職業選択と受付嬢
宜しくお願いします。
彼女は、怪しい雰囲気漂う建物の中へ、まるで行きつけの居酒屋のように、顔なじみでも待っているかのように躊躇も、疑いもなく入っていく。
あまりこのような場所に入りたいとは思えない。
だって、それはまるで歌舞伎町のぼったくりキャバクラのような匂いにも似ている(いや、そんなところには入ったことすらない。というよりも、入れる年齢ではない)。そんな怪しい場所には、わざわざ選んで入っていくことはしたくない。でも、彼女がずんずんと入っていくからしぶしぶと追って入った。
彼女は、長く続く、薄暗い通路を通りながら、この場所がどうゆう場所であるのかを説明してくれた。
「ここはね、質屋さんよ。牧師様が何か売れるものがあるなら、それを質に入れて当面の資金にするといいって言っていたの。だから、来たんだけど、……ずいぶんの物騒な感じね」
あっけらかんと言われた。
彼女は、こういうことがある。物騒だと思っているなら、そんなにスイスイと進むことないのにと思う。
しかし、彼女の言葉に少し引っかかることがある。
「あれ? 僕たちって何かお金になるようなもの持っていた? 僕の財布でも売るの?」
結婚式場から飛び出して、突然にこちらの世界に飛ばされ、何も持っていない。強いて言うならば、僕が持っていた財布くらいなのだが、その財布だとて、使い古されて売れるような品ではない。
「いいえ、私のウエディングドレスを売るの。だってドレスとアクセサリーって重いんですもん」
その時の僕の衝撃は、例えるなら雷の打たれたような破壊力だった。
今まで、その煌びやかなドレスのことをすっかり忘れていたけれど、彼女が着ていた服はウエディングドレスだったのだ。
あまりにも彼女がそのドレスを着こなすものだから、全く違和感なく、過ごしていた。僕の彼女はこんな絢爛豪華な衣装でも、まるで普段着のように着こなしてしまうような女性だった。
よくよく振り返ってみれば、ここに来る間の街の様子は騒がしかった。これがいつもなのだと思っていたのだが、僕たちが普段着ているものは、上級の仕立てである。そして、彼女が着ているウェディングドレスは、まさに、比類なき最上級のドレスでだった。
だから、彼女とすれ違う多くの人は、振り返っていたのか。あまりにも白すぎるドレスとそれを着こなす僕の彼女に。
病院の受付カウンターのようなカウンターから顔を出し、出迎えたのは屈強な男だった。
顔を2分割されたように傷が入っている。間違いなく事務処理などでストレスを溜めていそうな筋肉がカウンターに無造作に置かれた。
「らっしゃい」
威圧的にドスの聞かせた声を出す。
筋肉隆々の男の前に彼女は出て、淡々と高飛車にものを言う。
「こんな寂れた所で私の大切なお洋服が高く売れるのか心配だけど、査定をしていただこうかしら。おいくらになる?」
「服ってぇのは、その真っ白い服のことかい?」
「ええ、それ以外に私が何か持っているように見えるのかしら?」
「そんな高価そうな服を売ろうなんて、随分とお嬢様なんだな」
「ええ、私のお父様はとーってもお金持ちなの。でも、少し物入りでお父様に頼めない事情が起きたの」
いつもの彼女からは、考えられないような傲慢で、物を知らない貴族の令嬢のような印象を僕に植え付けた。
いや、もともと彼女は貴族家の令嬢なのだから、間違っていないのだけど、それでも普段の彼女からは、令嬢らしいところは微塵もない。令嬢の部分を彼女は、”作り物なの”といい、僕の前ではそんな態度をとらない。
しかし、この場面で彼女は令嬢役を作った。
作り物の彼女の言葉に男は、一式全て揃ったウエディングドレスを下から上まで品定めを開始する。
ダイヤモンド、ルビー、サファイヤなどの多くの宝石。シルクで作られた手袋。そして、シミひとつない純白のドレス。一通り目を通し、彼女の顔を見た。目を閉じて瞬時に一考した。
そして、査定結果を伝える。
「金貨5枚、銀貨45枚でどうだい?」
ちなみに、通貨は100枚で切り上げになる。銅貨100枚で銀貨1枚と交換でき、銀貨100枚で金貨1枚といった計算方法になる。
金貨は、よっぽどの裕福層くらいしか活発には流通しておらず、ほとんどは銅貨と物々交換で経済をなす。たまに中級階層が銀貨を使うくらいだが、それもあまり見ることはない。
つまり、この取引は、十分に見合っていると僕は思った。
「あらぁ? それは随分と安いみたいね。––––サトシさん、別のところに行きましょう。やっぱり、さっき声をかけられた人のほうが高く買ってくれるみたいね」
彼女は一縷の悩みもなく踵を返した。僕は、少し驚いた。『さっき声をかけられて人?』とは一体誰のことを言っているのか。そんな人はいなかったと思う。
しかし、彼女の発言に一番驚いたのは、僕ではなく、質屋の男だった。
慌てたような男は、落ち着いて座っていた椅子から立ち上がり、彼女を引き止める。
