予期せぬ再会
「おやおや、済んだようですね」
「……」
ウェイルズはその報告に黙して耳を傾けていた。執務室の机には、退魔教会の地図が敷かれている。
そこへ、急ぎ足で伝令が入室してきた。手には電報が握られている。どこからの連絡かは聞くまでもない。
「エクソシストローズマリーからの知らせです! 彼女は……」
「マモンを撃退した。そうだろう」
「は、はい……」
「下がれ。詳細は本人から聞く」
ウェイルズの歯に衣着せぬ物言いに、伝令が戸惑いながら下がっていく。そのやり取りを見ていた壺娘はにやにやとした笑みを浮かべる。
「酷ですね、ウェイルズは。今の彼女は満身創痍ですよ」
「ローズマリーは優れたエクソシストだ」
「だからそれを酷って言うんです。せっかくの怪物が死んでしまったらどうするんです? あの計画には彼女が必要不可欠でしょう?」
「…………」
「おやおや、だんまりですか。まぁ、いいですけどね。だって私は――」
壺娘は不自然な動作で壺を転がしながら部屋を出ていく。最後に、悪魔的な笑みをこぼしながら。
「何でも視えちゃいますからね」
※※※
帰路につく馬車の中で、ローズマリーは呟いた。悔恨を混ぜながら。
「マモンを、逃がした」
母とも言うべき人の仇を、多くの人々を堕落させた悪魔を、逃してしまった。
その事実はローズに重くのしかかり、精神を圧迫していた。怒りが内側から溢れて爆発しそうになっている。
誰よりも赦せないのは、自分自身だった。なのに、皆はローズに優しい言葉を掛ける。
「落ち着け、ローズ。言っただろう? 撃退できただけでも儲けものだ」
「そうですよ、ローズさん。これで退魔教会も平和に……」
「平和になんかなってない。まだ、敵はいる」
対面席のマーセと御者席に座るケイへの返答に、シュタインが思い当たった。
「協力者、ですか」
――敵は常に内側に潜み、機会を窺っている。
マモンの口ぶりでは、教会内に裏切者がまだ残っていることが示唆されている。マモンを倒せないのならその協力者を見つけ出さねばならない。問題は、その人物に対する直接的な手掛かりがないことだ。一度情報を整理し、容疑者をリストアップする必要がある。
「マモンは交渉上手。金銭に困っている相手を巧みに操ることは簡単。……でも、私にはそんな単純な相手には思えない。あなたも、何も知らないのでしょう?」
「そのような人物と会ったことも話を聞いたこともありません。すみません、ローズ」
「謝らなくていい。……よく狂わないでいてくれた」
ローズの微笑に、シュタインは表情を緩和させる。
ネフィリム。マモンは彼女のことをそう呼称した。ネフィリムとは堕天使が人間に欲情して産み落とされた子どもたちだ。特性としては暴食であり、何でも喰らう。つまり彼女は人と天使……堕天使とのハーフだった。
だが、もはや関係ない。シュタインには自我があり、ローズに従うという意思がある。必要となれば悪魔の力すら利用するのが祓魔師だ。味方である限り、ローズはシュタインを祓う気にはなれなかった。
ローズとしては、シュタインよりもリュンの様子が気になった。彼女は蒼白で先程から一言も話さない。否、言葉を発してはいる。誰に語るでもない独り言を延々と。
「リュン」
「必要なこと必要なこと必要なこと」
「リュン、どうしたの?」
「な、何? ローズ」
リュンはぎこちない笑みを浮かべる。もしや、ローズの言いつけを守って助太刀しなかったことを悔いているのかとも思ったが、どうにも違うらしい。
不思議と昔の彼女が思い起こされる。マーセにいじめられていた頃の彼女。
話したいこと、言いたいことがあるのに言えない。そんな風に見える。
「怪我が響いてる?」
「大丈夫、大丈夫だから」
「本当に? でも、今のあなたは……」
リュンを心配し、ローズが身を寄せようとしたその時だ。
