に走っていくと、彼女のことはすぐに見つけることができた。

 僕にはある特技がある。それは毎回デートの時に突然ふらっといなくなる彼女を、人ごみの中からすぐに見つけることができるという特技。

 これは思春期の恋の極みなのだが、好きな人ならどんな場所であっても、どんな時であっても不意に見つけてしまうと言う悩ましい特技だが、今回ばかりは感謝しなくてはいけない。


 まだ見ていない小道を通り教会を過ぎたところに少し開けた行き止まりの場所がある。そこに彼女はいた。

 走って流し見ている瞬間彼女を見つけた。だが、一瞬状況確認のために、切らした息を整えるために、物陰に隠れていた。……、いや、本当は怖かったから、一人で複数人いる敵の前に出ることが怖かったから、物陰に隠れてしまった。

 怖かった。今すぐにでも逃げてしまいたいと思えるほどに足は震える。これが武者震いではないことをこの胸の内にある悪寒と罪悪感で僕は知った。


 建物の陰から覗き見た彼女は、縄で縛られ身動きが取れる状況にはあらず、へたりこむように座っている。

 結婚式のため、綺麗に結い上げられていた髪は、無残にも崩れ、乱れ、長い髪が無造作に垂れ下がる。

 質屋で新しくもらった服は、破れ、汚れ、無数に蹴られた足跡がある。

 そして、彼女の白く美しい頰には幾度も殴られ、ぶたれたような跡があり、もうすでにボロボロだった。

 たとえ、どんな人物であろうと彼女を痛めつけていいはずがない。やっと自由になった彼女を傷つけていいはずがない。僕の彼女を苦しめていいはずがない。

 彼女が捕まってから、これまでの間にどんなことが起こってしまったのか想像することができる自分が嫌だった。


 ここに来る直前まであれほど強い決心とともに、彼女を救い出そうと望んでいたのに、今、臆病風に吹かれている自分を呪った。でも、そう呪えども、彼女の前に勇敢に立ち向かう勇気がなかった。


 野太い、ドスを効かせた声が響いている。

 その声に誰かが気づいて彼女を助けてくれないかと淡い期待が生まれたが、この場所が奴らの縄張りで、警戒され、近づかないようになっている場所であることがその儚い望みを打ち砕く。

「いい加減にしてくれないか? 可愛い女を殴りつけるのは心が痛むんだ。——なーんてな。正直楽しくなってきた。動けない女の殴りつけるなんて最高の気分だ。でも、そろそろ大きな声で助けてーっていえ!! 泣きもしなければ、叫びもしない。それじゃぁ。お前の男が気づかないだろーが!!」

 髪を掴まれ、揺すぶられ、腹を蹴られ、何度も平手打ちをされる。

 その間に彼女は、一つも悲鳴を上げない。涙を流さない。弱音を吐かない。助けを乞わない。そのことが僕を苦しめる。彼女は、ずっと鋭い視線で男を睨み続けていた。



 力が勢いあまり彼女の髪を引きちぎる。

 倒れる彼女。

 その時、僕は彼女と一瞬目があった。それは気のせいなどではなく、疑いようのない確信。

 心臓が一気に跳ね上がった。

 目があった彼女は、隠れて見ている僕に叱責などは微塵もなく、無事を案じる色で瞳が染まっていた。そして、視線から僕の居場所を悟られぬように再び男を睨みつけた。


「泣かないし、叫ばない。助けなんていらないの。私の愚かさで私の愛している人を危険にさらすことなんかできない。だから、私は何も言わずに彼の無事を祈るの。ここに来ないように祈るの。あなたには、わからないでしょうね、人を想う気持ちは」

