1-1 背景/霞ゆく運命にある-5
「うんこーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
「えぇー……」
ストレート、ど真ん中に最低な言葉と共にエンドウさんはサンドバックに渾身のパンチを打ち込んだ。ぐちゃぐちゃでフォームも何も無い力任せな一撃だったけれど、その割にかなりいい音がした。
……こりゃ間違いなく今までに何度も何度もやってるなー。
「――とまぁ、ベタではあるけれど、こうすれば大概の出来事はどうでもよくなるよハルカゼ君。ストレス解消よ」
「…………そ、そうですか」
うんこーって叫びながらサンドバックを殴りつけるのはストレス解消法としてベタなんだろうか。ワタシにはよくわからない。
「ハルカゼ君も一発ヤっちゃいなよ。初回特典として先輩のわたし手ずからオプションを付けてあげよう」
そう言うとどこから取り出したのか、一枚のA4コピー用紙にマジックで何か書きだした。手慣れた手つきでサラサラと淀みなく用紙の上をマジックが走る。どうやら、書いているのは似顔絵みたいだった。それも、どこかで見たような不機嫌そうで嫌味な顔のおじいさん……
「あ」
思わず声が出た。さっきの怒鳴りつけてきた「お客様」じゃないか、コレ?
振り向いたエンドウさんは邪悪な笑みを見せていた。
「もうちょい待ち。わたしこういうの得意なんだよねー…………うし、できた!どうよ?」
「うわ、上手ですね。凄い特徴捉えてる感じ」
「でっしょー!?」
むやみやたらに完成度の高い似顔絵の書かれた用紙をサンドバックにこれまたどこからともなく取り出したセロハンテープペタペタと張り付けるエンドウさん。
「……ナニを?」
「ナニもクソも無い。ハルカゼ君よ、コイツに向かってぶっ放せ!!」
「えー……」
「えー……じゃない。先輩命令。ほれほれやってみやってみ」
「不謹慎じゃないですか……」
「コイツは存在が不謹慎で不潔で不誠実なので問題無し」
「うわぁ」
ワタシのエンドウさんへの苦手意識はもうかなり薄れてきていた。この一連の彼女の言動はあまりに馬鹿馬鹿しく、一々ビクビクするのが面倒になってきた。
なんというか、それがエンドウさんの優しさってヤツなのかも知れない。
「じゃあ……やってみます」
「いけー!殺れー!」
似顔絵はさっきの老人に本当に似ていた。見ていると怖かったりイライラしたりする妙なリアリティがある。自然と拳に力が入り――
「……やぁっ!」
――自分の思った以上のパンチが似顔絵に吸い込まれていった。
――――――――――――――――――――――
休憩時間の残りはハルカゼ君と別れて、行きつけの喫茶店で軽い昼食をとった。休憩時間まで上司と一緒というのは気を遣うだろうしね。今回はあのサンドバックの紹介ができれば良かったのだ。
接客業なんてものは全部ブラックみたいなものだ。なんせ人間自体ブラック極まりない存在なのだし、しかも「お客様」なんて立場を手に入れた人間と接し続けるなんてまともな職な筈が無いのだ。ストレスなんて溜まりたい放題だよマジ。
この国じゃそれこそ80年前くらいから「ブラック企業」が問題になっているらしいけど、今でもさっぱり改善できてない。
要は根元、企業というものだって作っているのは人間、そう、ブラック極まる人間様なのだから、何年経とうがこの問題はどうにもならないのだろう。人間が変わんなきゃ企業だって変わらねーっての。そんなのバカなわたしでも分かる。
まぁともかく、そんなワケで「仕事をする」というのは大概の場合において大変にストレスが溜まるのである。
なので、どれだけ馬鹿馬鹿しい方法であろうとストレス解消法は必要である。いやむしろ馬鹿馬鹿しければ馬鹿馬鹿しい程良い。
……しかし、紹介したはいいものの、あのサンドバック君は天に召されてしまった。
ハルカゼ君のパンチはわたしの予想を超えていた。似顔絵の書かれた紙は無残に大穴を開けられ、サンドバックは思いっきり破けて中身が漏れ出てしまう程だった。
あ、ちなみにサンドバックの中身って砂じゃないんだよね。最初は砂を入れてたみたいなんだけどそれだと殴った時に固すぎてケガしちゃうから、いろんな布とかを入れるようになったんだって。どうでもいい知識だけどね。
まぁともかく、あのサンドバックはオシャカになってしまったので、店長に報告して新しいのを注文している。
「ハルカゼ君のパンチが強すぎてサンドバックが破けました、てんちょー」
「へぇ、やるじゃねえかハルカゼ。ならもっと丈夫なのを用意しねぇとな」
「す、すいません……」
「いや謝ることじゃねぇよむしろ面白えよお前。意外とやるのな。昔はヤンチャだったのか?……まぁエンドウが殴りまくってるから脆くなってたのかも知れんが……それでもこんなことそうそう無いぞ。今からでもボクサーでも目指したらどうだ?応援するぞ」
「おー!そりゃおもしろそー!『対「お客様」決戦兵器ボクサー』の誕生だー!」
「い、いやいやいや!ほんと偶然です……!ていうかエンドウさん客殴ったらマズいですって……!」
「やってくれりゃあ給料に色つけてやるぞ」
「……店長も勘弁してください……」
見ている方もスッキリしちゃうようなパンチだった。ハルカゼ君すごかったなぁ。人は見かけによらないもんだ。
