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少女の怪物

 ウォレンの街にいた頃は、ローズマリーはいつも一人ぼっちだった。

 友達はクマのぬいぐるみだ。両親がいないローズにとって唯一無二の親友。

 ところが、その親友が悲劇に見舞われた。腕の部分がほつれて破けてしまったのだ。

 どうすればいいのか。どうすれば親友を救えるのか。

 幼いローズは必死に考えた。考えて考えて辿り抜いた先に来た場所が、ここだった。


「……う」


 戸惑いながらも、度胸はある。ローズは思い切ってその家の戸口を叩く。しばらくして応答が返ってきた。


「誰? 今、忙しいの」

「あ、あの」

「急患? だったら……あら?」


 扉を開けて出てきた若い女性は、入り口の前でぬいぐるみを抱きかかえるローズに驚いた。

 そして優しく声を掛ける。


「誰かがご病気? それともお怪我しちゃった?」

「この子が……」


 ローズはクマを差し出す。女性は困ったように笑みを浮かべた。


「残念だけど、ここは診療所なの。クマさんは治せないのよ」

「そ、そうなんだ」


 ローズマリーが訪れたのはマリア診療所だった。ウォレンの街唯一の医療施設である。

 だが、医者ではクマのぬいぐるみは治療管轄外らしいと知り、ローズは気落ちした。帰ろうとするが、なぜか女性に手を掴まれる。


「待って。お友達をそのままにはしておけないでしょう?」

「で、でもクマはなおせない――」

「そう。だから、終わるまで待っていて。時間が空いたら、直してあげるから」

「ほんとう?」

「本当よ。私は嘘をつかない。お医者さんだから」


 その言葉通り、女性……マリア女医は診察時間を終えた後、クマのぬいぐるみを縫い合わせてくれた。

 ローズは案内された小部屋の中で、その様子をまじまじと見つめていた。


「マリアさん。マリアせんせい」

「何? どうかした?」

「ひとも、そんなふうになおすの?」


 ローズの無邪気な問いかけにマリアは快活な笑顔をみせて、


「そうね。基本的には同じ。でも、人の方が難しいわね」

「どうして?」

「……人には意思があるからね。ほら、例えばローズちゃんだって痛いの嫌でしょ?」


 ローズはこくこくと首肯する。


「だから、治療する時は大変なの。人を治す時はね、痛みを伴うのよ」

「いたみをなくすためになおすんじゃないの?」

「そうなんだけど、どうしても痛みは出るの。薬で痛みを和らげられるけど、やっぱり痛みは残る。ローズちゃんはね、とても優しい子。クマさんの痛みを感じ取ることができる。きっとあなたは人の痛みに共感できる、立派な人間になれるわ」

「マリアさんみたいに?」

「いいえ。きっと、立派なエクソシストに」


 幼い頃に聞いたその言葉は、とある理由から悪魔という単語を毛嫌いしていたローズマリーにとって、一つにきっかけになった。ウェイルズを自分の父とするならば、マリアは自分の母親だと、ローズは自負している。



 ※※※



「寝ちゃったみたいね、どうもありがとう」


 駅到着の知らせを受けて、ローズマリーは起床した。エクソシズムに昼夜は問われない。そのため、ローズは寝れる時はところ構わず就寝する。

 起こしてくれた車掌に礼を言い、ローズは街へ繰り出した。ウォレンの街。ローズにとっての第二の故郷。

 街とは言いながらも都市化は進んでおらず、のどかな景観は保守されている。ウェイルズは考えもない急な都市化が人々に悪影響を及ぼすことを予期していた。そのため、ここにはロンドンを始めとする許容しがたい汚染や格差は広がっていない……はずだ。


(何でこんなところに堕落者が? 堕ちる原因があるとは思えない)


 堕落者とは言うものの、堕落の原因は主に意思の弱さではなく社会環境である。怠惰が原因で堕ちる者は案外少なく、その程度で堕ちたのならば簡単に対処できる。問題は、自分以外の要因で堕ちてしまうことだ。

 ロンドンでは子どもの頃から安い賃金で労働させられ、大人になった時に堕ちてしまう者が多かった。いや、それでも恵まれた方なのだから皮肉なものだ。多くの子どもは、大人になる前に過労死か病死してしまう。これがどういう事態を招くのかということを上層部は理解できている。しかし、中層部や下層部まで行き届いていないというのが現在のロンドンの姿だった。

