祓魔術
ローズマリーは堕落者討滅の知らせを持って、大聖堂へと戻ってきた。
帰路は沈痛なものだ。ローズの異変に気付いた同僚が気遣うように声を掛けたが、全て無視した。心の中で悪い、とは思う。だが、いちいち受け答えする余裕がない。
「おや、戻ったのですか、ローズ」
ころころ、という音を立てて壺娘が転がってきた。相変わらず原理不明の動きだ。しかし、ローズは取り合わない。そしてまた壺娘も気にすることなく追従する。
「絶望行きのチケットで、希望を携えて戻ってきましたか、ローズ。しかし、希望を知る者だけが絶望する権利を持っていますからね。辛い線路です。装備もこれだけでは心もとないでしょう。新装備を用意するつもりですから、ウェイルズとお話を終えた後、一度武器庫へ寄ってくださいね」
壺娘は自分の言いたいことだけを言って、武器庫へと転がっていく。ローズは振り向きもしないで階段を上り、執務室へと直行した。そして、ドアを開ける。そこには育て親と、親友たちが立っていた。
「ローズ? もう戻ったのか」
マーセが訊ねる。しかしローズは答えない。心配するようにリュンが問う。
「何かあった?」
「報告しろ」
ウェイルズは気遣う素振りも見せず、ローズマリーの報告を促した。ローズは言われた通り、マリア女医の殺害を告げる。
「ウォレンの街の堕落者は祓いました。……マリア女医が堕落。促した悪魔は不明。原因となった事柄については既に対処済みです」
「そうか。ご苦労。二人は下がれ」
マーセとリュンは戸惑うように顔を見合わせたが、ウェイルズの指示には従った。
二人きりになった後、ローズは黙って俯いていた。ウェイルズはテーブルに肘を乗せ、手を組んでその様子を見守っている。
「追加報告は」
「マリア女医を、ご存知ですよね」
「もちろん。私がお前を保護した後、しばらくお前の身を任せた女性だ。あくまで遠目での保護役として、だが。あそこまで親密な関係になるとは思ってもみなかった」
「なぜ私に命令を? 他のエクソシストの方が適任ではなかったのですか?」
「……自分で考えればわかる。違うか?」
ウェイルズはローズマリーを見据える。ローズは面を上げて、視線を交差させた。
「もし他者が祓った後で報告を聞いても、私は絶対に納得しない。そうですか」
「次の命令は追って通達する。銀弾の補給と装備の点検を申請しろ」
ウェイルズはそれ以上何も言わなかった。ローズは頭を下げて、執務室を後にする。
「お、来ましたか、ローズ」
武器庫には壺娘だけがいた。大量の武器棚と、作業用テーブル。暖炉がバチバチと音を鳴らし、その前を壺娘が通り過ぎた。鍛えられた剣が置いてある。銀で創られた剣だ。
「これは?」
「レイピアですよ。きっと、近接武器も必要になると思いましてね」
女性でも軽々と扱える刺突剣。中世から百年ほど前まではメジャーだった刀剣だ。ナポレオン率いるフランス軍やそれと敵対してきた国々の戦いでも、刺突を主とする類のサーベルは使われていた。
もっとも、騎兵以外の剣は銃剣に食われていたと言っても過言ではない。そのことを指摘すると、壺娘は快活に笑った。
「でも、武器は多いに越したことはないでしょう? それともナイフの方がいいですか?」
「……」
ローズはマリア女医との戦闘を振り返る。もしレイピアを所持していれば、また戦い方は変わっていた。
しかし、ライフルに銃剣を付けるという選択肢も存在する。今壺娘が言ったように、ナイフもまた有用だろう。
イギリスでは、目立つ武装は所持できなかった。しかし、ヒムでなら祓魔師である限り、どんな武器を所持していようと警察に捕まることはない。
「試しに使ってみようかしら。ナイフも用意して」
「銃剣は次の機会に、ですね。他にご要望は?」
ローズは顎に手を当てて考える。武器に想いを馳せる間に、沈痛な想いは何処かへ失せていた。
「予備の武器が欲しいわね」
「だからこそのレイピアでは?」
「未知なる拳銃の噂は聞いてる。自動式拳銃の使い心地を確かめたいわ」
「注文が多いエクソシストですね、ローズ」
壺娘は壺口から手を出して、自動式拳銃を手渡してきた。前以て、ローズが望む物を準備していたらしい。
