第一話「朝」
初めての投稿となる今作品ですが、気長にやっていけたらいいなあと思っています…。もしお時間がありましたら、読者の皆様もどうか気長に読んでいってください…。…すいません、生意気言ってます…。
「おはようございます。ご主人様。」
聞きなれた声が、僕を起こしてくれた。窓から入ってくる光が、僕の顔を優しく照らし、外では鳥のさえずりと、犬の鳴き声が聞こえる。まさに、穏やかな朝そのものだ。
「…まだ眠いよ…。」
だけど、僕はそれに反発した。外界ののどかな現状よりも、ベットとシーツに包まれるという温もりを優先したのだ。
「いけませんよ? そんな我が儘を言っては。みんな待っているんですから。さあ、はやく!」
「…眠いもんは眠いんだよお…。」
「…はぁ。仕方ありませんね。」
そう言い彼女、ユリは僕の寝室から出て行った。ユリという名の通り、彼女の肌は白く透き通っている。その長い黒髪は艶やかで、日本の女性らしい奥ゆかしさも感じられるだろう。それも相まって、古風なメイド服もよく似合っている。
本当だったら、この時点で逃げておくべきだったのだ。恐らく、昼間のはっきりしている脳を持つ僕だったならば、確実にそう行動に移したのだろう。しかし、あろうことか、僕は一時的欲求に対する甘美な魅力に負けてしまい、二度寝という失態を犯してしまったのだ。
「おーい、くそぼうずー。おっきろー。」
しばらく経って、また聞きなれた声が僕を起こしに来た。とは言っても、最初に僕を起こそうとしてくれたユリの物とはまた違った声だ。
その声は正に姉貴肌そのものを思わせる声質で、口調は粗暴そのもの。その褐色の肌と右目にある縦の傷は、その彼女の性格を象徴しているかのようだ。
あくまでも、僕は彼女たちの主だ。それに関しては、僕は自信をもって発言出来る。だけど、恐らく彼女、キャリーには何を言っても、それに準ずるルールを守ろうという気は一切ないのだろう。
彼女と出会ってからというもの、僕は彼女にありとあらゆる礼儀作法について教えてきた。食事の仕方、挨拶の仕方、正しい歩き方、姿勢。だけどそれら全ては、今の現状を見るに全くと言っていいほど効果をなしていない。僕の苦労は、水の泡となって消えてしまったのだ。
それに、僕の方が年下という事もある。それが、彼女のそのメイドらしからぬ行いに拍車をかけているのだろう。
「…キャリー。いい加減、そのくそ坊主ってのやめてよ。僕はあくまで君の主人なんだよ? 僕だから聞き流しているけど、他のお屋敷とかだったら普通にクビに…。」
僕はそこから先を言おうとした。だが、意識がはっきりして、自分の置かれている状態に気が付いた瞬間に、僕は言葉を失ってしまった。
僕の目の前には一つの黒い穴があった。
「なんか言ったか? くそ坊主。」
「…いえ、あの。その…。」
「そもそもよう、おかしな話じゃねえか? なんであたしがあんたをわざわざ起こしに行かにゃならないわけ? それもメイドとやらの仕事か? 自分で起きる気力もない、くそ野郎のお手伝いをする事が? 」
「それは、まあ、そうとも…言えなくない…のか、な?」
「ああ?」
「…ごめんなさい。」
「なわきゃねえよなあ。起きるなら、自分の力で、とっとと起きろって話だよなあ?」
キャリーは僕に眼を飛ばしながら唸り、ゆっくりとその手に持っている物の撃鉄を起こした。
彼女と僕の位置関係は、いわば彼女が僕に馬乗りになっている状態だった。それに付け加え、彼女は今、僕の顔面に向けてオートマチックの拳銃を構えていたのだ。
「…キャリー。その、すぐに起きなかった事については、本当にごめん。もう、すっかり目は覚めたからさ? だからその、そのブツを、今すぐおろして貰ってもいいかな? ね?」
僕は彼女を宥めながら、そっと言った。両手を開いて、顔の横まであげて、降参のポーズを自然をとっていた。
