第十二話 Long long ago (?) 2
汽車を降り、駅の床に足をつける。
ここはヒュペルボレオス中枢――オリジナルの永久蒸気機関が安置されし場所。国家機関の総本山、暗黒脳髄機構シャルノスへと通じる抜け道の一つだ。
駅の造り自体は他と同じだが、昇降口の両脇には黒い背広を着た強面の男が二人、見張りとして立っている。
―――ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ
甲高くベルを鳴らして、役目を果たした汽車がゆっくりと去って行く。少年はその雄姿を熱心に目で追っていた。
きらきらとした眼差しを見て、ふと私の中で悪戯心が鎌首を擡げる。
「……あれは魔物じゃないぞ?」
「いつの話を持ち出してるのさ」
冷や水を浴びせられた。そんな様子で目尻を怒らせ、少年はそっぽを向く。
彼が口にした通り、それは遠い遠い昔の話だ。少年が初めて蒸気機関車と対面した際、それを怪物と誤認する、なんていうことがあったのである。
幾つもの節に別れた光沢を持つ黒鉄の長い体躯と、頭から生える筒状の器官から白い蒸気を吐き出すその威容は、見る者の悉くを圧倒する迫力がある。幼い彼にとっては、確かに怪物と見紛うほどの存在感だったことだろう。
そして都合の悪いことに、私達は無機と有機の融合した異形の化け物の存在を知っている。
だが、だからと言って、いたずらに殺気を剥き出しにするのは頂けない。悪目立ちし過ぎる。よってそれ以来私は当時のことを話題に挙げては、戒めの意を込めてこうして少年をからかっているという訳だ。
不機嫌そうに目を細める姿は、気難しい小型犬にも似て愛らしい。私は少年の細い肩を抱き寄せ、体重を預けた。互いの体が強く密着する。少年は顔を赤らめて、ぷい、と顔を背けた。
「張り付かないでよ、暑苦しい」
「いいだろ別に、そんなこと今更気にするな」
そんなことを言いながら少年の頬を摘み、軽くこね回す。もちもちとした肌の感触は、指に吸い付くような心地だった。
「変わらないようね、貴方達は」
不意に、横からそんな台詞が投げかけられる。そちらへじろりと視線を傾けてみれば、そこには見知った顔があった。
白い女だ。
白い肌を白衣で包み、三つ編みにした白髪を肩に垂らした姿。病的ともいえる白い装いは、陰鬱に落ちくぼんだ蒼い瞳を際立たせている。
私は相好を崩し、やあ、と手を振って答えた。
「そういうそちらは随分と変わったものだ。大きくなったねぇ、ヴュアルネ」
軽薄にへらりと笑って、私は彼女の名を呼んだ。
ヴュアルネ・クルーシュチャ。
国家公務機関を統括する頭脳、その中でも優れた碩学として君臨する女。国父チャールズや枢機卿等、騎士の称号と地位を持つ先達に並び、胎動卿と讃えられる偉人。そして楽園に非ざる楽園ヒュペルボレオス、その中でも殊更被虐的な人生を歩んで来た人物だ。
その遍歴が故か、見た目の印象からは実年齢ほどの若々しさは感じられず、それどころか二回り以上も年老いているようにすら見受けられる。
彼女はクルーシュチャの名が指し示す通り純粋培養された国家の走狗であるが、数奇な運命と人生の成せる業か、今では私の同類であった。
とは言ったものの、実は私も彼女も純粋な青空教会の信徒という訳ではない。
我々の立場を一言で表すならばそれは差し詰め、楽園と教会の両方に媚び諂う二枚舌の狗といったところか。私達は双方の陣営がイイ感じに利益を獲得できるように、そしてそれ以上に己の欲求を満たせるように、それなりに楽しく振る舞っている。
ヴュアルネは肩を竦める。それが彼女の応答だった。
