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なりそこないの怪物

 いつもの如く休暇を勧められたが、ローズマリーは断った。戦いが近いと予感していたからだ。

 どのみち、この程度で折れるほどローズの怪物は柔くはない。むしろ敵が人々に危害を加えるほどローズマリーの怪物は荒ぶるのだ。

 退魔の花は輝いて、美しさを際立たせる。害虫を引き寄せて、毒を持って奴らを祓う。


「マモン……」


 ローズは感情を度外視して、まず祓うべき相手を見据えていた。サキュバスと関連があると思われる悪魔少女でも、退魔教会を混乱に陥れた謎の協力者でもない。目下の敵はマモン。金欲に纏わる悪魔。

 部屋の中で広げられるのは水平二連の散弾銃と大量の金貨だ。魔獣を殺す時、魔獣の素材を使って祓魔したケースの悪魔版を実行しようとしている。


「……」


 薬室を開いて、金貨を詰める。散弾ではなく、金貨を。

 マモンの驚異的な超常現象についてはある程度の理解をしている。例え銀弾だとしても、不可解な錬金術によって物理法則を歪められ、ライフリングに刻まれた祝福も効果を発揮しないはずだ。

 だが、奴自身の攻撃は? 命でできた金貨による散弾ならば?

 恐らくは防げない。奴は自らを殺せる素材を各地にばら撒いた。

 その心情をローズは理解できる。彼の望みを既に把握している。

 ゆえに、答えを放つだけだ。マモンの祓魔を持って退魔教会を救う。


「ローズ」

「シュタイン」


 声を掛けてきたのは純白の少女。彼女はローズの傍に立ち、作業光景を眺めた。

 瞬時にローズの意図を理解する。しかし、止めることはしなかった。

 水平二連に目を落として、感慨深く呟く。


「マスターを祓うのですね」

「そう。悪魔を祓うことこそが私の使命だから」


 ローズは銃だけを見つめて答える。シュタインは銃から目を離してローズを見つめ直した。


「では、私はローズに従いましょう」

「いいの?」


 ローズは作業を中断してシュタインと視線を合わせる。彼女の眼差しからは力が感じられた。

 以前の自我を求めて彷徨っていた子羊ではない。意志の灯した瞳。

 その意志はローズが植え付けたもの。自分の創造主すら破壊しようとする怪物――。


「ふっ」


 自然と笑みがこぼれる。自分を占うための合わせ鏡は、とことん悪魔にぞっこんらしい。

 彼女の存在がローズに力をくれる。己のすべきことを見失わせないでくれる。


「じゃあ行くわよ、シュタイン。マモンを祓いに。……借りを返しに」


 スリングを身体に通し、腰の位置へ水平二連を装備する。まずはウェイルズ卿に報告だ。

 奴を祓う許可を申請しに行く。


「はい、ローズ」


 シュタインは即座に返答する。その瞳は、ローズマリーを見つめて離さない。




 ウェイルズ卿は全てを予期し準備を進めていた。

 彼の執務室にローズが向かった時にはもう、マモン祓魔隊が構成されていた。見知った顔が多い。

 リュン、マーセ、ケイ。壺娘もいる。なぜか、コルシカも立っている。


「遅かったな、ローズ」


 マーセがにやけながら言った。準備をしていたのよ、と軽く釈明しウェイルズの前へ出る。

 彼は自分が譲り渡した散弾銃へと目を移し、


「使用弾薬は」

「マモンの金貨です。これならば奴を撃ち抜けます」

「確信は得たのか」

「おやおや、ウェイルズ、ローズ。今更そんな茶番劇を披露する必要はないでしょう」


 くすくすと笑いながら壺娘が会話に割り込んでくる。彼女の言った通りではあるが、癪でもあった。ウェイルズとの貴重な会話を台無しにされた気分である。不機嫌さをほんの僅かみせたローズだが、ウェイルズは気にすることなく先を促す。ローズも彼にならって、そのまま会話を続けた。