 彼女の横顔は、小さく強く笑っているような気がした。そのまっすぐな笑みがどんな意味を持って、どんな力になっていったのか。

 僕にはわからない。


 だけど、そんな彼女を見て、必死に僕を守る彼女を見て、これまでのように黙って身の保身から隠れ続けることができるだろうか。彼女を放って逃げ出すことができるだろうか。

 僕の行動で彼女の望まぬ結末を招くことになろうとも、ここで動かない男が彼女を幸せにできるはずがない。これから守れるはずがない。彼女の隣にいれるはずがない。



 自問自答は必要ない。



 敵に向かうための一歩ではない。彼女の隣にいるための一歩。恐怖を知らせる震えを必死に押さえ込み、鉛の枷で縛られているような重い足を前に出した。

「ぼ、僕はここだ。ここにいるぞ」

 彼女に引っ張られるように前に出た。

 右手には、気休め程度に冒険者組合でもらった短剣を握っている。しかし、人を殺すことができる凶器に僕は恐怖を感じ、震え出す。

 震える声に僕と彼女以外の全員が僕を嗤った。

「サトシさん……。どうして、出てきなの!!」

「だ、ダメなんだ。ここで逃げ出したら、僕は何も得られない。一番欲しい君でさえも取り逃がしてしまいそうなんです。それだけは嫌なんです」

「でも……、これは私のミスなの。油断していた私が悪いの!」

 彼女は目を伏せ、その時、会話を遮るように男が言う。

「あはは! やっと来たか。当の彼女もお持ちかねだぜ。ま、もうボロボロの醜い女になっちまったけどな」

 奥歯を砕いてしまうような怒りが沸騰する。

 ここで感情に任せて男に突っ込みたい衝動にかられ、本当に一歩足を進めた時、彼女の悲しそうな顔が飛び込んできたことで、その一歩を収めるほど冷静になる。

 彼女に少し目を向けると、僕を責めているのだろうか。まるで、戦意をなくしてしまったかのように放心してしまう。


「さあ、冒険者カードとその手に持っている短剣を渡してもらおうか。女のカードじゃ、いろいろ面倒ごとが多いんでなああ」

「嫌です。これは、あなたには過ぎたもの。たとえ、ボロボロになっても、それで死んだとしても、僕は手放したりしない。お前なんかに渡したりしない」

 僕は喧嘩と無縁の人生を送ってきた。たとえ、どんなに罵られようと、どんなに殴られようと、どんなに蹴られようと自分の気持ちをぐっと抑えこんで、笑ってその全てを流してきた。

 そうすることが僕にとって最強の処世術だった。

 だけど、これは自分を犠牲にしていることと同じことだと言われた。

 自分を蔑ろにする僕を彼女は本気で怒る。『何でもかんでも、全てを笑って済まそうとしないの! その全てはあなたの時間じゃない!』と僕のために泣いた彼女は忘れることができない。

 彼女という人間を語るならば、自己中心的で、自分の正義を忌憚なく振りかざし、困っている人には、必ず手を差しのばしてしまう、彼女こそ自己犠牲の塊のような人間だと言える。

 端から見えれば、独裁者のような印象を持ってしまうが、違う点があるとすれば、彼女の行動原理は、自分の都合のいい世界を作り上げるということではないということだった。

 それこそ彼女で、そうでなくては彼女じゃなかった。

 だから、僕が彼女の代わりに敬い続け、彼女を顧みることにした。

 自分を犠牲にする彼女の今の状況は、僕にとって許すことのできない事件だった。どんなことよりも怒りがこみ上げてきた。いや、怒りはこれ以上ないほどにこみ上げてくる。だって、この全てを笑って許す気にはなれないし、そうしようとする気持ちは一ミリたりとも持ち合わせてはいない。