自分から世間話を振っておいて、自分はそれに乗っかるつもりはないらしい。
「別にだらだら挨拶し合う仲でもないでしょう。早く仕事を済ませましょ」
「確かにそんな仲じゃないが、それでも世間話するくらいの時間はあるだろ。お互い、色々と共通の話題もあるしな。ほら、学生時代の恋バナとかどうだ?」
「教師とは名ばかりの癖して……性悪の魔女が。断固拒否するわ。今更、話すことはなにもない。いいから、早く出しなさい」
言うや否や、彼女は右手を差し出した。
握手を求めている、のではない。何かを渡されるのを待っている動作。そして丁度私の手元には、それに応えるための品物があった。
やれやれ、と頭を振りながら懐に手を入れ、上着の内ポケットから手帳を抜き取る。
正確には、外見を手帳に偽装したハンドヘルドコンピューターだ。従来の携帯端末とは違い、キーボードは当然、タッチパネルやディスプレイすら存在しない。多機能性に優れた視覚を媒介とするインターフェースではなく、ユーザーが音を介して直に命令のみを入力する機構である。
分かり易い説明文その他は一切ない、こちらからの音声入力のみを一方通行に受け取り解答するだけの機械らしい機械。青黒い革の装丁で飾られたソレを、私は彼女に手渡した。
「……ブツの引き出しコードは?」
「排出の1922だ」
了解、と僅かに顎を引いて頷き、ヴュアルネはハードウェアを受け取った。
彼女の言うブツとは、機器の電子回路内部に保存されたモノを指している。しかしそれは不可視の電子的な資料などではなく、あくまでも目に見える物質的な物品をこそ表していた。
大容量電子運送媒体――偉大なる一族が生み出した技術の一つである。
端的に言えばそれは、何らかの物質を電子にまで分解した上で大容量の記録媒体等に保存し、電子メールの要領で、先程私がヴュアルネに渡した端末などへと電送、排出する機構である。
構造上、本体以上の体積のものは出し入れできないという欠点こそあるものの、その性質故に荷物の持ち運びに掛かる手間は極限まで抑えられ、品質の劣化も完全に防ぐことが出来る。利便性と保存性に優れた、夢のような機械だ。
当然、安価な代物ではない。
このように小型なものであっても、個人が持つことは難しい。しかし然るべき後ろ盾がいるなら、用意することは難しくはない。実際、この枢機基地や壁外にある基地の研究機関の幾つかには、大型のものが設置されているし、ヒュペルボレオス首都の各地には一般人が利用可能な公衆端末がある。
いずれにしても星暦紀元前の科学水準では到底成し得ない、超常的な技術だ。現代ではこれを指して魔術と呼称する。それに引っ掛けてのことか、大容量電子運送媒体の略称としては魔導書が一般的であった。
ヴュアルネは魔導書を口元に翳し、私が告げたコードを復唱する。
それを切欠として魔導書の底部に灯るインジケーターランプが赤から緑に切り替わり、横に設えられた細長い隙間から小さなメモリーカードが頭を飛び出させた。
「……確かに受け取ったわ」
薄っすらと笑みを浮かべて、ヴュアルネはメモリーカードを魔導書の中に再度押し込んで収め、本体を白衣のポケットに仕舞い込む。
「……?」
傍らに立っていた少年が、私の服の裾を引いた。そして小声で尋ねてくる。
「先生、あれってなんですか?」
「んんー? あれは指向性EMP兵器っていうもので―――……?」
どう説明したものかと思考を捏ねながら振り返る。けれど結局言葉は最後まで続かず、不格好に途切れてしまった。
何故なら、音が聞こえたから。
―――がちがちかちがち
