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怪物苦悩

 風が唸り、雨は飛沫を散らし、雷が閃光を放つ。嵐の中で、ローズマリーは希望を探して村を駆ける。

 純潔イノセントが無事に発射できるかは不安だが、崩壊コラプスは問題ないと判断して二人を捜索する。

 しかし、雨と風、吹き荒れるガレキや草木に阻まれて、捜索は難航した。あれほどの巨体を持つべヒモスでさえも発見できない。


「マーセ! ケイ! くそっ、一体どこへ……!」


 周囲に目を凝らしても、目に入るのは無人と化した村だけだ。ローズマリーは闇雲な探索を止めて、二人がどこへ向かったのかを思考する。

 ――二人は喜ばしくも悲しいことに、自分を見捨てるような人種ではない。例えぎりぎりの状況だったとしても、自分を救うべく尽力するだろう。ゆえに、村の近くにいることは推測できる。あまり距離を取るとべヒモスが自分の元へ向かう可能性を踏まえると、わざと魔獣と交戦しながら移動したと思われる。


(……戦闘の痕跡)


 ローズは思索を続ける途中で、破壊された家屋を見つけた。血が壁に付着している。しかし、それだけでは村人とケルベロスの死闘の跡である確率も残されている。だが、血が新鮮であるため、ローズは自分の直感を信じることにした。

 ライフルを構えながら、推測を再開。

 ――二人は移動しながらも、敵を狩る算段を立てていたはずだ。無闇に逃げるだけでは体力の消耗に加え、不利な環境へ入ってしまうこともある。ならば、地の利を得るために使えそうな箇所を探しながら逃走したはず。


(べヒモスはキメラのような合成獣。像やサイを象っていることから、皮膚は強固であると推察する。ならば、急所を狙うか衝撃を与えるか。はたまたその両方か。だとすれば……)


 対べヒモス戦闘を想定し、ローズは追跡を続ける。しばらく道を進んで崖側に向かうと、案の定べヒモスの咆哮が聞こえてきた。連動して、銃声も轟く。


「あれを落とせ! 早く!」

「く……距離が」


 マーセとケイは劣勢だった。マーセがべヒモスを引きつける間に、ケイは崖にある不安定な岩石を落とそうと四苦八苦している。ローズから見てもどかしい射撃だ。どこを撃てば崖が崩れるのかを理解できていない。

 仕方ない、とは思う。ローズも銃と弾丸の気持ちに共感できたのは、銃を習い始めてから三年の月日を擁した。

 ローズは援護するべく、ライフルの狙いをべヒモスにつけて、柔らかい目へ狙撃。しかし、風と雨のせいで思い通りの弾道を描けない。眼を閉じて、精神統一を済ませた後、再射撃。今度は見事、べヒモスの像とサイが混ざった顔の目玉へ吸い込まれた。


「ローズ!」「ローズさん!」

「私に任せて。二人はべヒモスが逃げないよう回り込んで」


 ローズは排莢と装填を行った後ライフルを背中に仕舞い、崖へと飛び乗ってクライミングを始める。熱のある身体には辛い作業だが、あの岩を落とすためには上から一撃喰らわせなければならない。


「ローズさん!」

「――ッ」


 ケイの叫び声と同時に、べヒモスはローズに水を掛けてきた。水圧を調整された驚異的な切れ味と貫通力を備える射撃。ゾウの鼻の部分から放たれるそれを、ローズは横っ飛びすることで回避する。雨で濡れていることもあり、岩盤は掴みづらい。滑って転落しそうになったが、ぎりぎりのところを持ち応える。強引に取っ掛かりを掴んだ右腕が、重力によるダメージを受ける。歯を食いしばって身体を支え、ローズは崖登りを中断しなかった。

