第四話「金の子供」
「…本日は、よく来てくださいました。」
かしこまりながら僕にそう言ってきた男は、ガントリアムにて「オベール工業」という工場の代表取締役しているベルノ-という男だ。因みにこの「オベール工業」、ガントリアムの中でも五本の指に入るほどの規模を有している大企業の一つでもある。それに比べ、肝心の代表はと言えば、少しくたびれた背広姿に黒縁の眼鏡、常に猫背で痩せた顔立ちは日常の疲労感を思わせる。
「ええ。それが、私の仕事ですから。」
ベルノ-の気遣いに、僕は素っ気無く答えた。
今、僕達がいる場所は地下。しかし、地下であるという事を忘れさせるほど豪華なこの部屋だ。
先程の中央広場から少し移動した場所にあるバーに、ここの入り口がある。勿論、このバーの経営も「オベール工業」の管轄だ。所謂副収入という物で、こういった地下室が備えてあることからも明るい仕事だけをしている訳ではないことが手に取るように分かるだろう。そもそも、後ろめたいことがなければ僕らをここに呼ぶこと自体ない筈だ。恐らく、それだけでは儲からない、ここでの生存競争には追い付けないのだろう。
「…どうぞ、お掛け下さい。」
ベルノ-はそう言い、備え付けてあるソファーを指さした。絨毯が敷かれ、外の油にまみれた建造物とは打って変わってここには漆がしっかりと塗られた柱と、いたる所に彫り物の装飾が施された高級家具などが備えてある。天井を見れば小さいながらも光り輝くシャンデリア、ガラス戸になっている棚の中には多種多様なグラスと、ブランデーなどの洋酒が並んでいる。肝心のベルノ-が座っている書斎机と椅子でさえ、それぞれの家具の淵に金彩があしらわれ、緑色に塗装された牛革を使用した、背もたれの高いその椅子もこの部屋のグレードを上げるのに一役買っているのは言うまでもない。
「…ガントリアムでは珍しい、天然の木材を使った部屋です。職人たちの手作りで、全員が、このオズワールの名誉市民に任命されるほどの腕前を持っています。まあ、私はこの部屋、あまり好きではないのですが…。…たった一部屋に絨毯やらシャンデリアやら…私の先々代が作らせたものらしいのですが、ずっと現場で働き続けてきた私のような人間からすると、成金趣味すぎまして…。一代でこのガントリアムでも類を見ない規模の企業にまで育て上げた方だとは伺っているのですが、どうも私はその人が好きになれなくてですね…。」
そう言いつつ、ベルノ-は自分の手を摩る。
「ですが、今回の話は、このような場所でしか話せなかったもので…。」
「…でしょうな。ここには、後ろめたいことを抱えている人間が多すぎる。」
そう言い、僕はベルノ-以外の男二人を見た。
ベルノ-の隣で立っている男の一人が僕を睨んできた。僕の言い分が、癪に障ったのだろうか。
その彼は、ベルノ-とは違い背も高く、良い生地を使っているであろう黒の背広と赤のネクタイはとても様になっている。白髪で年を取っている風にも見えるが、その眼と尖った白い顎髭は、まるで若き頃の殺気の様に今にも人を殺しかねない程の鋭さだ。
「あなた方の事はよく聞いていますよ。オベール工業と専属の契約を結んでいる数少ない中央都市の「企業」、「ニューセンチュリー」の代表取締役・ガルナック氏、そして、そのまた隣にいらっしゃるのが、このオベール工業の科学班代表のフラル氏。これはこれは豪華な面々だ。お会いできて光栄、とでも言っておきましょうか。」
演技がかった物言いで、僕は彼らを挑発した。身振り手振りも加え、まるで道化か何かのような飄々とした態度だ。
科学班代表のフラル氏は、僕に名前を当てられた途端におびえてしまったようだ。禿げた頭に太った丸い顔、この三人の中では一番背が低く、情けなく見えるだろう。
「よ、よく、ご存じで…。」
フラル氏はガルナック氏の後ろから恐る恐る口を開いた。その声は震え、声量も儚い。しかし、それとは引き換えにガルナック氏は堂々としている。
「ふん。ドブネズミが。私達の事を知っているだけで優位になった気でいるな。私の後ろで隠れているこの科学野郎ならいざ知らず、私はそれしきの事では動じん。」
ガルナック氏が我先にと僕に嚙みつく。
「でしょうな。…私の知っている限り、あなたは数えきれない程の悪事を働いてる。これしきの恐喝など応えもしないでしょう。恨みもいっぱい買っているでしょうし、私が動かなくてもいずれ手痛い仕返しを喰らうのは時間の問題だ。」
