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1-0 (天国に堕ちる/地獄に昇る)エスカレーター・プロローグ

 「従業員用」と書かれた扉を開ける。

 すぐに階段が目の前に見える。

 それを下り終わってすぐの所にいる警備員に向けて従業員証を見せる。


 「おはようございますどうぞー」

 

 ここは、従業員用の通路である。普通の客はここには入ってこない。この建物の裏の姿である。

 気の抜けた警備員の挨拶を聞き流しながら、さらに奥へと進んでいくと、エスカレーターが見える。


 「・・・・・・・・・・・・っ」


 これに乗って地下2階から8階まで昇っていく。



 本当はエレベーターに乗っていきたい。

 それは、エスカレーターでこれだけの階数を移動するのには時間がかかるというのが嫌、という事では無い。

 ……別に大した理由では無い。少なくとも、他人にとっては、恐らく。

 それでも、私にとっては、どうも――


 ここのエレベーターを使えるのは大きな台車で荷物を運んでいる人に限る、というのがここの建物の決まり。

 つまりどれだけエレベーターを使いたいと思っても、それは叶わない、という訳だ。

 それなりに大きなデパートであるここでは、何かと荷物の出入りが多いのだ。

 そんな訳で、毎朝私はエレベーターを諦めて、エスカレーターに乗り込むのだ。


 何がそんなに嫌か、というと、エスカレーターが発するアナウンスの音声が嫌なのだ。


 「このエスカレーターは、上へ参ります」

 「このエスカレーターは、下へ参ります」

 

 上りと下りのエスカレーターが隣接している形になっているので、それぞれが発するアナウンスが両方耳に届いてくる。

 

 「このエスカレーターは、上へ参ります」

 「このエスカレーターは、下へ参ります」

 「・・・・・・・・・・・・」

 

 早い話が、正反対の言葉を同時に聞かされるのが気持ち悪いのだ。


 「このエスカレーターは、上へ参ります」

 「このエスカレーターは、下へ参ります」

 「このエスカレータは、」

 「上へ参ります」

 「下へ参ります」

 「このエスカ」

 「上へ参り」

 「下へ参り」

 「この」

 「上」

 「下」

 「・・・・・・・・・・・・」

 

 上っていっている筈なのだけど、アナウンスを聞いていると段々頭が混乱してどっちに行っているのかわからなくなってくる。グルグルと脳をかき混ぜられている感覚に陥る。


 「コノえすかれーたーハ、ウエヘマイリマス」

 「コノえすかれーたーハ、シタヘマイリマス」

 「・・・・・・・・・・・・」

 

 「上へ(下へ)」

 「マイリマス」

 「このエスカレーターは、」

 「ウエへ(シタへ)」

 「参りますコノえすかれーたーハ」

 「下へ(うえへ)」

 「ウエへ(下へ)」

 「上へ(シタへ)」

 「したへ(上へ)」

 「・・・・・・・・・・・・」


 「こノエスかレーたーは、」

 「上へ下へ上へ下へ上へ下へ」

 「うえへしたへうえへしたへうえへしたへ」

 「ウエへシタへウエへシタへウエへシタへ」

 「上へシタへウエへしたへうえへ下へ――」

 「・・・・・・・・・・・・うっ・・・・・・・・・・・・」


 眩暈がする。

 頭が痛い。

 なんだか吐き気もあるような気がする。


 こんな時には、少しだけ振り向いて、同じようにエスカレーターに乗っている従業員の顔を盗み見る。


 「――――――」

 

 無表情。何ともない、とすら思っていないような、平然とした顔。

 

 (そりゃそうだ……もう慣れっこだろう)

 (そう、これが、この表情が、この態度こそが――)

 (『普通』というやつなのだ)


 いつもここのエスカレーターに乗る度にこんなことを考えている。

 いい加減一々こんな事を考えなくても良いようになりたいものだ。

 辛いなら耳栓でもイヤホンでも付ければ良い、とも思うのだけど、こんな事の為にそうやってわざわざ特別な対策をすること自体、馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

 ……それは、「普通」じゃない、と。

 

 (気にするようなことじゃない……『普通』は。)

 (こんなくだらないことに心を乱されている場合ではない)

 (『普通』に生きていたいのならば――)

 

 こんな些細なことに一々参っていてはいけない。

 自分に言い聞かせる。



 無理矢理に自分の感情を押さえつけた。

 逃げ出したくなる衝動を必死に堪えた。

 『普通』を、維持し続ける。



 そして、ついにエスカレーターは目的の8階へ到達し、私の口からは安堵の溜息が漏れ出していた。

 今日も何とか何事も無くたどり着くことができた。

 

 しかし――


 (こんなことにここまで苦労しなければいけないなんて)


 痛感させられる。


 (結局私は)


 どれだけ『普通』であることを求め、

 『普通』であることを幸福と考えていても……結局のところは。


 (『おかしい』のだろうな)



 自嘲的な笑みが自分の口元に浮かんでいるのが、はっきりと感じられた。

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