食後のコーヒーを飲みながらホロフォでニュースを軽くチェックしておく。いや普段はニュースなんて見ないのだけど。休憩多めに貰ってて時間余ってるし、常々思ってはいたのだけど、やっぱり大きな出来事くらいは知っておいた方が良いだろう。機嫌の良い今なら多少胸糞の悪い記事でも我慢できそうだし。
……と言ってもやっぱり普段そんなことしないもんだから、記事をしっかり読み込む、なんてことはできなかった。記事タイトルだけでお腹一杯。そのタイトルをタッチして詳細を確認する気になれない。
……というか、なんだか同じようなタイトルばかり並んでいるような気がする。
「……んー?」
なんだろ。よっぽどの事が起こったのだろうか。適当に記事の一つをチェックしてみる。
――つい昨日起きた事らしい。
どこか遠くの、名前も知らなかったような小さな国で、大事件が起きた。
その国の国土の8割が消えた、というものだった。
「はぁ?」
あまりに突拍子も無い内容に間の抜けた声が出た。なんじゃそりゃ。
昨日の午後3時(時差があるのでその国の時間で言えば夜11時)頃、その国の国土に突然大穴が空いた。バカでかい大砲をぶっ放されたような跡になっている、そうだ。小さな国とは言えその大きさは相当なものだ。直径16キロメートルだそうな。ナニソレ。そんなデカい弾を飛ばせる大砲なんてあるわけないし。
そんな被害にあった国が機能する筈が無い。被害の詳細は未だ不明、だが少なくとも復興は不可能だろう。
原因も被害も不明、事実だけが明らかになっている得体の知れなさすぎる大事件。ここまでくるとどう騒いだら良いかもわかんないな。
「ワケわからん」
わからんので、諦めてニュースサイトを閉じて、ホロフォにインストールしているゲームを起動させた。別に熱心にやっている訳じゃないけど、暇潰しには良い。
なんだか大変なことになってるらしいけど、わたしには関係ないしどうしようもないのは確かだ。
ワケわからん、と言えば、実はもう一つ得体のしれない事が起きていた。まぁこっちはそんな大層なことじゃなく、いたって個人的な話なのだけど。
朝起きてホロフォを確認すると、インストールした覚えの無いプログラムを見つけた。
「……『つうしんぼ』……?」
平仮名表記の名前が間抜けだ。だけど、急に現れたもんだからちょっと不気味でもあった。削除しようと思っても操作を全く受け付けない。
ウイルス?とも思ったけど、ホロフォはデフォルトで高度なセキュリティが搭載されており、その影響で「サイバー犯罪」なんて言葉を死語にしたほどの代物なので、その可能性はあんまり考えられない。
じゃあコイツ何、って話なのだけど……
まぁ、とりあえず今のところホロフォは問題無く使えてるし、とりあえず放置している。
ちょっと理解の外にある出来事がちょこちょこあった所で、時間は止まってくれない。社会の歯車として組み込まれたわたし達には、回らないでいられる権利は基本無い。太陽が緑色に変わり、空が茶色になろうが実害が無いんなら無視してグルグル働くのが社会人の掟である。
休憩時間はあと30分程。今わたしがすべきなのは、ちょっとした疑問を踏みつぶして仕事に戻る為にしっかり休むこと以外に無いのであった。
実はこれらの不可思議な出来事はこれから起きる大事件の前触れだったのだ!働いている場合じゃねー!みたいな展開とかないかなぁ。……ないか。
――――――――――――――――――――――
エンドウさんと別れて「スレドイ」の従業員休憩室に入る。コンビニで買ってきたおにぎり二つと自販機で買ったコーヒーを5分とかからず食べ、飲み干した。「食事」というより「処理」に近いと思う。
ホロフォでニュースサイトを見ると、遠い名前も知らないような小さな国で起きたとある大事件が大々的に報じられていた。ほとんどがそれ関連の記事だ。
(――ついに始まった)
この世界のほとんどの人間がこの事件の本質が理解できていないだろう。これは彼らの内一人がちょっと自分の力を試したいという軽い気持ちで引き起こしたものだ。
こんなものは、ほんの序章に過ぎない。
これから沢山、もっと沢山人が死ぬ。あらゆるものが気まぐれに壊されていく。彼らは壊し、殺した後のことなど一々考えない。大雑把で理不尽な殺戮と破壊の波がこの世界を蹂躙していくだろう。
しかし……ワタシは、ただ自分の欲望に従うだけだ。
――しかし、何で今日に限って。エンドウさんも店長もなんだか優しくて面白くてワタシは少なからず愉快な気分になってしまった。
つい興が乗ってしまってサンドバックを普通じゃない力でパンチしてしまった。
……まるであの二人はワタシの決意を揺さぶろうとするかのようだったな。そんな狙いは勿論無いだろうけど。
「そんなことしなくたっていいじゃん?」
なんて言われているかのように。
このまま何も変わらなくとも、楽しく、幸せに生きられるのだとでも諭すかのように。
(……駄目だな、ワタシは。気持ちが半端で未熟だ。これでは足元を掬われるぞ)
気合を入れ直す。決意を新たにする。ワタシは……
(人として、「人生」を生きる)
ドクドクと鼓動する心臓。ワタシは生きている。
生きているのなら、意志のある「生命」として存在していたいのだ。