リボルバーに比べればちゃっちい、というのがローズの抱く第一印象だ。実際に威力はリボルバーよりも劣っている、とは聞いている。だが、自動式拳銃の利点はそこではない。誰でも簡単に連射でき、装填も容易な拳銃。玄人が使うシングルアクションには劣るが、素人が使うそれには勝る。そこが重要なのだ。世界は手軽に人を殺せる武器を望んでいる。子どもでも扱える殺戮兵器を。
「誰でも簡単に連射できるお手軽銃です。今後はこのタイプが主流になることでしょう。ダブルアクション方式の台頭で、シングルアクション方式が見直され始めたように」
「でも市場に流れるダブルアクションは引き金が重くて話にならないようだけど」
シングルアクションをこよなく愛するローズマリーは、一発撃つごとに自動で撃鉄が起きる仕組みを持つダブルアクション方式に懐疑的だった。一度使わせてもらったこともあるが、やはりシングルアクションの方がいい。ファニングで撃てば、驚異的な連射力を発揮できるからだ。何より、自分の力で状況を打開できるのがいい。
「なら軽くすれば済むことです。全員が全員、あなたのような凄腕ではありませんからね」
コトン、と見本のように壺娘は新しくリボルバーを取り出し置く。ダブルアクション方式のリボルバー。しかし、ローズは手に取らず、自動式拳銃の方を受け取った。
「中途半端よ。私に言わせれば」
「でしょうね。あなたの早撃ちは目を見張るものがありますから」
不思議な銃だ。産業革命の後に満を持して登場した銃。基本のカタチは拳銃の範囲に収まっているが、リボルバーのようにシリンダーへ弾薬を装填するのではなく、銃杷の下部に長方形型の弾薬ケースを入れる特殊仕様。機関銃を参考にして作られたこの拳銃はまだ試作中の武器である。銃器会社のいくつかは開発に着手しているようだが、まだ実用化に至っていないはずだった。それを壺娘は用意してみせる。特にトラブルなく瞬く間に。
それが、彼女が退魔教会で必要とされる手腕だった。真相は明らかではないが、彼女は自分で武器を作っているらしい。まだ開発中の武器でさえ、実用レベルにまで仕上げてくる。
「流石ね、壺娘」
「いえいえ。褒めるのは銃を試射してからで結構です。お礼の壺、期待していますよ」
「わかったわ」
名前は継承です――。壺娘の声を背中で受けながら、ローズは射撃場へと移動していった。
「ローズが何を思っても、世界は血に飢えてますから。人はどうして愚かなんでしょうね。文明が発達しても、中身は赤ん坊のままです。でも、だからこそ愛おしい。母性本能がくすぐられますね。うふふ」
その姿を見送った壺娘は独りごちて、作業を再開する。
射撃場での試射は問題なく行えた。銃が動作不良を起こすこともない。
個人的には好ましくないが、継承の性能はとても良かった。何より、装填が簡単なのがいい。
ローズマリーは複雑な表情で予備武器として高性能の拳銃へ目を落とす。
崩壊と純潔が弾切れとなった時の頼みの綱としてふさわしい。これがあれば、いざという時の保険になる。持っていて損はない銃だ。ゆえに、ローズは腹立たしい。
この仕組みの登場が気に食わない。機関銃の開発者は、ヨーロッパ人が効率よく殺せる銃を使えばいいという友人のアドバイスを胸に秘めて、凶悪なかの機構を開発したのだ。自動式拳銃はそれを元に開発が進められていると聞いていた。
この世には、銃を使うべき人間とそうではない人間がいる。平和に暮らすべき人間と敵を屠る怪物。この高性能な銃の登場はその線引きすら曖昧にさせる。
(戦争が起こる。悪魔の思い通りに事が進む。……そんなことはさせない)
世界各地で不穏な空気が流れている。かつてイギリスは領地を増やすため残虐の限りを尽くしてきた。そこには一体の悪魔が関わっていることが判明している。ローズが調査していた悪魔だ。下級の悪魔ではなく、上級の悪魔。裏で手を引く黒幕。
そいつはローズの前に尻尾を出したことはない。人々を堕落させるのは下っ端とも言うべき悪魔共で、ローズの探し相手はいつも裏でほくそ笑んでいるのだ。狡猾な奴。いつもローズはそいつの影を感じてきた。
