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残された借り

「ローズ、どうか私を……」

「殺して、なんて言わないわよね」


 左手で傷口を塞ぎながら、ローズマリーはシュタインに言い返した。ここでシュタインを殺せば、エレンとヘレンの時の二の舞となる。それだけは避けねばならなかった。

 いくら祓魔術に犠牲はつきものだとしても、譲れないものはある。


「ここであなたを殺すことは簡単。でも、そしたら私の怪物は満足しないわ」


 苦悶混じりに言い放つ。強がりも含んではいるが、怪物はより困難な戦場を常に求めている。

 嘘を吐いたわけではなかった。怪物に正直にいようとすればするほど、ローズはシュタインを生かす選択をしなければならない。


「しか、し」

「自分で言ったんでしょう? 怪物に正直になれって。この状況で訂正はしないで」


 と強気に応じたが、現状はローズに不利だ。怪物少女もいつ動き出すかは知れず、シュタインは身体が言うことを聞いていない。唯一の救いは自分を傷付けた銃が小口径のデリンジャーだったことだが、銀弾は身体を貫通しているので口径の大きさなど誤差の範囲だ。


(予想以上に、痛いわね……)


 銃弾を受けたことはあるが、銀弾は初めてだった。悪魔の眷属に絶大な効果をもたらす銀弾は、通常の人間に命中してもある程度の効果を発揮せしめるらしい。

 血が手から溢れて、地面を濡らす。

 自身の血潮を見て、興奮する自分に気が付いた。思わず口元を歪ませる。自然と笑みがこぼれた。


「私が昂るってことは、きっと――」


 常人なら身の毛のよだつであろう叫び声が背後から響く。しかしむしろローズの闘志は燃え上がり、銃を怪物少女へ向けた。彼女は血の匂いに触発されて高揚しているらしい。

 不利なようでいて、好都合だった。これで少なくとも当面はシュタインに狙いが向くことはない。


(跳弾を使えば、見られても不意を衝くことができる。しかし)


 前で茫然自失とするシュタインが邪魔だ。かといって彼女に突撃したところで、怪物少女に背中から飛び掛かられる。一旦距離を取る必要があるが、ロープピストルを手放してしまったため、移動は足で行うしかない。脚力とスタミナには自信があるが、怪我を負っている。


「……」


 やはりロープピストルが必要。そう判断したローズはピストルが収縮された先へと駆け出した。思うように走れないがそのことを悔やんでいる暇はない。


「来る……ッ!」


 四足から捻り出される足音が刻々と接近しつつある。迎撃するために後ろを見、敵ではなく石床に向かって銃撃をしようとした。が、狙撃によって阻まれる。怪物少女はローズの跳弾射撃を理解できないが、シュタインは知っているのだ。


「ダメです、ローズ。私を、撃つべきです……!」

「弾薬がもったいないでしょ」


 シングルアクションアーミーをモチーフとした純潔イノセントでは、リロードに独特の癖がある。そのため、無駄弾は極力避けなければならない。リュンの弾倉交換式パーカッションリボルバーがこの時ばかりは羨ましい。継承サクセションも予備ホルスターに納まっているが、現状での武装交換は危険だった。


「ヴヴッ!」

「チッ!」


 ローズはタイミングを合わせて強引に横っ飛び。転びそうになったところをかろうじで堪え、ファニングによる早撃ちを敢行。それを巧みに怪物少女は躱すが、あえて進路を塞ぐような撃ち方をしたため彼女はローズに近づけない。

 だが、それもほんの一瞬だけだった。即座に怪物少女はステップを踏み、ローズの真横から襲撃してくる。


「おおッ!」


 逆手で左腰に差してあるレイピアを抜き、刺突兼鋭利武器として緊急利用。大したダメージこそはいらないものの、敵の狙いを逸らせることは可能だった。そこへ放たれるシュタインによる射撃。レイピアに銀弾が命中し、明後日の方向へ飛んでいく。


「く……どうする」


 自問自答しながらロープピストルへ駆ける。装備を落とした分手数は減ったが、幾分か走りやすくはなっている。しかし、それでも怪物少女の移動力には負けている。またもや彼女は追いついて、単調な飛び掛かりをしてきた。ローズはあえて密着し、シュタインの狙撃を無効化。至近距離での発射を実行したが、


「素早い……ッ!」


 怪物少女はいとも簡単に避け、また距離を取る。純潔イノセントの装弾数は残り二発。ロープピストルまではまだ距離があった。このままでは狩られる。


(新装備を要請するべきだったかしら)


