弾ける
よろしくお願いします。
どこにもアデルバードの姿がない。あたりをキョロキョロと見渡すが、どこにもアデルバードの姿はなかった。
「え、一体どこに!?」
サトシが慌てて、もっと奥を探そうと走り出そうとすると、続くようにアルシアが出てくるのがわかって、立ち止まった。
アルシアは、鼻を鳴らし、耳をそばだてている。
音でアデルバードの居場所を探ろうとしていた。そして、特定の方向を見ると、
「あそこです」
と言った。
サトシがそちらに目を向けると、こちらへゆっくりと歩いてくるアデルバードの姿を確認することができた。
「いやはや、よもや突然殴られるとは、なかなか辛辣な再会じゃわい」
ゆっくりと近づき、無傷のように見えるアデルバードだったが、よくよく見ると完全な無傷というわけではなかった。傷は最小限に抑え込んでいるとはいえ、殴られた頰には、傷ができ、口元からは血がわずかに垂れていた。そして、何よりも全身が埃を被っていたり、擦り切れていたり、一歩、一歩と近づく度にダメージの大きさがうかがえた。
見るに見かねた二人は、駆け寄り肩を貸した。
堪らず、サトシが苦笑いを浮かべた。
「はは、ズタボロですね。それにびっくりするくらいのパワーだ」
「……、いや、わしの記憶では、もっとお淑やかで、病弱であったはずなんじゃが……」
その話を聞いてサトシは、家の方を見た。
「それが本当なら、随分と違いますね。全くの真逆です」
「そう、おかしいのじゃ……。あまりの違いに戸惑っておる」
二人の会話を聞いていたアルシアが呆れたように二人の男を見下ろした。
「何を二人してバカなことを言っているんですか……。——はあ、大体、57年も放ったらかしにされていたら、忍耐強い妻だって、いや、どんな人でも堪忍袋の緒がプッツンですよ」
アルシアは、再び呆れた。なんせ、当の二人の男は、そんなこと考えもしなかった、と言った風に目を泳がせているのだから——。
「もう、これだから男はバカだっていうんですよ!! セラームさんは、むしろ優しい方ですよ。57年も待たされたのに、おかえりって言ってくれるんですから」
アルシアは、わざわざ年数だけを強調するように大きな声で言った。
そんなことを言われたものだから、アデルバードは、バツが悪いことこの上ない。アルシアを見れるはずもなく、年季の入った顔からは、余裕がはぎ落とされていた。
「いや、それはそうなんだが……」
吹き出る汗を拭こうとせずに、言葉を探すアデルバードにアルシアが、
「一体、アデルさんは、57年、何をして……え?」
と言いかけた時、思い出の家から、セラームが慌ただしく家を壊しながら、出てきた。
薄汚いホコリのスモッグがセラームをシルエットだけにしていたが、ホコリが風によって流されると、セラームが笑っていた。
「長い間、あなたを待って、待って、待って、待って、待って、待ち焦がれてた。だって、あなたを愛しているのですもの、当然よね。いつか私が待っていることを思い出して、帰ってくるんだと信じていた。——そして…、そして、あなたはやっぱり私の元に帰ってきた!!!」
歓喜。——アデルバードを見て、満面の笑みを漏らす。
「だから……、アデル? また、昔のように愛し合いましょう……? 死が二人を分かつ、その瞬間まで……ねっ?」
セラームは、アデルバードに近づき、手を伸ばした。その触れるまでの動作の1つ1つに優しさが溢れていた。
当然、アデルバードはそれを受け入れる。以前のように優しい思い出の妻が差し伸べる手を受け入れる、その手を受け入れないはずがなかった。
「セラーム。私は……。いつまで経っても、君を愛しているよ」
アデルバードが言うと、セラームはニコッと笑う。
「私も、よ。愛するアデル。——だから、あなたを殺す……? ね? いいでしょう?」
