第三話「大工業地区ガントリアム」
キャリー編 はじまり
「汽車からの眺めというのも、おつなものだね。」
僕はユリに言った。
テンス鉄道の蒸気機関車が引いている車両からの眺めは、右から左へゆったりと流れて、大変心地いい。ガタンゴトンという一定周期的に訪れる振動とリズムが、まるでこの光景の一つ一つを楽譜に書かれた、1小節の様に区切り僕を楽しませる。
「…そうでしょうか。」
「そうだよ。景色という物は、いつも自然物とは限らない。たとえそれが人工的に生み出されたものだとしても、美しさに変わりはないさ。それに関しては、君が一番理解していると思っていたけど。」
その一言に、ユリは少しムッとした。
「これはある種の誉め言葉だよ?」
「屈折的すぎます。…まあ、ありがとございます、とだけは言っておきますが。」
オズワール最大の大工業地帯、名は「ガントリアム」。それの象徴ともいえる背の高い煙突達が、今まさに、あの空に向かって黒煙を吐き出している。
ユリは僕のこの感想に少しばかり不服なようだ。まあ、それも無理はないだろう。赤レンガで出来た工場が一国土分を覆うほどに立ち並び、空気は排気ガスと油のにおいで満たされているのだ。その上、灰色の雲が年がら年中天空を塞いでいる。そんな世界の有様を見て、美しいという感想を抱くこと自体が、ある意味間違っている。不満を抱かれても致し方ない。
このオズワールという街の最大の特徴はその規模だろう。街というよりは最早「国」と言っていい程の土地面積を保有し、一つの大陸すべてが「オズワール」という「街」として構成されているのだ。
この街中に張り巡らされた灰色の石レンガの道路とその道に沿って延々と軒を連ねている家々の姿が、全体的に古風で、まだフランス王政が盛んだったころのヨーロッパの街並みを想起させる。
流石に街頭は電気式だし、住んでる人々の服装だって今どきの物だ。普通にテレビもある。古めかしいのは外見だけで、中身は立派な現代社会の文明を謳歌しているのだ。
この場所も、歴史の中でもみくちゃにされながらこの時代まで続いてきた。独立運動の失敗、圧政の中を生き抜くために編み出された独特な発展。
本来ヨーロッパ諸国の植民地として生み出されたこのオズワールを有する「国」は、その中で力を蓄え、国や土地などという概念を超越するような超規模な「街」を誕生させたのだ。
「国」としてではなく、一つの「街」としての発展であるならば、その土地を征服していた国々の力も及ばないことを理解しての活動だったのだろう。水面下で行われたこれらの政策は功を奏し、征服国がその現状に気が付くときにはすでに手遅れだったのだ。
人の出入りも盛んで、本来港町という側面が強いためか数多くの人種、種族がここを行き来している。それもあって、使われている言語が少しばかり曖昧な地区も存在するが、この多様性が今のオズワールの礎となっているのだろう。
その中で生み出され、今もなおオズワールを支えているのがこの「ガントリアム」大工業地帯。どの「国」よりも優れた科学技術を欲した当時の「市長」が、海外から来た技術を接触的に吸収し研究を続けさせるという名目で生み出された場所。最初はごく小さな施設から始まり、ゆっくりとその勢力を広げ今に至るという訳だ。
「…うん、確かに降りてみると匂いがきついね。」
駅に到着するや否や、この土地特有の匂いが僕を襲った。元からかぶっている麻布のマスクの御蔭もあってかそこまで酷いことにはならなかったとはいえ、それは僕の鼻をひん曲げるには十分だった。石炭と、化学薬品の香りが僕の鼻腔をくすぐる。
ここの駅を構成している物は、全てが人工物だ。ここだけじゃない。ガントリアム内の建物全部に、金色のパイプが張り巡らされていて、木製の支柱などは一切見られず全てが赤レンガか鉄骨で構成されている。
自然物を想起させる材料は存在しておらず、その殆どが人の手でかつ科学的に生み出された材料のみ。科学の象徴をその身で体現しているようだ。
赤い壁と緑の屋根の駅を多くの人間が行き来ししている。ある人は自分自身と同じぐらいの大きさがあるリュックを背負い、つなぎ姿で傘のみを持っている男の人が、気難しい顔をしながら列車から降りる。恐らく、ここの人口密度は何処の地区よりも高いだろう。
「ご主人様。荷物の準備が出来ました。」