 今一番欲しい武器は散弾銃。しかし、左腰に提げてある水平二連は、対マモン用に調整した武器だった。不用意にコイン弾を使う訳にはいかない。これはここぞという時の切り札に使うべき銃だ。

 だが今のままではやられる。どうにかこの状況を切り抜けなければならない。


(ああ、無理か……)


 ローズははたと実感する。どう足掻いたところで不可能だ、と。

 無理だったのだ。どう強がっても認めなくても、現実は容易く理想を打ち砕く。

 諦観の念を抱いて、ローズは停止した。そこへ現実が追い付いてくる。


「まぁ、仕方ない……か」


 粛々と迫る絶望。ローズはもはや動く気力も失せて、ただひたすらその時を待った。

 そして、それは声を張り上げる――。馬の蹄の音と共に。


「ローズさん! 助けに来ました」

「ええ、助かったわ」


 ケイが馬車用の馬に跨って応援に戻ってきていた。あれほど持ち場を離れるなと言いつけていたのに、言うことを訊かなかったらしい。彼はローズを背に乗せて、身を案じてきた。


「怪我してるんですか、ローズさん……!」

「今はいい。とにかくあいつを倒すわ」

「シュタインは……」

「あっちは味方。味方を撃つつもり?」

「わかりました。これを使ってください」


 ケイはローズの望む物を手渡してくれる。自分が望む物を自分が提示する前に与えてくれる。それが優れた仲間というものだ。

 ローズは受け取った散弾銃スピエタートのレバーを操作する。冷酷の意味を持つ銃を向け、シュタインの家族に狙いをつける。まさに酷薄な所業だった。愛と言うものはそう簡単に割り切れるものではない。

 愛する者を殺す時、人間の心は炎を喪うのだ。命が燃え尽きるような感覚を、ローズはシュタインに味わわせなければならない。


(でも、あの子は死なせたくない)


 自分が自我を植え付けたのだ。半ば利用するような形で。

 その責任を果たさなければならない。愛する者を殺しながらも、冷酷に振る舞うことができる自分が。

 ローズは引き金を引いた。背後から迫る怪物が避けようと右へ飛ぶ。

 しかし、散弾の範囲からは完全に抜け出せなかった。左腕に複数の銃創ができる。が、痛みを戦いの糧として彼女は利用した。――まさに自分自身と戦うような気分。

 いずれ心を喪えば、私も同じような化け物に成り果てるのだろうか。いつぞやと同じように思索してまた同じ結論に辿りつく。

 その時は恐らく死んでいる。今は怪物を祓うことに集中しろ。


「ッ!」


 ローズは鮮やかなコッキングを続け、瞬く間に連射した。銃の名手の扱えば、レバーアクションショットガンは機関銃に勝るとも劣らない連射力を発揮できる。

 が、怪物の方も学習しているようで、被弾率が低下し始めた。ただ闇雲に撃つだけでは、散弾と言えども急所を捉えられない。敵に確実に命中させるための機会を設ける必要がある。


「ケイ!」

「わかってますが……厳しいですね!」


 ケイが焦りを見せる。怪物の脚力は馬にさえも匹敵するほどだった。ケイが逃走経路を設定しているように見えて、その実怪物少女から逃げるためにその場しのぎで逃げ道を選択しているに過ぎない。これ以上彼に注文するのは酷だった。かと言って、ロープピストルを回収するためにあの場に戻れば、シュタインに狙われる可能性が高い。


(また可能性か……くっ、結局!)


 悪魔少女の笑い声が聞こえて気がした。結局だ。結局こうするしかない。

 単独で彼女は祓えない。とすれば、仲間による支援は必然だった。


「ローズ! 悪いが!」


 マーセの詫びが閑静な街中に響く。手にはロープピストルが握られていた。マーセの支給品ではなく、ローズが持っていたものだ。馬の嘶きを聞いて戻ったマーセがローズの品を回収し、先回りをしたのだろう。


「こいつを渡すぞ! 受け取れ!」


 そう言いながらマーセは地面へと着地する。ロープピストルが馬の進行方向で弧を描き、交差した瞬間ローズの手に収まった。リュンの姿がまだ見えないのが唯一の救いだ。彼女はローズの言いつけを守ってくれているのかもしれない。