リュンはまるで何かが盗まれてしまうのを避けるように身を引いて、座席の端へと後ずさる。そして、大声で触らないで、と叫んだ。
「リュン……?」
「あ、ご、ごめん。気が、動転してて。本当にごめん。ごめんなさい、ローズマリー」
今度は頭を下げる。さらに涙まで流していた。罪を告白するかのように。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「…………」
ローズは慄きながらもマーセへ目を移す。
彼女は何もわからない、と言った風に首を横に振った。
退魔教会には朝方到着した。
リュンは泣き疲れたのか眠ってしまったので、彼女はマーセに預けた。ついて来たがるケイには弱っているシュタインの世話を任せて、一人でウェイルズの元へ向かう。
ローズの身体も痛みを発していた。銀弾に撃ち抜かれた銃創の痛み、身体を激しく打ち付けた打撲の痛み、マモンを取り逃がしてしまったという心の痛み。特に最後の痛みが酷かった。
扉をノックして、入室する。いつも通りの挨拶だが、その空気は非常に重い。
「ウェイルズ卿、報告に――」
「座れ」
参りました、と言い終わる前にウェイルズは用意していた椅子に促した。言われるがままに座り、憔悴しきった眼差しでウェイルズを見上げる。彼の視線は普段と変わらない。それは信頼の意か失望の意か。
「マモンを――」
「撃退したそうだな」
ウェイルズはローズが行おうとした報告とは違う言葉を先んじた。
瞠目しながらもいえ、と小声で否定する。マモンを取り逃がしました、と。
「いや、撃退だ。これで当面の脅威から国は救われた」
「ですが、マモンは何か企てを」
「対処法は編み出した。そうだろう?」
ウェイルズの言葉は真実だが、含まれるべき情報が不足していた。しかし、再度告げたところでそう易々と彼の意見が変わるはずもない。
ローズは肯定して、報告を続ける。最低限の処置を施した左腕を右手で庇いながら、彼から預かり受けた散弾銃を机の上に置いた。
「金貨は効果がありました。それがゆえに、マモンは退魔教会から去ると」
「脅威が一つ取り除かれた。マモンが退魔教会に戻ることはない」
「ですが、まだ」
「協力者がいると言うのだろう。ただの傀儡ではない、パートナーとでも言うべき存在が」
「急いで対処しなければ。私にお任せください」
ローズはウェイルズの承認を得ようと必死だった。今の自分には敵が必要だ。余計なことを考えずに済む敵が。
だが、ウェイルズは全てを見抜いていた。包帯で巻かれた左腕を一瞥する。
「休息が必要だな、ローズマリー」
「私には無用です。傷の治りが早いことを、あなたはよく知っているはず」
ローズの肉体治癒速度は人間離れしている。元より先進的な医療と、傷や病気を瞬く間に治す特殊なハーブが退魔教会、その元であるエヴァンジェルヒムには存在しているが、それらを踏まえてもローズの回復力は異常の一言だった。医学的には解明されていない不思議な生命力を身に宿している。だから、高熱を帯びていても、魔獣と遜色なく戦えたのだ。
しかしウェイルズはそれを見越して、ローズの行動を制した。
「それでも重症だ。お前の回復力をもってしても時間がかかる。誰が協力者からすら把握できていないだろう。傷を癒す間に推理しろ」
「……わかり、ました」
不本意ではあるが、理に適っている。というより、冷静な状態のローズであればわざわざ言われなくとも実行できていた。焦燥がローズの思考を乱している。マモンを逃した。その事実がローズを狂わせている。
「話は以上だ。既に病室は確保してある」
「はい……」
ウェイルズは有無を言わせず会話を打ち切り、拒絶するように背を向け窓へ視線を移した。
ローズマリーは一礼し、痛みがのたうつ身体に鞭を打ちながら医務室を目指す。