「ああ、ありがとう。…じゃあ、そろそろ行こうか。」
「はい。」
ユリは僕に着替えや日用品が入っているトランクを持ってくれていた。僕はそれを確認すると、駅の外へと向かって歩き出す。
「…それにしても、凄い人の数だねえ。首都街でもこんなに人間で溢れたりしないよ。」
思わず僕はそう言った。
「それだけ、ここに人口が集中しているという事でしょうか。」
「いや、というよりここを訪れる人間が多すぎるんだよ。よそからの労働者もいるし、ここの工場と提携を結んでいる首都街の企業とかも沢山いる。それだけ分の人間がここにやって来てるんだ。こうなっても仕方がない。」
「なるほど。」
駅を少し出ると、そこも人間でひしめき合っていた。恐らくこの地区の中央通りだと思われるそこでも人の運河が生まれ、今にも飲み込まれそうだ。地面の様子も分からない程に人が群れ、埋め尽くされている。
そして、そんな中でも路面電車は運航し、丁度良くそれが通るところだけを人が避けている様はまるで川登をする船のようだ。
「あれに乗りましょうか?」
「…いや、やめといた方がいい。」
「何故ですか?」
僕は路面電車が停車すると同時に、その様子を指さした。一気に人が出ていき、その出て言った人間の何倍もの人数が電車に殺到した。車両の窓から見える中の様子は正に肉詰め状態で、到底僕らが乗車するスペースなどある筈もない。
「恐らく、あれがこの地区での日常なんだろう。それになじめていない僕らが下手なことをしようものなら、痛い目を見るのは必然だ。」
「…かしこまりました。では、歩いていきましょう。」
「ああ。そんなに遠くにあるわけでもないからね。」
僕ら二人はしばらく歩き、人もまばらになり始めた路地裏に進んでいた。メインストリートの喧騒など知った事ではない、そんな落ち着きと、先程の騒がしさがBGMに聞こえるほどの別世界っぷりだ。
道を挟んでいる建物の背は高く、大体20メートル以上はあるだろうか。その所為もあって、少し小道に入っていっただけで影が出来、ジメジメとした湿気を纏った空気がそこに満たされている。
煉瓦の壁には結露が生まれ、それが集まり滴りとなって地面に落ちていく。頭上からは工場の臭気を外に排出するためのファンが回っており、それの醸し出す音が延々と聞こえては小さくなり、また別のファンの音が始まる。それの繰り返し。二人でずっと歩いているのだから当然だ。
「…おや?」
僕は、ふと気が付いた。何にかというと、僕の前方から誰かが走って来るのだ。距離はそこまで遠くない。物の五秒ほどでここに到着するだろう。
「やれやれ。」
「……。」
「…ユリ、やめなさい。」
身構えるユリを片手で制す。
近づいてくるその人影は、だんだんとその姿を明らかにし、理解できるようになってきた。ああ、あれは子供だ。ニット帽を深く被り、上の服はよれたシャツ、ズボンはデニム製でサスペンダーと一緒になっているツナギだ。
それらの情報が理解できた後に、その子供は僕らの所に来た。そして、僕らに勢い良くぶつかり、二人の間を潜り抜けるように走り抜けようとした。
「おっと、ごめんよお二人さん!!」
子供は、すぐさまその場を離れようとする。しかし、それは疎外された。
「いて! な、なんだよう!!」
僕はその子供の片腕を握り、持ち上げた。子供は、いわば宙ぶらりんの状態になる。
「…返しなさい。」
「な、何のことだよ…。」
「私と彼女の財布だ。さあ、今すぐ返しなさい。」
「え、冤罪だ! さ、財布なんか取ってねえよ!!」
「…嘘を吐くな。」
僕は使っていないもう片方の手で、子供の顔を掴んだ。やわらかい頬を左右から抑え込まれ、まるでタコと口のような状態になる。先程まで余裕を見せていた子供の顔がこわばる。
「…返せと言っているんだ。私からこの金を盗もうとしたという事は、子供といえどもそれ相応の覚悟をもってした事なのだろう? 普通だったら、子供には手は出さない。無邪気で、世の中も知らない、大人になるまでカスほどの価値もない子供の血で手を汚すなど、何の意味もないからだ。」
「ひっ…。」
「しかしだ。お前はもう子供じゃない。本当の世の中の怖さを知らないだけで、しっかりと己の力で生きて行こうともがいている。だったら、それにはそれに見合う対応をこちらも心掛けなければならない。分かるか?」