 ロンドンを支配する者は世界を制す、と言われたこともある都市。科学の最先端であるはずのかの都があの状態なのだ。世界とはどこまで残酷なのだろうか。


「……目立った異常はなし」


 思考をしながら街を歩いてみるも、問題点は見つけられなかった。ロンドンは堕落者発生の宝庫と言っても差し支えなかったが、ここは違う。ウォレンの街の特産品はのどかな自然で取れたおいしい紅茶とハーブであって堕落者ではないのだ。


(ロンドンのように堕落者がごろごろいるわけじゃない。ここは退魔教会よ)


 とにもかくにも、依頼者に話を聞くしかない。そう判断したローズは依頼者である町長を訊ねた。

 町長も少し贅沢な暮らしではあるものの、それは街を預かるという対価として十分な程度だった。露骨に部屋を金に染めたり、市民の血税を豪遊に使っているわけでもない。


「エクソシスト様。依頼をお引き受けくださりありがとうございます」


 応接間に案内されたローズに、市長は深々と頭を下げる。礼は後で、とローズは話を促した。


「そうでしょうとも。……あなたはこの街に住んでおられたとか」

「ええ」

「では、マリア診療所をご存じでしょうか」


 ローズは動揺を抑えるので精一杯だった。眼が泳ぎそうになるのを堪える。


「え、ええ」

「さようでございますか。では、話は早い。今回出没した堕落者は、マリア診療所関係者だと言われております」

「なぜっ!?」


 思わず声を荒げてしまう。ローズの狼狽を市長は奇妙に思いながらも自身の務めを果たしていく。


「詳細はわかりません。申し訳ありませんが、専門家の事案ですので。街を監視していたエクソシストも診療所を調査したっきり、音沙汰がありません。恐らく、殺されてしまったのでしょう。誰が堕落したのも不明のままです。マリア診療所には二名の医師と三名の看護師が務めておりました。全員、行方不明です。診療所は封鎖し、立ち入りを禁じております」

「……そう、わかったわ」


 ローズマリーは概要を聞き終え、立ち上がる。だが、その足取りは危うく、心なしか顔は青ざめている。

 市長が困惑したが、ローズに気にする余裕はなかった。よもや。その想いが身体中を駆け巡り、何周もしている。

 何度も有り得ないと問いかけて、有り得ないは有り得ないと返される。誰であっても、堕落するのだ。例え優しいマリア女医であっても。

 他ならぬ自分自身でさえ、いつ堕落してしまうかわからないのがエクソシズムだ。ミイラ取りがミイラになる。その例は多数報告されている。師であるウェイルズも、堕落した同僚を射殺したことがある。

 ローズ自身、悪魔による勧誘を何度か受けたことがあった。そのたびに断わってきたが、今勧誘されても、自分は普段と変わらず拒否できるのか。ローズは疑念を抱く。

 そして、すぐに思い直す。マリア女医の言葉が脳裏をよぎった。

 ――人の痛みを感じ取れる、立派なエクソシストになる。そう思って今までやってきた。ここで挫けてなるものか。それにまだ希望はある。


「マリア先生……!」


 ローズは市役所を飛び出した。馬車が停車しているのを見受け、権限を利用してレンタルする。


「残念ね、ローズ。絶望するためには、希望を知るしかないの。そうしてあなたは絶望するたびに、めげずに絶望する権利を勝ち取る。私はそんなあなたを見るのが大好き。だから、もう少し楽しませてね」

「……?」


 ローズは馬車を走らせながら、視線を感じて後ろを振り向いた。黒いドレスを着た少女のようなものが見えた気がしたが、馬が嘶いてすぐに余裕がなくなる。

 今は、マリアのことで頭がいっぱいだ。――余計な思考は後回しとする。



 ※※※



「せんせい。マリアせんせい」

「また来たのね、ローズ。小さなおともだち。おいで」


 クマを治してもらってからというもの、幼いローズは事あるごとにマリアの診療所に訪れていた。

 患者がいない時、マリアはローズ専門の主治医となってくれる。

 ローズは今日も自身の悩みを隠すことなく打ち明けた。


「わたしって、あくま?」

「どうしてそう思うの? ローズ」


 マリアは優しく問う。ローズは俯いて答えた。


「みんなが言う……」

「あらカワイソウね。みんなが」

「……わたしじゃないの?」

「そうよ。みんなはこんなに可愛いローズを悪魔だと誤解しているの。それってとってもカワイソウでしょう? ローズの魅力に気づかないなんて、せんせい、同情しちゃう」


 マリアはローズを抱き上げた。ぎゅっと抱きしめて、ローズはマリアの顔を至近距離で見つめる。嘘偽りのない眼。ローズは昔から、人が嘘を吐いているのか直感的に理解できた。