医務官に言われるがままベッドに寝転がり、ローズは天井を見つめる。しかし、見ているのは自身の知識を蓄える泉だった。手元にある情報では、敵が誰なのかわからない。もっと変わった視点で物事を考える必要がある。
(不審な兆候……気がかりなこと)
事件を最初から整理する。マモンが関わったとされる事件。
思い出したくないが、忘れられない最初の事件。マリア女医の堕落。
(マリア先生は婚約者を横暴な貴族に轢き殺された。……外国からわざわざ渡ってきた貴族……金持ち)
必然的に思い返されるのは、金の欲しさに主人と友人関係にあった奴隷を堕落させ、主人すらも自害させた執事だ。
帰郷して二番目に解決した事件。思えば、マリア女医の堕落に関わった貴族の身辺調査をしていない。既に解決したために失念していた。そう考えると、一件目と二件目の事件が繋がっている可能性が出てくる。
一件目の貴族も海外からやってきていたのは、マリアの記憶からも明らかだ。
(マリア先生を堕落させたのはマモン。……まさか)
ローズは記憶の海を泳いで、重要性の高い書物を引き出していく。
マモンが確実に関わっており、関連性が高いと思しき事件と繋ぎ合わせる。免罪符を持っていた、商人の事件。娘を外国から来た強盗に凌辱され殺された商人の父親が、堕落していた。
(外国人……そういえば最近――)
リュンの言葉が自然と湧き起きる。
――外国からやってきた貴族。最近多いらしいわ――。
(マモンが関わる事件には一定の規則性がある。それは貧民を利用すること。もう一つは、金持ち。裕福であるはずの貴族)
没落貴族がわざわざ退魔教会を訪れる理由はないので、今ここに来る貴族は基本的に金持ちとなる。強盗に関しては金を持っているのにわざわざ商人宅へ襲撃したことになる。不自然にも思えるが、明らかにマモンの差し金だ。マモンの配下は金の亡者。それは生きるために金を求める者だけではなく、既に十分な金を持っているのに、さらに多くの金を求める富裕層も含まれる。
それだけではなく、免罪符というわかりやすくヒントまで散りばめている。
これはもはや悪魔少女の大好きな可能性の段階ではない。確信しても構わないだろう。
となると協力者の絞り込みも可能になってくる。退魔教会は元々、鎖国的状態を長きに渡って維持してきた国だ。こちらから祓魔師の派遣はするが、無意味な来航をエヴァンジェルヒムは禁じていた。悪魔の息がかかった者が入るリスクを恐れての予防措置だ。
それが近年になって解除された。理由は世界の国々と交流を持つため。本来の意義としては、他国に牙を向けられないためだ。
正体不明の国が祓魔師を派遣し、自国のお偉方を殺している。我が物顔で独自の理論を振りかざし、自国民を処罰している。
その文面だけを見れば、どれだけ祓魔師が高潔であろうと不信感は拭えない。他国からしてみれば厄介者以外の何物でもないだろう。祓魔師の権限は他国の領主すらも軽々と凌駕する。それが古き時代に結ばれた約定だったが、今を生きる人々にはそんなことは関係ない。コルシカの述べた通りだ。
特に世界の近代化に伴い、祓魔師の出番は非常に多くなった。その分、反感も大いに抱かれている。その反発を軽減するために、退魔教会は外国人を招くようになった。
しかしその弊害がマモンの侵入であり、退魔教会存亡の危機だ。病原菌が内側に入り込み、退魔教会を病ましている。病魔を止めるためには、原因を切除するしかない。そして、幸いにも外国人を誘致できる人間は限られる。
(特定の外国人を招致できる人物は……)
一人目はウェイルズ。ローズはその可能性を即座に否定した。有り得ない。こればかりは有り得ないは有り得ないという言葉遊びでは済まされない。もしウェイルズが協力者だった場合、ローズマリーは自分を見失うことになる。ゆえに、それ以上の思索は進めなかった。