「…はっ!」
しかし、彼女はそれを鼻で笑った。
「…あのさあ、あんた何か勘違いしてないか? 」
しばしの沈黙。
「…え、な、何を?」
「…あたしはさあ、心底ムカついてんのさ。呼ばれてもすぐに来ねえお前の事も、そんなお前に付き従ってる今の現状も。つまりだ。これは、別にあんたを起こしに来たある種のサプライズって訳ではなく、ただ単にあたしがむかついたからこれをあんたの眉間に向けている訳であって、脅しでもなんでもないってことなんだよ。」
「…ええっと、つまり…。」
「そうだよ。あたしはこれを普通にぶっ放すつもりだ。お分かり?」
…ああそうだった。彼女はそういう性格の女性だった。
彼女は常に怒っているんだ。何に対してでもない。全てに対して。この世に存在する、ありとあらゆるものに対して憤怒を抱かずにはいられないのが彼女の性分なのだ。
僕は素直に後悔した。すぐに起きておけばよかったと。
「…ユリが言った仕方ないって、このことか…。」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ。そんじゃま、おさらばだな。」
キャリーはゆっくりと引き金に掛かてある指に力を入れて行った。
僕は深いため息を吐いた。
「…分かったよ。ごめん。すぐ起きるから。」
僕は、真っ直ぐに彼女を見つめた。彼女の眼は、いつもの怒りに満ち満ちて、殺気が込められている。そのせいかどうかは分からないが、うっすらと涙をためながら潤んでもいた。
不覚にも、僕はその瞳が美しいと思えてしまう。
それが、彼女自身の姿であり、包み隠すことのない真実だからだ。僕は、そんな彼女のそういうところに、酷く魅力を感じてしまうのだ。
「だから、関係ねえって言ってるだろ。…死ね。」
その瞬間、銃声が僕の寝室で鳴り響いた。
「…ちっ。」
キャリーは、はっきりと聞こえるような大きな舌打ちをした。かくいう僕は、ベットから立ち上がり、部屋に備え付けてある洗面台へと向かっていた。
「ああーあ。まーた殺せなかったよ。あんたの事。」
キャリーが毒づく。その体勢は、先程まで僕のドたまを狙っていた時の状態と同じだ。
「そう簡単に死んでたんじゃ、君らの相手なんてできないよ。」
僕は蛇口をひねり、顔を洗う。キャリーはというと、一気にやる気がなくなったように、僕が寝ていたベットに寝転びだした。折角のメイド服が皺になってしまう。僕はその事が心配になった。
「さあ。目も覚めたことだし、着替えを持ってきてくれるかな。…いや、その前に朝食にしよう。みんな、待っててくれてるんだったよね。」
「あたしを使おうなんざ、100億年はやいよ。」
明らかに彼女はふてくされている。
「お願いだよ。それとも、アズミにこのこと言う?」
僕のその一声を聞いた瞬間、キャリーは飛び起きた。その顔は、先程までの怒りに満ち溢れた物とは異なり、何かに対する畏怖の感情が現れた物だった。見るからに青ざめている。
「な、なあ。頼むよ。アズミにだけは、い、言わないでくれ。な? そ、それに、あたしはユリに言われてアンタを起こしに来ただけで…。」
「多分、ユリの事だ。君の弁解など、全て無かったことにしてしまうだろう。それに、アズミ自体が、君を好きかってできる良い切っ掛けを待っているじゃないか。それに付け込まれて、また彼女に遊ばれるのが落ちだよ。」
僕は意地悪く言う。
「…ぅぅ。」
「分かったら、僕の着替えを用意しておいてくれ。僕は食堂に行って、朝食を食べてくる。あ、それと僕のマスクも忘れずに。」
「う゛う゛…分かった。」
そう言い、彼女は僕の部屋を後にした。最後の方は、目に涙を浮かべていた。
別に、僕は悪いことをしたなんてこれっぽっちも思っていない。あれはある種の、彼女の扱い方のようなものだ。彼女の見た目は若い。だが、僕より遥かに年を取っている。生きてきた年数が違う。