「……そう、なの?」

「そうよ、ローズ。でも、ローズは嫌なのよね? みんなに悪魔って言われるのが。なら、思い切って言ってみるのがいいんじゃないかしら」

「止めてって?」

「いいえ。悪魔って言ってきた子に悪魔って」


 マリアの提案は予想を通り越したものだった。いくら何でもそれはまずいと、ローズは幼心ながら当惑する。


「で、でもそれじゃあ」


 ローズが顔を俯かせる。輝く金髪も心なしかしょげているように見える。マリアはくすっとした笑みを浮かべた。


「嫌なの? ローズ。それとも怖い?」

「りょうほう。じぶんがいやなことをひとに言うのもやだし、いじめられるかも……」

「正しい考えよ、ローズ。じゃあ、別の方法を考えましょう。おともだちはあなたを悪魔だと誤解している。だったら、いいことをおともだちにしてあげれば、その子は考えを変えると思うの」

「そう、上手くいくかな……?」


 ローズは不安の瞳を覗かせる。マリアは笑みを湛えたまま彼女の頭を撫でた。


「失敗を恐れちゃダメよ、ローズ。失敗したら、新しい方法を考えましょう? 諦めたらダメ。諦めなければチャンスはいくらでも巡ってくるの。巡って来なかったら、自分で創り出しちゃえばいい」

「じぶんで、つくりだす?」

「そうよ、ローズ。想像するの。どうすればみんなが幸せになれるのか、頭で考えるのよ。あなたは賢い子。例え失敗しても、せんせいが思い付かないほどの解決方法を導き出せるわ」


 マリアは不安に駆られるローズを励ました。ローズは元気よく返事をし、挑戦することを決意する。



 ※※※



 幸いなことに、マリアに言われた通り善いことをその子にしてあげると、もうローズを悪魔と呼ぶのを止めてくれた。後に、マリアが口添えしてくれたことをローズは知るが、それでもその経験は役に立った。

 ――解決策が見当たらないなら、想像すればいい。これはエクソシズムにも通じる教訓だ。

 この考えのおかげで、ローズはウェイルズにも目を掛けてもらえた。


「先生!」


 ローズは馬車を乱雑に奔らせ郊外へと辿りつき、診療所の戸を叩いた。周りは自然に溢れている。遠くには紅茶畑もある。

 しかし、錠前が掛かった白い扉は、かつてのように開いてはくれない。当然である。中には誰も……堕落者しかいないのだから。

 それでも、ローズマリーは希望を捨てなかった。捨ててなるものか。マリアは恩人なのだ。

 錠前を銃で破壊し、持ってきたランプを左手に持つ。診療所内は真っ暗だ。閉じられたカーテンと、周囲に生える木々のせいだ。

 受付を通り過ぎ、奥へと進む。灯りに照らされて、並んだ診察台が浮き上がる。点滴の雫がひたひた落ちる音がする。

 台の間を遮蔽するカーテンが邪魔で、奥が窺えない。

 ローズは右手にリボルバーを構え、警戒しながら進む。直感的に理解できている。ソレの存在感を肌で感じていた。確実にいる。問題はどこに潜んでいるかだ。


「マリア先生? ローズマリーです」


 危険は承知の上で、声を出す。この状況では、向こうに先に動いてもらった方がいい。堕落した原因がわからない以上、相手の戦闘パターンも予測できない。原因がわかれば、どういう攻撃を加えるのかがある程度予測できるのだが。


(医者……看護師……。医療機器を用いるとは考えられる。けど……)


 情報がどうしようもなく不足している。焦りもある。マリアはどこだ? 自分の人生に光を灯してくれた恩人はどこに?