次に出てきた候補は国交相だが、露骨な動きをしていれば、誰かしらの同僚にマークされてもおかしくない。ローズは事件の端々に偶然外国人が関与している程度の認識だったが、祓魔師は無能集団ではない。明らかに妙な動きがあれば、誰かが調査を開始してもおかしくないはずだ。そういう意味では、国交相は目立ちすぎる。間諜を使うにしても、ボロが出る。国家権力よりも祓魔師の権限が高いのは、祓魔師を擁立するエヴァンジェルヒムも変わりない。敵はまさにローズと邂逅するべくヘレンを誘惑したサキュバスのように、ひっそりと手引きを行っていた。とすれば、目立たないが権力があるものか、目立っても誰にも気にされない相手が協力者である可能性が高い。
(だとすれば……)
ローズは考えを進めて、打ってつけの人物を思いつく。だが、即座に否定しようとして――しかし、彼、或いは彼らほど適任の存在がいないことに気付いた。
そうとも、絶対に疑われない。よほど特殊な状況でない限り。祓魔師の尊敬を、ウェイルズとは別の意味で一心に引き受ける人物だ。疑う方がどうかしていると思われても不思議ではない。
「バルテン王……」
ローズは恐る恐るその名前を口に出した。この国の王であり、祓魔術を何よりも大事とする王の名を。
国王が悪魔と契約するケースはそこまで珍しくはない。十字軍創設者の一人であるウルバヌス二世にも悪魔の影はあり、ローマ法王ロドリゴ・ボルジアや、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト……例を挙げ始めたら切りがない。そして、そのような堕王たちは祓魔師によって適切に対処されてきた。
だが、だとしても、だからこそ異常だった。バルテン王は歴史を知っている。祓魔師による王殺しの事例を。
前例を知る王が悪魔と取引を交わすだろうか。ローズマリーは自身の推論に半信半疑だった。
ゆえにコルシカの元へ立ち寄った。仲間であるマーセやケイ、療養中のシュタインやリュンは論外だ。そも、何を言っても通じないはずだ。国王が悪魔と契約を結んだという世迷言は。
「ふむ、興味深い話だ。まさにミイラ取りがミイラになる……」
「興味は引くけど、自分でも信じられない。ダミートラップかもしれない」
自分で導き出した結論だというのに、ローズは信じきれないでいた。理には適っているが、それだけだ。この推理には芯がない。新聞記者が面白おかしくゴシップを書き立てるのと同じようにも思える。
しかしコルシカは愉しそうに口元を歪めた。噂好きの子どものようにも彼の姿は見える。
「センセーショナルだ。君の推理は。退魔教会の崩壊を招くほどに。これがもし事実なら、ペンは剣よりも強し、ということになるな」
「他ならぬ私自身が退魔教会を滅ぼす要因に? 冗談じゃない」
あしらうローズにコルシカは続けた。
「世界には二つの力しかない。武器と精神という二つの力である。そして最後には必ず武器は精神に打倒される」
「誰の言葉?」
「持論だ」
コルシカは身を翻し、部屋に飾ってある世界地図を見つめた。
「もし、だ。もし退魔教会……エヴァンジェルヒムがこの地図から消えたら、世界はどうなると思う?」
「そんなことは」
「仮定の話だ。そう邪険にすることはない。君は……そうだな。この国を守ろうと奔走しているだろう。だが、何が起こるかわからないのが未来だ。狂人の戯言だが……一考するに値する」
「……そうね」
コルシカの隣に並び、彼と同じ立ち位置で世界を眺める。欧州の上にある退魔教会。教会があるから世界は悪魔の手に堕ちずに済んでいる。それが祓魔師の共通認識だ。
だが、もし最後の防衛線が亡くなってしまったら? 今度こそ本当に、世界は悪魔の遊び場と化してしまうだろう。
恐らく、世界を巻き込む規模の戦争が起きる。悪魔の甘言を誰かが聞いて。そして、その対戦相手に悪魔はまた囁くのだ。敵を殺せ。敵を倒せ。そうして人類は、同じ悪魔に導かれた者同士で大義名分を掲げ戦争を繰り広げるようになる。