今回の件にももしかすると関わっているかもしれない。なぜそう考えるのかはわからない。ローズマリーの中の怪物がそう訴えてくるだけだ。
だが、だとするならば、退魔教会を陥れようとする悪魔とは別口だろう。もしかすると自分についてきたのかもしれない。だが、それならばそれで疑問が残る。
「なぜ私をつけ狙うの」
ローズは引き金を引いて、遠くに設置されている的に撃つ。継承が放出した弾丸は的の中心部を射抜いた。横に並ぶ的へ連続射撃。全て狙い通りの場所。だが、ローズは不満げに眉を顰める。
的を交換するレバーを引くと同時に銃を純潔に変える。わざわざホルスターに戻して目を瞑り、風が吹いたと同時に引き抜いた。
腰だめで構えたリボルバーの引き金を引きっぱなしにし、撃鉄を等間隔で叩く。ファニングショット。シングルアクションリボルバーを使うなら、是非とも身につけておきたい撃ち方の一つ。
自動式拳銃よりも素早く、銃弾は的を射抜いた。六枚の的に穴が開く。だが、的は十枚。六発しか装填できないリボルバーでは、継続力が足りない。――普通の戦い方ならば。
ローズは再びレバーを引き、その間にリボルバーを装填。ローディングゲートを開けて、排莢をした後、弾丸を込めていく。同時に的が交換される。
今度は眼を開けて、射撃場の周囲を観察した。前と両横に壁がある。弾丸を潰すためだ。正面から撃たれた弾丸は、物理法則のままに潰れるだろう。
だが、角度を変えればどうか。ローズは今度は両手で銃を構える。そして、角度を調整しながら撃ち放った。
一発目、的に命中。斜めに貫通した弾丸が壁に激突し方向転換。また別の的に命中。無論、威力は下がっているが当たりさえすればそれでいい。次の弾丸も、的を射抜いた後の跳弾で当てた。同じことを別の壁と狙いで繰り返す。
全ての的にダメージが入り、ローズは射撃を中断した。残弾確認の必要はない。気が散る戦場ならばとにかく射撃訓練で撃った数を忘れる奴は間抜けだ。
「付け狙うって言うなら、容赦しない。退魔教会がお前の墓場よ」
ローズマリーは吐き捨てるように言い残し、射撃場を去ろうとする。一発残った弾薬を排出することを忘れない。
「いい腕だな。相変わらず」
「見てたんなら来れば良かったのに」
射撃場の入り口にはマーセが立っていた。いやいや、と彼女は首を横に振る。
「私は格闘専門だ。銃はどうも性に合わなくて」
「性に合う合わないは関係ないでしょう? 敵の種類に合わせないと」
「だったら何でお前はリボルバーを頑なに使うんだ? そっちの方が性能いいことぐらい私にもわかる」
「オートマチックは性に合わないの」
ローズは親しみのこもった笑みを向けて応じた。マーセも清々しい笑みをみせる。
「だったら相子だな」
「そうね」
ローズは相槌を打つ。が、マーセを見上げる目は別のことを訊いている。一体何しに来たの?
マーセもまた彼女を見つめた後、こう返した。
「任務だ、ローズマリー」
※※※
エクソシズムを行うためには、いくつか段階を踏まなければならない。
まず調査。ウォレンの街では省略したが、祓魔師は本来念入りに調査を行い誰が何の原因で堕落したのかを調べる。堕落の原因がわかれば、対処方法を見出しやすい。堕落者の戦闘方法は何が原因で堕ちたかによって左右される。
腕が足りなくて堕落してしまったマリア女医は、大量の腕が身体中から生えていた。
ロンドンで最後に祓った堕落者は空腹に耐えかねて食事を持つ者を襲う傾向にあった。
他にも様々な堕落者とローズマリーは戦ったことがある。ゆえに今回も調査に関しては特に苦戦することなく進められた。
「外国からやってきた貴族。最近多いらしいわ」
リュンが屋敷を見上げながら言う。今回はローズマリー単独ではなくリュンとマーセという心強い同伴者がいる。本来なら、わざわざ三人で組む必要はない。二人がローズを気遣っていることは明白だった。
そのことをローズは口に出さずに、屋敷を観察しながら次のステップに進む。
第二段階、分析。
調査を終えたのなら、そのデータを生かして対策を立てる。どこに堕落者が潜んでいるのか。どういう攻撃方法を行ってくるのか。
もし調査の時点ではっきりとしているのなら、どうやって祓うのかを見極める。エクソシストの数だけ、祓魔術は存在する。