「助けてくれてありがとう。もういいわ、ケイ」

「でもその怪我では……」

「大丈夫。何とかする……」


 銀弾による銃創は思った以上の激痛をローズに与えている。本来ならアドレナリンの放出によって痛みは緩和されるはずだが、痛みが弱まる気配は全く見られなかった。痛みに耐えながら手頃な建物の屋上にロープピストルの狙いをつけて移動する。


「私が近接戦で怪物の注意を引きつける! その間にお前は装填しろ!」

「くっ……わかった」


 マーセが大剣を抜き取って怪物少女と格闘をし始めた。自分を追いつめた怪物とだ。両者の実力を知っているからこそ、ローズの焦燥感は強まっていく。いつもなら無心で行えるはずのリロードに、たっぷりの時間が付与される。時の流れが極端に遅くなり、銃弾を注ぎ入れる自分の腕がもどかしくなる。

 眼下ではマーセが怪物少女と斬り合いをしている……否、まともな剣闘ではない。マーセが剣を振るった瞬間、怪物は動物的反射で避け、爪でマーセの喉元を掻っ切ろうとしていた。長年培った技術でその爪を受け流すマーセ。しかし、怪物の腕力は凄まじく、数回受け流したところで大剣が弾かれてしまう。

 その間に崩壊コラプスの装填を終えたローズは歯ぎしりしながら純潔イノセントのローディングゲートを開ける。薬莢を排出し、変わりの弾丸を装填。ほんの一瞬、されど一瞬。その間に状況が一変した。


「な……ッ!? シュタインか!!」


 マーセが驚く。もう一つの得物である太刀を抜いた彼女に、混乱するシュタインが銃撃を加えた。ごめんなさい。彼女は一心不乱に誤りながらマーセに攻撃を加える。マーセを回収しようとしたケイが接近を試みたが、怪物少女に阻まれてしまった。


「マーセさん!」「エクソシストマーセ、どうか私を……!」

「どうしろってんだよ、くそ! そんなことしたら――ッ!?」


 銃弾を懸命に回避し、体勢を整えたところに飛び掛かってくる怪物少女。マーセは苦りきった笑みを浮かべた。


「ローズが怒るだろう?」

「ええその通りよ!!」


 ローズが崩壊コラプスを撃ち放つ。マーセと怪物の間に放たれた精巧な射撃は、怪物少女に攻撃ではなく回避を選ばせた。だが、それもたった一撃の間のみ。怪物少女はマーセを一番手頃な獲物だと考えたのか、執拗にマーセを狙っている。てっきり自分に放たれるかと思われたシュタインの射撃も、マーセに集中していた。

 狩りの定石。集団で一つの獲物を狙い、確実に利益を得る。二兎追う者は一兎も得ず。原初の頃から人類が行ってきた狩り方だ。

 何も間違ってはいない。典型的かつ有用な狩猟方法。間違ったのはローズマリーだ。

 仲間を守るため引き剥がしたはずが、仲間を危機に追いやってしまった。

 それでいいの。怪物が……もうひとりの自分が、笑う。

 

 ――それでいいの。その方が絶対に楽しい。仲間なんてのは戦いを愉しむための香辛料。戦場に味付けをして、難易度を高めるための生贄でしかない――。


「違うッ!」


 ローズは援護射撃を中断して飛び降りる。二つのライフルを背中に背負い、純潔イノセントをホルスターから取り出して、今まさに最後の攻防を繰り広げる怪物とマーセの元へ接近する。

 一歩踏みしめる度に血が噴き出て黒衣と地面を濡らす。しかし、気にする暇も余裕もない。

 荒い息のまま走って近づいた瞬間に、マーセの太刀が虚空を描いた。諦めたように笑みを浮かべた彼女に叫ぶように、怪物を呼び寄せるようにローズは叫ぶ。

 怪物が悦ぶ最大の方法。自分の怪物も、マモンの創造物も、どちらもが満足する選択をローズは下す。


「こっちに来い!!」


 ローズは左腕にリボルバーの銃口を突きつけた。マーセの止せ! という警句を無視して引き金を引く。

 ぱぁん。なじみ深い音だった。銀弾が放たれて、肉と骨を貫通。おなじみの音楽に、肉が破裂する音が加わる。

 血が吹き出し、苦悶に喘ぎ、怪物の注意がローズに向いた。


「くぅ……来い、来なさい!」

「なんてことをしたんだ、ローズ! その怪我じゃ!」

「この怪我なら!」


 ローズはリボルバーの片手撃ちで怪物少女を制しながら言う。


「この怪我なら、私の怪物も喜んで、あの子の注意も引きつけられる。そうでしょう?」


 そう呟く自身の顔を、ローズは見ることができない。だが、もし見えたのなら恍惚に笑う自らの表情を窺えただろう。怪物が滾る。敵の対処方法が湧き出てくる。よそから与えられたのではない。内側から溢れ出てきたのだ。数多ある殺しの術から、最適な戦闘方法を取捨選択し、敵にぶつける。