「世界大戦……世界を巻き込む嵐が吹き荒れる」
「私も似たようなことを考えていた。グレートゲームは終わりを告げ、また新たな勢力が頭角を現し、今までとは比較にならない規模の戦争が起こる。まさに戦争を終わらせるための戦争だ」
「でも、実際には戦争は終わらない。マモンは二度戦争を起こすつもりでいる」
マモンが言い残した二度の嵐――それは戦争で間違いない。戦争は金になる。そして悪魔にとって戦争とは座席からゆったりと鑑賞するオペラのようなものだ。世界というオペラハウスの中でマモンは特等席に陣取って、どちらが勝つか賭けをする。無論、双方を嗾けるのも彼だ。
古来より、人間が戦争を獲得したのは悪魔のせいだ。まさに悪魔の囁きに耳を貸して、人々は戦争を率先して行うようになった。
戦争は短期的に見れば生存効率がいいが、長期的に見れば非効率的だ。敵を作るよりは味方を作った方が生存確率は上昇する。そこへ一石を投じたのが悪魔。
そうして世界の為政者たちは、ちょっとしたきっかけで戦争をするようになった。民衆はまだまだ騙されるだろう。戦争の利益が国民に還元されることは一切ないというのに。
だが、マモンの目的は戦争で利益を得るという一点のみではない気がしている。まだ、真の目的が隠されているのかもしれない。
しかしその目論見も、退魔教会を存続させれば崩れ去る。まさに歴史を変える。悪魔の歴史から人間の歴史へと。そしてそれは悪魔の影響を受ける人々にとっては好ましくない事態だろう。だが、それでいい。ローズは切に願った。
「恨むんだったら恨めばいい。憎みたいなら憎めばいい。エクソシストは――全ての悪意を引き受ける」
「君と、エクソシストの精神は高尚だ。まさに小説の題材にぴったりだ。願わくば、王の堕落によって退魔教会が崩壊するなどという低俗な物語で終わらないことを祈っている」
「そうね、私も祈ってる。それじゃ、また」
「吉報を期待している」
ローズはコルシカの部屋を後にする。そして、病室に戻ると左腕を確認。
傷は塞がっている。まだ一週間も経ってない。しかし自分という怪物には十分すぎるほどの休暇だった。
王族を疑うという国の根底を揺るがす問題の性質上、ウェイルズに報告はできない。同行者の指定も以ての外だ。何より、ローズが信頼を置く人々は皆傷を負っている。
ゆえに単独でローズは王城へ赴くことにした。どちらにしろただの調査だ。個人的には外れの可能性に賭けている。
「可能性、か」
悪魔少女の好きな言葉。可能性可能性可能性可能性。人は可能性を潰すことに命を懸ける。ゆえに、他者を平気で殺せるのだ。自分が殺されるという可能性を無くすために。それが弱者が成す哀れな生き方だった。
でも、それで構わないと今は思う。ローズは可能性を潰しに行く。バルテン王が黒幕ではないという可能性を。
「ローズ、もういいのか?」
「マーセ……」
衣服を着替えるローズは見舞いに来たマーセと鉢合わせした。厄介なタイミング。
マーセは祓魔師の黒衣に身を包むローズマリーを不審な目つきで見ている。それもローズを敵視するという負の理由からではなく、ローズを心配するという正の理由からだ。
「もう任務に出る気か?」
「私の身体は少し特殊だってこと、知ってるでしょ? ハーブもよく効いたし」
「戦闘するのに最適な遺伝子ってわけか」
「メンデルの法則は私に当てはまっていないようね」
皮肉げにローズは言う。メンデルが創設した遺伝学では、子どもは両親の特性を受け継ぐ、とある。しかし両親はローズマリーほど優秀ではなかった。これは人として優秀という意味ではない。
怪物としての意味だ。ローズの両親は怪物ではなく、悪魔に対しての適性知識を持ち合わせていただけの一般市民だったのだ。
だが、何が起きたのか、ローズマリーは突然湧いた。
そう、いきなり降ってきたと表現しても不思議ではない。両親の特徴を一切受け継がない化け物。
