二つと一つ
よろしくお願いします。
カリーナさんが再び小さくなった。いや、さらに小さくなった。その姿のまま、差し出されたサトシの左手に乗っかった。
彼の手に乗っかると、カリーナさんは、ドロドロの不定形の姿になった。その形を正確に言えば、手のひらサイズの水のしずくのような姿だ。一般的にこの姿を人は、スライムというモンスターと表現することができるだろう。
のちに私は、これがカリーナさんの本当の姿だと知った。
「う〜ん、懐かしい感覚だ。さあ、愛子よ、魔力を注げ!」
魔力の流れが目ではっきりと見えた。
月明かりは分厚い流れる雲によって遮られてはいるが、彼とカリーナさんの辺りは白昼のように明るい。明るすぎて目が痛いくらいだった。
「久しぶりに精霊纏をするなぁ。二つの生命が一つになる感覚——それは、いつになっても良い」
眩しさはスライムのようになったカリーナさんに魔力が注がれたことによって、引き起こされた発光現象だった。
天井に向けてうねりをあげる激しい魔力の奔流。魔力は、逆巻く火柱のように天井にぶつかり、部屋全体に充満し、彼を覆い隠した。
充満した魔力が私の体を撫ぜる。肌が引き裂かれてしまうように感じ、そこで私の頰に伝う違和感に気がついた。
恐る恐るその違和感に手を伸ばした。
「血……」
私は自分を疑い、目を強く擦った。
「気のせい?」
再び見た手には先ほど見えていた血は無くなっていた。
何度、手で擦ってみても、その感触に違和感はない。匂いも血の匂いは感じられなかった。——その時、カリーナさんの声が聞こえてきて、その疑問を放り投げた。
「さあ、愛子よ。刀を抜け」
彼は、言われるままに名もなき“刃折れの名刀”に手を伸ばした。
水創成魔法:折れた刀の行方
「クフフ、折れた刀なんて取り出してどうしたあるか?」
サトシは、何も言わずに折れた刀を縦に一閃させた。
「不純物の全くない神の水は、目には映らぬ」
私の視線の先には、もっとも近くにいた盗賊が上半身と下半身に分かれて、そのまま意思なく転がった。
「これは……、素晴らしい切れ味ある。一瞬で決着あるか」
「当然。超高速で流動する水は、どんなものでも引き裂く。例え、それが鋼鉄でもね」
「しかし、所詮は刀……、近づくことでしか力を発揮できないある。そいつは、一番近かったから運が悪かった。近づかなければ、済む話」
その分析にカリーナさんの笑い声が聞こえてくる。
「何がおかしいある!!」
その声に慌てたように憤慨したのは、盗賊だった。
「これは、すまない。あまりにも滑稽だと思ってな。こんな狭い室内で今の私たちの追撃から逃げ切れると本気で思っているのか?」
「当たり前ある。私たちは、盗賊で暗殺者。闇に潜み、影と共に行動する。万が一、暗殺に失敗したらいつでも逃げ出せるようにルートは確保しているある」
「初めから失敗の心配か。とても、賢明ではある。しかし、最悪の心配ではないのが残念」
盗賊のリーダーは、懐から玉のようなものを取り出して、それを地面に投げつけた。
「やれやれ」
カリーナさんのいう言葉の一つ一つには、母親が生まれたばかりの我が子に思うような感情が含まれていた。それはとても小さな苛立ちなのだろうが、盗賊たちからしてみれば、『蛇に睨まれた蛙』なんて言葉では足りず、『龍に睨まれたオタマジャクシ』ほどの恐怖だったことだろう。
盗賊たちは、地面にの煙玉を投げつけた。それはみるみる辺りを白い煙で包み隠した。
誰にも悟られることなく、静かに消えていなくなる最中、私は声を聞いた。
「アルシア、伏せて」
その言葉はサトシのものであることに疑いようもなく、その声が聞こえてきたと同時に頭を低くした。
ザシュッという音が聞こえてきた後に、四つの物体が地面に落ちる音がした。
それと同時に声が聞こえてきた。
「啊,這個委託,如果不接受就可以了。妻子,現在向黄泉(『ああ、こんな依頼なんて、受けなければ……。妻よ、今そちらに逝くよ』)」