だからこそ、僕のこう言った対応にも耐える事が出来る。これぐらいの脅し、彼女にとったら取るに足らない部類だ。それでも、彼女はさっきの様に従う。彼女も理解している証拠だ。だからこそ、僕らはそういった関係の中で、信頼し合っている。これは、僕たち二人のお決まりのやり取りのような物なのだ。
「さて。そろそろ行こう。」
僕は食堂へと向かった。
「ねえねえ? エミリー? どうしますー?」
「そうねえ、ミザリー。どうしましょー。」
「うんうん、お二人方。お仕事さぼってどうしたの?」
僕はバルコニーで外の様子を見ていた双子の女の子ら、エミリーとミザリーに話しかけた。二人の触角はそれに反応し、振り向くと同時にその綺麗な複眼の瞳をこちらに向けてくれた。背中から生えているトンボの羽を思わせるそれは、独特の虹色を反射させている。
彼女ら二人の紹介をするのならば、あくまで人の形をしている彼女らではあるが、その肉体は外骨格に覆われた、言ってしまえば人型の昆虫という言葉がしっくりくるだろう。腕も二対あり、本来人にはないもう一対の腕は彼女らの脇腹あたりから生えている。彼女らのメイド服を注文するときは少し困ったものだ。今でも仕立て屋の主人から、「こいつ本気か?」という視線を受けたのをよく覚えている。
「あらあら、ご主人様、おはようございます。」
「あらあら、ご主人様、生きていましたのね?」
「…ずいぶんな言い草だな、君ら。」
恐らく、僕の苦虫をかみつぶしたような表情は隠しきれていなかったことだろう。かく言う彼女らは、一応は人間と同じような機能を有する口を持っているにしても、表情が分かりずらい。その口という物も、何枚もの甲殻が組み合わさり、人の口のような動きを再現できているというだけなのだ。
「だって、ユリから聞きましたわ。ご主人様を起こすのにキャリーを向かわせたと。」
「だって、キャリーから聞きましたわ。今度こそ、ご主人様をぶっ殺してやるんだと。」
「でも、僕は生きている。だろ?」
エミリーとミザリーは、お互いを見つめ合った後、再び僕を見た。
「確かに、そうですわね!」
「確かに、その通りですわね!」
「…うん。」
彼女らの事は好きだ。だけど…。うん、これ以上は何も言うまい。
「ところで、二人して何を見ていたんだ?」
「そうですわ、どうしましょうミザリー。」
「そうでしたわ、どうしましょうエミリー。」
「いや、だから何がどうしたの。」
「ワンちゃんですわ、ご主人様。」
「ワンちゃん達ですわ、ご主人様。」
「ワンちゃん?」
僕はバルコニーの手すりから身を乗り出し、外の様子を見てみた。広い野原、晴れ渡った空、青々と生い茂る木々たち。そして…。
「…なるほど、だからユリがわざわざ僕を起こしに来たのか。珍しいと思った。」
「ねえねえ、ご主人様?」
「ん? どうしたんだい、エミリー。」
エミリーが、パジャマの裾を掴みながらこちらを見つめてきた。そして、こう言った。
「アレ、タベテイイ?」
その声は、先程までの少女らしい声とはかけ離れ、まるで深淵から鳴り響いてくるかのような重低音だった。
彼女らが僕を見ている。深いサファイア色をした複眼が、まるで血のような色に光り出す。触角と羽を震わせ、ジジジという独特の音色を響かせている。口は大きく開かれ、獲物を捕食する蟷螂のごとく、尚且つ口内からは、捕食対象の体内を溶かすために用いられる酸性の毒を滴らせている。
今にも、彼女たちはこの場から飛び立って、彼女らの言うワンちゃんの元へと飛び立っていきそうだ。
だが、僕はそれに許可を出すことはできない。
「ダメ。」
「ナンデー?」
「だって、今お腹いっぱいにしちゃうとサキの料理食べれなくなるじゃないか。」
「…あ。」
「でしょ?」
僕は彼女らの頭を撫でてあげた。先程まで興奮状態にあった二人は落ち着き、いつもの彼女らに戻っていく。