まさに悪魔の子。今となっては両親が自分の存在をそう誤解してもおかしくないとは思っている。
当初は両親ともに神の加護を受けた子どもとして愛情を注いでいたが、時が経つにつれてその考えも通用しなくなっていった。
だから、父親は母親を撃ち殺し、ウェイルズに殺された。そして彼とマリア女医が自分を育て、結局はマリアの命をローズが奪っている。
「それでいいの、私は」
私だけがおかしい。私だけが怪物。それでいい。
「おい、ローズ――」
勘付いたマーセがいつも通りの慰めを掛けようとしてくれたが、ローズはそそくさと部屋を出て行った。
冷たい、とは思う。非情だとも。
だがこれでいい。これが、いいのだ。
武器は純潔だけにした。今回はあくまで調査だけなので、戦闘は二の次だ。
だというのに、チャーターした馬車の荷台には、なぜかトマホークピストルが置いてあった。
羊皮紙には文字が記されている。――きっと必要になりますよ――。
「壺娘……」
ローズは苦々しく呟いて、御者席へと乗り込んだ。大聖堂から王城まではそう距離はない。なので、半日もかからずに城へはたどり着けた。
バルテン王の居城である城は大聖堂に比べれば簡素なつくりだ。城下町も大聖堂側と比べると人通りが少ない。王よりも祓魔師、祓魔術の方が重要という王家の信条が明確に表れている。
実際に城の門まで訪れて、ますますローズの疑念は深まった。やはり、マモンか協力者によるブラフではないだろうか。それとも、推理が間違っている? 疑心に駆られながら馬車を停車させる。
「エクソシスト様、ようこそ王城へ。如何様ですか」
番兵が丁寧に話しかけてくる。他国の祓魔師の特権を嫌がる兵士たちは大違いだ。
白の軍服を着込む兵士に王との面会だと通達すると、何の問題なく通過できた。イギリスではまずありえないことだ。お役所仕事で三日程度はかかってしまう。そもそも、面会謝絶として拒否される場合の方が多い。
「……」
無言で質素な庭園を一瞥しながら進み、城の扉の前に立つ。ゆっくりと扉を開く。
そして、一面の花畑の中に迷い込む。
「え……?」
瞠目して美しい花々へと目を落とす。質素ながらも煌びやかな花壇があった庭園はとうに通り過ぎた。
そもそも外ではなく中に入ったのだ。室内庭園ではなく、壁も天井も全てが消えている。
驚愕しながら背後を振り返り、出口の消滅を確認した。いや、そもそも後ろにも花畑しかない。
「一体……?」
と疑問を感じながらも、これが何らかの超常現象ではあると理解していた。無意識にホルスターへと手を伸ばし、そこに何もないことを知る。まず前提として着用する衣服が違かった。男物の動きやすい神父服ではない。女物の衣装だった。戦闘には不適格な真っ白なワンピースだ。
「……何の、幻術……」
呟きながらも、頭の中から何かが消えかけている。自分は誰だ?
私は誰――? 従来なら有り得ない自問を投げて、
「あなたは私の可愛い子よ、ローズ」
「母、さん……」
生きているはずのない女性と再会する。柔和な表情を浮かべる母親と。
※※※
「くそっ、ローズの奴。何でか王城に行ったみたいだ」
「追わないんですか?」
愚痴るマーセにケイは淡々と聞く。彼の前にあるベッドにはリュンが熟睡していた。
「リュンも心配だ。それにただ城に向かっただけなら何かに巻き込まれもしないだろうし」
「そうでもないかもしれません」
「何?」
思わぬケイの返答に、マーセの眉がつり上がる。
「奇妙な噂を聞いたんです。城を訪れた人は、皆幸福に満ち溢れる。そんな噂を」
「だとしたら、ローズの素っ気ない性格も変わるかもな。いや……私はあんなあいつが好きだ」
「僕もですよ」
「くそ……大丈夫だろうな」
マーセは苦り切った表情となる。噂の真偽は訪れた者にしかわからない。
城へと向かった、ローズマリーにしか。