奴隷と女の子
宜しくお願いします。
その声の方に顔を向けた。
そこは獣専門の店と書いてあり、5名ほどの獣人が檻の中に入れられて、獣のような扱いを受けていた。見た目は、普通の人と変わらなかった。
「勝手に吠えるんじゃねえ、うるせえぞ」
遠くから杖で声を出した獣人の檻を叩き、若い声色の店主が言った。
「す、すみません。すみません。すみません」
そう何度もつぶやいて、また男にうるさいとどやされる。
獣人の女の子は、服とは言えない一枚の灰色のボロ布で細く小さな身体を隠す。
月明かりで見た赤みがかった髪は、少しも梳かされておらず、乱れている。だが、幼い顔だけは、違和感を覚えるほど、きれいなままで傷1つない。
犬のような耳の生えた女の子の足には、ミミズ腫れが痛々しくつき、ところによっては、血が流れる。男の声に小さい、可愛らしい子は条件反射のように目を伏せ、口を噤んで萎縮した。そのやり取りを私たちは見ていた。
そんな心の痛む光景を冷静に彼は、つぶやくように言った。
「あの人に僕は見覚えがあります。この間、君の居場所を教えてくれた子です。そうか、あの子は、獣人だったんですね」
彼の言葉で氷ほどの冷水を浴びせられたような気持ちになり、ただ、冷たいだけの言葉のような音は、心を冷ました。
女の子には、彼の言葉がどんな風に聞こえていたんだろう。檻の中にいる子は、再び私たちに恐る恐る声を届けた。
「わ、私を買ってください!! なんでもします。荷物持ちでも、囮でも、なんでも……。だから、お願いします。私を買ってください。必ず、迷惑はかけません。役に立ってみせます」
「うるせえ!! 勝手に鳴くなって言ってんだ。次じゃべったら、鞭打ちだぞ」
再び、女の子は目を伏せ、口を噤んで黙り込む。
女の子の存在を知っている彼の言葉は、彼女には希望に聞こえてしまった。だから、勇気を振り絞って、また声を出した。それなのに、彼は、なにもなかったようにもうここから去ろうとしている。
その様子に心が痛む。
彼女の勇気に対してそれはあんまりよ。それは悲惨よ。それは酷たらしすぎるわ。
だから、私は声を出した。
「いくらで売られているの?」
奴隷商の店主は、ニヤリと気味が悪い、下品な笑いをした。
「こいつは、この間仕入れたやつでね。見ての通り、しつけはなってないが、それもあんたたち次第で、どうにでもなるってもんさ。まだ若く、この通り見た目もいいってもんで、うちのオススメなんだ。どうだい? 金貨50枚で」
「少し高いわね。安くならないの?」
「無理だね。希少価値が高いんだ。こいつらは、すぐに買い手がつく」
「そうなの。ところで、奴隷ってどこで捕まえてくるの? 野生なんてないでしょ?」
「ははん。そりゃ、企業秘密ってもんだ。どの国でも奴隷の売買は、禁止されているからな」
「でも、あなたはそれを売っているじゃない」
「何言ってんだ。ここは闇市で、こいつらは、ペットじゃねえか」
店主は、映画で見た悪人のように腹立たしく笑った。
金貨50枚という金額を今の私たちは、持っていない。今私たちが持っているのは、せいぜい金貨十数枚と言った具合。全然足りていなかった。それを聞いて私たちは諦めるしかない。どうあがいたところで、そのお金を持つものは、一握りしかいない。そして、それは私たちではない。
過ぎ去る時に見せた女の子の顔を忘れることはできない。不安で、恐怖で、心細くて、最後の希望だった私たちに諦めた顔だった。
暗く沈んでいくその瞳は、磨りガラスのようにもうその先を見せてはくれなかった。
あまり気持ちがいいものではなかった。だから、もう闇市で何かする気がなくなり、帰ることにした。
帰り際に、彼に聞いてみた。
「あなたは、あの子を助けたいと思わなかったの? 知り合いだったんでしょ?」
彼は、少し考えた後に口を開く。
「うーん。どうしてだろう。あの時、何も感じなかったです。かわいそうとすら思わなかった。それが当然だと思っていたほどです。だから、あの子を助けたいとは、思いませんでした」
彼は、何もしなかっただろう。あの瞬間に目の前で女の子が鞭で打たれようと、殺されようと、泣き叫び陵辱されようとも、彼の感情が逆立つことはなかったし、彼がそれを見て助けようと立つこともしないだろう。
”それが当然だと思っていた”という言葉通り、彼にとってそれが当然のことになってしまった。ただ言葉をかわすだけの違和感がそこにあった。
少しずつ。本当に少しずつ彼は知らぬ間に変わっていく。
「なら、私が助けたいって言ったら、私の願いを叶えてくれるの?」
彼は、満面の笑みで頷いた。
「君がそれを望むなら、僕はその願いを叶えよう。あの女の子を助けましょうか」
彼は、今来たその足で、女の子を助けようと、踵を返した。
「ちょ、ちょっと! どこ行くつもりなの?」
「女の子を助けに行こうと思って、あの人の店に行こうとしたんです」
「今すぐ? まだ、闇市は開かれているわ。そこを襲撃しようというの?」
「そうですよ? それが手っ取り早くて、簡単じゃないですか」
襲撃することが簡単だという。それは間違いではない。しかし、正しい選択肢ではなかった。
彼は知らない、闇市の襲撃は簡単ではないことを。
闇市は、貴族が裏を引く市。それを襲撃するとなると、この王都の力のある貴族の恨みを買うことになってしまう。
それでは、この街でも追っ手に追われる生活になってしまい、去らなければならない。
「ええ、そうね。そうしましょう」
「ほう。これは、どうゆうわけだ? 襲撃は反対ではなかったのか?」
カリーナが言った。
「いいえ、襲撃自体は、反対ではないわ。だけど、今襲撃するのは、反対ってだけよ」
「ん? どうゆうことだ?」
「闇市は、貴族によって運営されているから、そこを襲撃してしまえば、私たちは殺される。それは避けたいの。だから、闇市が終わった時間帯に襲撃する。——時間が過ぎれば、私たちは冒険者……。治安維持のための特別執行権で闘える」
「ほう」
彼に言って聞かせる。
「だから、朝まで待ちましょう。そして、朝になったなら……。闇市が終われば、あなたが望むように襲撃すればいい。でも、返り討ちにあうことも覚悟しなくちゃダメよ」
彼は笑顔で答える。
「そうなっても、君だけは僕が守ります」
「うふふ、本当に私を守れるの?」
彼は、私の言葉を聞いて、ムスッと拗ねたように顔を背けた。
「そんな顔をしないでよ。ちょっとからかっただけじゃない」
「僕は、君を守りたいんです。それが僕の生きる意味なんですから」
「何? そんなに私のこと大好きなの?」
と、彼を挑発する言葉を言った。
きっと、彼は、まごついてしまう。私は、“大好きだよ”という言葉を言って欲しいのだけど、ここでまごついてしまう彼も可愛くて好きなので別にそれでもいい。
「何言っているんですか。愛しているんですよ」
と、彼は言った。
また、明日。




