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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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君の特別

作者: 山崎空


 まず妹の話をしようと思う。


 うちの妹は、ぶっちゃけ顔は平凡だ。笑った顔は愛嬌があって可愛いけれど、目のさめるような美少女ということはない。

 普通より、ちょっと可愛い。中の上。そんな感じ。

 性格はやんちゃで、負けず嫌い。他人からの束縛が嫌いで、自分の感情には素直だ。それに馬鹿でもない。二番目だからか、大人が求めている子供らしい反応って言うのを無意識にさとって、実行する計算高さもある。 

 早い話が、大人たちには可愛がられる子。

 もちろん、家の両親も例外ではない。


 次に弟の話をしよう。


 末っ子は、きっとどこの家でも一番要領がいい。

 類にもれずうちの弟もたいそう外面がよく、ソツがない。子供特有の無邪気さと末っ子の狡猾さが見事にまざりあっている。

 母親に似たせいか少し女の子っぽい顔立ちはまだ幼いからだろうか。黙ってれば確かに可愛い。多分容姿的には姉弟の中で一番なんじゃないかと思う。妹と弟の顔どちらが可愛いと聞かれれば、私は間違いなく弟だと力強く即答する。

 しかし弟が可愛いのは外見だけで、腐っても男の子である。大人しく家で遊ぶような内気な性格ではないうえ、妹にひっついて遊んでいたせいかこちらもやんちゃだ。

 赤ん坊の時に面倒を見ていたのは私なのに、何故か弟は私よりも妹によく懐き、私の事は面白みがない口うるさい奴だと思ってる節がある。

 話しかけても対応はおざなりだし、碌に話も聞いていない。注意すればしかめ面。顔は可愛いが全く可愛くない。


 最後に私の話をしよう。


 妹と弟と言うからには、私が一番上である。

 そんなに大きくない村の、村長の長女として生まれた。

 他の家に比べれば、村長という役職のおかげかちょっと裕福で、贅沢をしなければ特に不自由しない家庭環境だ。

 妹や弟が生まれるまでは私にも甘かった両親は、今はまったく気にかけてくれない。長女だからと何でもこなす事を強要して、上手くできなければ渋い顔をされ失敗すれば怒られる。

 妹と弟の面倒を見なければ怒られ、きちんと見てやんちゃ振りを注意すれば苛めるなと怒られる。

 かくも親というのものは理不尽なものだ。

 弟妹には失敗しても怒ったりしないのに、私にだけ怒る。手伝いも私にだけ強要する。次の村長になる弟にこそ手伝いをいいつければいいのに、そう言えばまた怒られる。そして妹や弟がやらかしたことで、何故か怒られる。

 不満ばかり言っていては良い女になれないと、料理に縫い物、掃除に洗濯。次々と仕事を仕込まれて、遊びに行く暇なんてありゃしない。

 たまの外出はお使いか、帰ってこない妹と弟を探す時か、それとも面倒を見る時か。

 どこの家でもこれは普通だと言い聞かされたけど、やっぱり理不尽だとしか思えない。

 だって妹は、私が手伝いを言いつけられるようになった年齢になっても何も言われないのだ。

 あの子はいいのよ、器量がいいから。そう言われたって納得できない。木の棒を振り回して立ち入り禁止の森に勝手に入って遊ぶような子の、どこが器量がいいものか。顔だって弟より可愛くない。

 

 そんな毎日だから、両親と妹に対する不満は日に日に大きくなった。勿論弟に対してだってあるけど、同じ女という理由ともう一つの要因のせいで、妹に対する苛苛は日々怪物のように巨大化していった。


