3-2 溶けていくモノ
――私達の居場所は暗い地の底だった。
自分達以外の全ての「異能力者」を排除する為に起こった、廻の一族。
それが私達の呼び名。……呼び名、と言っても呼ばれるほど周知されている訳では無い。
影から、影へ。世界の殆どの者にはその存在すら知られない。
……平穏な社会。その為には、「異能力者」……「外れて」しまった者が現れた時、まるで「元からそんな者はいなかった」とでも言うかの如く、跡形も無く消す必要がある。
「異能力者」は存在するだけで世を乱す。
「異能力者」は能力以前にその在り様が社会の一部品として適さない。
「社会の歯車」にはそんなものは必要無い。
人はヒトという「生命」ではなく、歯車という「物」として存在することで、社会の一部分となりこの世界を存続させる道を選んだのだ。
「物」になれない者には死を。
「生命」としてあろうとする者に死を。
そして私は、“技師長”……廻の一族の「最終手段」。特に強力な「異能力者」を排除する使命を持つ者であり、その為に特別な修練を課せられた。
「普通」の人間には扱えない、超常の「異能力」。それを、星の数ほど与えられた。
毒を以て毒を制す。「異能力者」は「異能力者」で。それが、いわば世界の、社会の守護者たる廻の一族が選んだ手段。
全ての「異能力者」を排除する為に、最強の「異能力者」を作り上げる。
……今思えば妙な話に思えなくも無い……が、それしか手段が無いのも事実だった。
千代目の“技師長”の私は、この世に生を受けて10年で「完成」した。
10年で“技師長”として「完成」する。……周囲の人が言うには、これは異例の早さらしい。
“技師長”の入れ替わりは激しい。
無数の「異能力」を持つ“技師長”をもってしても、その命と引き換えにしなければ殺せない「異能力者」が現れるのはそう珍しく無い。
そして、強力な「異能力者」程その力に溺れ、社会を破壊する傾向にある。
……殺し合いは避けられない。
「社会の歯車」達には信じられまい。「世界の危機」なんてものは、特別珍しくも無い、ということは。
懸命に鍛え上げた“技師長”が、たった一度の殺し合いで命を落とす。
廻の一族にとっては、頭の痛い話である。
“技師長”は使い捨てであってはならないはずなのに、結果として使い捨ての消耗品になってしまっている。
そんな中で、たった10年で歴代の“技師長”と見劣りしない力を手に入れた私にかかる期待は大きかった。
長きに渡り、社会を守護できる“技師長”。
ずば抜けて強力な「異能力者」が現れても、問題無く排除し、生きて帰り、繰り返し「異能力者」を排除できる“技師長”。
歴代最強の“技師長”。
「我々が長きに渡り求めた、理想の“技師長”に成れる器が、彼女にはある!」
その期待に私は応え続けた。
11の頃に、「不老不死」の「異能力」を身に着けた。これは歴代の“技師長”でも3人しか習得できなかった「異能力」。「不老不死」を持つ者ですら殺す事の出来る「異能力者」も今までに居た故、安心はできないが……そんな者が現れない限り、私は永遠に“技師長”として守護し続けることの出来るようになった。
12の頃には歴代で最も多く「異能力」を身に着けた“技師長”になっていた。歴代“技師長”が持っていた「異能力」を全て手に入れた私は、「最高傑作」と評された。
13の頃に、歴代のどの“技師長”も手に入れられなかった「異能力」、「無限魔手」を習得。廻の一族は、五百代目から新たな「異能力」を産み出す事が出来なかったが、私はその停滞を打ち破った。
14の頃に、「異能力者」を百人殺した。その百人は百人とも、歴代の“技師長”ではその命を犠牲にしてようやく殺せる程の力量の者達であったが、私はその全てを圧倒。毎回毎回、傷一つ無く役目を果たし、帰還した。
「彼女こそ、世界を、社会を守護できる完全完璧の“技師長”である!」
周囲の人間は私をこぞって讃えた。
だけど、ソレは。
――「人」に対してのモノでは無かった。……あくまで便利な「道具」としての、「物」に対してのモノであった。
……そんな事は当時からぼんやりとわかってはいた。結局、“技師長”は「道具」なのだ。