「ビーストにはかの獣の素材で構成された魔弾が有効。行けます」

「銀弾と魔弾。方式は違えど威力は保障済みです。退魔教会では銀弾が主流ですが、もし魔弾をご所望ならいつでも用意できますよ?」


 壺娘が割り込んでくるが、本題はそこではないのでローズとウェイルズは共に語らない。親子ですね、と壺娘は快活に笑い、リュンが口を挟んだ。


「ローズマリーの援護なら私たちにお任せください、ウェイルズ卿。必ずやマモンを祓ってみせましょう」

「リュン……」


 家族に魔の手が及んだからか、リュンはいつにも増してやる気だった。マーセがその様子に驚きながらも同調する。


「私たちはローズマリーと長年の付き合いがあります。任せてください」


 マーセの頼もしい請負にウェイルズは首肯する。そこへ口を挟んだのはコルシカだった。


「相手は人間のことをよく知る悪魔のようだ。気を付けたまえ。生きているエクソシストの方が、死んだ皇帝よりずっと価値があるのだ」

「ええ、わかってる」


 コルシカの助言を受け取って、水平二連へと目を落とした。舞台は整い、倒すための道具も手に入れた。

 後は登場人物同士の邂逅で全ての決着がつく。


「あまり思いつめないでくださいね、ローズさん」

「無理よ、それは」


 ケイの忠告にローズは首を横に振る。

 それは無理な相談だった。ローズの中の怪物は滾り、燃え、使命を果たす時を待ち望んでいる。

 獲物を狩る時を。獲物を祓う時を。


「良い目だ、ローズマリー。戦士の瞳。革命を成す、神に選ばれし乙女の瞳だ」


 精神を研ぎ澄ませる彼女を見てコルシカが感想を漏らし、


「…………」


 ウェイルズ卿が険しい表情で彼女を見つめていた。



 

 マモンはマリア先生を堕落させた。多くの人々を堕とした。それだけで個人的動機は十分だ。

 そこに、仕事としての意味合いも加わっている。公私混同するつもりはないが、入れ込むなと言われても難しい。

 悪魔少女と交わしたゲームのこともある。彼女とのゲームの段階を進行させる上で、マモンとの対決は必須事項だ。戦う動機と戦う理由。祓うための大義名分が名実共に揃った時点で、この邂逅は必至だった。


「部隊展開はどうする?」


 物思いに耽っていると、馬車に同乗するマーセが訊ねてきた。

 ローズマリーはかねてよりの予定を諳んじる。


「私が乗り込んで直接叩く」

「その方法が至極単純であり、明快であることは否定しません。ですが、ローズの身に危険が及ぶことも確実です」


 シュタインが問題点を指摘。しかし、ローズとしては今更安全第一で行動するつもりもなかった。

 それに、全員でかかっても逃げられてしまう。マモンの逃げ足の速さは悪魔一と言っても過言ではない。


「手早く片をつけないとダメよ。逃げられたら意味がない」

「ローズの言う通りよ。一度逃げられたでしょう? 逃げ場を塞がないと。せっかくシュタインが居場所を教えてくれたのに」


 やる気に満ち溢れたリュンがローズの意見に同意し、装備を点検しているシュタインに目配せした。

 ローズもシュタインへ視線を送る。マモン祓魔隊が編成された日の夜、機会を窺っていたかのようにマモンから招待状が届いた。ヒムの市街地から外れた郊外に、出迎えを揃えて待っている。そうシュタインに連絡が届き、急きょ出立することとなったのが現在だ。

 電報を用いて連絡し、既に民間人の避難は完了している。舞台と道具。どちらも整った。

 後は自分たちが訪れて、ようやく物語が完成する。祓魔師が悪魔を祓う物語が。


「コルシカの小説の良いネタになりそうね」

「とは言うがな。明らかな罠なんだ。もう少し慎重に……」

「罠だからこそ、ローズさんは突っ切りたい。そうですよね?」


 御者席で馬車を御すケイが話しかけてくる。その通りね、と答えローズは再び思索に戻った。

 正直なところ、一人でマモンと対峙したいという本音は一度祓魔に赴いた時から変わっていない。この場にいるみんなは心の底から信頼できる大切な仲間たちだ。だからこそ、単独で向かい誰の手も煩わせず決着を迎えたかった。