 もう一つの要因とは、ぶっちゃけ妹にでれでれに甘い双子の幼馴染のことである。

 この村には、のどかな環境に惹かれたのか移住してくる人間も時々いる。

 もちろん反対に別の場所に移り住んでいく人たちもいるが、そんな感じで村人の顔ぶれが変わることがある。

 私が生まれる三年前にこの国の都の方から移り住んできたという物好きな夫婦は、ここいらではちょっとお目にかかれないぐらい見目がよい人たちだ。

 特に奥さんの綺麗な金髪は田舎の女には到底持ち得ない上品な色だ。

 旦那さんも勿論とても格好良く、引っ越してきた当初は他の村人達が相当騒いだらしい。

 でも私にとっては、私が生まれた時から既に村に住んでいた村人で。彼らの家の双子と私がちょうど同じ年に生まれたものだから、よく引き合わされて遊ばされた。


 両親の容姿を引き継いで生まれた茶色い髪と金色の髪の双子は、そりゃあもうとろけそうになるほど可愛い子だった。

 二人とも男だが、そんなの関係ないほど可愛かった。

 双子は村中の人間や子供に可愛がられたが、彼らはそれがちょっと鬱陶しかったらしく、物心ついた頃には仏頂面が普通の顔で愛想も悪くなっていた。

 普通の表情で話すのは私ぐらいで、それにちょっと優越感も感じていた。

 まあ、ありていな話、私の初恋は双子の片割れだ。ちなみに茶色い髪の方。名前は、エリオット。ちなみに金髪の方はカーティスだ。

 初恋の理由は簡単だ、エリオットの方が私に優しかったのだ。

 何かと私に意地悪をしてくるカーティスより、優しいエリオットの方を好きになるのは普通だろう。彼とはよく一緒に本を読んだりして遊んだものだ。特に、遥か昔にこの大陸から分かたれたと言われている幻の大地の話が好きで、色んな空想を一緒にしたものだ。


 まあ、それも過去の話である。

 妹が生まれてから、そんな柔らかい時間は終わったのから。

 小さな赤ん坊の何が彼らの心の琴線に触れたのかは知らないけれど、妹が生まれて数ヶ月もしないうちに双子は何かと妹にかまいに来るようになり、成長してからは一緒に遊ぶようになった。

 口うるさい実の姉より、甘やかしてくれる見目麗しい双子に妹はころりと落ちた。全力で懐いて彼らを巻き込んで遊ぶようになった。

 双子は双子で、妹が何をやらかしても甘い顔で許して助ける。

 それを注意するうちに、いつの間にか双子は私の前でも仏頂面が普通になってしまった。


 意地悪だったカーティスはどうでも良かったけど、優しかったエリオットまで私を睨むようになったのはとてつもない衝撃で、一番最初に睨まれた日の夜は涙が溢れてとまらなかった。

 本当に心が痛かった。

 悪い夢を見ているのかもしれない。

 でもそれは紛れもない現実で――だからこそ目が溶けるんじゃないかっていうくらい、泣きに泣いた。

 いくら泣いたってどうしようもなかった。

 私の淡い初恋は、その日がらがらに崩れて無くなったのだ。



 恋心が無くなった隙間に入ってきたのは、元々膨らんでいた妹に対する不満と苛立ちと嫌悪。現状に対する不平不満。

 それは日を重ねるごとに限界にまで大きくなって、一体これが爆発したらどうなるのか検討もつかなかった。

 わからない事は、恐い。

 だからそれが爆発しないように、大きくなっても押さえ込んで押さえ込んで、妹や弟や幼馴染たちに、ひいては周りの言葉を意識的に聞かないようにして。

 そうまでして抑えていたのに――ある日突然、それは爆発した。


 切欠は、両親のお小言だった。

 立ち入り禁止の森に入って、さらに奥まで入り込んだらしい妹と弟それに幼馴染の双子が、一晩帰ってこなかった次の日の事。

 無事に見つかった四人はそれぞれの親から散々心配したと抱きしめられ、怒られた。

 それはいい。問題はその後だ。

 妹と弟がそろって家に帰ってきて、どういうわけか今度は私が両親に怒られた。

 どうやら妹達の事を聞かれた時、どうせその内戻ってくると適当に答えた事と、禁足の森に入っている事を昔から知っていたのに止めなかった事を責められたらしい。


 ぐわらんぐわらんと、奇妙な音が耳の奥で鳴り響く。しばらく前から母親の怒鳴り声と一緒に聞こえるようになったそれは、私の頭を酷く痛くさせる。

 その痛みに耐えながら、私は眉間に皺を寄せた。


 母親のお説教は止まらない。不満ばかりが、ふつふつと心の底からわいてくる。

 親が心配しているなら、私ぐらい心配しなくてもいいじゃないか。

 禁足の森についてはもう何度も注意したし、そのたび妹が「お姉ちゃんが意地悪を言う!」と泣きついて、他でもない両親が「意地悪を言うのはやめなさい」と言ったのにどういうことか。