なんて言ったかは理解できなかった。しかし、何かの意味があるような規則性があった。
「失敗の心配をしていたことは、褒めてやろう。しかし、最悪の心配をしなかったこと。自分が死ぬ心配をしなかったことだけがお前たちの死因だ。だから、このカリーナを恨んで死ぬが良い」
30秒ほど室内は煙に覆われていたが、その時間が過ぎると私の視界には、六つになった死体が転がっていた。
状況は理解できる。彼がやったのだろう状況は。しかし、どうやって? という疑問には、答えられそうにない。
何も言えずに息を飲んだのだが、私の疑問を解消してくれるようにザッジが質問をした。
「何をされたんですか?」
「家全体を横に切りました。あの人たちは、時間稼ぎがとてもうまい。だから、一人を相手にしてしまうと、もう一人は逃げてしまいそうでしたので……」
サトシが簡単に説明をした。
私はその言葉の真相を確かめるように家全体を見渡した。
なるほど、サトシの言っていた通り、家は横に真っ二つにされており、少しズレを生んでいる。いや、実際には、この家だけではなかった。直径30メートルほどの範囲にわたってズレを生んでいた。
私がよそ見をしているうちに、彼は精霊化を解いて、いつもの彼に戻っていた。いや、これは正しくはない。右腕が無くなっているのだから。
「あはは。す、素晴らしい。これほどまで、これほどまでとは……。明らかに他の契約者とは異なる力を持っている」
ザッジがぶつぶつとメモ帳に何かを書き留めた。
「さ、サトシさん。怪我は大丈夫なんですか? 腕が弾け飛んでしまいましたが……」
「ああ、グッジョブ大丈夫です。カリーナがうまくやってくれました」
「え? 治るっていうことですか?」
「さあ?」
「……えーと。すみません。よくわかりません。じゃあ、サトシさんの腕はどうなるんですか?」
「さあ?」
と、彼は首を傾げるばかりで、バカになってしまったようだ。
そんな彼を見て私がため息を吐くと、警戒を解いて彼から離れた5寸5尺のカリーナさんが説明をしてくれた。
「こやつの腕は、正直に言えば、吹き飛んだと言って差し支えない」
「え……っえええ! じゃ……じゃあ、どうするんですか? このまま腕がない状態なんですか? それとも大量出血でショック死ですか?」
私は、狼狽した、とても。それなのに、自分のことであるのに彼は、明るくその言葉を笑い飛ばしてしまっている、全くもって信じられないが。
そんなバカな彼をぎりっと睨みつけて、楽観的な笑いを止めるとカリーナさんの言葉を促した。
「そうだな。このままであれば、腕がない状態になってしまうだろうが……。心配はいらん——アルシアよ。水は持っているか?」
「う、うん。水筒なら持っているけど。本当に大丈夫なんだよね?」
私は、カバンから水筒を取り出すとカリーナさんに投げ渡した。
カリーナさんは、私から投げられた水筒を受け取ると、
「水を投げるな!! 私の大切な子供なんだぞ!! それをなんだと思っているんだあああ」
開口一番に叱りつけた。
「あー、ごめんなさい」
「これだから人間は! 人の大切なものをなんだと思っているんだ」
「それは、本当にごめんなさい」
「これからは気をつけるんだぞ?」
「わかりました」
「ウンウン」
そういってカリーナさんは、水筒を開けて水を口に含み、
「うん! うまい!! じゃあ、腕を治すところから始めようか」
と一仕事終えて一杯水分補給というような人ばりに快活といった。そして、水筒を投げ捨てた。
「どうやって?」
「ん?」
「だから、どうやってサトシさんの腕を治すのよ!」
「簡単。再構築だ」
「再……構築?」
「そう、再構築。私と契約したものは、戦闘意識入ると成り行きで戦闘体へと換装される」
と、カリーナさんは、そこで話をやめた。
「も、もうちょっと噛み砕いた説明ともっと詳しく説明してよ」