 だが、今更本音をぶつけたところで、彼女たちが易々と帰ってくれるはずもない。コルシカの招集に応じた時のように無断で動かれるよりは、自らが組んだ作戦の通りに従ってもらう方が、心情的にも良い気休めとなった。

 もっとも、所詮は気休めでしかない。仲間たちには逃げ道を塞いでもらうだけに留めて、自分でケリをつけるつもりでいる。


(奴は私を欲している……いや)


 考えを訂正。マモンが欲しているのは彼にとって特別な怪物だ。

 ローズのことは気に掛けているが、本命ではない。彼の言葉を思い出す。


 ――だから僕は、自分で創ることにしたよ。怪物を。僕に生の実感を与えてくれる強敵を。残念ながら――それは君じゃない。


(だったら誰だって言うの)


 何気なく馬車内を照らすあかりへと目を移す。自分が悪魔に狙われないことが非常に腹立たしい。

 悪魔は怪物である自分を標的にして、好きなだけ暴れればいいのだ。そこへ自分が然るべき処置を行う。

 もし自分がこの身を捧げることで人々に毒牙が向かないのであれば、喜んで自分の身体を差し出す。その決意はできている。

 だが、現実はそう上手くいかない。マモンの狙いがローズではないように。

 ローズはマモンが逃走を企てた場合のことをもう一度考え直した。


(地図は頭に叩き込んでいる。配置も万全。仲間についても問題ない……)


 ――誰が信頼できて、誰が信用ならないのか、その判断を誤らないように。もしかすると、敵が味方の中に紛れ込んでいるかもしれませんからね。


「……」


 壺娘の言葉が脳裏にこだました。同行者には注意すべし。彼女はローズがマモンの足跡を辿る時、そう忠告してきた。

 当時ローズはその警告を適当にあしらったし、今もう一度同じ警句を投げられても、また同じような対応をするだろう。

 だが、壺娘は無意味な助言を滅多にしてこない。彼女が何か、普段のくだらないこととは違う内容を口ずさんだ時は、それは意味のある言葉なのだ。多くの祓魔師は、彼女の助言に従って武器を選択し、堕落者や魔獣、悪魔を祓ってきた。

 だが、例え意味ある語句だったとしても、仲間を疑うなど論外だ。

 人を信頼できずして、どうして悪魔を祓えようか。


 ――自分の親に殺されかけたのに?


(黙れ)


 頭に響いた無名の声を黙らせて、ローズは水平二連へ目を落とした。

 手には切り札がある。怪物も疼いている。恐れる敵などいはしない。

 真に恐ろしいのは敵ではなく……自分を起因とした他者の死。それだけだった。



 ※※※



「機は熟した。つまりはそういうこと」


 祓場は人払いを終え、邪魔の入らない闘技場へと姿を変えた。

 観客である悪魔少女は戦場を俯瞰し、紅茶を嗜んでいる。賭けた対象はもちろん言うまでもないが、会話を交わす相手がいないのはほんの少し退屈だ。賭け事は、どちらが勝つか妄想し、会話を弾ませる時間が一番楽しいというのに。


「でも、すぐにその退屈さを紛らわす楽しい出来事が起こるわ。うふふ」


 面白いことは向こうからやって来ない。何か楽しい行事を観察するためには、何か手を打たなければいけない。

 そのことを悪魔少女は遥か昔に気付いた。マモンも今、それを実践するための足掛かりを作ろうとしている。


「マステマの気を逸らすためとはいえ、大掛かりな下準備ね、マモン。見物だわ。でも……純潔は守ってよね」


 やはり破瓜の痛みは己の手で与えなければ気が済まない。せっかく長い間見守ってきた怪物だ。


「頑張りなさい、ローズマリー。ずっと見ていてあげるわ。うふふふふ」



 ※※※



「静かね」


 選定された戦場は、静寂を守っていた。人々の喧騒はもちろん、敵の息遣いすら聞こえない。

 前者はこちらから手を打ったのだから当然として、後者が聞こえないのは意外だった。


「マスターはきっとどこかに」

「言われなくてもわかってる。手筈通りにお願いね」


 皆が首肯するが、反応は様々だ。マーセはどう見繕ってもローズの作戦に不満を抱いている。反面リュンは即座に自分が向かうべき位置を地図で確認し、シュタインは黙々とライフルを取り出した。ケイも散弾銃を点検しながら、ローズの指示に従う意思をみせている。