 ようやく、目当ての岩の隣につく。そしてリボルバーを抜き取って、下方を見下ろす。


「マーセ、ケイ!」

「わかった!」


 マーセは西洋剣の腹を思いっきりべヒモスの前足に叩きつけ、べヒモスを怒らせる。ローズのいる方へ駆けて、べヒモスを岩石側に引き寄せた。


「ローズさん、今です!」


 ケイが合図を送り、ローズがリボルバーを構える――不発。


「チッ」


 ローズはリボルバーを投げ捨てて自動拳銃を引き抜いた。角度を調整して、撃つ。全弾撃ち放ったが効果的とは言えなかった。もう一撃、もっと火力のある銃で衝撃を与えなければならない。

 背中に回したライフル銃を掴もうと奮戦したが、片手では上手くいかない。ケイの散弾銃が必要だとして再び下へ目線を戻すと、こちらに鼻を向けるべヒモスと目が合った。


「しまっ――」

「ローズさん!!」


 時間がゆっくりと流れる。てっきり臨死体験かと誤解したローズだが、雨も止まっているので違うことに気付いた。


「うふふ、さっそく試練の時ね、ローズ」


 崖の上に悪魔少女が立ち、ローズマリーを見下ろしている。ローズは彼女の顔を見上げて忌々しそうに吐き捨てた。


「私は契約を結ばない」

「でも、死にかけているわ」

「どうかしら。私は自力でこの状況を打開できる」


 と怖じなく答えるものの、一歩間違えれば死にかねない状況であることは否定できない。もし上手く散弾銃を手に取れなかったら? 例え取れたとしても、崖崩れが起きなかったら? 可能性の話だ。


「可能性よ、ローズ。あなたが生きる可能性と、あなたが死ぬ可能性。どちらが高いと思う? ああ、言わなくていいわ。あなたがなんて回答するかはわかってる。あなたは自分が生き残る、と即答する。私が惚れた怪物よ。そうでなくては困るわ。でもね――」


 少女は指をさした。ローズではない。岩場から驚きの眼でローズを見つめるケイへと。


「彼はどうかしら。あなたが死ぬかもしれない状況で、あなたを見捨てる選択をすると思う?」

「――やめろッ!」

「ふふ、人は可能性に苛まれる生物。人間は怖いわ。とっても、恐ろしい。可能性があるだけで、容赦なく他人を殺す。可能性を減らすために、科学の力を発展させて、弱者を食い物にした。可能性があったから、戦争を起こして他国を侵略した。全ては可能性。人間って、どうしてこうも弱いのかしら」


 そんなことをのたまいながら、悪魔はゆっくりと地上へ降下していく。ケイの元へ着地し、指を鳴らしてケイの意識を覚醒させた。ケイは驚いて、悪魔の少女を見つめる。


「何だ、君は!」

「あなたを救えるかもしれない者。見なさい、あなたの愛しのローズマリーは、今にも八つ裂きにされてしまいそう。それって、とても悲しいことよね。でも、私の手を取れば、彼女を助けられるわ」


 ケイはローズと少女に何度も目を走らせた。逡巡している。ローズを信用するか、自分を堕としてでも助け出すべきか、悩んでいる。


「ケイ! 私を信用しなさい! 私は生きる! 生き残れる! だから――私の前で、堕落しないで! 私はもう、人が堕落する姿を見たくないッ!」


 ローズは喉が張り裂けそうな勢いで、本心を叫んだ。水滴が頬を伝う。雨なのか、それとも別の液体か。ローズ自身にもわからない。

 ケイはハッとして、手元に持つ散弾銃を見つめる。そして、悪魔少女に己の決断を告げた。


「僕は――そうですね。先輩には振られましたが、それでもまだ諦めていません。なので……」


 ケイはレバーを操作して、散弾銃を発射可能状態にした。そのままローズに向かって、放り投げる。


「ローズさんを信じることにします!」

「あら――残念」


 悪魔少女の姿が掻き消え、止まっていた雨が一気に降り注ぐ。ローズはケイから投げ渡された散弾銃をキャッチして、片手撃ちによる射撃を敢行した。

 岩が崩れ、べヒモスへと降り注ぐ。べヒモスの鋭い水がローズの傍へ迸ったが、間際のところで狙いが外れた。べヒモスが岩に押しつぶされる。さしもの魔獣もその程度では死なない。