 目を凝らしながら、邪魔となるカーテンをゆっくり開く。そして、顔をしかめた。診察台に人が寝かされている。死人だ。腐食も進んで、うじが湧いている。だが、より一層嫌悪感を抱くのは死体の腐敗などではなく――。


「――頭部に手術の痕跡。脳が摘出されている」


 近くの台には脳髄がそのまま置かれていた。切り刻んだ跡がある。まるで治療を施そうとしていたように。


「頭。脳。堕落者は脳に興味がある」


 台に置かれていたのはそれだけではない。医療用メスが複数と、容器に入った脳が四つ。

 ローズの背筋が凍りつく。診療所に努めていた人数分と同じ数の脳がここにある。だが、不可解な点があった。それは診察台に乗せられた死体の衣服だ。

 医療関係者が好む白を基調とした衣装ではない。豪華すぎる衣服だ。貴族が好むような刺繍入りコート。

 それに、とローズは思索を続ける。


(医療従事者以外が、わざわざメスを使って脳を摘出する理由がわからない。ここにある脳はこの診療所関係者だけのものじゃない。でも、この死体が行方不明のエクソシストだとも思えない)


 ローズは他の診察台も確認する。案の定、他にも死体が載る台が見つかった。最初と合わせて全部で九つ。

 一人はすぐに身元がわかった。ローズと遜色ない祓魔師の恰好をした男。これが先遣のエクソシストで間違いはない。

 他のも三人に関しては、診療所のスタッフである疑いが高かった。白衣に身を包んでいる。

 だが、他の四人が不明だ。一人は使用人のような格好。もう一人は、最初の死体と同じ豪華な服装。最後の一般的な服装の男に関しては、致命傷は負っているものの、脳は摘出されていない。手には指輪らしきものが握られている。婚約指輪だ。

 これらを見て、ローズは己の浅はかさを悔やんだ。これほど目立つ格好ならば、目撃者がいたかもしれない。聞き込みをすることで何か情報を得ることができたかもしれないのだ。

 しかし、ローズマリーは愚かにも考えなしに踏み込んでしまった。無事に逃げ果せはしないだろう。やり直しはもうきかない。現状の装備でベストを尽くすしかなかった。


(ウェイルズに怒られる)


 だが、後悔よりも先に高揚感がふつふつと湧き上がっている。師に怒られる状況こそ、ローズマリーの怪物が真骨頂を発揮する場面なのだ。恩人が関わっていなければ、いつもの通り笑みを浮かべていただろう。

 この状況下では、流石のローズと言えども笑う気にはならない。ランタンを床に置き、敵の気配を探る。

 そして、肩に水滴が当たったことに気付いた。左手で触れてみる。

 血だった。


「……ッ!」


 瞬間、何かが蠢く気配を感じ、ローズはリボルバーを天井に向ける。が、暗過ぎて何も見えない。

 ただ正体不明の存在が動く音と、血の滴る音が響く。そこへ、音声までもが加わった。


「おかえりなさい、ローズ。帰ってきてたのね」

「マリア……先生」


 ローズは答えながらも銃を下ろさない。もう理性では理解していた。いくら心が悲鳴を上げようと、ローズの怪物は正直だ。


「嘘です。あなたは優しい人だ」


 堕落者の姿はまだ見えない。室内を縦横無尽に動き回ることだけがわかる。声があちこちから響いて、ローズの心を砕こうとしてきた。


「残念だけどローズ。優しいだけが人じゃないのよ。人には怖い面もある。あなたにはそれがよくわかるでしょう?」


 カサコソ、カサコソ。音が部屋を支配する。


「マリア先生! あなたは堕落するような人間じゃない!」

「嘘おっしゃい、ローズ。あなたは気付いてる。あなたが今まで祓った人たちの中で堕落するような人間が……堕落して然るべき人間が、一体何人いたかしら?」

「……ッ」


 ローズは言葉に詰まった。ローズマリーが戦ってきた堕落者たち。その中で、堕ちて当然と思えた人は一人もいない。自分に宿る特殊能力と、敵を前に興奮する怪物の板挟みでローズはいつも苦しめられてきたのだ。


「ローズマリー。あなたは務めを果たしなさい。私も、堕落者としてしたいことをする、カ、ラ」

「くッ!」


 突然手が伸びてきて、ローズは床に投げ出された。銃を構えて反撃に転じようとする。

 が、堕落者の姿を見て躊躇した。顔は明らかにマリア――しかし、身体が人間とはかけ離れている。

 無数の腕が身体から生えている。かつての麗しい女医とは似ても似つかない姿。


「腕、がネ、いっパい、アると、たクさンの、人、治セルの。ローズ、アナたも苦シンでル。わタし、が、開放しテ、あげル」

「先生!」


 ローズは歯噛みしながら引き金を引く。六発の内二発をマリアの顔に撃ち込む。躊躇うことなく撃ち込めた自分に嫌悪の念を抱きながら、マリアが腕を犠牲にして防御したことを把握。すぐに起き上がり、背中のレバーアクションライフルを構えて、レバーを操作した。