 至極簡単なことだった。リボルバーを手放し、冷酷スピエタートを右手で構える。

 エサの匂いに惹かれて駆ける天使のなりそこない。シュタインが狙撃するが、ローズは動じない。シュタインの狙撃精度はだんだん落ちて行った。彼女も動揺しているのだろう。そこまでローズマリーは計算できていた。

 まさに冷酷だ。彼女の心を弄んでいる。壺娘はこの展開を予想して、ケイにこの銃を与えたのか。


「食べなさい、怪物」


 ローズは左腕を差し出す。怪物の注意がローズの銃口から無防備な左腕になびいた。一瞬だけ、怪物に隙が発生する。肉薄した怪物がローズの血だらけの左腕にかみついた瞬間――ローズは躊躇うことなく引き金を引いた。

 こちらもまた、乾いた音。それに混じって大量の返り血がローズマリーの全身を包む。散弾は、人を撃つには凶悪過ぎる武器だ。だから、新大陸のガンマンたちすらも悪魔の武器と揶揄して使用を躊躇ったのだ。

 それをローズは躊躇なく放った。怪物の目つきは獰猛な獣から人間のそれへと変わり、微笑を灯した。僅かの出来事だった。彼女の瞳から大切な輝きが消失し、ふらりと身体が揺れる。石畳の中へ倒れると、身体から零れた血で血だまりを作り始めた。


「あ、ああ……あ……」


 遠方ではシュタインが崩れ落ちている。ケイとマーセは呆けていたが、すぐにローズの元へ駆け出した。案ずる声を二人は放つが、ローズは気にならない。いや、気に掛けていられなかった。


「痛い……」


 痛みが身体を蝕む。シュタインに撃たれた脇腹が、自分で穿った左腕が、怪物を殺した自分の魂が。

 もしこの場で誰も見ていなければ、泣き出してしまいそうだ。だが、ローズはじっと耐える。

 まだ戦いは終わっていない。


「流石だね、ローズマリー」

「マモンか!」「くッ!!」


 マーセが拾い直した太刀を、ケイが予備のピストルを構えた。ローズを庇うように立ち塞がるが、彼の姿を視認したローズは落としたリボルバーを拾いながら二人を退かす。

 祓魔帽子のせいで目元が窺えない。しかし、直近に立っていた二人には、その顔が見えた。

 憤怒に包まれた表情が。仲間である二人が言葉を失う。


「どうかしたのかい? よもや君が復讐などというありきたりな情念で銃を執るとは思えないが。僕を失望させないで欲しいな」


 マモンはあくまで余裕のセリフを言い放つ。それに応えるようにして、ローズはリボルバーを速射した。


「私はあなたを祓う! マモンッ!!」


 爆発した感情を吠えるように叫んで、ローズはマモンと対決する。



 ※※※



「あらあら。ローズ、怒ると戦い方が荒くなるわよ」


 窘めるように悪魔少女は呟いた。特等席から、戦いを見守っている。

 しかし、彼女の怪物には感心させられる。よもや自分の腕を撃つとは。自殺願望の表れが、ここに来て表出しているのかもしれない。


「その行動は仲間を救うため? それとも自分を慰めるためかしら? 何を思おうとも、あなたは逃れられない。自らの怪物からね。怪物は自分で自分を殺せない。あなたはよくわかっているはずでしょう? あなたが死のうとすれば、代わりに誰かが死ぬ。最初は両親だった次に育て親。次は誰かしら? マーセ? ケイ? シュタイン? それとも……。うふふ、あの子は参加しないのかしら。律儀に約束を守るの? うふふふ」