 ローズは急いで崖から落ち、合成獣の後ろへ回り込む。弱点は初見の時に予想していた。サイの皮膚と魚部分の切れ目。いくら強力な皮膚や鱗を有していようと、継ぎ接ぎの部位には銃撃が通ると怪物が訴えていた。


「終わりよ」


 ローズはレバーを前に倒して、薬莢を排出。元へ戻した後、狙いをつける。散弾が放出。肉が千切れる音がして、生臭さが鼻を突いた。


「さて、解剖のお時間だな」


 マーセは刀を抜くと、切れ目から一気にべヒモスの内部をぐちゃぐちゃにする。硬い皮膚を裂き、鱗を剥ぎ取り、ローズから冷酷スピエタートの名の散弾銃を受け取ると、中身を散弾で掻き混ぜた。


「目を瞑っても当たるな」

「射撃の天才ね、マーセ」

「止せよ。お前に言われると恥ずかしくなる」


 マーセは散弾銃をケイへと渡そうとして止めた。ローズがまたふらりとバランスを崩したからだ。一度休憩したからと言って、体力が完全に回復したわけではない。薬草ハーブが必要だ。それと、薬も。


「後輩にご褒美をやろう」


 マーセは武器を仕舞って先に歩いていく。ローズは追いかけようとしたが、歩行すら困難だ。


「……お願い……」


 誇りを投げ捨てて、ケイへ頼む。ケイは二つ返事で了承し、ローズをおんぶした。


「失礼します、ローズさん。大丈夫ですか?」

「ええ……だいじょ……ぶ」


 意識の混濁。ローズは睡魔に抗えず、深い眠りに落ちていく。



 ※※※



 年頃の男女の興味は大体が決まっていた。恋愛事だ。クラスのみんなが異性に夢中である中、ローズマリーは図書館で悪魔の教本を読み漁り、祓魔術の研究書を黙読していた。


「……」


 リリスの項目を注意深く読み進める。かつてアダムの前妻だった裏切り者ローグ。彼女の標的は幼い子どもだ。ローズマリーの関心は、主に子どもを襲う悪魔に向けられていた。それには、自分の出自も深くかかわっている。

 次のページに載るマステマについて分析しようとした時に、その子の存在を察知した。少し離れた席から本を読んでいる振りをする男の子。一定間隔で視線がこちらに向けられ、ローズの勉強を阻害してくる。

 ローズはぱたりと本を閉じて、おもむろに席から立ちあがった。そして、本棚の影に消えていく。そこを慌てて男の子は追い、


「わっ!」

「何の用? 邪魔しないで欲しい」


 ローズマリーに腕を掴まれた。困惑する男の子の手を離し、ローズは席へと戻る。自分の隣に男の子を座らせて、小さな声で囁いた。


「本を読みたいなら、私が読み終わるまで待って。後少しで終わるから」

「えっと、違うんです……。本に興味はありません」

「じゃあ何に」

「あなたに、です。あなたに興味があります」


 ローズは目の前の子が頭の病気ではないのかと勘ぐって、まじまじと見つめる。男の子は気恥ずかしそうに視線を逸らし、


「あまり見つめないでください……」

「私に興味がある? どうして?」

「それはちょっと、恥ずかしいので……」


 理由を話さないので、ローズは自分で考える。しかし、よくわからない。

 自分に対して興味を抱く人物はそう多くない。無論、容姿に惹かれる可能性も考慮できたが、大体の人間は自分の内面を知れば離れていく。思い出を共有したマーセ、リュン、ウェイルズ、マリア……。ローズと親しくする人間は限られている。