耳に届く金属質の不気味な異音。それはホームの外を覆う、濃密な闇の中から響いていた。
重い沈黙が場を満たす。
誰もが口を開かず押し黙る中、時計の秒針にも似た音だけが聞こえてくる。そしてそれは、少しずつこちらへと近付いて来ていた。
私と少年は無言で視線を交わすと、音が聞こえる方向へ――自分達が乗って来た汽車が去った、巨大な暗い穴へと即座に振り返る。
―――がちがちかちがち
照明が照らし出すのは四角く区切られた床の上だけで、そこより向こう――下の線路側がどうなっているのかは全く窺えない。当然、その先になにがいるのかも。
「……何か分かるか、ヴュアルネ?」
「まあ、心当たりはあるわ」
明らかな異常に対して、ヴュアルネの反応は非常に冷めていた。
ヒュペルボレオスの鉄道に関する利権その他はトライアドが独占しており、マニトゥの代わりに彼等が常時監視を行っている。その為、関係者以外の線路上への立ち入りは固く禁じられていた。
特にここは管理会社が秘密裏に造った、シャルノスへと通じる秘密の入り口なのだ。よって何者かが潜んでいるなんてことは絶対に有り得ない。汽車が線路を踏みつけ軋ませる重低音以外に、金属が甲高く鳴く道理などありはしないのだ。
まあ、仮に何者かが潜んでいるだけなのであれば、その者を捕らえてどうにかしてしまえばそれで問題はないのだが……。
見張りに立っていた二人の男がそれぞれ懐から拳銃――トライアド全体に正式配備された自動式の規格品、『カルメラ』を取り出し、ヴュアルネの守護に着く。一連の動きによくないものを感じ取ったのか、少年は肩を落として前傾姿勢になり、力強く一歩を踏み込んだ。
いい子だ、と私は口元を綻ばせる。
闇が舌を伸ばすように、光の向こうでゆらりと影が揺れる。
―――がちがちがちがちがちかちがちがち
先程よりも音が近く、テンポが速い。
音は途切れることなく続く。恐らくは、ここが見付かってしまったのだろう。それこそ光源へ向かって多脚を蠢動させる虫のように、煩音は忙しなく虚空へと浸透した。
緊張で空気が痺れている。
もう間近という所まで、音が迫る―――――
―――――かち
異音の主は姿を見せないまま、音は止まった。しかし闇の向こう側――薄氷のように朧げで曖昧な不可視の壁越しに、確かな気配を感じる。
間違いなく、そこにいる。
恐らくは、すぐ目の前に。
「そこの貴方、行ってきなさい」
唐突にヴュアルネが護衛の一人を顎で指し、命令を下した。男は無表情に頷くと、銃を構えて注意深く音の発信源に近付いていく。
転落防止用の柵にまで歩み寄ると、男は虚空へ銃を向けた。そしておもむろに引鉄を引く。
鉄火が闇を切り裂く。
木霊する火薬の破裂音がじんと鼓膜を痺れさせ、白い閃光が僅かに網膜を焼いた。けれどその瞬間、目に映ったもので特筆すべきものはない。ただの地下鉄、あまり見ることのない普通の風景だ。
ただし、思えば異常は、最初から見えていた。
銃火の有無は関係ない。明かりに浮き彫りにされた像を、誰もが視界に収めていた筈だ。ただ、それに気が付かなかった。気が付かないまま、不用意に近付き刺激してしまった。
まるで子供の間違い探し。だから私が発砲から一拍遅れてそれに気が付いたのは、ただの偶然だった。
天井の影に隠れるように―――――ふたつの、おおきな、まぁるい、おめめが。
どす。
男が死んだ。
槍のようなものに胸を貫かれて。銃を手放してびくんびくんと無様に悶えた後、動かなくなった。
―――がちがちがちかちがちがち
刺さった男の死骸を力任せに放り捨て、天井を伝い、ソレが姿を晒す。
ソレは、蜘蛛だった。