僕も負けじと、彼の挑発に挑発で返す。彼の顔が、より一層険しいものになる。
「貴様…!」
「お、落ち着いてください! 喧嘩をするために彼を呼んだんじゃありません!」
咄嗟にベルノ-氏がガルナック氏を止めた。
「ええ、その通り、流石ベルノ-氏だ。そう、私は依頼を受けに来た。ガルナック氏の事など、今最優先すべき事ではない。正直言ってどうでも良い。ここで起きている問題の解決。それが大事かつ先決です。でしょ?」
「…私の事が、どうでもいいだと…?」
「冗談ですよ。冗談。…正直な話、あなたの所の会社をつぶしたからと言って、今後の私に利益があるとは到底思えない。いわば眼中にないという事です。悪しからず。」
「…っ!!」
ガルナック氏が、懐から拳銃を取り出した。そして、その銃口は僕に向けられ、引き金に指がかけられる。
「ガ、ガルナックさん…!?」
ベルノ-氏が思わず立ち上がる。
「もう我慢ならん! こんな小僧にコケにされるなど、耐えられん…!!」
「や、やめてください、ガルナックさん!! 私達は、もう彼らに頼るしか…!」
「止めるなベルノ-! このガルナックが、そこらのドブネズミに見下されてコケにされるなど、あっていいはずがない!!」
ガルナック氏の顔が怒りに満ち満ちていた。相当癇に障ったらしい。ベルノ-氏は、彼が拳銃を持っている方の手にすがる様に組み付き、必死で銃を下ろさせようとしている。
「…いいんですか? 引き金を引いて。」
僕は少し低い声でそう言った。
「な、何!?」
ガルナック氏が反応する。
「…もうあなた、彼女の手の内ですよ?」
そして、僕は彼の顔を真っ直ぐ見つめた。冷たく、ただ冷たく、彼の目を見てそう言った。
ガルナック氏も、それを察したのだろうか。先程まで、その怒りで顔を真っ赤にしていたにも拘らず、僕の顔を見るや否や、みるみるとその血色は白く変わっていった。
「…え。」
ガルナック氏は最初こそ気が付かなかったものの、僕に指摘され、自分の置かれている状況をようやく理解したようだ。
ガルナック氏の首元には、シャンデリアの光を反射するナイフが当てられていた。もちろん、それを持っているのはユリ。スカートの中から取り出したサバイバルナイフを逆手に持ち、切れるか切れないかのきわどい距離感で、かつ切りかかろうとする体勢のまま静止している。
「い、いつのまに…。」
「このように、ウチには優秀なメイドがいます。あなた方の要望には十分に応えられるかと。」
僕は、ガルナック氏以外の二人に向けて話した。その肝心の二人も、今のこの状況を理解するのに少し時間が掛かっている様子だ。
「…まあ、これは所謂デモンストレーションのようなものです。私達には、これだけの仕事ができるという、いわば、私達流の自己紹介という奴です。ああ、あまり深く考えないで。あくまで、あなた達は私達のお客様だ。こんなの、そこら辺の余興と大して変わりありませんよ。…ですが、ガルナックさん。そうだったとしても、もう少し怒りを抑える努力をなさってください。そんなことでは、お父様から受け継いだ「ニューセンチュリー」を存続させるのは、酷く難しいですよ?」
「…くっ。」
「さあ、ユリ。彼から離れなさい。」
「…はい、ご主人様。」
僕に言われ、ユリはガルナック氏から離れた。
「…さ、仕事の話に移りましょう。」
「え、ええ。そうします。」
ベルノ-氏は、僕に言われるがまま、仕事内容を話し始めた。
僕らは宿に来ていた、ベルノ-氏がわざわざ用意してくれた二人部屋だ。
「…夜まで、もうすぐですね。」
「ああ。ま、それまでゆっくりしていよう。」
僕はベットに寝転びながら、天井の木目を眺めていた。
このガントリアムにおいて、木製の建物というのは大変珍しい。何故なら、この区域の特徴として、将又土地柄として、自然物と呼ばれる物の生体が壊滅しているからだ。
大工業化に伴い、最も要求されたのは土地の確保だ。加工、製造、技術開発、それらの工程を円滑に行うのに必要不可欠な物。開発設備を充実させるにしても、工場を建てるための土地がなければすべて絵空事と同じだ。実現させるには空間的に生み出さなくてはならない。
最初は、たった一つの施設だった。話に聞くと、ここは水も豊かで、周囲は全て森だったらしい。しかし、技術革新が進むにつれて、施設の拡大は当たり前のように進められた。そして、一回の拡大のために、一つの森が開拓された。また一つ拡大、開拓。そして、また一つ拡大、開拓の繰り返しだ。