 ――理不尽だ。

 もう何度目か分からない嘆息が喉元までせりあがった時、どこかでパンッ、と何かが破裂する音がした。


 その音の衝撃のせいだろうか、一瞬だけ思考が真っ白になった。

 両親が怒る言葉も、何にも入ってこない。

 世界はまるで紙くずのように薄っぺらくなり、何もかもが遠くなった。

 厳しい顔の両親も、どこかばつが悪そうな妹と弟も。

 声も。

 空気も。

 関係も。

 世界すら。


 遠くに、遠くに離れていって、私は真っ暗な空間に独りで投げ出されたような気分になった。

 ああ、誰もいない。

 世界には、私一人だ。

 誰もいない。

 誰もいなくなった。

 みんなはじけ飛んでどこかに消えてしまった。

 何もない。




 私は、独りだ。




「聞いてるのニルケ!」


 母親だった人の、戒めるような大きな声で私の視界は元のように戻った。

 でも、戻ったのは表面だけだとわかった。私を取り巻く世界は、現実は変わらず薄っぺらいままだった。

 だってもう、目の前の人を母さんだとは思えない。

 それは父親だった人にも言えることで、妹だった少女と弟だった少年も、何もかもが他人の顔に見えた。

 確かに知っていた顔の人間が、あっという間に知らない人間になる。その現象は何とも薄気味悪く恐怖を感じるには充分だ。

 でも私の中から溢れ出したのは、恐怖による悲鳴ではなく抑えきれない笑いだった。

 ふふ、と私は笑った。ふふふ、とさらに続けて笑うと、両親だった人たちの顔が奇妙に歪んで、それがまたおかしくて今度こそ大きく私は笑った


 私の中に巣食っていたぐるぐるとした重い悪感情が、破裂したら一体どうなるのかと戦々恐々としていた日々が嘘のように、心は恐ろしいほどに澄んでいた。

 何もかもが無くなったからだ。


 程なく笑いが収まると、先ほどまであんなに必死に堪えていた嘆息があっさりと外に出た。

 軽い笑い声と相反するように重い、長い長いため息。

 私の顔はもうぴくりとも笑わず、ただ凪いだように無表情だった。

 

「聞いてない」


 自分でも驚くほど、平坦な声がでた。

 母親だった人の顔を見ることは、もうない。

 適当にそう言って、もう一度ため息をついた。

 もう何もかも無くなったのだから、家族でもない人の言葉を律儀に聞く気もおきない。

 私の赤の他人を見るような目に怯んで母親だった人が黙った。かわりに父親だった人が何か言った。でもその言葉はもう私の頭の中に入ってこない。ばらばらになって何も意味を成さなくなる。

 まるでまったく知らない国の言葉を聞いているような気分だ。

 

 顔を揃って強張らせた両親だった人たちを意識から完全にはずして、こちらをちらちら見る少女達も見ずにさっさと部屋に戻った。

 つい先ほどまでここは自分の家で、彼らは私の家族だった。

 それなのにどうしてだろう。

 部屋に戻っても、もうそれが自分のものだと思えない。

 棚に隠すように置いてあった祝祭で買ってもらった花飾りも、幼い頃にエリオットにもらった綺麗な石も、何一つ大事なものではなくなった。

 ここにあるのは、全部私のものじゃない。

 でも、ここから出て行くために、必要なものはもっていこう。

 荷物をまとめて、家を出るのは明日の朝にしよう。

 隣村まで行けば、一番近い街まで乗合馬車がくる。それに間に合うように行けばいい。

 祝祭の日にもらえるお小遣いを、毎年使わないで取っておいてよかった。

 街まで行ったら早めに次の街に移動しよう。両親だった人たちはきっと私を探したりしないけど、万が一もある。村から離れた街につけたら、仕事を探そう。それまでは野宿でも何でもして生き延びなきゃ。


 旅になれた人間でもないのに、十二歳の子供が荷物をまとめて家を出るなんて無謀だとわかっている。

 それでも、この自分のものではない家からでていかなきゃと思った。

 ここに私の居場所はない。

 あったけど、なくなった。

 全部、なくなった。消えた。


 この先の未来がどうなるのか、まったくわからないけど。

 不安はあったけれどそれ以上にここから早く出て行きたかった。

 とにかく出て行こう。

 そうしてこの村以外の新しい世界を見よう。

 もう誰にも指図されないで、自分の未来を歩むために。

 私は誰も気にせずに、私の道を選ぶのだ。





2.