ソレは、機械だった。
ソレは、死骸だった。
そうとしか形容できない何かが、そこにいた。天井から脚を放し、空中でぐるりと華麗に一転して、熊を優に上回る巨体を直立させてみせた。
八本の歩脚は、その全てがクレーンのような機械仕掛けの鋼鉄で出来ていた。
内蔵された油圧ポンプとワイヤーの巻取りによって関節を自在に伸縮させ、順番に迅速に五メートル近い長さの脚を一本ずつ正確に蠢かせている。そして放射状に広がるソレの中心には、ヒトの死体らしきものが吊り下げられていた。
らしきものと称したのは、それの見た目があまりにも常軌を逸していたからだ。
死体の胸部や背面には機械が埋め込まれ、そこかしこにチューブやパイプが生えている。四肢は綺麗に切り落とされ、その代わりに、股間部にはセンサーやカメラの類が並んでいる。オイルと冷却液の循環する腹部は、まるで妊婦や水死体のように丸々と膨らんでいた。
頭部は元の三倍以上膨張しており、顔のパーツのほとんどが潰れている。その中で眼球のみが眼窩を這い出て黒く有機的に輝いていた。
―――死体を仰向けに八本の脚で吊るし、そのまま人体を蜘蛛に似せて改造した醜悪な機械の怪物。それが今、私達の目の前に君臨している。
―――――ごぉごごごごごぼごぉごごごごごごごごごごごごごぼっ
死体の下腹部と頭部を繋ぐパイプから、液体を吸い上げる下品な音が漏れている。それはがくがくと痙攣しながら、けれど淀みなくこちらに一歩歩み寄った。
「……この前衛的な怪物は君の作か? ヴュアルネ」
「肯定。夫――いえ、トライアドからの依頼でちょっとね。ヒューマノイド技術の一環で人体と機械を繋ぐ研究をしていて、その過程で出来た、まあ……趣味の一品よ」
アレを指して趣味、ときたか。
どうやら品性と価値観が相当ひん曲がってしまったらしい。まあ、人のことを言えた義理ではないのだけど。
「とはいえ、とりあえず戦闘力は高いから、侵入者がいれば見付け次第排除するようプログラムして地下鉄を徘徊させているの。いるのだけど……何かのバグで、こうして利用客やユーザに襲い掛かる子がたまにいるのよねぇ」
そう言って、ヴュアルネは悩まし気に頬に手を当てる。しかしその眼差しには、毛ほどの感情も込められてはいなかった。
怪物は最前の脚を振り上げ、ヴュアルネの頭部目掛けて振り下ろす。
ヴュアルネは手近にいた男の腕を引いて立ち位置を入れ替え、攻撃を躱した。代わりに男の頭頂で赤い花が散華する。衝撃でサングラスが耳から跳ね落ち、白目を剥いた双眸が露になった。
がくがくと痙攣する男の手から拳銃が床に落ち、硬い音を立てる。
私は拳銃と怪物を交互に見やり、口を開いた。
「九ミリでは殺せそうにないな」
「ええ、余程当たり所が良くない限りは壊れないわね。……というかこの子、何故私ばかり狙うのかしら。興味深いわぁ」
振り下ろされる歩脚を次々と最低限の動きのみで躱しながら、ヴュアルネが答える。怪物はこちらに見向きもしない。偶然か、それとも明確な意識によるものか……判別はつかないが、どうやらアレは、トライアドの関係者を殺したくて仕方がないようだ。
―――――ごぉごごごごごぼごぉごごごごごごごごごごごごごぼっ
「やっぱりか。ふむ……なら仕方がない」
ある種のカートゥーンめいた活劇に対し私は肩を竦めて、ついと横へ視線を向ける。そこにいるのは忠実な狗だ。待て、と命令された訳でもなしに、愚直なまでに動かない彼。どうやら遂にその背中へ発破をかけるべき時がきたらしい。
「―――先生?」
その上私の意を察し、少年は命令を促すことさえした。