「マーセ」

「わかってる。お前の意見が正しいってことは」


 マーセは得物である大剣を抜き取り、腹を肩に置いた。


「マモンは絶対に逃がさない。今日で終わらせる」

「ありがとう」


 マーセは飄々と持ち場へ歩いていく。

 リュンもローズの傍に来て、声を掛けてきた。


「そう難しく考える必要はないわ。最低限、退魔教会からマモンを追い出せればいいんだから」

「あくまでもそれは最低限。やるからには最高の結果を出してみせるわ」


 リュンも指定された地点へ向かい始める。

 今度はケイがやってきて、心配の眼差しを覗かせた。


「大丈夫ですか? ローズさん」

「どうして?」

「何か嫌な予感がするんです。既に敵の術中に嵌まってしまっているような」


 ケイの意見は正しい。こうして招待された以上、敵の思惑通りに動いてはいるだろう。

 だからこそローズマリーの怪物は、最大限の力を発揮できるのだ。

 怪物を追い詰めてはならない。窮地に陥り不利になるほど怪物は成長し学習し、敵の喉笛を噛み千切るであろう。


「だから私はマモンを祓うことができる。そうでしょ? 信頼して」

「ええ、もちろん」


 ケイは二つ返事で了承しながらも、不安さを滲ませて立ち去った。

 最後に残ったシュタインが無言でローズの背後につく。大まかにこの区域の東西南北に部隊を配置するつもりでいたので、彼女の配置地点が南であるここだった。


「この場所を守って、シュタイン」

「拒否します」

「なぜ?」


 疑問系で返しながらも、彼女がそう言い返すであろうことを何となく予期していた。


「マスターは自我を得た私との再会を望んでいるはずです。ここは私があなたと同行するのが最善かと思われます」

「一理ある。けど私は」

「ローズは誰もマスターと戦わせるつもりがない」

「よくわかっているわね」


 事実なので否定しない。飼い犬が主人と似た行動を取るように、ローズが自我を与えた移し鏡もローズと同じ思考に至っている。さらに彼女はローズを複写するだけでなく、独自の思考を持ち合わせた兆候が見られた。今回の口答えもまたその一つだ。

 シュタインは人工物のような整った顔を街中へと向けて、


「あなたが何を望んでも、マスターの方は違います。私を引きずり込むでしょう。試験、なのですから」

「試験であり、試練。だとしても私は……」

「無駄ですよ、ローズ。ローズマリー」


 彼女はローズの前へ立つ。振り返ってローズを見据える。


「最善を尽くしてください。自分の怪物に言い訳せずに」

「……わかった。あなたを連れて行く」


 シュタインは自発的に主の意見を曲げさせた。ローズのためを思って。

 マモンは満足するだろう。考えて、ローズは思う。では、私を満足させてくれるのは、一体誰だろう?


「マスターはすぐ近くに。恐らく、向こうから声を掛けてくるのではないかと思われます」

「わかってる」


 不服さを露わにしながら、ローズはシュタインに追従する。それが地獄の淵へ繋がる道だと知りながら。

 しばらく歩を進めると、噴水のある広場に出た。平時であればにぎやかであろうそこは、馬車の往来はなく静寂だけが場を支配している。

 もう間もなく夜明けなので、本当なら新聞屋やパン屋などが起床するはずの時間帯だ。しかし、街には人の気配など微塵もない。

 代わりに、悪魔の気配がした。マモンの声が広場に響く。


『ようやく来たか。待ちくたびれたよ』

「待たせて悪かったわね」


 応じながら崩壊コラプスを構える。目を凝らしてマモンといるであろう来賓を探したが見当たらない。何らかの超常的力で存在を隠しているようだ。そこに何ら驚きはない。


「私は自我を獲得しました、マスター」


 シュタインも銃を両腕に収めながら言い放つ。マモンはそのようだね、と特に驚く様子もなく述べて、


『僕の期待した通りの結果だ。人形を面白いと感じるのは満たされない人間だけだ。満たされた存在からしてみれば、中身のない傀儡など面白味の欠片もない』

「なら、自我を持った人形に祓われることね、マモン!」


 ローズは声を張り上げる。一刻も早く戦いたい。

 マリア女医やエレンやヘレンの顔が脳裏にちらついている。彼女たちは自分の頭の裏側に表出し、糾弾してくるのだ。いや……違う。自分を責めているのは自分。他ならぬ私自身が、ローズマリーという怪物を赦せない。