そして、いつしかその最初の研究施設から分派した技術者たちが、自分たちの工場を作り出した。その対立から新たな競争が生まれ、また新たに拡大と開拓を繰り返していった。
ここからはもう鼠算式だ。それぞれの中から新たな工場や企業が生まれ、そしてまた拡大していく。その度に、森は開拓され、木々は切り倒され、その代わりに背の高い煙突が植えられていった。
気が付けば、ここには排気ガスと薬品、モルタルやコンクリートで埋められた大地しか残っていない「科学の街」と化していったのだ。
発展に伴い、自然を消した。それが、このガントリアムの歴史の一つ。それもあって、木材を使った建築という物は、よその地区から木材を輸入し、それを使って建築すことしかできなくなってしまったのだ。需要と供給の関係もあり、ここまで成長してしまった区画の木材建築を賄うことなど、他所の地区は到底良しとしなかった。もし、それを要求するのならば、そうれ相応の対価を必要とする、つまり木材に関する急激な物価の上昇が発生してしまったのだ。
「…僕らにとっては当たり前だけど、ここではこういった木を使った家ってだけで、まるで大理石で作られた建築物並みの価値があるんだなあ。」
天井を見つめ、僕は呟く。
「ガントリアムでは、現地で生産できる安価な材料を使うのが主流ですからね。わざわざ高い金額を払ってまで、木材建築をする意味など無いのでしょう。」
「…でもねえ、ユリ。それを敢えてすることによって、財力の差という奴を見せつけることもできるんだよ。特に、こういう競争率の激しい区画では、取引先の人間が落としていく小銭だって惜しい。この宿だって、所詮はオベール工業管轄のホテルだし、僕らのような客やお得意様をもてなす分、それ相応の対価もくれ、向こうはそう考えてるってことでしょ? こういった価値のある建物を複数所有していることの利点を生かしていれば、いろんな市場に介入できる。ここにある家具とか、テレビとか、電子機器だって、みーんなオベール工業プロヂュースの物ばかり。」
「…これも、所謂プレゼンテーションという奴ですか。」
「そ。あのベルノ-とか言う奴、成金趣味はあまり好まないとか言っていたけど、取れる所からは十分すい出せるようにうまく商売してるみたいだし、結局は血は争えないってことだろうね。あの自己紹介の仕方だって、印象を変えるための戦略かもしれないし。あ~あ、だから商売人てやつは面倒くさくて嫌いなんだ。まだ、ギャングとかマフィアの方が分かりやすくて良いよ。」
「ですが、この仕事を受けたのはご主人様ご自身です。」
「それもそうだけど…。でもさあ、ユリ。この、僕が、ただ単に仕事を受けただけだと思う?」
「いいえ。全く思いません。」
「いいねえ~、分かってるねえ~。」
十字格子のガラス窓から僕は外の景色を見た。相変わらず大きな煙突からは延々と黒い煙が吐き出され続け、今もなお働き続けている人々を意味する部屋の明かりが、正に地上の星の様に瞬いている。
日も暮れはじめ、西へ沈んで行っているお日様によって、空はオレンジから真っ赤な赤へ、そして紫を介して紺青へと向かい黒に消えるあの独特のグラデーションが演出される。
「…ユリ、今何時?」
「丁度7時です。」
「へー。ま、そろそろ日も短くなる季節か。」
「ええ。早いものです。」
僕は、ベットから勢いよくちび起きた。しかし、勢いが付き過ぎた為か、顔面から前に倒れ、壁に顔を強打させた。
「いってて…。」
「もう、気を付けてください。…大丈夫ですか?」
「…。」
「…ご主人様?」
「…もう駄目。頭撫でてくれなきゃ立てない。」
僕は、おしりを天に突き出すような形で床に突っ伏し、喋った。
「…はぁ…。」
ユリは深い溜息を吐く。
「…そろそろ、依頼されていた時間です。早く準備していきましょう。」
「…ユリの意地悪…。」
「…もう。仕方ないですねえ。」
そう言いながらも、ユリは僕の頭を撫でてくれた。麻布のマスク越しでも、彼女の手の感触が伝わってくる。それは、到底人と呼ぶには冷たすぎて、温もりなど一切感じられない物だった。死人ですら、もう少しは温かみに近いものを持っているだろう。
「…やはり、君は素晴らしい。」
僕は、彼女の目も見て言った。
「…それは、嫌味ですか?」
「まさか。…さあ、では行こうか。」
即座に立ち上がり、自らの襟を正す。
「はい。ご主人様。」
僕の後ろでユリが返事をした。