今ここでヴュアルネに死なれては困るのだ。何より迅速に片付けるには、どうするのが最善か、そんなことは分かり切っていた。
それはヴュアルネを抱えて逃げることか? 断じて否である。
だから―――
「うん、片付けろ。とっとと解体してしまえ」
私は、今再び――少年の心を壊すスイッチを押した。
「了解―――――!」
答えると同時に、獣は発条仕掛けが弾けるように駆け出した。
少年は今まさに凶器を振り下ろさんとする怪物と、ヴュアルネの間に割って入る。当然、ヴュアルネは少年を次なる盾代わりとして身を引いた。
槍の穂先にも似た鋭い歩脚の先端が、巨体の過重を乗せて真っ直ぐに少年の顔面へと迫る。巨獣が蛙を踏み潰す、そのままの挙動。それに対して、少年は左腕を掲げて顔を庇った。
無論、そんなことで防げる筈がない。怪物の歩脚は少年の腕に大穴を開け、眼窩を抉り脳髄を貫くだろう。
しかし、そうはならなかった。
―――ぱき、ぱき、ぽき、ぱき
少年が、右手の指を鳴らす。親指で人差し指から小指まで――四本の指を順繰りに関節が押され、骨折したような乾いた音が響いた。
それは、己を変革する儀式。
スイッチを切り替えた今の彼からは、無邪気な子供らしさが霞のように消えている。全く無傷の少年は、さも気色悪げに。纏わりつく虫を払うような気軽さで左腕を振るった。
べしゃり、と。床に融けた銀色の鋼が滴る。空気が白く沸騰し、あまりにも不快な熱気と臭気が場を汚染した。
固で在る――是を禁ずる。
「……何が起こったの?」
自体を飲み込めぬヴュアルネが、呆然と呟く。
一体何が起こったのか――それを簡潔に説明することはできる。しかしそれは、あまりにも不可解に映ることだろう。だって仕方がない。少年に触れた瞬間に、怪物の歩脚が鋼鉄の融点を超え、その結果爛れて融け落ちたなどと、そんな状況を正しく飲み込めるのは、天才とは対極な凡愚のみに違いないのだから!
「―――――!」
少年が発する怒気が、敵意が、殺意が――空間を震わせる。
分かり易い狂気の発露。
膨大な熱量を孕み、空気が撓み歪む。
急激な温度変化に爆ぜ、悲鳴を上げる大気。それを無視して、少年が二度三度と出鱈目に腕を振るう。その度に怪物を支える鋼鉄の脚が無残に溶断された。
自慢の脚を毟り取られ、怪物がバランスを崩し倒れる。すると少年は手近に雪崩れ込んだカメラとセンサー類の並ぶ下腹部に貫手を入れた。ずぶりと嫌な音が鼓膜を打つ。その瞬間腕の刺さった部位を中心に有機部品は炭化し、熱せられたオイルの黒い蒸気が噴出した。
汚穢な黒の中、少年の眼が赤く赫灼と輝いている。
―――――ごぉごごごごごぼごぉごごごごごごごごごごごごごぼっ
心なしか苦し気に怪物が呻き、悶える。
その反応を無感動に見下ろし、少年は突き入れた手を引き抜いた。その手には内蔵されていた再利用品の人体内臓と、コードの絡まる機械部品が鷲掴みにされている。
引き裂かれた腹から、多量の虹色の光沢を放つ黒い液体が迸った。
しかし少年の体に飛沫の汚れは一滴も付着しない。黒い蒸気を纏った獣が獲物を貪るように、一心不乱に怪物を解体する。肉に繋がれたパイプを無理やり引き千切り、内部骨格を折り砕き、蠢く人体組織を握り潰し、脂肪とプラスチックを飴色に融かし――有機無機を問わず、あらゆる部品を焼き尽くす。
怪物の胸部に両手の先を添えて、一息に破く。皮膚と皮下脂肪はビニールのように容易く裂け、金属で補強された肋骨を露にした。その隙間からは幾本もの塩化ビニールと肉で出来た血管が覗いている。少年は躊躇いなく肋を圧し折ってそれらを出鱈目に掴み、一気に引き抜いた。
