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フウがポツリとアデルバードの選択を非難した時、セラームはそんなアデルバードを殴り捨てていた。
ほら、やっぱりね。とフウは思った。そして、地面に倒れこむとアデルバードを見下して言った。
「アタイが助太刀してやろうか? 見てられない。あんたが、今、相手にしているのは、愛した女なんかじゃない。——冷徹な使徒だよ」
フウが睨みつけたのは、体が支配され、精神なく憎しみのまま動く、ただの無機物の塊だった。フウにとって、そこに正義があったから、なんの感情もなく、躊躇いもなく、“悪”を滅することができた。
しかし、アデルバードの目に写る“それ”は全く違った。今も焼きつく、あの日々の姿——二人が二人で愛した美しい日のセラームだった。だから、何もできなかった。彼女を攻撃するということが彼女の存在を否定することだと考えていた。
彼女のことを攻撃しようと睨むフウのことをアデルバードは、殺気のこもった眼差しで制止した。
二人の対立から分かる通り、アデルバードとその他の認識は、天と地の差で違う。——フウにとって、セラームは人ではなく、倒すべき“危険”だったのだ。
二人の違いがあったから、アデルバードはフウの提案を断った。
「助太刀なんていらない。これは私と彼女の問題だ」
それを聞いたフウは、冷たく笑った。
「それは違うぞ。人型の使徒が現れた時点で、これは国家の問題に昇格した。この争い……、ただの痴話喧嘩で収まらず、最悪、王の出陣が検討される案件だ」
アデルバードは、水のようにどこまでも透ける目と大きな声で言う。
「やめろ!! そんなに大きな問題なんかじゃない」
フウは首を振る。
「“王の娘”として、それは聞けん。ここで破壊しなければ、すぐさま民に被害が及ぶ。だから、聞けんのだ」
そして、フウは背負っていた大剣を手に取り、拔き、切っ先を“使徒”に向けた。
「まだ言葉はわかるかい? こうなってしまったら、あんたを放置しておくわけにはいかないんだ。国のため、世界のためだ、大人しく壊されてくれないかい?」
フウは、そうお願いした。何も悪気なんかない。だから、厄介だった。正義感ある言葉がトリガーとなり、ある二人の考えを一致させることになる。
「「それは認められない!!」」
聞き入れられない者が二人、静まり返った空間で音が木霊した。
怒気が篭る言葉にフウは、どうしていいか分からず、たじろぐ。そして、ゆっくりと怒気を発する男の方に顔を向けた。
フウにとってその顔は、笑ってはいなかったが、怒ってはいない、と感じた。だから、恐る恐るではあるが、その言葉の後を聞くことができた。
「サトシ……、何を言っているんだい? 何が認められないんだ。これは最早……」
そう続けようとした時、サトシは、ギロリとフウを睨みつけた。フウは、もう何もいうことができずに、叱られた子供のように俯いた。
サトシは、そんなフウを横目に二人を視界に入れる。
「認められないんだ、フウ。これは二人の問題。僕たちは、ただ見守ることしかしちゃあいけない」
“認められない”と言ったのは、アデルバードと……サトシだった。
フウには、訳がわからなかった。サトシがそんなことを言ったこともそうだし、優しいサトシの怒鳴り声に近い言葉にも意味がわからなかった。
すると、アルバートの声が聞こえてきた。
「セラーム。俺だ! 俺なんだ! 戻ってこい!! 俺の元に戻ってくるんだ!! 俺には、君しかいない、んだ……」
言葉にしてしまったら、涙が先に溢れ出た。彼は堰が切れたように膝から崩れ落ちてしまった。取り返しのつかない状況にしてしまった自分が情けなかった。もう、戻ることのない彼女のことを見ていられなかった。
落ちる涙は留まることをせず、だだっ広い地面の養分となる。そして、遂には、頭を抱えて地面に額を擦り付けた。
それを少し離れたところから見ていたフウは、少し諦めたように聞いた。
「どうしてだい…サトシ。アデルの女は、もういない。目の前にいるこいつは、ただの使徒だ。これを放置すると、国の……世界の脅威になり得る。あと、私が父上に叱られてしまう……」