 十二歳で家を捨てて、村から離れた街に運よくたどり着いた私は、さらに運よくパン屋の主人に拾われ住み込みで働かせてもらった。

 元々私の生まれた村の周囲は街道が整備されて、乗合馬車も頻繁に出ている。きっと街までは行けるだろうと予想していたけれど、パン屋の主人に拾われたのは本当に幸運だった。

 親と死に別れ、意地悪な養父母に家を追い出されて、他所の国に住んでいる祖父母に会うために旅に出ようとしていたという私の嘘だらけな話を信じてくれたパン屋の主人とおかみさんは、言うまでもなくお人よしだ。

 そんなお人よしの人たちを騙しているのがちょっと辛くなって、二年で暇を貰った。

 表向きは、お金がたまったから祖父母に会いにいくという理由で。別れ際、道中食べるようにとパンをたくさんもらって、本当に罪悪感で潰されそうになった。


 そんな良い人たちを騙していた罰なのだろうか、今度の旅は運よくとはいかなかった。

 いや、ある意味では運がいいのかもしれない。

 鉄格子つきの馬車の中でそんなことをのんきに考えた。

 ぼんやり鉄格子を見つめる私の背後では、鬱陶しい啜り泣きが絶え間なく聞こえる。

 ちょっと煩いが泣くなとは言えない。人買いに捕まったら、そりゃ泣きたくもなるだろう。誰かが助けてくれない限り、私たちの未来は限りなく暗い。

 実の親に売られた娘に関しては、例え助かっても気分が落ち込むのかもしれない。だって彼女達には戻る場所がない。

 私も戻る場所はないけれど、自分で捨ててきた分状況は全く違う。だから共感する事はできない。


 成人前の娘は私以外にも二人いた。もう三人は成人してまもないというところか。ちなみに親に売られたのはその内二人。すすり泣く娘達の嗚咽からそれは簡単に知ることができた。

 若い娘ばかりを攫って、誰に売りつけるなんて聞かなくても分かるだろう。

 本来なら私も青くなって泣き叫んで人生を悲観すればいいのだけど、他が全員泣いているせいで逆に冷静になってしまった。

 心臓は煩いし、悪寒もする。油断すると震えてしまいそうなのに、思考だけがどこまでも場違いに冷静だ。

 捕まったのが盗賊でなくてよかったと、心底思った。

 盗賊なら、執行猶予なしで弄ばれ殺され人生終了だった。

 人買なら、少なくとも売られるまでは時間がある。生娘の方が高く売れるからと、手はだされないままだ。


 状況は、最悪ではない。

 冷静な私がそう囁いた。

 最悪でないならば、打開策は必ずある。

 

 さて時間が残ってるうちに、この先の事を考えなきゃならない。

 大人しく売られて、少しでも長生きできるように買い手に従順になるか。それとも死んでもいいから抵抗して最後まであがくか。

 実は私の靴の底には、護身用に小さいナイフが隠してある。

 他にも護身用の武器はもっていたけど、荷物と一緒にとられてしまったので今はそれしかない。

 後ろ手に縛られていても靴底からナイフは取れるし、そうすれば縄は切れる。

 この際他の娘達は切り捨てる方向でいく。ごめんなさい、私、こういう状況で他人まで助けようと思えるほどお人よしじゃないから。せいぜい他の助けを願ってねと、縄も彼女たちにわからないように切った。

 捕まったのはお互い様。ご愁傷様。上手くいっても失敗しても恨みっこなしだ。

 下手に助けようとすれば死ぬのは私だけじゃない。自分の行動で死ぬのは自分だけで充分だ。

 誰かを命を背負うのも、巻き込むのも真っ平だ。


 チャンスは、次に馬車の格子が開く時。

 即ち食事の差し入れの時だ。

 この小さなナイフでどこまでやれるかはわからないけど、人の急所は大体一緒。

 その中でも首と目は鍛えられないし庇いにくい。それぐらい戦闘に対してど素人の私でも考えればわかる。

 目では少し的が小さい。無防備な首を狙うのが一番いいと思う。確かたいした防具もついていなかったはずだ。

 思い切ってかき切れば、女の私でも人は殺せる。

 たとえ人買いとはいえ、人を殺すのかと思えば当たり前のようにお腹の辺りがどんよりと重くなった。でも怯んでいる時間も怖気ずく暇も私にはない。

 これは全部、私自身が選んだ結果だ。

 だったらこの先の選択も、全部後悔しないようにしたい。

 例え進む先が血だまりの中でも。


 ふーと、静かに静かに息を吐き出した。

 心を落ち着けて、できるだけ自分の中をまっさらにする。

 今の私に必要なのはタイミングを見計らうことと、覚悟と思い切りだ。

 この先の私の人生は、私の行動で全てが決まる。

 少し震えた腕は、何度か深呼吸をすることで落ち着いてきた。

 

 やり直しはきかない。


 チャンスは、一度きりだ。





3.


「ああよかった、気がついたんだね」


 瞬いた瞼の上、頭上に見えるのは見知らぬ男の顔で、人攫いの関係者でもなかった気がする。

 私の頭はまるで寝起きのようにぼんやりしていた。

 気がついた、というその言葉を信じるなら、恐らく私は寝ていたのだ。

 

 ――何故?