彼女らは、こうされるのが好きなのだ。初めて会った時も強請られた。だから、僕は彼女らの望むことをする。させてもあげたい。
だが、これ、つまりワンチャンの事に関しては少し話が変わってくる。彼女たちには彼女たちの決められた仕事があるのだ。
「さあ、二人とも。こんなところでさぼってないで、早く自分の仕事に戻りなさい。」
「分かりましたですわ、ご主人様。」
「了解しましたですわ、ご主人様。」
そう言い終わると、彼女らは両手を広げながら、屋敷の中へと走って行った。
「…僕も、早く行こう。」
「待ちしておりました…ご主人様…。」
「やあ、おはよう。サキ。」
僕一人のためにしては、少し広い食堂へとたどり着く。
「さーて、今日のご飯はなーにかなあー。」
「…あの、ご主人様…。」
「ん? どうしたの?」
サキは、彼女の足元まで伸び切っている髪を引きずりながら僕の近くへとやって来た。その手には、僕の大好物のスクランブルエッグとウインナーをのっけたお皿がある。
「おお、今日は僕の大好物かあ。」
「あ、あの、ご主人様…!」
「うん、何?」
僕の目の前に、それらの朝食は置かれていく。先ほど言ったメインディッシュに加え、コーヒー、サラダ、カボチャのスープ、トーストも。なんせ、彼女は自分の髪を操る事が出来るのだ。顔も隠れてしまうような伸び切った前髪を起用に使いながら、これだけの食事を一気に持って来るなんて、彼女にとっては造作もない。それに、料理もとてもおいしい。そのギャップが、彼女のいちばんの魅力なのだろう。
「…食事と同時に、アズミさんとユリさんから…お話したいことがあるそうです…あの、よろしいでしょうか…。」
「…大丈夫だよ。僕も、そろそろ聞きたかったし。」
「あ、ありがとうございます。」
サキは仰々しく頭を下げた。確かに、彼女は少しおどおどしすぎな部分もある。けれど、これぐらい礼儀正しい様子をキャリーにも見習って貰いたい。多分、これは届くことのない願いなんだろうけど…。
「…それで? 僕に伝えたいことって?」
僕は、丁度僕の目の前に立っている二人に話しかけた。ユリは、先程紹介した通りの出で立ちで、こちらに微笑みかけている。そして、その隣にいるアズミは、常に日本刀を帯刀し般若の面をかぶって、不動の出で立ちだ。
「…今、外にいらしているお客様の事なのだが。」
アズミが直立不動のまま言い始めた。
「その事なら、さっきエミリーとミザリーに聞いたよ。それ以外の事は?」
「いいえ、ありませんわ。」
「そう。ならよかった。」
僕は、サキの作ってくれたふわふわのスクランブルエッグに舌鼓を打つ。
「んん~、おいしい。…それで、応接室へは?」
「…ご案内はしていない。何分、人数が多すぎてな。」
「ええ、そうなんです。ざっと、100人はいます。」
「…そうかあ、そんなに多いのかあ。通りで。朝からみんなが待っているなんておかしいと思ったんだ。犬の声もしてたけど、あれは?」
「…今回のお客様は、数匹のワーウルフを従えているようだ。」
「はぇ…。天下の狼男も、地に堕ちたものだねえ。」
「いかがいたしますか? ご主人様?」
僕はウインナーにフォークを指して、思いっきり齧り付いた。
「ユリの傀儡で止められる程度なんでしょ? そんなに焦るほどでもないと思うんだけど。そもそも、その100人て、減らしてからの人数?」
「ご…ご主人様。た、食べながらしゃべるのは、お、お行儀がよく、ないです…。」
サキが僕に注意した。
「あ、ごめんごめん。おいしいからついつい。」
「そ、そんなに褒めても…、な、なにも出ません…!」
髪の毛で顔が隠れてしまっているが、照れて赤くなっているのが容易に分かる。
「…一応、ユリの傀儡で減らしてはいる。だが、飛び道具で応戦してきている分、近寄れていない現状だ。」