だけど、今思えば信じられないくらいだが、私はその事に対して何の疑問も、不満も無かった。
いや、疑問も不満も持つ機会を与えられなかった。
もともと人々を、ヒトという「生命」ではなく、歯車という「物」として取り扱い守護してきたのが廻の一族なのだから。
「異能力者」を殺す時以外は、地下の住居から一歩も外に出ない生活。廻の一族は産まれてから死ぬまで、「物」として扱われ、「物」として死んでいく。
私も、そうなるはずだった。「生命の輝き」など知らずに、“技師長”として、「道具」としての役割を果たし続けるはずだった。
しかし……私は、抱いた。
疑問を。不満を。
「道具」には不要な筈のソレを。
ソレが、廻の一族の、終わりの始まりだったのだ。
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“不適合者”達のゲームが始まって、半年。
随分肌寒くなり、時間の流れを実感する。
わたし……エンドウ・スベルは、このぶっ壊れた社会でしぶとく生きていた。
“不適合者”以外の一般人、「社会の歯車」は日々日々ゴミのように殺されているが、それでもなんやかんやで社会は回ってる。
その辺の道端に死体が転がっている。……そんなモノを見ても動じない程度には、人々はこの状況に適応してきている。
“不適合者”による一般人の大量殺戮は、最初期こそ相当なものだったが、すぐに落ち着いた。
今はどちらかというと、一人ひとりを時間をかけてゆっくり苦しめて殺してる感じ。
“不適合者”の性分がわかるというものだ。
社会に適応できなかった者は、社会を憎む。
社会を形作るのは、社会に適応できた人々……「社会の歯車」。
だからこそ、“不適合者”は「社会の歯車」を憎んでいる。殺したい程憎んでいる。
それも、ただ殺すだけでは満足できないようで……
目一杯「死」の恐怖を植え付けてから殺さなければ気が済まないらしい。
「出来るだけ苦しめてから殺したい」……ある意味幼稚で、しかし残酷な思考。
……まぁ、実際に“不適合者”が何考えてるかなんてわたしがわかるわけも無いけど。
なんせあいつら同じ“不適合者”同士でも殺し合ってるし。意味がわからん。同じ境遇なんだから仲良くしなよ。
確かに、自分以外に“不適合者”が一人もいなくなれば、世界丸ごと支配できるだろうけど、それってそんなに楽しいかね。虚しくない?
……なんて思う“不適合者”もいるのか、“不適合者”同士で協力し合う事も増えてきているようだった。
大小様々なチームが結成され、“ゲーム”の勢力図はいよいよ混沌の極みである。
ネットで調べれば、物好きな一般人がそういう情報をまとめたサイトを見つけられたりする。
どこそこのチームが吸収されただの解散しただの壊滅させられただの。
“不適合者”って奴等は随分元気だなぁ。
“ゲーム”の一日の動向を追っているだけで日が暮れてしまう情報量だ。
芸能人のめくるめく複雑な恋愛模様をワイドショーで見るより100倍疲れるくらい。
熱愛、浮気、結婚、不倫。
盛り上がって、ゆれて、くっついて、壊れる。
そんな感情のカオスという点で、恋愛と“ゲーム”の性質は似てるような気がしなくもない。
……似ていないかもしれない。
……ま、まぁ、見ていて疲れるってトコは同じってことで、ひとつ。
「――なにやってんだろ、わたし」
呟きが空に溶けていった。
こんな状況じゃあ生きている方がおかしいとすら思える。
だけど、わたしは、わたし達は、「社会の歯車」は、日々壊れて少なくなってるにも関わらず、少なくなったらなったなりに、回転し続けて社会を成立させている。
“ゲーム”は激化する。わたし達「社会の歯車」はなーんにもできない。
崩壊は確実に近づいている。日常は端の方からボロボロ崩れている。
だけど変わらないものが確かにあったりして。
変わらなきゃならない、はずなのに。
理屈とか全部すっとばして、わたしの頭の中のわたしが、「あんた生きてる意味あんの?」と問いかけ続けている。
無力。無力。無力。
わたしがいなくとも、世界は変わらず回る。……そんな事、ずっと前から分かっている。
分かっているのに、ソレがどうにも引っかかって……頭にモヤがかかりっぱなしだ。