「あのおバカさんは否定しているが、奴がヒムの法律を破って奴隷を違法所持していたことは明確だ。だが、それだけで堕ちるとも思えない。というより、何で逃げ出さなかった? 教会は確実に保護したはずだ」
マーセが依頼人である貴族の男に悪態を吐きながら言う。事実上の奴隷だった使用人が堕落者だと三人は見立てを立てていた。
マーセの言う通り、逃亡を図らなかった理由は不明だ。奴隷制は悪魔が考案した忌むべき制度。祓魔師は奴隷制の排除に尽力し、各国の王族や政治家に働きかけてその制度を潰してきた。アメリカ十六代大統領であるエイブラハム・リンカーンもそのひとりだ。不幸なことに、奴隷制についてはおおむね祓魔師の要望通り行えたものの、インディアンに対する意見の不一致が問題となり彼は凶弾で斃れることとなってしまった。
ナポレオン・ボナパルトについても似たようなことだ。この革命家兼フランス皇帝も一度は撤回されたはずの奴隷制を復活させようとしたため、その対象地域であるハイチ共和国を祓魔師は支援した。ウェイルズの父親たちだ。
結果的にハイチを独立させることに成功したものの、今度はハイチで白人を虐殺する動きが起きる。こちらについても、祓魔師が処理をすることになった。不幸は連鎖する。いい結果で終わることは滅多にない。人は二面性を持ち、それが結果に反映される。
だが、それでもできることがあるならば、行うべきだ。
ローズは思索を止めて意見を出した。
「だったら訊いてみましょうか。依頼者に」
「それが一番手っ取り早いわね」
どのみち、ローズの個人的興味で話を聞く必要があったので、三人は馬車に乗り込み依頼者が避難するホテルへと移動した。
道すがら、ローズは再び思考を始める。外国の貴族。そこがローズマリーの個人的興味の大部分を占めていた。
マリアを堕落させた卑劣な男も、外国の貴族だった。まるで退魔教会に住む住人を意図的に堕落させるように彼らは現れた。
偶然という可能性も捨てきれないが、無関係だと放置するほどローズは愚かではない。なぜここに来たのか。ローズの関心はそこにある。もしそこに悪魔の影がちらつくのなら……容赦はしない。
「怖い顔ね、ローズ」
「いつもと同じよ」
ローズは眉一つ動かさず答えたが、友人たちにはお見通しだ。遠慮する間柄でもないため、正直に白状する。
「そうね。怒りを感じてる点は否定できない。マリア先生の一件と今回の件。何か関連があるんじゃないかって勘ぐってる。そうじゃない可能性もあるのにね」
「まぁ無実を信じてやる気にはならない類のくそったれだ。今回の依頼者は。奴隷が禁止されているところにわざわざ来て、あげく人を堕落させる。まさに悪魔の手法だ」
「そういう意味では、確かに疑いの余地ありね。どちらにしろ、彼は大聖堂まで連れていく。警察じゃなくて、エクソシストの法で裁かれる。国に逃がしなどしないから安心して」
マーセとリュンは、ローズの考えを肯定してくれた。笑みを浮かべながらも、ウェイルズならまず否定したかもしれない、と考える。
自分の考えが絶対ではない。早合点は禁物。敵は予想外のところに潜んでいる。
今までの経験を生かして、ローズは冷静さを取り戻した。友人とウェイルズの教えに感謝したところで、馬車が停車する。
「着きました。エクソシスト様」
「ありがとうな」
マーセが三人を代表して礼を言い、ローズたちはストリートに降りた。街並み自体はロンドンを彷彿とさせるが、エヴァンジェルヒムならではの味もある。懐かしい光景だ。
リュンが戸口を開けて、中に入る。受け付けは祓魔師の衣装を一瞥すると、案内すべき場所へと導いてくれた。
階段を登り、扉を開く。執事が対応している最中に、渦中の男は憤慨した。
「何をしている! 早く私の屋敷から化け物を追い出せ」
「おいおい、うるさいぞおっさん」
「何だと!? 私は貴族――」
「じゃねえんだよ、もうあんたは。別に殺してもいいが、それじゃあ情報を引き出せない。私たちはあんたを生かしてやっているんだ。私たちの好意を無下にするなよ? わかったか?」