 安穏と寝られる状況ではなかった。

 さすがにそこまで神経は図太くない。あんなすすり泣きと絶望に満たされた空間で、どうやって気持ちよく寝れるというのか。絶対無理だ。

 何度も瞬いて、私はひたすら頭上の男を見つめた。

 それなりに見目が整った男だ。真っ黒な髪は夜空を閉じ込めたように艶めいている。私のろくに手入れもできていないぱさぱさした髪の毛とは雲泥の差だ。それに、学がない私にはありきたりな表現しかできないが、紫色の瞳はよく研磨された宝石のようだ。

 肌はまるで病人のように青白いのに、不健康そうには到底見えない。柔和な顔立ち、というわけではなくどちらかと言えば冷たい印象を受けそうな鋭利な目元なのに、そう見えないのはその表情がとても柔らかく、優しいものだからだろうか。

 感情を感じさせない無表情ならば、そのまま冷たい人なのだろうと思ったかもしれない。けれど柔和な表情と、私を覗き込む心底安堵したような瞳から受ける印象は、全く正反対のものだ。

 

 きっと、優しい人なのだろう。

 全くの初対面なのに、ふとそう思う。


 しかしその柔らかい表情も、私が瞬く以外の反応をまったくしないからか、怪訝そうなものに変わる。

 ……いや、これは怪訝というより、心配しているといってもいいかもしれない。

 心配?

 どうして見知らぬ赤の他人が、それも男が私を心配するの?

 優しい人だから?

 私も、それぐらい優しい人間なら、何も無くさずにすんだの?

