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1-1 背景/霞ゆく運命にある-4

 ワタシは中断していた電話をかけ直して要件を済ませた後、エンドウさんの言葉に従い店の奥にあるストックに向かった。

 所狭しと商品が保管されていて、つい最近整理したというのにもう散らかり始めている。まぁ、日々様々な商品が入荷され、それらを保管する為のストックなんて場所は、絶対に散らかるようになっているのだ。以前雑貨店でアルバイトをしていたときもストックは散らかり放題だったのを思い出す。


 「エンドウさん」

 「お、来たねぇ」


 先に入っていたエンドウさんに声をかけると、ちょいちょいと手招きをされた。ストックの奥の方へ進んでいくと、そこには――


 「こんな時はコイツの出番だよ」

 「コイツ、ですか?」


 ただでさえ商品で一杯一杯なこの場所で、わざわざ無理矢理にスペースを空けられて設置されたものがある。

 ――サンドバックだ。

 初めてコレを見た時は「この店、大丈夫か?」なんて思ってしまった。

 ストックに売り物でも何でもないサンドバック。かなりスペースを取っているので、商品整理の際かなり邪魔だ。何の為にあるのかエンドウさんに聞いたことがあったのだけど、その時は、


 「……んー……お守り、かな?」


 などと意味不明なことを言われてそれっきりだった。


 「一体何をするっていうんですか……」

 「ハルカゼ君、サンドバック相手にやることは一つだけだよ」


 まぁ、確かにサンドバックの用途なんてそう多く思いつかない。

 エンドウさんは思いっきり腕を振りかぶって、




 「うんこーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 「えぇー……」


 ……身も蓋も無い言葉と共にサンドバックを殴りつけた。



 ――――――――――――――――――――――



 ――人嫌いになった。

 おばあちゃんもおじいちゃんもおばさんもおじさんもおねえさんもおにいさんも……

 子供相手であろうと笑いかけてやれる気がしなくなった。赤ん坊ですら見ていると虫唾が走る。泣き喚いているのを見ると、「わたしの方が泣きたいっての」とか「とっとと黙らせろよ」なんて平気で思えるようになった。

 「好きの反対は無関心」なんて言って、「嫌い」という感情と「好き」という感情は似たよーなもんだという話は時々聞くけれども、だとしたらわたしのこの感情には何と名前をつければ良いのだろうか。

 ……「憎悪」、とかかな。いや憎悪は「愛」に似る、なんて言葉も聞くしなぁ。

 とにかく、どいつもこいつもその中身をぶちまけてくだばってしまえと願っていたこの感情に対しては「好き」とか「愛」なんて言葉で説明されたくは無い。そんなものは1ミリだって含んでくれるな。


 毎日毎日接する「お客様」に愛想が尽きた。もう付き合ってやれない。殺せるものならいつだって殺してやっただろう。

 彼らは特別悪人というわけでは無いんだろう、世間的には。それこそ命を奪われるほどでは無いとほとんどの人が言うだろう。だけど、わたしにはだからこそタチが悪いと思うようになった。

 なんの罰も受けずにわたしを傷つける人、人、人……

 いや、もしかしたら既に、「自分が辛いから」という段階は超えていたのかも知れない。

 最早「お客様」どころか「人間」が丸ごと許せなかった。

 わたしは単純に、道徳的に、人間というものが存在することが許せなくなった。

 「大げさな」と笑うのならばそうやって笑う人こそ特に許せなかった。決定的な罪を犯すことだけは避けながら人の心を踏みにじる狡く卑怯な虫けらたち。「悪」を背負う悪党よりも、「善」を纏う小悪党の方をわたしはクズと呼んだ。世界は善人に優しく、悪人に厳しい。当然だ、そうでないと社会は成り立たない。