「ちょ、ちょっとお待ちになってくれえ。すまねえ。一桁間違えて噛んじまったようだ。金貨50枚、銀貨45枚と色をつけた銅貨70枚でどうだい?」
この時、初めて彼女は、悩むような素振りをした。そして、焦る男を余所にゆっくりと口を開く。
「少し安い気もしますが、まあ、今回はそのくらいで手を打ちましょうか」
屈強な男から安心とも取れるため息が漏れた。
「少しご忠告を! 私が女だからって甘く見ないで! 女は、誰でも演者なのよ! ふふ」
小悪魔のように人を魅了し、嘲笑う。
何かを悟った男は、その雰囲気を一変させた。
そこには、彼女を軽んじる姿勢は、消えた。
「すみません。お詫びに質に入れた後の服は、こちらのサービスで差し上げますんで、姐さん、またご贔屓にしてくだせえ」
「ありがとう、考えておくわね」
どうやら交渉が得意なようだ。これは、彼女の父の遺伝ではなく、彼女のお爺様の遺伝であろう。彼女が男である僕を交渉役としなかったのは、きっと自分のことを甘く見てもらうための策略だった。
悔しいが、はたから見たら僕はよくて彼女の執事で、普通に考えれば、並みの使用人くらいの立ち位置にしか見えない。その僕を交渉役としなかったのは、正解だ。
そして、無知なお嬢様という最悪の印象を植え付けさせる。
そして、彼女は、十分理解していたということだった。あえて彼女が初見のこの建物にずかずかと入って行ったのも、そこから演技は始まっていたのだ。高飛車に振舞っていたのも、自分がその役を担うことで質屋の男の小賢しい心を揺さぶったのだ(僕だったなら、きっと金貨5枚ほどで質入れしたことだ)。
交渉において、重要なのは相手の弱みを握ること。
「ウェディングドレス売ってもよかったんですか? 女の子にとっては一生の宝物になるものでは?」
「んー? いいのよ。だって、この世界で、サトシさんが私にまたウエディングドレスを買ってくれるでしょ?」
そう言って、彼女は(ついでに僕も)普段着ることのないようなみすぼらしい服を着て、微笑みかけた。その顔を見て、何も気づかないなら、彼女を幸せにする資格や意味なんてない。そう思わずにはいられなかった。
僕たちは、この世界において旅人が着るような普段着を手に入れた。質入れのための簡単な事務処理をしながら、次の目的について話す。
「今度は、冒険者組合に行きます」
「?? 何をしに行くんですか、仕事の依頼?」
「もちろん、冒険者になるのよ! サトシさんには、私を幸せにしてもらうんですから。それとも、職業が冒険者は嫌? 勇者くらいの方がいいかしら?」
「い、いやじゃないですよ? 完全にいい提案です。冒険者一択です。勇者なんかより、断然冒険者です」
「……、ふふ、本当にちょろいんだから!」
質に入れたウエディングドレスの代わりに、借り受けたパンパンに膨らんだ皮袋のお金を見えないように腰回りに隠した。
彼女は、また来ますわ、と言って厳つい男に微笑みかけて、質屋を後にする。この時にはすでに怖い顔はなりを潜めた。
馬車が規則通りに道の真ん中を行き交い、人が不規則に人を避けていく。馬車専用の車輪がうまく活用するように綺麗に整えられた石畳とは違い、区別されたように少し無骨に整備された石畳を歩く途中で彼女は口を開いた。
僕は、彼女を馬車が行き交う危険な道から遠ざけて、比較的安全な商店が乱立したり、住宅が建つ左側に追いやってその話を聞いた。
「冒険者組合はね。実は、教会の近くにあるの」
「じゃあ、質屋に行く前によっていけばよかったのに」
「それは、冒険者に着いたらわかるわよ」
彼女は、そう言って、質屋に向かった道を教会目掛けて逆走する。
「教会の近くに冒険者組合って普通なんですか? 冒険者って乱暴なイメージがあるから街の隅に追いやられているイメージなんですが」
「そんなことはないらしいわ。この世界の冒険者は、探検家のような意味合いが強いのよ。未踏を踏破し、未知を見つけ、国土を増やすことが当初の存在意義らしいわ。未踏の地は、黒の国の広大な土地のことよ。それを踏破することで、国土とするの。だから、国は、冒険者の報告から、それに応じて報酬を支払うっていうやり方を取っているわ。だから、”国家冒険家”なんていう言われ方をする場合もあるけど、基本的にはあれこれと縛られるような存在じゃないわ」
「なるほど、つまり、公務員みたいなものですか。試験とかあったら嫌だな」
「ざっくり言うとね。でも、私たちからしたら、公務員よりも簡単になれるわよ。試験なんてないない」
そんな話をしているうちに、冒険者組合についた。彼女は、何のためらいも、何の感慨もなく屈強な冒険者が行き交い、集うと思われる戸を押す。
西部開拓時代を思わせるような観音開きの扉が開いた。ギイっと甲高い音がベル代わりのように鳴き、職員は一斉にこちらの方に目を向けた。
中は意外と明るい。怖いと言う印象を受けることなく、屈強な戦士はいるが息苦しいといったことはない。それは、この場所がある程度、無法地帯ではないということを意味していた。