「アタマ、悪い人、イッパイ、イッパイ、治せるよ。アハ、アハハハハッ!!」

「違う、先生。そんなことしても治せないよ。あなたなら知ってるはず」


 ローズマリーはエクソシズムの知識を忌々しく思いながら狙いをつける。説得は無意味。頭ではわかる。でも、心が言うことを聞いてくれない。どこかでマリアを治せるのではと期待している自分がいる。クマのぬいぐるみを彼女が縫い合わせてくれた時と同じように。

 でも、ローズの知識がそれを赦さない。お前はわかっているだろう。そう糾弾してくる。

 ――お前はわかっているだろう。堕落者は殺すことでしか救えない。救いたいのならば、引き金を引け。


「ごめんなさい」


 ローズは謝りながら銃撃を開始する。一発撃つごとに、慣れた手つきで排莢、装填を繰り返していく。ローズが巧みな動きでレバーを操り、ダストカバーから薬莢が排出される。コロン、コロンという死の音を聞きながら、ローズは連射を続けた。

 壺娘の特注品である崩壊コラプスは強力なライフル銃。しかし、無数に生える手に阻まれて、弱点である頭部に弾丸を直撃させることができない。

 このままではいずれ弾切れに陥りじり貧となる。そう考えたローズは新しい解決方法を模索する。

 戦場ならぬ祓場は頭にインプットされている。問題は、どこをどうやって使うか。既にローズは答えを模索する段階から、選択する段階へと移行し終えていた。これも怪物がなせる業の一つだ。

 持っていた良かった、と思える場合はあまりないが。特に今回のような事例では。


「ローズ、ローズ。愉快な音ヨ。弾切れの音!」


 嬉々としてマリアは告げる。コラプスは残弾なし。レバーを引いても弾薬は薬室に装填されない。リロードするには前の堕落者が邪魔だ。


「……」


 しかしローズは冷静に、ライフルを背中に回した。リボルバーに手を掛けるが堕落者の動きの方が早い。マリアはローズに飛び掛かり、馬乗りの状態となった。横の棚からメスを取り、ローズの頭に狙いをつける。