 しかし、この子はローズが何を読んでいたのかを把握していた。校内を散策している時、散漫的に感じた視線の主でもあると予測できる。

 本当に興味があるのだ。自分という人間に。

 なぜか、はわからない。興味を持った理由は知らない。

 だが、だとするならわざわざ拒む必要性はない。彼の存在を受け入れながらも、ローズは他人事のように呟いた。


「変わってるわね、あなた」


 男の子は笑顔で応じる。多くの同性を虜にするであろう魅惑的な顔で。


「この肌色のせいもあり、よく言われます――」



 ※※※



 見覚えのある天井が、目の前にある。そこに見覚えのある顔が加わった。


「目覚めたか、ローズマリー」

「ウェイルズ卿」


 ベッドに横たわるローズを、ウェイルズは見下ろした。いつもの厳かな風貌を湛え、表情には感情が見られない。しかし、瞳はローズを案じている。誰も理解できなくとも、ローズにはわかった。


「申し訳ありません。失態を――」

「謝罪はいい。パフウ村には何者かが魔獣を放った痕跡があった」


 ウェイルズは退魔教会を預かる退魔騎士としての仕事を始めた。ローズは少し寂しく思いながらも、これが彼と自分を繋ぐ絆だとして、言葉に耳を傾ける。眠りについた怪物を叩き起こす。


「マモンと考えるのが妥当だが、奴がわざわざあそこに出没する理由がわからない。金のあるところにマモンあり、だ。良くも悪くも、パフウは裕福ではない。豊かではあったがな」


 ウェイルズの推察を聞いて、ローズは正直に悪魔少女のことを打ち明けようか悩んだ。しかし、若干の恐怖が心に渦巻く。――もし、私を悪魔少女が狙っていることを知ったら、彼はどう処分を下すのだろう。

 逡巡の後、ローズマリーはパフウ村での出来事を話す。自分を狙う、悪魔のことも。


「パフウ村の一件は、恐らく、私を狙ってのことです。あそこにいた悪魔は、私のことを知っていました。私を誘き出し、堕落させるための罠だったのです。漁村の人々は、私のせいで犠牲に……」


 顔を俯かせる。沈痛な想いが、胸を貫く。見ず知らずの人々が、自分を誘い出すために殺された。悪魔の言動を鑑みるに、愉しいからというだけで。

 そう考えると怒りや悲しみがない交ぜとなり、痛みが身体中を這いずり回る。ローズが死者に共感していると、ウェイルズは彼女の肩に手を置いた。


「今は休め。その件については追って通達する」

「私を追放するのですか」


 寂しくないと言えば嘘であるが、誰かが犠牲になるよりはマシだとの判断を下したローズの瞳を、ウェイルズは覗き込んだ。


「いいや。それではわざわざ呼び戻した意味がない。お前は優れたエクソシストだ、ローズマリー。私が信用できる数少ない人間でもある」

「……信頼してくださるんですね、私を」


 その喜びを噛み締めるローズを、ウェイルズは見つめるだけで何も言わない。でも、言葉は必要なかった。ローズは安堵の息を吐いて、リクエストをしようとするが先を越された。


「新装備を壺娘に発注させた。退院した後取りに行け」

「……それは、もしや――」

「皆まで言うな。わかっているだろう」


 そう言ってウェイルズは医務室を去っていく。ローズは小さく笑みを作って、再び真っ白な天井を見上げた。

 身体だけではなく、精神も休まる。久しぶりに、悪魔や堕落者、魔獣という恐るべき存在から距離を取れたような気がしていた。

 小さい時から、奴らは身近な存在だった。自分が祓うべき敵。救うべき羊。狩るべき相手。自分の存在は奴らと戦うためにあり、死ぬ時は奴らを道連れに祓場で散る。

 そうするべきだと、昔から思ってきた。悪魔の子と罵られ、両親の死を目の当たりにしてからは。


(私が関わった人はみんな死ぬ。みんなが不幸になる)