毅然と反論するマーセに、思いのほかあっさりと貴族の男は引き下がる。それを訝しみながらも、ローズはテーブルの前に座った。執事が茶を淹れて持ってくる。――ローズマリーの香り。
ハーブティーと紅茶をブレンドしたお茶のようだ。
「共食いみたいだな」
マーセが茶化すように言った。リュンがくすくすと笑ったがローズは取り合わない。
「なぜ彼は逃亡できなかったの? 何で彼を押さえつけていた? 教えてくれない?」
「何のことだ、私は――」
「それについては私がお教えしましょう」
執事の方は物わかりが良かった。目を白黒させる主人を後目に、執事は原因を暴露する。
「端的に言えば、人質です。彼には同じ奴隷出身の恋人がいた。それを人質にとることで、旦那様は彼をこき使ったのです」
「その人が堕落者」
「ええ。名前をオーランと言います。彼は優秀な奴隷でしたので、旦那様は手放すのを嫌がった。恥ずかしながら、私も反抗できず言われれるがまま監禁に手を貸しました。……後で罰して下さい」
執事は首を垂れる。マーセが手でその動きを制した。
「罰するか罰しないかは状況にもよる。例えば、あんたも同じように人質を取られていたとかする場合、あんたは無罪放免とはなる。そこについては調査を待て。今回の協力は頭に入れとくしな」
マーセが目配せした。大方の事情がわかったので、この場にいる理由はない。
だが、ローズの関心は隅で怯える貴族に注がれた。何かが奇妙に思える。
「……」
注意深く部屋を観察する。目につくのは金貨が数枚と、自分の名前の由来となったハーブの香りがする紅茶。
ローズマリーはその金貨へと手を伸ばした。手に取ってじっと見つめる。
視線が肌を刺したので振り向く。意外なことにローズを見ていたのはリュンだった。
「何してるの? ローズ」
「何でもないわ。……死体はどこに埋めた?」
「庭園です」
主人がまごつく間に執事が応える。ローズは金貨をテーブルに戻し、入り口で待っていた二人と共に部屋を後にした。
これで第二段階は終了。調査と分析を終えたのなら、最も困難な過程である祓魔が待ち受けている。
屋敷へと戻ったローズマリーたちは、まず庭園を調べた。もしオーランという男が亡き恋人を守るために奴隷と相違ない扱いを受けていたならば、自由となって一番に妻の元へ行くはずだ。
そう踏んだ予測は見事的中していた。――墓が何者かに掘り起こされている。
「死体を確保できれば楽だったんだが」
「そう簡単にいかないのがエクソシズムでしょう? ね、ローズ」
リュンは背中のライフルを構えながら訊く。ローズは首を縦に振って、一度馬車に戻ると新装備であるレイピアを腰に差した。壺娘が準備したナイフも忘れない。もちろん、継承という名の自動式拳銃も後ろ腰のホルスターに差し込む。
「重装備だな」
「剣を二本も背負ってるあなたに言われたくないわ、マーセ」
ローズの反論通り、マーセは二振りの大剣を背中に背負っている。西洋の大剣と、東洋の太刀。曰く、シチュエーションによって使い分けるらしい。
「ナイフはまだわかるが、レイピアはいらないだろ」
「いつ何が入用になるかわからないでしょ」
普段通りの会話を交わしながらも、戦闘態勢を取る。一度屋敷内に入る必要があったので、構えるのはライフルではなくリボルバーだ。室内でライフル銃は取り回しが悪い。
リュンもわかっているようで、彼女もリボルバーを構えている。こちらはパーカッションリボルバーだが、先込め式の欠点をカバーするべくシリンダーが交換できるようになっている。装填速度は、ローディングゲートから弾薬を一発ずつ込めるローズのリボルバーよりも上かもしれない。
羨望の眼差しを一瞬覗かせて、すぐに自分の銃も優れていると頭に言い聞かせる。
屋内は真っ暗だった。堕落者は暗闇を好む。マーセが大剣を片手で軽々と担ぎながらランタンを掲げた。
「すぐには出てこないな。意外だ」
「きっと恋人を守ってるのよ。危機を感じればすぐ出てくるはず」
ローズが所見を述べると、マーセが頷いた。
「だな。できれば外で戦いたい。……なぁ」
「私は反対。でも、多数決なら仕方ない。ローズは?」
マーセの言葉を引き継いでリュンが問う。長年付き合ってきた彼女たちはそれぞれが何を考えているかすぐにわかった。