しかし、そこには有ってはならない、有り得ない感情が含まれていることにサトシは気がついていた。——その正体は、殺意。
前後で意味の違う言葉を言うセラーム。
纏う空気感と気持ちと言葉があべこべでサトシは意味がわからなかっ。しかし、それはサトシだけではなく、動揺をしたのがアデルバードだった。
「……セラーム、何を言っているん、だい? 私を殺すだと? そんなことできるわけがないだろ……。 今、戻ってきたんだぞ……。たった今、戻ってきたところなんだぞ!!」
「そうよ、アデル。もう、離れ離れになるの。——あなたが死ぬことで……、二人は永遠の愛に包まれるの。ねぇっ!!」
優しく近づく手は、その装いを大きく変え、悪鬼の手と成り果てる。
突然の出来事だった。予備動作なしでセラームは、愛する男を殴り飛ばした。
軽く吹き飛ぶ年老いてしまった愛する男。その映像がセラームの瞳に繰り返し、ゆっくりと連続した動画として再生された。
ゆっくりと宙を舞う間、ずっと考え、悩んでいた。その理由は、顔を見れば明らかだった。
「私のせいだ。私が彼女を変えてしまった……」
アデルバードは、いざ殺意を持って攻撃されても、そのことが当然であると自分に言い聞かせてしまっていた。
自らの不用意な行動で、セラームを変えてしまったと言う自責の念から——。
「離れたくない。今、本当にそう思う」
「何を今更!! 何年、何十年と行方をくらまして置いて、私が! 私がどれほど寂しかったのか!! アデル、貴様にわかるかあああああああっ!」
セラームは、再び殺そうと、殴りかかった。
「死ねええええええええええええ」
獣のような叫びをあげた。その美しい見た目とは、相反する凶暴性。
殺戮だけを楽しむ鬼のような興奮を感じているように——。しかし、それと同時に、彼女は涙を流した。
その矛盾にアデルバードは、悩む。
無策に突っ込むセラームを、これまた同じく、無策に受け止めるアデルバード。
激しくぶつかる両者とは、裏腹に優しい時間が流れた。
ぶつかり合いとは、違う——触れ合いの時間。その触れ合いが優しい時間を作り出した。
「あなたを待ち望んだ。いつだって! いつだって! 日に日に自分がどうゆう存在なのか、わからなくなっても! あなたのことだけは、忘れられなかった」
「すまない。本当にすまない……——」
アデルバードは、謝ることしかできなかった。
「ばか!! 謝って欲しいんじゃない。——あなたは、あなたはどうだったのよ!」
その質問に、セラームから離れた。
「アルシアちゃん、さっき聞こうとしたね。なんで57年も帰ってこなかったのか」
再びセラームに向き直ると、申し訳なさそうに言葉を1つ1つ区切るように言う。
「私は……、セラームのことを、忘れてしまっていた……」
その一言にセラームは、涙を流した。
「精霊使いの私は契約の代償に“大切な記憶”を奪われ続けることになっていた。セラームと出会った時には、すでに……」
「そんなの! 嘘よ! だってあなたは一度もそんなこと言ってなかったわっ!!」
アルシアは、サトシを横目で見ていた。
「精霊との契約内容は、誰にも言うことができません。言おうとすると、とんでもない痛みを伴って、それを妨げるんです」
サトシがアデルバードの言葉に補足するように言う。
「そして、仕事で君と離れてからは、君との記憶ばかりを奪われ続けた。力を使うたびに、大切な記憶が離れていった……」
セラームが大きな笑い声をあげた。
「クフフ、クフフフ。あはははは。……嘘ばかり……、どうせどこかで女でも作って、幸せな家庭でも築いていたんでしょう?——そんな嘘は、もう真っ平御免よ!!!」
理性が弾ける音がした。——いや、実際にはその音は、魔力の解放による地響きだったのだが、セラームの見境のない殺意にサトシは、少しばかり残っていた理性が弾け飛んだのだと理解した。
では、また。