 ぼんやりした意識のせいか、思考は見当違いの方向にふらふらと動く。


「……大丈夫? どこか痛いところでもある?」


 男がもう一度口を開いた。

 それでようやく、ぼんやりしていた思考が正常に動き出した。ふと浮かんだ、今さら過ぎる馬鹿な後悔も瞬く間に消えた。

 目まぐるしく、くるくる映像が回転するように脳裏で再生され消えていく。

 その中に確かに男の姿もあった。

 被っていたフードが外れてこぼれた黒い髪、くつろげた立襟から見える白い首筋――。


「っ」


 あっ、と叫んだつもりの声は、全然音にならなかった。


「っ? カハッ、ゴホッ、――ぁっ?」


 驚いて何度か咳き込んでみたけれど、やっぱり声は言葉にならない。


「ああっ、無理しないで、ごめん!」


 何故男が謝るのは全く理解できなかった。

 この人が謝る必要はない。どこにもそんな理由はない。

 それこそ地面に顔をこすり付けてでも謝らなきゃならないのは私だ。私のほうだ。

 許してもらえるとは到底思えないけれど、それでも謝らなきゃならない。


 だって私は――人違いでこの人の首をかききるとこだったのだから。





 すすり泣きだけが唯一の音といっていい馬車の中の、重苦しい沈黙を破ったのは鉄格子の扉の鍵が開く音だった。

 カチャリというその小さな音が、合図だった。

 扉の前に立つ中肉中背の男。

 その手が扉にかけられ、ゆっくり外側に開いた瞬間を見計らって私は男に飛び掛った。


「うわっ?!」


 飛びついた勢いのまま体重を乗せ相手を蹴倒すと、数時間ぶりに出た外はもう夕暮れを過ぎて夜に飲まれる寸前だった。

 男を踏み台に跳ねるように地面に転がって、体を立て直す前に辺りを確認する。

 人数はざっと三人。蹴倒した男も合わせれば四人。大柄な男と、もう一人の中肉中背の男、それにひょろりと背が高い男。

 全員共通してフードを深く被っていて、表情は確認できないけれど驚いているのはわかった。

 立ち向かったところで勝ち目などない事は最初から分かっている。

 幸いにもナイフを使わずに馬車から出ることができた私は、そのままさっさと逃げる事にした。


 しかし向うもさすがに判断が早い。

 蹴倒した男以外で一番近くにいた中肉中背の男が、あっと思ったときには私の傍にきていた。

 伸ばしてくる腕から逃れるように身を低くすれば、相手も当然腰をかがめる。


 動いた拍子に取れたフードの下から、真っ先に私が目をつけたのは白い首。


 袖に隠していたナイフを、そこめがけて思い切り振り払った。

 躊躇はなく、震えもなかった。

 一つもぶれることもなくナイフの軌道は男の白い首に到達し――キンっ、とありえない音がその場に響いた。


 首をかき切るつもりだったナイフが折れた。

 明らかに鋭利な刃物はその柔肌に触れたというのに、折れた。

 意味が分からなかった。

 不測の事態はずぶの素人の私の思考を凍らせてしまうには充分で、一瞬でも固まってしまったことが命取りだった。


 次の瞬間、重い衝撃と共に私は地面に叩きつけられた。

 ぐう、と、変な息が出そうだった。体は動かないのに視界だけが絶え間なくぐるぐる回って息が苦しい。

 目の奥の方で小さな星がいくつかチカチカと激しく明滅する。


 ミシリ。

 大きな手に捕まれた首が嫌な音をたてた。

 押さえつけられているのは首だというのに、何故か全身が重石をのっけられたように硬直して動かない。

 

「おいリヒャルト! 大丈夫か?!」

「うわー、びっくりしたけど、大丈夫。……って、クラウス! ダメだ早く離して! その子死んじゃう!」

「ああ? こいつもどうせ人買いどもの仲間だろ?」

「だとしても、そんな小さい子、きっと無理矢理従わされてたんだよ」

「小さい……? あ、マジで小せぇ。女ってより、ガキだな。……んだよ、あの殺気だからてっきり」

「力任せに押さえつける前に確認しろよ!」

「うるせぇ。油断してあっさり切りつけられた奴に言われたくねぇよ」

「……クラウス、早く力抜かないと、本当にその子、死ぬぞ」


 第三者の冷静な声で、頭上の会話がぴたりととまった。

 ついで、この場にどこか気まずそうなため息が落とされた。全身を縫いとめていた重圧が少し軽くなって、首の拘束も大分ゆるくなる。

 私が切りつけた男がリヒャルト。

 押さえつけている男がクラウス。

 残り二人の名前は分からないけれど、人買いの仲間だから助けなくてもいい、という会話は、即ち彼らが人買いではないということ。

 ようやくたくさん入ってきた空気と共にその新たな情報を理解して、私は全身から血の気が引く音を聞いた。


 彼らが人買いではないと言うことは。

 私は、まったく関係ない人を、殺そうとしたということだ。

 



 ――その直後に記憶が途切れ、今につながっている。恐らく私は予想外の事態に頭の処理能力が追いつかなくなり気絶したのだろう。

 のんきに膝枕で寝かせられていたということは、この人達は間違いなく人買いの仲間とかではなく。むしろ捕まっていた私達を助けてくれようとしていた側の人で。

 勘違いとはいえ害そうとした私を、心優しくも助けて介抱してくれていた、という事で。

 もうなんというか、ダメだった。処理能力が全然追いついていかない。

 それでも、私が何をしなければならないかぐらいは分かった。

 なんとか謝罪の言葉を紡ごうとして、咳き込むばかりの私の背中を、優しい人が大きな手で気づかうようになでてくれた。

 咳のせいじゃない、涙が出た。

 

「大丈夫、落ち着いて。ゆっくり息を吸って、吐いて。無理に話そうとしなくていいから。大丈夫、もう人買い達は捕まえて憲兵に引き渡してあるから」


 怖いことはもうないよ。

 優しい人は言葉も優しい。

 余計に涙が出て、何とも自分が惨めに思えた。

 謝罪も碌にできない、なんて駄目な人間なんだ。だから、私は何もかもなくしてしまったんだ。


 蹲って、そのまま聞き苦しい嗚咽をこぼして泣く私の背中を、優しい人はずっと撫でてくれた。

 鬱陶しいと、煩いと、そう突き放してくれればきっと泣き止めたのに。

 他人の優しさは、いつだって私の臆病な心を柔らかく苛む。そして同時に、慰める。

 だから、そのまま。しばらくはずっと。

 私の涙は止まらないままいつまでも頬から流れ落ちた。





4.