「手術、手術、手術ノ時間。治してあげる。治して……」

「私も先生を、治す」


 ローズはリボルバーを構えた。だが、顔の全面は無数の腕で覆われる。ならば、どうすればいいか。

 ローズマリーは躊躇なく引き金を引いた。イノセントから発射された銃弾は壁に命中する。そして、ビリヤードのようにマリアの後頭部に命中した。


「あァ……!」

「ごめんなさい、先生」


 ずしゃり、と血をまき散らしながらマリアがローズマリーに倒れこむ。潰される前にローズは退いた。

 ぴくぴくとマリアは震える。その後、他の堕落者と同じように意識を取り戻した。


「あ、あ、私!! ローズ、大丈夫!! 無事だった!?」


 これもまた似たように、ローズの身を案じる。堕落者はほとんどがそうだ。自分ではなく他人を案じる。すぐに自分の罪を悟り、自分が諸悪の根源だと訴えるのだ。

 話を聞くたびにローズマリーは毎回こう思う。あなたのせいじゃないのに、と。

 むしろ堕落者を祓った自分は、呪い言をぶつけられても文句は言えないのだ。なのに彼らは、マリアは……優しく、手でローズの顔を撫でてくる。血で濡れた赤い手で。


「先生……」

「ごめんなさい、ローズ。こんなことになって。あなたの手を汚してしまった……かふっ」


 マリアが血を吐く。わざわざローズにかからないように気を使って。

 そんなことしないで欲しい。ローズは心の底から思う。血濡れた自分をもっと汚して欲しい。気遣わないで欲しい。罵倒して欲しい糾弾して欲しい。

 だが、ローズマリーの願いは届かない。マリアは苦しそうに元の腕でメスへ手を伸ばしたが、持ちあがらない。


「ごめん、ローズ。虫のいい話だとは思うの。でも……お願い。私を、解放して」


 マリアは困った笑みで懇願してくる。ここまで正常に会話ができるなら、治療を行えば助かるのではないか。ローズは一瞬そう考えて、すぐに違うと頭が否定する。

 無理だ。甘い考えは捨てろ。こうしている間にも先生は苦しんでいる。

 ローズは自分に言い聞かせ、リボルバーを動かした。そして、マリアの頭に突きつける。


「ありがとう、ありがとう……ローズマリー。あなたは本当に素晴らしいエクソシストよ」

「……先生も、最高の医者だった」


 撃鉄を起こす。シングルアクションなので、射撃のたびに撃鉄を起こさなければならない。シリンダーが回転し、撃針の前に弾薬が動く。


「――ありがとう」


 ローズマリーは礼を言い、引き金を引いた。銃弾が穿たれ、マリアの綺麗な顔に穴が開く。

 瞬間、ローズマリーの中にマリアの記憶が流れ込む……。



 ※※※



「医者! 出てこい、医者! 私は貴族だ! 私の息子が怪我をした! 重傷だ!」


 乱暴に戸口を叩く音がして、マリアは立ち上がった。看護師に指示を出す。同僚のクルフが出払っていることが悔やまれるが、今は考えたところでしょうがない。そう考えて、マリアは戸口を開けた。


「どうぞこち……きゃ!」


 突き飛ばされて、マリアは転んだ。貴族の風貌をした男は粗悪な立ち振る舞いだった。退魔教会に住む貴族ならば有り得ない振る舞いだ。外から来た貴族だと、即座に理解する。


「女だと!? 男の医者はどこだ!」

「大丈夫です。私はちゃんと治療を――」

「黙れ! くそっ、息子、息子が怪我……」


 診察台に男の妻らしき女性に連れられて、若い男性がやってきた。しかし、マリアの眼から見て重傷だとは思えない。足は怪我しているかもしれないが、それだけだ。


「ご安心ください。そこまで慌てるような怪我では――」

「黙れ、藪医者が! さっさと治療しろ!」


 横柄な態度に、マリアは口を閉ざす。ナースであるエルが戸惑っていたが、マリアはにこりと愛想笑いをして対応した。慌て振りは異常だが、男の気持ちはわからなくもない。大切な家族が怪我を負ったのだ。医療知識がないせいでパニックになることは仕方ない。そういう人への対応も医者の務めである。

 だが、マリアの冷静さは予期せぬ事態で吹き飛ぶことになった。男の使用人が、見知った男性を運んできたからである。


「旦那様、この男性は如何しましょうか」

「ディン!?」


 使用人が連れてきた男はディンというマリアの婚約者でこの診療所の職員の一人だった。血まみれで、こちらは一目見ただけでもわかる重傷だ。


「そんな奴は後回しだ。まずは息子を――」

「失礼ですが、先に彼の治療を! 一刻を争います!」

「何だと、この女め! 先に息子を治療しろ!」

「ダメです、信用してください! 息子さんは必ず――な、何を!?」


 マリアの驚愕も必然だ。男は銃を執り出したのだから。マリアに銃を突きつけて、脅迫した。


「息子を治せ。早くしろ。男はその後だ」

「い、いけませ――」

「早くしろと言っとるのだ! ごたごた言うとこの男を殺すぞ!」

「ディン!」


 男はディンに銃を向けた。こうなってはマリアも抵抗は不可能となる。離れた場所で様子を窺っていた看護師は、助けを呼びに行こうと駆け出したが、使用人に殴られて気絶した。エルは端で怯えている。男は使用人に命じて扉を内側から閉じさせた。戻ってきたらしきクルフが異常を感じてドアをこじ開けようとしている。