「うーむ。詳しく説明するならば、そうだな……。私は、水なら自由自在だが、戦闘時に体の不純物はあって欲しくない。それは水の操作性能を落としてしまうからな。だから、私の契約者は、水以外の物質をキューブ状に追いやって戦闘をしている。戦闘が終われば、キューブに固めた物質が傷ついてさえいなければ、失った水は、補給すれば済む話なので、普段のように活動できるように物質を再配置をしてやっているのだ」
と言い、最後に再配置は難しくていかんなといって、地面にある水筒を蹴り飛ばした。
転がる水筒を見てサトシは、笑い声をあげた。まるで7歳児のように浅い笑いのツボだ。
「ところで、なんでここまで、バ……、ゴホンっ。子供っぽくなっているんですか?」
その質問にカリーナさんは、彼の腕を治しながら、片手間に話を始める。
「前にも話していたが、精霊化は、気力と体力をごっそりと持ってゆき、削り取る。まあ、簡単に言えば、極度の疲労による退行現象だな。今回は、私が中間に入ったが、それでもここまでバカっぽくなる。前回は、耐えきれずにすぐに気絶してしまったしな」
「いつも以上にバカになるんですね」
そういうと、カリーナさんと声を揃えて笑ったが、その笑いで安心感を生み出すことはできないし、今までの不安の全てを笑い飛ばすことはできずに、私の笑いはすぐに失速してしまった。
「人は、まだ来るんでしょうか?」
「どうだろうな。これ以上来ても、私としては退屈が増すばかりだ。だが、安心しろ。こやつと約束していたでは無いか。忘れたのか? きさまはきさまらしく生きればいい」
彼は約束してくれたが、それを全面的に信じることはできない。恐怖が勝ってしまう。
カリーナさんの施術によって、超速で腕がトカゲの尻尾のように生えてきた時には、さすがに気味が悪いと思ったが、それ以上にサトシは今にも倒れてしまいそうであることが気がかりでだった。
「ちょ、ちょっとサトシさん! フラフラと歩かないでください! こんなボロボロで、これから大丈夫ですか?」
「ちょっと頭がクラクラして、吐き気があって、めまいがしているだけですよ。これくらい、大丈夫です。僕は、まだまだやれまふよ」
「結構深刻じゃないですか。しょうがない人ですね」
彼は、もはや、呂律すらも回っていない状況で、なんだか立っているだけで、額に汗を滲ませていた。
そんなサトシを見かねて私は、彼に肩を貸してあげることにした。
「もう! そんなことで守ることなんてできるんですか?」
「もちろんでふ。サキは、守りましゅ!!」
うん、やっぱり知っていた。何を私は、こんなにも落ち込んでしまっているんだろうか。わかりきっていたことではないか——。そこに私がいないことなんて——。
私が自分のことを守ってほしいと願っていても、そう約束していても、彼の中心にはサキ様という人がいる。私なんて守ってもらえなくても仕方ないことではないか。その中に私なんかがいなくても仕方がないことではないか——。
わかりきっていることだから、この気持ちはとても悲しい——。
「……それにアルシアも守ります。約束したじゃないでしゅか。だから、そんな顔をしないでくださいよ」
心を読まれたような言葉に思わず、ハッとして顔をそらした。
『そんな顔』って、いったいどんな顔をしていたんだろうか。とても想像することはできない。
浅はかな私を弄ぶほどの意地悪だ。少し間を空けて、落として掬い上げようなんて意地悪すぎる。全てを見透かされているようなそんな気持ちさえする。
不意というのは、ずるく悪意さえ感じる。
急に火照りだした顔が熱い。
ああ、もう。急にそんなことを言われたら、顔なんて見られるわけがない。
「……、私は、別に……ついででもいいですよ」
そんなこと言われたら、心が弾んでしまう、この鼓動が聞こえてしまわないだろうか。
「(ああ……、もう、本当にこの人は、意地悪な人)」
「今までで一番素敵な顔です」
私を見てサトシが言った。
また、よろしくお願いします。