苦痛で滅茶苦茶に体を跳ねさせる怪物が、反撃を見舞おうと残る歩脚を動かす。背後から回り込み少年の背を掻く一撃は、通常なら皮膚を破り、その内に仕舞われた肺臓を地面にぶちまけさせるだろう。その筈が、しかし少年に触れた瞬間に自ら融点を超えて融け崩れてしまった。
少年は熱気を放ち、狂気に身を任せ、命令通りに怪物が動かなくなるまで解体している。明らかに尋常な様子ではない。
―――魔導書という道具がある。
星暦紀元前の科学水準では到底成し得ない、現代でこそ成し得た画期的且つ超常的な技術。現代ではこれを指して魔術と呼称する。そしてこれもまたその一つだ。
即ち、生体医工学に依る生物兵器。
常人とは異なる感覚能力を持つ偉大なる一族等と起源を同じくする、魔術を己が生態に備えた化け物だ。
「―――――!」
止めとばかりに、少年は怪物の頸部に手刀を落とす。
断頭台の刃に断たれたように、首が宙を舞う。血肉をぶち抜いた右手は、硬い床材をも炙っている。コンクリートが硝子質に蕩け、蒸発した。
少年は、尚も残骸と化した怪物に手を伸ばす。
「―――そこまでだ。もう充分だよ、よくやった」
私は彼の肩に手を置き、止める。
少年は素直に言うことを聞いた。
肉片と鉄片が浮かぶ黒い水溜まりの真ん中で、少年は静かに佇んでいる。彼の足元では、蒸発するオイルの燻りが仄暗い陽炎のように茹っていた。
その無残な惨状に反して、彼の体には汚れ一つ付着していない。
「ああ、いい子だ」
私は少年の頭を撫でた。
先程までの様子から一転し、少年は目を細め、もっと撫でろと促すように掌を押し返してくる。その子犬のような仕草がたまらなく愛おしかった。
大切な一時。けれどそこに、予期せぬ邪魔が入った。
「―――すごいわね貴方」
唐突に、ヴュアルネが私達の間に割って入る。彼女は病んだ目付きで少年の頭から爪先を何度も睥睨すると、おもむろに彼の手を掴み取った。
「久し振りに碩学魂に火が付いたわ。この子、ちょっと借りるわね」
「分かった。ちゃんと五体満足で返したまえよ」
「えぇ―――!? ちょっ、先生!?」
肩を竦める私に、ヴュアルネは了解と答えて少年を引き摺って行く。状況を飲み込めない当人が、短く悲鳴を上げて不安気な顔でこちらを見返してくるが、笑顔で手をふっておくだけに留めた。これは不測の事態ではなく、打ち合わせ通りの展開だ。何も問題はない。
その後、私は少年が帰ってくるまでの待ち時間を適当に過ごす。
鉄道に乗り、意味もなく街を散策する。その途中で、奇妙な店を見つけた。
店の扉は強固に閉ざされ、店内を見渡せるショーウィンドウには内側から紙屑で目張りされている。あまりにも廃墟然とした装いだが、何故かしっかりと看板だけは店先に置かれていた。
■■■■■・■■■の洋裁店。
C:\Ticktockmans\Elena.exe 実行中にエラーが発生しました。
次の不明な発行元からのプログラムを実行しようとしています。
C:\Ticktockmans\Renata.exe の実行を許可しますか? <Y/N>...[N]
Elena.exe で問題が発生しました。今すぐ再起動しますか? <Y/N>...[Y]
ばちばちばちばち。
目の奥で何かが瞬いている。
炎が弾けるように、赤く紅く、網膜が焼け焦げていた。
紅い閃光が瞬く。紅い閃光が瞬く。紅い閃光が瞬く。
私が辿り着いた時、そこは既に地獄と化していた。全ての建物が燃え落ち、死体はその悉くが引き裂かれて炭化している。内臓と血肉と糞尿の不快な臭いを、紅蓮の炎が黒く塗りつぶしていた。
この場における生者は三人のみ。