 だが、僕は……、逃げてしまった。彼女のために僕は立ち向かわなくてはならないのに、僕は、自分のことを優先してしまった。なんと都合のいい自我なのだろう。

 この中で僕は、僕が一番許せない。

「やれやれ、それは残念だ。おバカな若造は困る。俺様の手をこれ以上汚さないでくれよ」

 ため息を吐き、男が言う。下っ端がキッキッキと奇妙な笑い声をあげた。

 その笑い声と同じように下っ端が僕を目掛けて襲いかかってくる。


 敵が近づいてくるのはわかっている。でも、恐怖のあまり体が動かなかった。

 そして、そのまま下っ端に殴り飛ばされた。下っ端が倒れている僕を見て奇怪な笑い声をあげた。

「僕は、彼女が大好きなんだ。守りたいんだ。助けたいんだ」

 負け惜しみとも取られかねないこの状況のこの発言にリーダーの男は、大きな笑い声をあげた。

「ギャハハ。こいつ大バカだぜ。力がないのに、何を望むのかと思えば。力がないのに、愛を望んだ。本当にくそくらえだ」

 その時に異変に気がついた。僕を殴った下っ端、仮にこの下っ端を”A”としよう。このAに殴られて吹っ飛ばされたわけだが、()()()殴られているほどには、痛くないのだ。


 この時、ある仮説が生まれる。この下っ端のように黒と白のストライプタイツで同じ格好をしている者たちは、実は、そんなに強くないのではないのか。つまり、こいつらの主な役割は、陽動や探索などの比較的力の入らないことに使われているのではないか。

 ちなみにこいつらが人ではないと、あらかた予想がついた。中身がないと言えばいいのか。殴られた時に水風船みたいだと思った。

 スキルについて、申し訳ないが、又聴きをした程度の知識しかない。

 スキルとは何かを強く望んだ時に発現し、人体に影響を及ぼす魔力現象の一種だというものだった。それはまさに個性と呼ぶべきもので、同じようなことを望んでも違う現れ方をする。


 このアンダー、スキルによる味方と下手な盗賊のようなことをしているところを見ると、並のアンダーとは違い、弱いという結論しか出てこない。

 男は薄く笑う。

「ふん。察しのいいガキだぜ。そうこいつらは、俺様のスキルだ。だが、お前ら程度なら、こいつらで十分」

 この言葉で少し確証を得た。だから、右手に持っていた短剣でAを切った。

 それは劇的だった。中に詰まっていた血のような液体が溢れ出した。そして、萎れた風船のようになる。


 それと時を同じくして、スキルの使用者の男が大声をあげた。

「あー! くそ。だから、俺様のスキルは使いづらいんだ。こんな小僧のへなちょこ攻撃でも、ダメージを受けちまう。本当胸くそが悪い」

 男は、言葉とは反対に楽しそうにニヤリと口角を上げた。

 そして、その顔のまま、彼女に近づいて、彼女を蹴り飛ばした。

「ああ、その顔いいね〜。さっきまで、弱点が見つかったって顔してたのに、大切な女を蹴られたら、その顔だよ。唆る」

「彼女から離れろぉぉぉぉ!!!!」

「バーカ。声だけでかくても、力がなくちゃ、なにも守れねーんだよ。生きていくために必要なのは、富でも、名誉でもない。力だ!! 力が根本だ。世界は、純粋な力から始まった。だったら、力のないお前は、何も出来やしない」

 男は、彼女の髪を鷲掴みにして倒れている彼女を起こす。

「はん。彼氏が来て、安心したのか? 気が抜けちまってるぜ」

「やめろ!」

「何をやめるんだ? 交渉にすらなってねえよ。やめてほしいなら、冒険者カードとその短剣を置いていけ、そうしたら、お前の大切な彼女は、お前と一緒にいられる。どっちを選ぶんだ?」


 冒険者カードなんていうのは、本当にどうでもいいものだった。別にあってもいいけど、なくても特段に困ることなんてない。そんな存在と彼女を比べるならば、僕は即断即決で”彼女”を選ぶ。

 これ以上、彼女が傷つかないで済むというのなら、冒険者カードと短剣手放してもいいのではないのだろうか。そんな結論に至るのに、時間なんて掛からなかった。

では、また明日投稿します。

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