 それはローズ自身が考え抜いた結論ではなく、彼女の両親が彼女に告げた言葉だった。

 実際、言葉通り両親は死んだ。それが自分のせいなのかは、よくわからない。

 ウェイルズは、違うと自信を持って言っていた。マリアも、同じ言葉を掛けてくれた。

 だが、マリアは死んだ。次に死ぬのは誰だろう。


「誰も死なせない。堕とさせない」


 覚悟を持って、呟く。自分には、堕落者を祓う才能がある。

 怪物。一部の人間のみが内にあるその存在を目覚めさせ、世界を跋扈する異形を屠る力を得る。ローズはそれを生まれつき持っていた。堕落者の記憶を読み取り、倒す攻略法を取捨選択して、魔を祓う。

 壺娘曰く、自分は他の怪物とはまた違うらしい。純潔である。そう言われた。

 もはや何でもいい。自分が何であろうがどうでもいい。人々を守る力がこの身に宿っているのなら、それを利用しない理由はない。


(退魔教会は崩壊させない。何が来たって、私が……)


 睡魔は常に内側からやってくる。ローズは再び微睡んで、眠りに落ちて行った。


「少女の覚悟は素晴らしい。彼女のような存在が、革命を成すのだ。祖国を救った麗しい乙女のように」


 その眠りを見届けた男が、本を片手にどこかへと歩いていく。――寝息を立てるローズは気付けない。



 ※※※



 退魔教会が誇る最先端の医療技術によって、ローズマリーは二日後には退院できていた。すぐさま壺娘のところへ訪れたが、ローズの欲する物はまだ製作途中らしく、暇を持て余した。仕方ないので、大聖堂のふもとにある首都へと足を運ぶ。

 ロンドンとはまた違う独自の喧騒を有するこの街は、名前をサンクチュアリという。聖域、という大仰な名前であるが、事実として悪魔に対する最終防衛線がこの国だ。この国が滅べば、悪魔少女の発言の通り、世界は悪魔の遊び場へとなってしまうだろう。

 ゆえに、多くの祓魔師が決死の覚悟で退魔を行う。だが、どれほど強力な祓魔師や騎士、狩人も休息が必要だ。そのため、ローズは休憩がてら街を散歩し、見知った顔を見つけた。


「リュン……?」


 しかし彼女は雑踏に紛れているせいか、気付かない。かといって大声も出すのも忍びない。ローズは声を掛けるべくその背中を追った。

 常日頃の関心が祓魔術に向けられているので、街での遊び方がわからないという困惑もある。リュンの手助けが必要だ。


(笑われちゃうかもしれないけど……)


 見ず知らずの他人なら気にもなるが、知り合いならば許容できる。ローズはリュンの後を追い、彼女が入った建物の前で止まる。


「銀行?」


 金銭の心配がないローズにとっては身近とは言えない場所だ。金の貸し借りや預金などが行われる経済の要。イギリスでは大不況が起きて、堕落者が増加した、と現地の支部員から話を聞いたこともある。

 しかし退魔教会では有り得ない。祓魔師が堕落者を生み出さないよう逐一監視している。そこまで考えて、ローズは悪魔の言葉を思い返した。


(金の亡者を追うためには、金の流れを追うしかない)


 そも、悪魔の侵入を許すという異常事態が起きているのだ。マモンが教会の監視網を潜り抜けて、何らかの工作を行っていても不思議ではない。

 次に調査するべき箇所を把握したところで、ローズは思索を止める。遊びに来たのにこれでは本末転倒だ。中へと入り、企業家や市民の会話を聞きながら、リュンの姿を探す。リュンは、銀行員と会話してお金を引き出したところだった。マーセからの贈り物かもしれない。


「リュン」

「ローズ?」


 驚いて、リュンが紙幣を何枚か取りこぼした。それを拾って彼女に渡す。ふと紙幣についての祓魔知識が脳裏を駆ける。紙幣を流通させるきっかけを作ったのは、メフィストフェレスだ。金欲の悪魔で一番悪名高いのはマモンだが、彼以外にも金に関わる悪魔は多い。メフィストフェレスはファウストという人間に惚れ込み、彼を堕落させようとあらゆる手段を講じたが、全てを逆手に取られむしろ人間社会に好影響を与えてしまったことで知られる。しばしばメフィストフェレスは笑いの種として語られる。