 なので悪党は罰というリスクを孕みながらも生きている。ある意味とても真っ当である。

 だけどクズは善人であることの恩恵を受けながら受けるべき罰から逃げている。

 ルールを守り心を犯すその在り様こそが醜いクズ、人間の本質なのだ。

 毎日毎日沢山の「お客様」という名のクズ共を見てきた。そうしていると最早世界にはクズしかいないと思えてくる。

 クズだらけの世界を見ていると、「わたしだけはクズではない」という楽観はできなくなった。

 なにせほとんどがクズなのだ。自分だけはそうではない、なんて都合が良すぎるだろう。

 心当たりなら無数にある。接客業の癖に「お客様」に声掛けすることは全く無くなったし、笑顔も作らない。声をかけられれば「めんどくせえ」という心の内を隠しもしない酷い態度を取り、頭の中は「お客様」を皆殺しにする妄想が破裂するんじゃないかというぐらい詰め込まれていた。

 自分もどうしようもないクズになってしまった、という事実は、少しずつわたしを毒していき、わたしはわたし自身に生きる価値を見いだせなくなった。



 ……こんな馬鹿馬鹿しい程の危険思想から脱け出し……いや、今も完全に否定できるほど元気になったわけじゃないけどまぁ、真っ当な人間を演じられるぐらいには立ち直ったきっかけは、とても些細なことだった。

 


 一年ほど前に、現在の店長に変わった。

 それまでの店長は「給料が下がっても良いから前の職場に戻してくれ」と上の人間に嘆願したのが受け入れられ、異動していった。

 その様子を見て「ああ、その手があったか」とも思ったが、もうわたしはたとえ以前の職場に戻れたとしても自分の中の何かが変わる気がしなかったので結局同じようにここから逃げ出すことはしなかった。

 新しい店長は見た目ヤクザのような男だった。真っ黒に日焼けしたガタイの良い丸坊主の男。20人くらいは殺してそうな顔。

 同僚達は皆「おっかないのが入ってきた」とビクビクしていたが、わたしはむしろ気に入った。

 「人間が嫌い」なことを自認するようになってから、わたしは今のような派手な容姿をするようになった。クズは見た目で判断する。故に見た目で威嚇しておけば絡まれないだろうという考え。

 そういう意味では新しい店長は百点満点だ。見た目が。

 その見た目でどうやって接客業で店長になれる程に上り詰めたのかはさっぱり不明だけど。


 (厳しい人だったりするのかな)


 見た目通りの性格と判断するのなら、甘くは無いだろう。わたしの派手な容姿やサボりと大差の無い仕事に良い印象など持つ訳が無い。


 (殺されるかもな)


 冗談めかしてそんなことを思ったりもした。


 (殺されるんなら、それもそれでいいか)


 と開き直り、新しい店長が見てる前でもそれまで通り堂々とサボってやった。

 殺されること、死ぬことは勿論怖かったが、生きることはそれ以上に耐えがたかった。

 わたし以外の人間が全て死ぬか、わたし自身が死ぬか、その二択のどちらかを選べるのならそれで良かった。

 自殺は怖いし何だか気に食わなかったが、殺されるのならば良いような気もした。


 

 新しい見た目ヤクザの店長が最初にした仕事は、ストックの商品を無理矢理どかし、サンドバックを設置するという意味不明極まるものだった。同僚達はもはやどう反応すれば良いのかわからないといった面持ちだったけれど、わたしは大笑いした記憶がある。それがきっかけで、わたしはヘラヘラ笑いながら店長に頻繁に絡むようになっていた。そのあまりにも普通じゃない店長に興味が湧いたのだ。

 サボっているのを見られても案外何も言われないし、見た目に関しては「ケバイぞ、お前」とぼそっと言われただけだった。

 真面目さのかけらもない店長だった。ずっと会計カウンターに居座りながら、じっと店内を見渡すだけ。店長がそんなことだから、元から少なかった売り上げはさらに落ちた。


 「てんちょー、あんた店潰しに来たの?」

 

 そう聞くと、


 「……積極的に潰したいわけじゃねぇが、潰れても良いとは思っている」


 と眉一つ動かさずに答えられた。

 