 それだけ気がすむまで泣けば、もちろん声も顔も目も酷い事になるのは、必須だ。

 ただでさえ喉の調子が悪かった私の声は、とても酷いものになっていた。


「これ飲んで。喉の調子が良くなるから」


 そう言われて差し出されたのは、木の細長い器に入った薄い緑色のとろりとした液体。色に反して青臭くなく、どこか鼻にすっとする匂いがする。

 大人しくそれを受け取って口に含むと、少しだけ甘かった。昔風邪をひいた時に飲まされたまずい薬湯より、遥かに美味しいし、飲みやすい。


「……おい、しい」


 目を覚ました直後よりもすんなりと声が出た。

 咳をしすぎてひりひりとする喉の痛みも、心なしか和らいだような気もする。


「そう? よかった」


 にこりと笑うその人に、止まった涙がまた溢れてボロリとこぼれた。

 こんなに泣くのは、初恋が見事に砕け散ったあの日以来だ。あの時は悲しくて、心が痛くて涙が出た。今はただただ申し訳なくて、自分が情けなくて涙が出る。

 自分自身が選んだ道だ。何が起こっても後悔はしない。

 そう言い聞かせながら、実際は何の覚悟もできてなかった。まったく害のない誰かを勘違いで殺めようとした事実は、私の心に深く突き刺さって抜けない。

 何て、私は弱いんだ。


「泣かないでって、言っても無理だよね。恐かったね、頑張ったんだね」


 ――頑張った。

 そんな、些細な言葉が私の中にストンと落ちてくる。

 そうしたら、ますます涙が溢れて止まらなくなった。

 ずっと張りつめていた糸はすっかり緩んでしまって、到底元に戻りそうにはない。

 涙が止まらない私の頬に、そっと柔らかい布が押し当てられた。こすらないようにと注意だけされて受け取った布は、こぼれる涙を次々と吸って濡れていく。


 涙が止まるまで、また少し時間がかかった。

 優しい人は地面にしゃがみこんだままの私を支えるように、ずっと傍にいて背中を、頭をなでてくれた。そして私が泣き止む頃合を見計らったように手を離した。

 恐る恐る顔を持ち上げて、傍らにいる人を見る。

 優しい人は相変わらず、柔らかい顔で私を見返した。


「大丈夫?」

「……はい」

「少し、話を聞いても平気かな?」

「はい」

「つらかったら無理に話さなくてもいいから、頷くか首を振るかで答えてね」


 了承を示すために、ゆっくり頷いた。


「まず、君もあの人買いに捕まった被害者だよね?」


 また、頷く。


「俺達に飛び掛って来たのは、人買いと間違えたから?」


 頷く。

 そして自己嫌悪に大幅に頭が下がった。

 「ごめんなさい」小さく呟くと、ぽんぽんと頭を優しくなでられた。


「落ち込まなくても大丈夫。あの状況じゃ間違えたってしょうがない。寧ろ君の行動は、何とか危機から助かりたい人間にしてみたら至極真っ当なものだと思うよ。なにもできない、助からないと嘆くのは簡単で、あがくのは難しい。恐怖は容易く心を捕まえるからね。結果的に俺達は誰も怪我をしていないし、君に怪我をさせてしまって申し訳ないくらいだ」


 私のこの首も擦り傷も、当然の結果だ。彼らのせいではない。

 そこまで愁傷な気持ちで考えて、ふと疑問が浮かんだ。

 ――俺達は誰も怪我をしていない。

 その言葉が、頭の隅っこでひっかかったのだ。


 慌てて顔をあげて、もう一度優しい人を見た。

 もっと詳しく言うなら、はだけた立ち襟から覗く、その白すぎる喉をこれでもかと目を開いて凝視する。

 傍で淡く光を放つ光源のおかげか、その人の姿がかげることはない。

 だから私が切りつけた場所だってはっきり見える。

 しかし何度目をまばたいて凝視しても、優しい人の喉には僅かな傷もなかった。

 そんなはずは、ないのに。

 ナイフは確かに当たったのだ。その首に。その瞬間に眼をそらさなかった私は確かに一部始終を覚えている。だからこそ、ありえない事態に思考が全て停止してしまったのだ。


「……そんなじっと見られると、ちょっと恥ずかしいな」


 苦笑して、何かを誤魔化すように、或いは茶化すような空気に流されず喉を凝視し続ける。

 ややして、私の目線が動かないことを悟ったその人は軽く息を吐いた。


「……触ってみる?」


 何に?