僕は、赤く光る丸いガラス盤の眼で子供を睨んだ。
「もし、ここで素直に返し、普通の子供に戻るのならば解放してやろう。だが、お前がもし、もう子供でないと証明するのならば、ここで今すぐに私から逃れるすべを考え出し、二人を殺し、有り金と金目のものすべてを剝ぎ取っていけ。後者を選ぶならば、お前はもう立派な大人だ。それとも、この時だけ子供に戻って命乞いをするか? もし本気で子供に戻らないのだとしたら、私は容赦しない。それは、子供の皮をかぶって生き延びようとする大人のやり口だ。さあ、どうする。今すぐ、死にたいか。それとも、生きたいか。好きな方を選べ。」
掴んでいる手から、この子供が震えているのがよく分かる。眼からも涙があふれ始め、本当の恐怖に苛まれている真っ最中だ。
「…ご、ごべんなざい…。ぼ、ぼう、じばぜん…。」
「…それは、大人のやり口か? それとも、子供か?」
「うぅ、ひっぐ!…ぼう、じばぜん…。ごべんなざい…。ごべんなざい…。」
「…子供は子供らしく、ゆっくり大人になれ。」
僕はそう言い、子供を拘束していた手を全部離した。子供は落下し、間抜けに尻もちをつく。
「さあ、取った財布を返しなさい。」
「は、はい…。」
泣きじゃくる子供に、ユリは無表情で語り掛けた。ここにいる大人二人には、恐らくやさしさのひとかけらも残っていないのだと印象付けるような冷徹さだ。
子供のポケットからは、二人分の財布が出てきた。僕はそれを受け取り、背広の内ポケットに仕舞う。
「…行け。」
僕は子供に言った。そう言われ、子供はそそくさとこの場を立ち去っていく。腰が引けて歩けない足を無理矢理操り、途中こけながらも必死に二人から逃げて行った。
「…所詮、ここも同じような場所か。」
僕は、再び歩き出しながらユリに言った。
「先ほども、ご自分でおっしゃったではないですか。それだけ人間がいて、いろいろな企業が絡んでいる。その中ではやはり、マネーゲームも盛んになります。あの子供の様に、金によって親を殺され、ああするほか稼ぐ手段がない、生きる術も知らない状態に陥る事など珍しくありません。大きく発展していけばいくほど、その後ろに伸びる影という物は巨大になっていくという物です。」
「でも、あれじゃあ、あの子供の人生もとっくに終わっていたことだろう。盗みをやって良い相手なのかどうか、それも見分けられないようじゃ先は短い。だったらそれを解らせてあげた方が、あの子のためだ。」
「…やはり、ご主人様は優しいのですね。」
「いや、そんなんじゃない。」
「…と、言いますと?」
「…何。種を蒔いただけさ。」
丁度路地裏を抜けると、そこはガントリアムの中央広場だった。円形の巨大広場の真ん中にある噴水には、大きな歯車を抱えた金属製の女神像が直立しており、大きく天に掲げた右手からは高く水が上がっている。そして、それの周りは市場になっており、仮のテントが隙間なく建てられている。
ここでの市場は、普通の市場とは少し違う。どちらかというと、競りに近いの特色だろう。ここにあるテント全てがここで工場を経営している者達のお店で、それぞれが開発した部品や新技術、それらを企業や業者がその場で競り落としていくという形態を取っているのだ。その技術を競り落とすという事は、それらの技術を買い、年間何万個という製品やそれらの用いられる部品を買い付けるという企業と中小企業の関係性をここで構築しているという事なのだ。
競争率を上げるために、このガントリアムではこういった商売の形式を採用している。しかし、競争率が上がる分、その中で敗北し潰れていく工場や企業が生まれるのも必然だ。だが、この地区ではそんなこと日常茶飯事であり、潰れた場所には新たな企業や工場が入り込み、何事もなかったかのように経営が始まる。ここと契約している企業側も、危なくなれば切り落とし、また別の工場と年間の契約を結ぶために市場に足を運び、そしてまた切り落とす。これの繰り返しだ。
この市場はこの広場だけではない。この広場を中心に放射線状に広がる5つの大通りにも、この市場は続いている。朝も昼も、寝る間もなくこの市場が競りを続け、その最中、また新しい技術が生まれ続けているのだ。
「…さて、依頼人の場所に行かなくては。」
「こちらです。ご主人様。」
僕はユリに連れられ、噴水近くにある一つのテントに近づいて行った。