 しかし、悪魔少女と対面して以来、ある種本望だったのではないか、という想いが巡る。悪魔少女は飢えていた。自分を脅かす敵に。もしや、メフィストも同じだったのではないか。もしかすると、マモンも同じように退魔教会という敵とのゲームを楽しんでいるのかもしれない――。


「ローズ?」

「ごめん、リュン。ちょっとボーッとしてた」


 謝罪して、リュンと共に入口へと向かう。ドアを潜ろうとした瞬間に、ローズは視線を感じて立ち止まった。


「ローズ? また?」

「……なんでもない」


 ローズは外へと出る。ロンドンでよく目にした、飢えた人間の視線を感じたような気がしたのだ。

 だが、有り得ない――。さっきと同じことを考えて即座に否定する。有り得ないのならば、堕落者は退魔教会各地で発生していない。この国では貧困者に対する支援制度は充実している。正義感や当然の義務、という見方もできるが単純にその方が儲かるからだ。搾取は短期的に見れば国益を増加させるが、長期的に見るとマイナスであると歴史が証明している。国民が豊かでない国は遅かれ早かれ自滅する。

 それを避けるために、多種多様な政策が施行された。だが、悪魔が、それも社会に巣くう寄生虫であるマモンが関わっているのなら、その救済策から零れ落ちてしまった国民がいてもおかしくはない。


「ローズはいつも考え事をしてるわね。悪魔のこと、堕落者のこと」

「ごめんなさい。せっかく私から声を掛けたのに」


 申し訳なさそうに言いながらも、ローズは背後の気配に集中している。先程の視線がついて来ていた。女っ気のない服装、とよく同性から茶化されるローズの祓魔装束を見て金持ちだと誤解する可能性は極めて稀だ。大金を持ち歩く祓魔師はそう多くない。

 だが――金を手にした瞬間から目をつけていたのだとすれば、話は別だ。


(狙いはリュンか)


 しかし、だとすれば同情を禁じ得ない。リュンは身内びいきを除いても凄腕だ。小柄な体躯から考えられないほどの瞬発力を持ち、背後から奇襲してもあっという間にねじ伏せる。エヴァンジェルヒム出身の祓魔師の女性についてこんな噂が外国で流れていた――祓魔師の女は女じゃない。怪力を持つ化け物だ。


「リュン。気付いてる?」

「もちろん」


 囁いて、友人も同じく把握していることを知る。盗みや暴行は罪ではあるが、やむを得ない事情が存在するならばなるべく機会を与えたかった。罰するべきは不必要なのに罪を犯した者であり、必要に駆られて過ちを犯してしまった者は可能な限り救済されるべきだ。それこそが悪魔に打ち勝つ最善の道である。

 ゆえに、ローズとリュンはあえて狙いやすい路地裏へと入り、視線の主のご登場を待ち伏せた。すっかり油断している風にゆったりとした足取りで進む。すると、そこへ男が走ってきて、戦意を振りまいた。


「残念」

「ぐぅ!!」


 みぞおちで肘鉄を喰らわせて、男をダウンさせる。悶える男へ視線を向けて、抜き取ろうとした拳銃をあっさりと取り上げた。


「見なかったことにしてあげる」


 くるりと回して、ブレークオープン式のリボルバーの弾薬を全て排出。これまたローズの純潔イノセントより優れた装填・排莢システムだ。また少し羨んで、地面に伏せる男を見下ろす。