私と、少年と、彼の家族。それ以外は全て死んだ。少年が皆殺しにしたのだ。
そして私も、彼に殺される。
「―――――!」
私の首を締め上げながら、少年は何事かを叫んだ。音が湾曲して聞こえる。頭の中で行き場を失った血が網膜を焼き、鼓膜を水没させていた。
それにしても武器を使わず首絞めとは、この期に及んで実に消極的な殺意だ。一体何を考えているのか。一体どんな表情をしているのか。引き絞られる脳髄では、想像するのも難しい。
だから死力を尽くして触れてみる。私は少年の頬を撫でた。
そして懸命に言葉を紡ぐ。愛を。慈しみを。けれど――ああ、けれど。
ごきん。
あっ、いま何か折れたような気が―――
C:\Ticktockmans\Elena.exe 実行中にエラーが発生しました。
次の不明な発行元からのプログラムを実行しようとしています。
C:\Ticktockmans\Renata.exe の実行を許可しますか? <Y/N>...[Y]
* * *
そうして私の意識は、急速に現実へと浮上した。
がくり、と首が深く垂れた後、ゆっくりとした動作で顔を上げる。
寝ぼけ眼を擦り、私はぼんやりと周囲を見渡す。
視界に入るのは見慣れた小奇麗な内装。その内の柔らかなソファに、私は深く腰掛けていた。
どうやら、事務所で転寝をしていたらしい。
不意についと顏を上げてみると、何故か男性と視線が合った。いつの間にやら部屋に入り込んでいたらしい。あるいは、私がその存在に気が付かなかっただけか。
―――――チクタク、チクタク
どこかで、時計の音が聞こえた気がした。
「おはようございます、レナータ」
「おはよう、ナイ」
半ば条件反射気味に口にして、目前の男性が誰であったか、その情報を取得する。ナイ。黒人男性。私の専属マネージャー。それなりに気心の知れた仲だ。
「……変な夢をみたわ。他人の記憶、みたいな」
「そういうこともあるでしょう。私は夢を見ないので分かりませんが。それよりもレナータ、とても良いお報せです。明日の件、見事貴方に決まりました。おめでとうございます」
「本当、ナイ!」
予想だにしない言葉に、私は思わず手を打ってしまう。
明日はヒュペルボレオスという国全体で年に一度の大々的なお祭りが開かれるのだ。例年ではその目玉となるのが極小型航空機コンテストという、発明家達が知恵と勇気を振り絞る一大イベントなのだが、今年はその開催が見送られ航空機の展示のみに控えられる。
理由としては、やはり昨今に頻発している自殺騒動が原因だろう。
やむにやまれぬ事情というヤツだ。けれど祭りの中核たる催しが事実上欠損したままなのでは、どうにも格好がつかない。なので騒動好きのマニトゥが各方面からの意見を統合して決議を取った結果、今年限りの新たな出し物を開くことが決まったのだ。
それがナイの言った『明日の件』。
祭りの主目的そのものを自殺者達の慰霊に当て、舞台にて彼等に鎮魂歌を捧ぐというものだ。
そしてその大役に、私が選ばれた。
歌手としてデビューしてまだ間もないこの私が、だ。もちろん単純に私の実力が認められたから――だとは思わない。話題性を狙ってのことか、他の有力候補さえもが自ら命を絶ってしまっているからなのか……あるいは、その両方だろう。
それでも私が選ばれたという事実は、単純に喜ばしい。
「明日は特別な日になりそうね」
「ええ、きっと誰もが忘れられない一日になるでしょう」
鼻歌混じりに喜色を滲ませる私に、ナイはそう言って微笑んだ。
―――――チクタク、チックタック
どこかで時計の音が鳴り響いた気がした。