 聞かなくてもわかった。優しい人の、その白い首にだ。

 躊躇を忘れたように頷くと、手をとられてそっと首に這わされた。

 すべすべとしてさわり心地がよく、少し冷たい。指を動かすと優しい人はくすぐったそうに少し目を細めた。

 目に付く範囲に触れてみたけれど、やっぱり指先にそれらしき痕はない。


「痛くは、ないですか」

「少しくすぐったい」

「傷は」

「今君が確かめたとおり」

「ほんと、に」

「うん、本当に」


 どういう理屈なのかはさっぱりわからない。

 けれど、それが噂に聞くだけの魔法であれ体質であれ不可思議であれ、どうでもよかった。私はそのよく分からない何かに感謝すら抱いた。

 ほっと安堵の息が無意識にもれた。この優しい人に、自分が傷をつけるなんていう事態にならなくて、心底よかった。そう思った。


「よかった……」

「……君は、聞かないんだね」

「何を、ですか」

「どうしてナイフが折れたのか。どうして俺が平気なのか」

「どうでもいいですそんな事」


 つい先ほど考えたことがそのまま言葉になった。

 優しい人が目を丸くして私を見る。


「魔法だろうと体質だろうとどうだっていいです。その普通じゃない何かが私から貴方を守ったというなら、それでいい」


 笑ってしまうほど自己欺瞞にみちた言葉だと思った。

 だって、彼を傷つけずにすんだと安心しているのは、相手の事を心配しているわけではなく結局私の心のためだ。

 私は、私の心が傷つかずにすんで安堵したのだ。

 そうして結果的に、彼が詮索して欲しくないと思った事柄をどうでもいいと切り捨てたにすぎない。


「……君は変わってる」

「ただ自分の事しか考えてないだけです」

「それでも、普通は気になるだろう?」

「……気にして欲しくないんでしょう?」

「あはは、そうだね。いつもなら気にして欲しくないんだけど。でも君みたいな子にはちょっと気にして欲しいかな」

「どうして?」

「俺が君を気にしているから、かな」


 にこりと笑った顔からは、好意以外の何の感情も読み取れない。誤解とはいえ切りつけた相手に、何でそんなふうに笑えるのはさっぱりわからない。

 変わっているのはこの人だ、と心の中で一人ごちた。


「私なんて、どこにでもいるただのひねくれた子供ですよ。特別なことなんて何もない」

「人買いに攫われて怯えず泣き出さず、助けを待つわけでも絶望するわけでもなく、ひたすらあがいて生きようとする子は、その辺にはいないと思うよ。君は充分特別だ」

「……探せば他にもいます」

「でも探さないといない」

「そう、ですけど」

「特別って言われるのは、嫌?」

「え?」

「ここ、眉間に皺がよってる」


 とんとんと、優しく眉間を人差し指で叩かれた。

 無意識のうちに入っていた力が、ふと抜けていく。

 

「特別だと、言われたくない?」

「別に、そういうわけじゃ」


 否定しながら、特別という言葉はそんなに好きじゃないと思った。

 かつて私が心に抱いていた言葉。そしてあっさり砕かれ、妹に奪われた言葉。

 好きじゃない。けれど嫌ではない。

 特別と言う言葉は、今の私にとって一生手の届かない――まるで夜空の星のようなもの。

 だからあっさりと差し出されても、困惑しかできない。

 素直に受け取る心は、とっくの昔に壊れてなくなってしまったから。


「……嫌では、ないです。でも、私は、どうあがいたって、特別にはなれないって、知ってる、から」

「どうして?」

「え?」

「ねえ、君は今何歳かな?」

「え?」


 何故突然歳を聞かれるのか。困惑して口ごもる。


「見た感じだと、十四、五ってところかな? 当たってる?」

「……十四です」

「そうか十四か。成人まであと二年だね。でも君はまだ十四年しか生きていない」

「え、はい」

「十四年生きた君が特別になれなかったのが事実だとしても、これから更に歳を重ねて生きる君が特別になれないなんて、一体どうしてわかるんだ?」

「え」

「君はまだ十四年しか生きていない」


 優しい人は繰り返し言った。まるでそれが重要な事であるかのように。


「一人であがいて、一人で生きようとする君の目の前には、同じ事をできない人に比べて倍以上の道がある。どれを選び取るかは君次第で、でもその無数の道の中に君が特別になれる未来がひとつもないなんて、どうして言えるんだ?」


 何も言えなかった。

 その人の言葉はあまりにも力強く、きらきらしていて、私の心はすっかりとそれに飲まれてしまった。否定の言葉なんて全然浮かんでこない。


「……君の過去に何があったのかはわからないけど、そうやって自分を卑下するのはよしたほうがいい。君はまだたった十四歳だ。君の人生は、まだまだこれからなんだから」


 言葉にのまれて動きをすっかり止めた私を、気づかうように優しい人は微笑んだ。

 目つきはきついのに、やはり春の陽だまりのように優しい表情だ。


「それに、さっきも言ったけど君はもう特別だよ。少なくとも俺の中ではね」


 そんな殺し文句を、そんな優しく言われたらもうだめだ。

 耳を塞げばよかった。目を閉ざせばよかった。

 でもなにもかも手遅れだ。


 気がつけば卑屈で臆病な私の心は、すっかりこの優しい人に囚われてしまっていた。



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