説得を試みるフウにサトシは、笑った。そして、セラームを指差す。
「まだ、そこにいる。——あの人は、まだセラームさんだ」
フウは、それを嘲笑ずには居られなかった。
その反応自体は正しい。今のセラームは完全な使徒だった。使徒とは、残忍で、破壊衝動と無感情で動く、目に付いた物を壊し尽くす。今のセラームは使徒そのままだった。
「は? 何を言っているんだ……。もう自我すら一片たりとも残って……」
フウが否定しようとした時、使徒の方角から“音”が聞こえてきた。
フウの聞いた音とは、なんだったのか。アデルバードの声だったのか、それとも、涙の落ちる音だったのか。——否、それは“何か”が砕ける音だった。
うずくまるアデルバードの背中に優しく手が置かれた。
「あなたを見た時から心と体が一致しない感覚だった。見えない壁で切り離されている感覚…。でもね、あなたの声が私の壁を砕いてくれた」
その目には、意思が籠もっており、人がいた。
「アデル…、ずっと見えてたよ、聞こえてたよ。あなたの姿や声がどんな時でも、私を戻してくれる」
アデルバードは、驚いて顔を上げた。
フウが声をあげた。
「こ、こんな、ことが!? ありえない。有り得ないぞ!」
「そうかな? 僕には、当然のことだと思った」
「??」
フウが次の答えを待っているかのように見つめていた。
「人の意思は、知識を超えるんだ。知識で無理なんて、語れない。知識は、更新され、広がっていく。そして、今、知識は広がった」
人の意思が魔力に蝕まれた体を取り返した。それは魔力の力に依らない“奇跡”だった。
セラームが覆い被さるように重なった。アデルバードの耳元でできる限り優しく、暖かく言った。
「アデル?」
優しさに抱かれるようにアデルバードは、セラームと目を合わせた。
「よかった。本当によかった。もう、君に会えないんじゃないかと、本気で思った」
「何言っているのよ。誓い合ったはずよ。互いに導き合おうって、そして、あなたはその誓いを果たしてくれた」
「……俺は、君を導けていたかな?」
「ふふ。いつも自信がないんだから! あなたは、私の光よ。眩しいくらいしっかり見えているわ」
アデルバードの体は、少し震えていた。
「よかった。本当によかった。これからは、また、二人で……」
アデルバードがそう伝えようとした時、セラームが首を横に振ろうとしているのが、わかった。だから、そのあとの言葉が喉から上に出てこなかった。
「ううん。それはできないの」
「……ど、どうして?」
セラームは不安で崩れ落ちてしまいそうなアデルバードを安心させるために少し笑って見せた。
「あなたにもわかるでしょ? 今、こうしていることが奇跡なんだって。もうすぐ、私は完全にいなくなる」
アデルバードは、セラームの肩を勢いよく掴んだ。
「ダメだ! しっかり意識を保つんだ。俺が! また君を導くからっ」
再びセラームは、首を横に振った。
「…あなたが…、あなたが、そう言ってくれることが嬉しい。でもね、私……、もうダメみたい。向こう側にすごい引っ張られちゃうの。——だから、私を導きたいっていうなら、あなたの手で! 他の誰でもないあなたが」
安心させようと笑顔を作ったセラームだったが、自身の願いを伝えようとしたことでしずくがいくつもこぼれ落ちていた。
アデルバードにそのしずくが落ちると、彼女の想いすらも伝えてきた。——彼女のしずくはなんでも教えてくれた。彼女の悲しみ、喜び、不安、安心。そして……、自分に向けられた大きな愛までも。
『私を救って……』
アデルバードは、涙に含まれるホルモンの数値を無意識に把握することで気持ちを知ることができた。——否、それはあまりにも客観的に見すぎている。科学的に見すぎている。二人の間に、そんな無粋な科学考証が入り込む余地はなかった。
心で繋がった二人には、言葉以上に互いの想いが通い合うとしか言い表すことができない。科学では、証明できないかもしれない意思疎通が二人を繋げた。
「それは嫌だ! と言いたかった。でも、君は本気なんだね」
セラームが、今度は首を縦に振った。
「こんなことをあなたに頼むなんて……。でも、こんなことはあなたにしか頼めない」
頑張ります!