『まぁ、そう急くな。ビジネスで成功する秘訣は焦らないことだ。じっくり時間を掛けて、機が熟すのを待つ。それが賢い選択だよ』

「残念だけど、私は愚か者なの。……早く出てこい」


 威圧的に呼びかける。と、不意に噴水の前へマモンが姿を現した。

 やれやれ。そう苦笑し、笑みをみせている。黒いスーツに黒のハットの男性。中肉中背。

 もし事前情報と異様な雰囲気さえなければ、普通の人間としても通用する出で立ちだ。しかし、祓魔師には通じない。


「人の真似をしても、私は騙せない」

「騙す意図はない――と言えば、嘘になる。異形の姿では人に恐れられてしまうからね。誰かと交渉する時は、そう、紳士的な立ち振る舞いでないといけない」

「私はあなたと交渉する気はない」

「だろうね。そうでなければ困る。僕はね、君の怪物を素晴らしいと思っている。観賞するに値するとね。だが、以前にも言った通り、僕を祓うのは君じゃない。僕にふさわしい怪物を創造する。そのためには、良い育成環境が必要だ。気長に待たなければならない。怪物が生まれ、目覚め、僕を殺しに来るその時を。……二百年ばかりはかかるかな? いや、それよりは短いか」

「……御託はいいわ。さっさと――」


 うんざりするローズの言葉を遮り、同意するようにマモンは頷く。


「――ああ、始めよう。おいで」


 指が弾かれる。瞬間、空から何者かが降ってきた。

 不思議とその光景に既視感を感じて、ローズはハッとする。状況こそ違えど、前回マモンを追跡した時と似た現象が起きていた。

 着陸の衝撃で土埃が舞い、風に吹かれてソレが姿を晒す。――シュタインに酷似した、しかし明らかに意思を喪失している半裸の少女が。


「シュタイン……いや」

「そっちの彼女は唯一の成功例でね。人為的な力をあえて使っているから、上手くいかないことも多いんだ。自分の手で自分が満足する人形を作るのは簡単だが、それではつまらないからね」


 虚ろな眼差しで、天使のような少女は歩く。翼を持たず、理性を持たず、唯一保持するのは異常的な食欲だ。彷徨う視線がローズに定まり、少女は獣のように吠える。常人なら背筋が凍り、動けなくなってしまうかもしれない。

 だが、ローズマリーは祓魔師。悪魔を祓う怪物だ。


「シュタイン、援護を!」


 指示を飛ばしながら引き金を引く。理性を保持しているのなら祓う気はないが、どう見繕っても彼女は人として持ち得るはずの決定的な素養を持ち合わせていなかった。完全な獣だ。欲望を律するための理性を与え損ねた失敗作なのだ。

 その証拠に、少女は銃弾をいとも容易く避ける。反応速度は堕落者のそれ。いや、それ以上。


「く……ッ!」


 ローズがレバーを操作し、薬室に次弾を送り込む。が、次撃も外れた。撃たれてから回避――。


(違う、撃つ前から彼女は!)