 とある地点を見て、微笑む。良い出し物を鑑賞する時の紅茶はとても美味しい。 



 ※※※



「みんな戦ってる……」


 リュンはその戦闘音を聞いて、落ち着きがなくなっていた。

 支援に赴くべきだ、という感情とこの場で待機するべきだ、という理性。二つが対立し、彼女の心を悩ませる。


「でも、従うべきよね。命令だもの」


 戒めるように呟いた。そうとも、命令なのだ。

 命令ならば仕方ない。例え友達の生死が掛かっていても。

 そう理性では割り切っているが、心は引き裂かれるように痛い。現に、心は千切れかかっているのだろう。


「でも、やらなきゃ。命令だもの……。家族の、ために」


 リュンはか細い声で自分に言い聞かせる。その表情は病的だった。



 ※※※



 マモンは倒すべき敵だ。祓うべき悪魔だ。

 奴はマリア先生を堕落させた。

 善良な市民を金銭欲で誑かし、多くの人々を殺して堕として狂わせた。

 今度ばかりは心が絶叫することはない。何一つ躊躇うことなく、逡巡を抱きもせずに引き金を引けた。


「マモン――ッ!!」

「ふむ、危険だ。恐ろしいな」


 所見を述べながら、マモンは銃弾の雨に曝されて……カーテンで防ぐ。

 コインでできた盾だった。マモンの要は錬金術。金を用いて全てを錬成できた。防御用の盾も、攻撃のための剣も、シュタインのような生命体も。

 いくら悪魔とその眷属用に調整された銃器と銀の弾丸とはいえ、そう簡単には通用しない。それは悪魔についてよく知り得るローズマリーも承知の上だった。

 だからこそ、あえてがむしゃらに射撃を続ける。錯乱しているかのように。

 純潔イノセントが弾切れとなり、ローズは投げ捨てる。

 次に撃ち放ったのは冷酷スピエタートだ。レバーアクション式だからできる片手装填(スピンコッキング)を使って、早撃ちをみせる。左腕は銃身を支えるために添えるだけだ。

 だが、怪物を始末した銀の散弾も金の防壁を打ち砕くことは叶わない。全てを撃ち切ったローズはこれも放り捨てる。

 そして――脇に提げていた水平二連を構えた。ウェイルズから譲られた、対マモン用に準備した散弾銃を。


「む?」

「喰らえッ!」


 専用に拵えたコイン弾が、金のカーテンを貫通した。マモンは眼を見開いて、左に躱す。直撃こそしたが、かす当たりだ。左腕が血に汚れただけだった。


「なるほど、恐ろしいな。僕を殺すための武器を用意してきたな。流石怪物。自分自身で怪物を創造する前に、君に祓われてしまいそうだ」

「外れた……でも」


 もう一射できる。古風の二連式散弾銃は、悪魔を屠るにふさわしい絶大な威力を秘めている。

 胴体に当てることができれば、狩れる。退魔教会に迫る危機を振り払うことができる。

 ローズは滾り、怪物が吠える。どうやって敵を殺すか。既に戦術は定まっていた。


「うん?」


 ローズの突撃を、マモンは訝しむ。同様にマーセとケイも瞠目したが、ローズは釈明しなかった。

 散弾銃を構えながらズタボロの身体に鞭を打ち、がむしゃらに走る。そこへマモンはコインを一枚取り出して、ローズマリーへと狙いを定めた。


「僕の強さを侮る人間は多い。逃げ足が速い悪魔だから弱いと考えるエクソシストもね。でも僕は悪魔の中でも上位の強さを持つ。無策に等しい突撃では、僕には勝てないよ」

「知ってる……ッ!!」


 コインが弾かれる。進路を塞ぐように。直線的なコイン弾きを、ローズはいつでも躱せた。

 だが、躱さない。不審に思うマモン。名前を叫ぶマーセとケイ。しかしローズは厭わない。

 対処する必要はないからだ。銃弾が煌めいて、人に命でできた金貨を撃ち落とす。


「――ネフィリムか!」

「おおおおッ!!」


 回避行動に移るマモンへ、傷付いた左腕を使ってロープピストルを放つ。腕が千切れるような痛みが襲いかかるが、その苦痛を耐え忍ぶ。マモンの右腕を拘束し、転移を封殺。ロープを伸縮し、マモンへ奔り迫りながら、水平二連の狙いを奴の胴体へ定める。


