2-2 おかしな「ワタシ」
それはきっと、一種の「大人ぶり」だったのだと思う。
高校を入学したと同時にワタシは、一人称を「私」にしようとした。
「僕」は子供っぽいし、「俺」はあまりにありふれている。
だけど、男の言う「私」には何か大人っぽいというか、他のクラスメイトと比べて何か違う印象が無いだろうか?社会人っぽいというか。
今なら、それを言うならどちらかと言うと「私」じゃないの?と当時の自分にツッコミを入れるけれど。
ささやかな高校デビュー。
……中学までのワタシの人生は「冴えない」の一言で片づけられるようなものだった。
勉強も運動もコミュニケーション能力も中の下の中ぐらい。
いっそ下の下の下なら本気になれるのかも知れないが、ギリギリ「まぁこのままでもいっか?」と思えるようなライン。
もちろん、このままでいいわけがないのだが。
中途半端な自己変革は、そこそこにアイタタタな思いをして中止される……
はずだった。
「なぁ、なんでハルカゼって自分のこと『私』って呼ぶんだ?」
「あぁ、そりゃ俺も気になってたなぁ」
「ていうか、明らかに言い慣れてないよな?『私』っていうか、『ワタシ』、みたいな」
「外人の覚えたてみたいなイントネーションなんだよなぁ……」
「なんかリスペクトしてる奴の真似とか?」
「あぁ、なるほど。俺も『ソウル・プレデター』って漫画のキャラのセリフ真似してた頃があったわ。『ジード』ってヤツがさ、カッコいいんだよなぁ。中学の頃クラスメイトに笑われてやめたんだけど」
「……そりゃただの中二病だ」
そう言われて、自分の高校デビューが客観的に見て恥ずかしくなった。
昼休み、各々弁当を食べながらの他愛の無い会話。
その時の会話の相手は高校で一緒に同好会を立ち上げたような、気の合う男二人。
人の行為を嘲笑ったりしない気の良い奴らだ。
だから、その言葉も別にからかい目的じゃないことはわかっていたのだが……
「結局、なんでなんだ?」
「……あー。いや、その。大したことじゃないよ。やっぱおかしいよねぇ。フツーじゃないね。あ、あははは……」
「気に障るんならやめるよ」と言葉を続けようとした。
実際無理をしていたし。ぶっちゃけ自分の事は「僕」って言う方がしっくり来る。
慣れないことはするもんじゃないなぁ、と恥ずかしさで一杯になっていた、その時だった。
「――いいじゃねぇか、おかしくったって。フツーよりよっぽど面白え」
ふと、すぐ後ろから愉快そうな声が聞こえて、ワタシ達3人はビクっとした。
「『普通』なんてなぁ、周りの奴らが言うような良いモンじゃねぇって。『結局普通が一番』なんてのはクズのセリフだぜ。『特別』を目指して、滑稽でも何でも足搔き続けるヤツ、あたしは好きだ」
「あたしは好きだ」……その言葉で、ワタシはきっと魔法にかけられた。
恋の魔法。なんちて。
――その言葉を発したのは、このクラスで一番美人だ、なんてひっそりと噂されている……
「おっと、突然悪ぃな。あたし、アイダ・リホ。知ってるか?」
知っているに決まっていた。吸い込まれそうな色合いの黒髪。彼女が動く度になびく癖一つないロングヘア。垂れ目気味の割りに妙に気が強そうで、いつも何処か余裕そうな態度が不思議と魅力だった彼女。性格だってさっぱりしてて見てて気持ちが良いし、男っぽい口調も良く似合ってた。
クラスの男共は気づけば彼女を目で追っていた……に違いない。多分。少なくともワタシはそうだった。
「あ、あぁ……し、知ってるよ」
どもりながら何とか答えた。
ワタシ達3人ははっきりとは言われないものの、いわゆるスクールカーストの下の方の冴えない連中。
アイダ・リホは当時、スクールカーストの最上位のグループにいるような女子だった。
クラスで一番の美人だし、収まるところに収まってると言うべきか。
「そっか。あんま絡んでないから顔はまだしも名前なんて知られてねぇと思ってた。――んで、あんたは、ハルカゼ・ツグキ。だろ?」
ニヤリと笑いながらビシッとワタシを指さす。
「いや、実はずっと気になっててさぁ。ハルカゼの変な一人称もそうだし、入ってる同好会も面白そうじゃん?…………なぁ、同好会、あたしも混ぜてくんねぇ?…………ダメか?やっぱ」
――ちょっと茫然としてしまった。
ずっと気になってた、だって?……おいおい、ラブコメですか?ラブでコメるんですか?
「……い、いいよね?」
良くなかったら、コロス――
内心そう念じながら、友人二人に確認を取る。
「……ま、まぁいいけど、よ?」
「……アイダさんがいいのなら」
この瞬間、友人二人はワタシの中で「心の友」にクラスチェンジした。愛してるぞオイ。
「……おぉ。そ、そりゃ、いいに決まってる、こっちから頼んでんだぜ?――いやぁ~緊張したわ!!ヨロシクゥ!!」
ワタシ達三人の肩をバシバシ叩いてくる今まで見たことの無い程上機嫌そうなアイダさん。
それを遠巻きに見ていたクラス全員の驚愕が伝わってきて少し居心地が悪くなったものの。
それ以上にワタシは浮かれていた。
彼女なんてできたこともなく、それどころか好きになった人すらいなかったワタシにはアイダさんとの会話は衝撃的過ぎた。端的に言うと惚れた。抱いてくれ。
(――もう一生「ワタシ」でいよう――)
こんなのは、普通、無い。一人称変えただけでこんな良い展開になるワケない。
奇跡だコレは。
奇跡だったら、大切にせねば。掴んで離さんぞ。
この時のアイダさんの言葉は今でもしっかりと覚えている。
どれもこれも、ワタシにはとんでもなく強烈だったから。「冴えない」だけだったハルカゼ・ツグキの人生に、目が潰れるんじゃないかというくらいの強く綺麗な光が差した。
大袈裟だろうか?だけど、初恋って誰にとってもそんな感じじゃないだろうか?
彼女が気に入ってくれるのならば、ワタシはいくらでも「特別」を目指して滑稽に足搔こう。
嘲笑うのならばいくらでも笑え。ワタシはおかしなおかしな、「ワタシ」だ。