「しょうがないわね。でも、注意してね。敷地外に出られたら困る」
「同意を得られてよかったよ」
マーセは満足したように言い、ランタンを投げ捨てた。引火して、木製の床を火が伝う。三人は屋敷の外に出て、取り囲むように位置取りをした。
ローズの瞳に、煌々と燃え盛る炎が移る。ローズとリュンが持っていたランタンも放火に使ったことで、炎はあっという間に燃え広がった。
しばらくすると、喉が張り裂けるほどの絶叫が轟いた。直後に、ローズが見張っていた壁がぶち破られる。
「出てきたわね」
ローズは崩壊の名を持つレバーアクションライフルを構える。四肢で動く堕落者は、人の形をした獣のように感じられた。動きがぎこちないのは恋人の死体を左手で抱えているせいだ。
ローズへと突進してくるオーランは非常に素早い。一発当てたところですぐに自分へ肉薄し八つ裂きにするだろう。そう判断したローズは、オーランではなく恋人の亡骸に向けて撃ち放った。
死体が庭園の中に落ちる。オーランが一瞬気を取られる。そこへすぐに撃発。
しかし、オーランは避けた。レバーを操作。引き金を引く。
それすらも回避される。
「これは手間取りそうね」
ローズはタイミングを見計らって、左右に動いて恋人の亡骸を回収しようとするオーランに射撃を続けた。だが、弾丸は燃え盛る屋敷に吸い込まれていくばかり。オーランは弾丸を見てから避けている。驚異的な身体能力と反射神経だ。
ならば、どうすればいいか。ローズの中の怪物は既に答えを導き出している。
ローズはライフルを背中に仕舞い、純潔を再び取り出した。左手にはレイピア。銃と剣を同時に構えて、堕落者に銃を穿つ。
これまた外れるが、ローズは笑みを浮かべている。狙いを堕落者から、庭園に飾られていた十字架像へと変えた。
「グゥゥッ!」
悲鳴と血潮。流石の堕落者も、見えない弾丸は回避できないらしい。跳弾した弾丸が堕落者の脇を裂いていた。
しかし、致命傷ではない。当てるだけでも至難の業である。アクションを起こさない的ならばともかく、加速する堕落者への跳弾射撃は困難を極める。
だとしても、ローズは笑みを崩さない。予定通り。そう思いながら撃鉄を起こす。そのまま迎撃へと移行したが、やはり捉え切れない。マーセとリュンの声が聞こえる。射撃の音も響いたが、リュンの狙撃技術をもっても命中させることはできなかった。
堕落者がローズへと飛び掛かる。この瞬間を待っていた。
「――ハッ!」
ローズはレイピアを握りしめて、強引に突いた。先端が左肩を貫通し、堕落者がバランスを崩す。ボロボロの衣服に身を包んだオーランはローズがいた場所へ転げ落ちた。潰されぬよう回避したローズは、彼が動き出す前に、側頭部へと銃口を向ける。
「チェックメイト」
銃声が轟き、血が庭を濡らす。オーランは意識を取り戻した。
「あ……ぁ……おれ……!」
「もう大丈夫。あなたはもう、誰かを襲うことはない。あなたの無念も私たちが晴らす」
オーランは膝を突きながら、ローズマリーへと振り向いた。何かを訴えるような眼差しをしていたが、まともに声を発せない。いつ死んでもおかしくない状態だった。
「私がやるわ」
二人が近寄ってきて、リュンがパーカッションリボルバーを抜いた。しかし、ローズは首を横に振ってオーランの前へと移動する。
「私がやる。彼は何か言いたいことがあるみたい。私なら、記憶を覗けるから」
「本当にいいの?」
リュンが案じるように訊いた。マーセも気遣ってくれている。
ローズは感謝の念を抱きながらも、その提案を断った。
「いいの」
撃鉄を起こして、再びオーランを見る。虚ろな眼に僅かに灯る希望。ローズが自分にできなかったことをしてくれると期待している。
ならば、祓魔師として自分は応えなければならない。ローズマリーはそう強く思いながら引き金を引いた。
ローズの中に記憶の奔流が流れ込む。
「大丈夫か? ローズ」
しばらく間を開けて、マーセが案じた。
ローズマリーは銃を仕舞いながら答える。
「ええ。確かに、記憶を読み取った」
応じた後に、馬車へと戻る。向かうべき場所は決まっていた。
二人は何も言わず、ローズを信頼して馬車へ同乗する。