「いらっしゃいませ。ご依頼ですか? それともご登録で?」
扉の近くにいた職員が真っ先に見慣れぬ僕たちに話しかけた。
職員は、髪をアップにまとめて、清楚な印象を与えるような可愛らしい案内人だ。きっと世の男はこの女性に、見惚れてしまい、お近づきになりたいと思うことだろう。
麗らかな職員に、僕の完全な彼女が答えた。
「冒険者登録をしたいの」
彼女の言葉を聞いた女は、胸の前で一つ手を合わせた。
「まあ、それはおめでとうございます。こちらの方の冒険者登録を願いいたしま〜す」
わざわざ、片手を上げて、周りに聞こえるように大きな声でそれを告げる。すると、周りにいる多くの人たちは、一斉に拍手をし、賛辞の言葉をくれる。
「おめでとう、若いのにすげーじゃねえか」
「見ねえ顔だな、ボンボンか? なら気をつけることだな」
「とりあえずは、おめでとう。でも、ここで終わりだと忘れないことね」
「また、一人この国から冒険者が誕生することになるとはね」
「お前が次世代の英雄であることを願っているぜ」
ただ、冒険者登録をするだけだというのに、あまりにも大げさな賛辞であり、違和感を覚えた。
僕の疑問を知らない職員の女に導かれるままカウンターに行き、そこにいた受付嬢にバトンタッチされる形で僕たちの諸々が委ねられた。
「おめでとうございます。冒険者登録ですね。お一人金貨15枚になります。お二人ですと、金貨30枚になります」
彼女の耳で聞いた。
「お金取るんですか? 金貨15枚って高すぎません?」
「そうなの。めちゃくちゃ破格なの。だから、冒険者になれる人って限られているんだけど……」
僕に答えてから受付嬢の対応する
「いえ、冒険者になるのは……」
受付の女性は、彼女の言葉を遮る。
「金貨30枚になります。もし、お金があるのでしたら、二人分の登録をおすすめします。なぜかというと、冒険者になっておきますと様々な特典が得られるからです。例えば、国が運営する宿泊施設のお値段が全額無償になったり、国の運営するレストランでのお値段が無料になったりと冒険者はなるだけで、様々な特典を得られるのです。もちろん、国の運営する場所だけでなく、私営の場所でも強い権利を有しています。また、冒険者は4カ国共同組織ですので、所属の違う国でもおつかいにもなれ、その国での身分の証明にもなり、また、証明の必要な関門などがすぐに通れます。まだまだ、特典はございます。ただ、この特典は冒険者登録の方だけになりますので、お連れ様には適用されない場合が多くあります。もし、支払われるだけの財力があるのなら、お二人とも冒険者登録をなさった方が断然にお得です。冒険者になれば、何もしなくても生活には困らないのです。ここまで保護するほどに冒険者は必要不可欠であり、それだけ危険が多いということなのですが……」
怒涛のようにかぶせてきた。
営業の人はきっとここまでして数字に追われているのだろうなと思う。
冒険者になるのは僕だけであったはずだが、その鋭い視線と恫喝にも似た強い営業話術で、彼女はしぶしぶ折れることになってしまった。これは、とても珍しいことだった。(……実は、彼女もなりたかったのかもしれない)
しかし、謎も一つ解決した。冒険者になるためには、普通の人間にはあまりにも法外すぎる金が必要だった。普通の人間が金貨15枚も払えるはずがない。普通の人は、この値段を稼ぎ出すのに、危険を冒さずには得ることができないものだ。
金貨15枚を稼ぎ出せる人は、おそらくこの国の3パーセント未満のはずで、冒険者になるのは、さらに低くなる。
僕たちは今16歳であるから、その年齢で冒険者になるものは、一握りの才能あるものか金だけを持て余した貴族くらいしかいないと彼女は言う。
「はい、わかりました。二人でお願いします」
彼女は、質屋でもらった皮袋から金貨30枚を取り出して、登録料金の金貨15枚と嫌々だと思われる金貨15枚を支払った。
「はい、確かに頂戴いたしました。では、冒険者カードの発行をいたしますね」
嬢の言葉に、反射運動にも似た、まるで熱い薬缶を触った時に「アチッ」と言ってしまうような瞬発性のために言葉を返した。
「冒険者カードって何ですか?」
たまらず質問したこれはあまりにも間抜けな質問だったのは、言うまでもない。ここでは、誰もが冒険者に憧れており、冒険者になるのに、冒険者カードの存在を知らないものなどいるはずもない。
それは高校野球をしているのに、甲子園の存在を知らないような間抜けさがある。
その証拠に説明をしている、受付嬢の顔は呆れかえり、翻っていた。そして、まさか、その顔のまま説明されてしまった。
「冒険者カードとは、未知の踏破率、保有スキル数及びその説明、ジョブ、レベルなど諸々の個人情報そのものです。これさえ持っていれば、一発で冒険者と認められます。再発行はできません、なくさないでくださいね」
「「はーい」」
二人で仲良く返事をした。
明日あたりにまた投稿します。