「数が多いですから。私の傀儡で止められてはいますが、始末するには時間が掛かるかと。今日は、ご依頼のお客様もいらっしゃいますし、それまでには終わらせておきたかったので。」
「…ご主人が命令してくれれば、すぐにでも終わらせられる。どうする?」
僕はトーストを齧りながら、コーヒーを飲む。ついでにサラダもつまみ、とりあえず一息吐く。
「はぁ…あったかい。ま、折角いらっしゃったんだ。僕直々にお出迎えしたいし、もうそろそろ、キャリーが僕の着替えを用意してくれてるころだろう。それが終わってからみんなで行こう。盛大にね。」
「…分かった。」
「かしこまりましたわ。」
二人は食堂を後にする。僕はというと、相変わらずサキの朝食のおいしさに圧倒されてしまい、再び食べ始める。
「そ…そんなに、おいしいですか?」
「うん。おいしい。」
なおも僕は食べる。サキの髪が、嬉しそうに上下している。
僕が寝室に戻ると、キャリーが着替えの用意をしていてくれた。
「…おら、用意してやったぞ。」
「ありがとうキャリー。いつも悪いね。」
「けっ。」
早速、僕は着替え始めた。ズボンを履き、ベルトを締め、カッターシャツに身を包む。
「…今日のネクタイの色はどうすんだよ。」
キャリーが僕に尋ねる。
「…そうだな。赤にしよう。」
「…珍しいな。なんでまた。」
「今から、君らに大きな仕事をしてもらわなきゃならないからね。汚れてもばれないように。」
僕がそういうと、キャリーは途端に目の色を変えた。
「それって、暴れてもいい事か!?」
僕は彼女を見つめる。
「もちろん。存分に暴れてくれ。あ、でも、早い者勝ちだからね。なにせ、みんなで歓迎するんだから。」
「やっほー!! 久しぶりの仕事だあああ!!」
「…てか、朝から気が付いてなかったの?」
「あ? 朝からやってたのか?」
「…なるほど。また寝坊したのか。」
「…あ?」
「いや、何でもない。」
キャリーからネクタイを受け取り、すぐに首に絞める。上着を着て、良し準備万端だ。
「じゃあ、キャリー。玄関に行っておいてくれ。多分、みんなも集まってる頃だと思うから。」
「おうよ。腕が鳴るぜー!」
「…さてと。」
部屋には、僕一人になった。とても静かで、怖いくらいだ。先程までの喧騒など嘘みたいに、僕一人の部屋では音が皆死んでいる。
僕は、再び洗面所の前に立った。そして、鏡に映る自分の顔に嫌悪した。
肌は焼けただれ、髪も眉毛も皆燃え尽きている。目は血走り、鼻はもげて二つの穴ぼこがあるだけ、唇は全て無くなって歯と歯茎がむき出しだ。正に、ただれた肉に包まれた髑髏その物だ。
洗面台に水を溜め、顔を洗う。
激痛が走る。思わずうなり声をあげてしまいそうな激痛だ。しかし、僕は声を殺し、なおも洗い続ける。
何故だ。理由はただ一つだ。この痛みが、僕の存在意義であり、僕をこのような姿に変えたやつらに対する憎しみを思い起こさせるからだ。この痛みを感じることで、僕のこの屋敷の半分が燃やされ、それに巻き込まれたあの日の屈辱を蘇らせるからだ。
「…ああそうさ。全て、非情に。残酷に。」
僕は、自分に言い聞かせる。
「情けなどかけるな…。血にまみれ、人肉を喰らえ…。あの日のあいつらの様に。」
手元にある大きな四角い麻布を手に取る。それの中心近くには、まるで人の目の様に二つの金属の輪っかが埋め込まれている。そして、その輪っかの中には赤く丸いガラスがはめ込まれ、まるでゴーグルの様だ。現に、その麻布の裏にはゴムバンドのような物があり、金属の輪っかとつながっている。
これは、僕の顔だ。僕の、もう一つの顔だ。
僕はそれをかぶり、再び鏡を見る。そこには、麻布の顔を持ち、真っ赤に燃える瞳で睨みを利かせている怪人が立っている。
「…さあ、行こうぜ。化け物。」
僕は目の前にいる怪人にそう毒づき、皆の待っている玄関へと向かった。