 ――こいつ、マジモンの馬鹿だ。

 新しい店長が来てから、わたしは笑わされっぱなしだった。

 だってホントにやる気ないんだもん。見てると何もかも馬鹿馬鹿しくなってくる。

 いつしか怖がっていた同僚達も、店長の不真面目さに警戒心を溶かされ、店内はいつも弛緩した空気が漂うようになっていった。

 すると不思議な事に、「ガツガツしてない感じが良い」と客数こそ少ないが、熱心なリピーターがつくようになった。

 「意外と気兼ねなく買い物ができる。カウンターの店長は怖いけれど」みたいな話をよく聞いた。

 いつの間にか、以前ほどの売り上げでは無いものの、店を維持できる程度には商品が売れていく。特別わたし達が頑張っているワケでも無いのに。

 厄介な「お客様」に捕まる事も少なくなった。まぁ母数が減っているから当然だろうけど。なんというか、自然と「わかってる」客ばかりが来るような店になっていた。もしかしたらこれが店長のやり方なのかも。

 勿論、面倒な「お客様」がゼロになったわけでは無いし、頭湧いてんじゃねぇかと思えるようなクレームが入ることもあるにはあったが、そんな時は決まって店長が出陣し、


 「――うるせぇ。ドラム缶に詰めて海に沈めてやろうか」


 ……とまさにヤクザなセリフをドスの効いた声で言い放って撃退した。


 「てんちょー、『お客様は神様』じゃないの?」

 「邪神は退治するべきだろ」

 

 「てんちょー、こんな風にこの店が残るってわかってたの?」

 「……ぶっちゃけ、たまたまだ」


 「てんちょー、そういやなんでサンドバックなんて置いたの?」

 「ああ、それはだな……」


 店長は微かに笑った。

 

 「お前らのストレス解消用だ」

 「は?」

 「俺なら直接クソな『お客様』をぶん殴れるが、お前らはそうもいかんだろ。貧弱そうだしな。だからアレだ。ムカつくことあったらアレをぶん殴ってみろ」

 「てんちょー、バカ?」

 「殺すぞエンドウ」

 「うへえ。ストックに逃げよ」

 「ああ、逃げろ逃げろ。追いついて殺してやる」


 

 ――わたしはヘラヘラ笑いながらストックに逃げ込んだ。しかしストックの出入り口は一つだけ。ここに逃げ込んだ時点で詰んでいた。

 ああ、死ぬ。死んでしまう。店長のあの剛腕ではわたしの頭なんてカボチャのように粉砕できるだろう。

 

 「やべー」


 最期の思い出に、せっかくなのでサンドバック殴りをやってみる事にした。

 

 ばしん。ばしん。


 「うへへ~えや、えや~」


 だらしない笑いを浮かべながらふにゃふにゃのパンチをサンドバックに叩き込む。

 ……店長は、否定しなかった。

 最悪なものを最悪と、口には出さずともはっきりと示していた。

 どうでもいいとわたしが言えば、そうだ、どうでもいいんだと言った。

 それが嫌じゃなかった。

 なんというか、そう……例えば、音楽。

 ネガティブな気分の時にはネガティブな歌詞の歌の方が心に染み入っていくあんな感じ。


 ――ばしん。ばしん。ばしんばしん。ばっしーん。


 気づけば随分長い時間サンドバックを殴り続けていた。

 そして、自分が普段しない運動で疲れ切っていることに気づいた。

 結果、わたしの体がぱたん、と床に倒れた。


 「う~ん」


 駄目だ、今店長に襲われたら一発であの世行きだ。

 怖いな―ヤダなー。


 

 ……あまりにも非生産的な時間だった。とにかくバカバカしくて、疲れ切っているのに笑いが止まらなかった。

 どうでもいい。全部どうでもいい。

 生きるのも死ぬのもどうでもいいから、これからも生きていけそうだった。

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