「さぁ、早くしろ。急がなければその男は死んでしまうぞ」

「……ッ!!」


 その後、マリアは言われるがまま息子に処置を施した。衰弱するディンを横で眺めながら。

 マリアは手を尽くしたが、ディンの治療は間に合わなかった。治療を始める前に、ディンは冷たくなっていた。

 この時ほどマリアは腕がもっとあればと思ったことはない。自分に腕があれば。手際よく治療をこなせれば。ディンが死ぬことなどなかったはずなのに。

 冷たくなった恋人の傍らで、男は平然と吐き捨てる。


「ふん、勝手に道へ飛び出してきたのが悪いのだ。当然の報いだ」

「し、しかし旦那様。旦那様が前方確認せず無理矢理に……」

「貴族が優先だ。この国は遅れているな!」


 マリアは男の言葉に耳を疑った。今の話では、この男が強引に馬車を走らせてディンを引いたようにも聞こえる。

 マリアがそのことを糾弾すると、だから何だと一蹴された。平民は死んで当然の家畜だぞ、と。

 蒼白の表情で、マリアはディンの遺体へ目を移す。手に何か光るものを彼は所持していた。

 指輪だった。婚約指輪だ。マリアの頭の中が真っ白となる。

 マリアが絶望しきったその時、どこかから声が聞こえた。診療所の前で異常事態を感じ戸を叩く同僚たちの声とは別のものだ。


 ――ああ、悲しいな。実に嘆かわしい。順序良く治療を施していれば、ディンは死なずに済んだ。これはまさに悲劇だ。そうだろう? マリア。


「あなたは……」


 ――聡明な君なら、僕が誰だか気付いているだろう。でも君は僕に頼らざるを得ない。フェアな関係だよ。あの男のように理不尽じゃない。人は酷い。でも僕たちは君に選択権を与える。

 どうする? 僕と契約を結ぶかい? 選ぶのは君だ。


「……わかりました。もうどうにでも、してください」


 マリアは思考を放棄して、男の声に従った。男の高笑いが響く。


 ――人は誰しも怪物を飼っている。君の怪物が、僕の想像以上であることを祈る。彼女にも頼まれたしね。


 男の声が止まった途端、マリアの身体から無数の腕が生えた。

 貴族の男が悲鳴を上げる。だが、マリアは意に介さない。

 治療が必要なのだ。悪い部分は治さなければならない。男の患部は頭だ。この男は頭がおかしい。だから急いで、治療しなければ。幸いにも腕はたくさんある。もう手遅れになることもない。


 

 ※※※



「……」


 ローズマリーは抜け殻のような足取りで、診療所を後にした。後始末は警察に引き継いである。堕落者を祓った今、祓魔師にできることはない。

 いや、例え堕落者が生き残っていようとも、自分にできることはあったのだろうか。ローズは思考の深みに嵌まる。


「先生……」


 近くの丘にある木の陰に、ローズは座り込んだ。ここにも思い出の断片は浮かんでいる。

 ローズはここでマリアとピクニックをしたことがあった。マリアはおいしいパンを作ってくれて、ローズは並んでそれを食したのだ。

 おいしかった。楽しかった。だが、もう遠い思い出だ。二度と叶うことはない。

 あの時の、今度は自分が料理を作ってあげるという約束も潰えてしまった。


「く……ッ」


 それでもローズは気丈に歩く。まだ終わっていない。これ以上悲劇が拡散しないように、私は祓魔師になったのだ。ここで立ち止まる訳にはいかない。止まる時は、身体が動かなくなったその時だ。

 ふと脳裏に言葉がよみがえる。ずっと昔から付いて回る、呪いの言葉だ。


 ――忌々しい怪物。悪魔の子め!


「私はやっぱり、悪魔の子なんですか? マリア先生……」


 ローズマリーは街へと戻る。しかし心は泣いている。

 その心を慰めてくれる者はもういない。ローズが自分で殺してしまった。



 ※※※



「ふふ、うふふふ。楽しい。とても楽しいわ。あなたもそう思わない?」


 令嬢のような笑みを湛えて、漆黒のドレスに身を包む少女は問いかけた。白い丸テーブルの前に置かれた椅子に座る紫髪の少女はどこかの姫君のような気品を感じさせる。

 しかし、対面に座る男も優雅さという点では負けず劣らずだった。仕立てられたスーツに黒のハット。テーブルには金貨が一枚置かれている。

 男はそれを手に取り、少女の意見に同意した。


「確かにね。人間の本性って奴はとても酷い。彼は僕の協力者だった。僕の願い事を忠実に履行してくれた」

「その代償が脳解剖? うふふ、あなたも大概酷いわね」

「君ほどではないよ。……そのハーブティー、お気に入りなのかい?」


 男が少女の前に置かれるカップへ目を向ける。少女はカップを手に取って一口含み、こういった。


「ええ。今一番のお気に入り。品種は――ローズマリー。とっても綺麗で上品な、美しい怪物よ。うふふふ」


 少女は笑う。見る者を魅惑する、悪魔的な笑みで笑い続ける。

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