「誰に頼まれた? まさか、金が欲しくて狙ったのがエクソシストだとは言わないでしょう?」


 ローズが詰問すると、意外なことに男は笑い出した。苦しむ顔でローズを指さして、吐き捨てる。


「お前の敵からの伝言だ。お前はずっと苦しんでたそうだな。自分の存在が他者に不幸を振りまくのではないかと。……現実になったぞ。おい、弟たちによろしくな」

「……ッ!」


 血相を変えて走り出したのはリュンだ。ローズも慌ててその背中を追いかける。


「リュン、待って!」

「退いて!」


 リュンはローズの制止を聞かず、客人を乗せようとした馬車を強制徴用し、自宅まで走り出してしまう。ローズも慌てて近くの馬車を借り、リュンを追跡した。

 姿を見失ってしまったが、かなり雑な走りをしていたので、辺りに痕跡は散らばっている。追跡は容易だった。

 ローズは馬車を動かしながら、男の言葉を振り返る。


(私の悩みを、見抜いていた? でも、悪魔少女のやり口だとは思えない)


 不思議な信頼関係のようなものを、ローズはあの悪魔と結んでいた。あれは公平な戦いを望むタイプだとローズは読んでいる。不意打ちにも近しい親友の縁者を狙うのは、あの悪魔のやり方ではない。

 つまり、これは何者かによる迎撃行動。深く推理しなくても、その正体は考え付いた。


「マモン……!」


 仕掛けた張本人を見抜いたローズは、乱雑に停車されている馬車の元へ辿りついた。

 御者席から降りて、リュンの足跡を追う。あっさりと家へ辿りつき、ドアノブを捻って室内へ入る。

 荒らされた形跡。生活感のある部屋の中で、リュンが立ち尽くしていた。


「リュン」

「ローズ……」


 真っ青な顔を、リュンは向ける。ローズは何も言わず彼女の肩を叩いて、手がかりを捜索する。

 木でできたオモチャ。不自然な倒れ方。恐らく、遊んでいるところを誘拐されたのだろう。


(マモンが直接現れたわけではない)


 きっと何人か男を買収して、リュンの弟たちを誘拐させたのだ。

 割れた窓に近づいて、外を見る。ガラスは外へ散らばっており、カップが外で粉々になっていた。


(誰かが抵抗した。子どもたち)


 素人の可能性が高い。玄人なら、子どもに抵抗させる暇もなく一瞬で事を済ませる。

 次にローズが目を付けたのは、テーブルだ。ここにもカップ。二つ分。リュンは弟が一人、妹が二人いると聞いている。外の分も含めて、全員分のお茶があった。中身を確認。


「温かい。……家を出たのはいつ?」


 ローズが質疑を口にすると、リュンは呆然としながらも答えた。


「一時間ぐらい前」

「紅茶を飲んだ?」

「いいえ」

「なら、子どもたちが自分で淹れた。そんなに時間は経ってないわね」


 部屋を全体的に見終えたので、外に出る。すると、視線の先に不自然な倒れ方をした街灯を発見した。事故であり、付近の住民と警察がため息を吐いている。ローズはその人だかりに近づいて、質問を投げた。


「何があったの?」

「誰かが馬車を暴走させて、ぶっ壊しやがった。ああくそ、一体誰が責任を取るんだ」

「取るべき人間を連れてくるから、ちょっと待ってて」

「はあ……?」


 警察官が目を白黒している隣を平然と通り過ぎ、警察の馬車へと乗り込む。


「ちょ、ちょっとお嬢さん!」

「私はエクソシスト。すぐ戻ってくるから」


 断りを入れて、ローズは馬車を走らせる。推理ゲーム、なんて面白いものではない。敵は素人丸出しの集団だった。わざとだ。わざと露骨なまでに痕跡を残している。

 いや、犯人たちにとっては必死の犯罪劇ではあるのだろう。だが、黒幕は使い捨ての駒として彼らを雇い実行させた。

 非常に腹が立つ。人間を道具のように扱う悪魔にも、何の罪もない子どもを金のために誘拐した犯人たちにも。

 何より、自分を苦しめるためだけに、犯罪を誘発させたのが赦せない。

 ローズは手綱を握りしめ、街中を駆ける。マモンの策略を阻止するために。

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