 彼女は被食者ローズをよく観察し、銃の動作を逐一確認している。どうすれば弾丸が放たれるか。

 そして、どうすれば弾丸を避けられるか。彼女はそれを知っていた。知識が脳内に埋め込まれている。


(判断する理性がないのに? いや、まさに、これは――)


 怪物。ローズマリーが生まれついて持っていた怪物が持つ殺しの極意。

 ローズは時に知識がない状況で最適解を導き出すことができる。ウェイルズはそれを怪物と呼び、悪魔と対等に戦うための素質だと教えてくれた。戦いながら学習し、攻略法を構築する。既知か未知かは問わず、必要な事項を必要な時に必要な分だけこなす能力。それが怪物。


「まさか――!」

「人は誰しも怪物を持っている。これが僕の考えだ。彼女を人間と定義するかはおいておくとして、別に、怪物を持っていても何らおかしくはないだろう? 確かに、君は特別だ。だが、それはあくまで生きている限りだね」

「ッ、この!」


 怪物少女が飛び掛かってくる。ローズは咄嗟に崩壊コラプスの銃身で防御したが、勢いは殺せず地面へ倒れ込んだ。少女は呻きながらローズを喰らおうと爪を立てる。銃身の前後を抑える腕が引っかかれて血が滲み出た。


「くそ、シュタイン! 何してるの!」


 援護を期待してローズはシュタインへ叫ぶ。が、彼女は呆然として怪物少女を目視していた。


「シュタイン!?」

「ああ、それは無理な相談だろう。君が堕落者相手に苦悩するのと同じことだ」

「……何!?」


 訊き返しながらも、瞬時に理由を思いつく。

 ここまでシュタインと瓜二つなこの少女は、もしやシュタインの姉妹か何かかもしれない。言わば、彼女はシュタインにとっての家族だ。だからシュタインはまともな判断を喪失している。

 自我があるから、戦意を失った。心を手に入れてしまったから。


「こういうことがあるから人間は面白い。これがただの人形なら、何も躊躇わなかったろうね。現に……」

「グゥゥ!」

「シュタイン!」


 怪物少女が狙いをシュタインに変更する。ローズが思いのほか抵抗したからだ。

 腹を空かせた獣は、すぐに食事にありつきたいと考える。しぶとい獲物と無抵抗な獲物。どちらに狙いを移すかは自明だった。


「くそッ!」


 ローズはロープピストルをシュタインの足元へと撃ち放ち、高速移動を行った。怪物がシュタインの喉元を食いちぎる前に崩壊コラプスの銃身を掴んで、以前と同じ加速を乗せた打撃を見舞う。

 怪物が短い悲鳴をあげて、進路から飛びのいた。ローズはシュタインを抱きかかえ、一時的に退避。手直にある建物へロープを発射。シュタインを安全な場所へ避難させようとする。


「シュタイン、無事?」


 しかしシュタインはまともな返事を返さない。ローズは今一度彼女の身を案じる。


「シュタイ……うッ!?」


 鋭い痛みが左わき腹を貫いた。乾いた発砲音と共に。

 ローズはロープピストルを手放して、シュタインと共に落下した。反射的に脇腹を左手で押さえる。

 手が真っ赤に染まっていた。祓魔師の黒衣からも血が滴っている。


「何で……」

「心当たりはあるはずだよ」


 マモンは愉快に語る。そう、彼の言う通り心当たりはある。理解もできた。

 ローズの心に潜む怪物も、驚くどころか喜びを隠しきれていない。

 だが、ローズの表情は驚愕の色に染まっていた。


「ローズ……自分が、制御できません……」

「シュタイン……!」


 シュタインが震える手でデリンジャーを構えている。妹を庇ったエレンのように。


「愛だな。サキュバスが感銘を受けたものだ。彼女の言う通り、同情は必要なかったね」


 その光景を見てマモンは愉悦する。コインを取り出し、弄んだ。


「この調子じゃ、彼女の期待に応えるのも難しいかもしれないな。……君の怪物、君の価値が、僕と、彼女の想像以上であることを祈るよ」

「シュタイン……ぐ……」


 出血が止まらない。背後では怪物少女が復活し、遠吠えをしていた。

 まさに狩場へ追い詰められた獲物。罠に嵌まった哀れなネズミ。


「それでも私はエクソシストだ……」


 瞠目しながらも覚悟を呟き、ローズは純潔イノセントを引き抜く。不本意な行動を強いられるシュタインと、自分を狩り殺そうとする怪物少女、余裕の表情で佇むマモンと対峙を続ける。

 撃鉄を起こす。負けられなかった。退魔教会の存続のために。

 自分の恩人と仲間を堕落させた男へ、借りを返すために。

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