「終わりよ、マモン!!」

「くッ、しま――ッ!!」


 轟く銃声。マモンの身体が引き裂かれる。

 銃撃に全身全霊を注いだローズは着地ができずに転がって、全身を打撲した。吐血しながらもふらついた足取りで立ち上がり、地面へ斃れるマモンへ視線を定める。

 そうして――気付く。マモンの身体が半透明になっている。


「しまった……!!」


 慌てて周囲に視線を凝らす。マーセとケイが案じてくるがそれどころではない。

 冷静な判断を下していれば、想定できたことだった。マモンの錬金術は不可能を可能にする。


「逃げられて……しまいましたね」


 蒼白の面持ちで戻ってきたシュタインがローズの本心を代弁した。マーセとケイが疑問視して、マモンの死体に見やる。二人も察した。これは本体ではなく、錬金術で創造した幻影であるのだと。


「くそ……そんなッ!」

『そう落胆することはないよ。もう僕は君に近づけない。君が僕の祓い方を編み出してしまったからね』

「何を言っているっ!」


 虚空から響く声に反論する。皆が周辺を捜索するが、マモンの姿は窺えない。


『確かに一度、僕はエクソシストに捕捉されかけたことがある。でもね、ここまで直接的に殺されかけたのは初めてだ。誇っていい。流石怪物だ。油断したら最後、無残に殺されかねない。僕は学び、そしてますます欲しくなった。僕を真なる意味で追い詰め、狩ろうとする怪物を』

「私が殺してやるっ!!」


 叫びながらも、頭では否定していた。もう殺せない。自分にチャンスが訪れることは二度とないだろう。

 マモンは逃げてしまった。一度逃れられたら最後、誰も捕捉することはできない。……その資格のある怪物のみしか。


『しばらく潜伏するとしよう。二度の嵐に備えて準備をしなければならないからね。――ローズマリー、君は僕が関心を寄せるに値する怪物だ。だから、僕も彼女のように忠告しよう。……気を付けることだ。敵は常に内側に潜み、機会を窺っている。独立を果たしたアメリカが、すぐに南北に別れて戦争したようにね。君が祓うべき真の獲物が誰なのか、見失わないように。ああ……彼に怒られてしまうかもしれないな』

「待て、マモン!」


 その忠告を最後に、マモンの声は途切れた。何度空へ叫んでも、彼の声が響いてくることはない。

 代わりに、別の声が聞こえた。弱り切ったか細い声だ。負傷したリュンが、申し訳なさそうに顔を俯かせている。


「ごめん……捕捉したんだけど、逃げられた」

「リュン……くっ……」


 敵に逃げられた悔しさと、仲間を傷付けてしまった情けなさ、自分の身体を貫くような痛みに耐えかねて、ローズは膝をつく。シュタインは精神的ダメージを負い、マーセも怪物が引っかかれた裂傷がある。ケイは無事だったが、リュンはローズと同じように左腕を怪我していた。


(借りを返せなかった……)


 死んでいった人々が浮かばれない。泣いて謝ったマリア女医や、堕落させられ殺されて、死んでいった人たちが。

 復讐を成す気はない。これは贖罪だった。それすらも満足にできないとは。


「代償は払ったが、それでもマモンは撃退できた。あの口ぶりじゃ、退魔教会にはもう戻ってこないだろう。これで教会は救われた。それでいいじゃないか、ローズ」


 マーセが気遣うように言う。ローズは虚ろな眼差しで彼女を見つめた。

 そうだ、それでいい。あなたたちは。でも私はダメなのだ。私は絶対に、奴を祓うべきだった。


「マモン……」


 奴の名前が口から漏れる。その拍子に、燻っていた感情が決壊したように流れ出た。


「マモン――――ッ!!」


 夜空へと、吠え叫ぶ。しかしその声に、悪魔が応えることはない。



 ※※※



 その叫び声を、リュンはケイに介抱されながら聞いていた。ローズらしからぬ人間味の帯びた叫び声に驚きつつも、心のどこかでは、彼女にはそういう人らしい部分があることを知っていた。

 付き合いの長い友人……親友であり仲間である。静かなようでいて、その身に潜ませる激情を、リュンは間近で眺めてきた。


(綺麗で強くて……カッコいい。大人びているくせに子どもみたいな……変わった子。初めて見た時から印象も……この想いも変わらない。あなたは私の大切な友人)


 ケイがローズを心配そうに振り返る前で、リュンは黒衣のポケットの中に手を入れる。そして中身を弄った。

 何かが擦れる感触。人の温もりを持った、不思議な魅力のある魔法の金貨――。


「ごめんね、ローズマリー」


 リュンの謝罪は、激昂するローズマリーには届かない。

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