双子の祓魔師
ウェイルズの聴取は難航していた。というより、謎の少女はほとんどマモンに関する情報を持ち合わせていなかった。
想定内ではあるものの、痛手であることは間違いない。可及的速やかにマモンの脅威を排除しなければならないのに、マモンは見つからず例え発見しても何処かへと姿を消してしまう。
となれば、残された手は一つだけ。ローズマリーはベッドの上で鎖に繋がれる少女を見つめていた。
「話すべきことは話しました」
少女は淡々と言う。今更さらなる情報を引き出す目論見はない。どうせ引き出したところでマモンにまた雲隠れされるのがオチだろう。
そう推測していたローズは淡泊に返答した。
「そうね。だったら次はやるべきことをして。私もあなたに与えるべきものを与える」
カギを使って枷を外す。ローズは独断で怪物を野に解き放った。
「おや、とうとう楔を外しましたか、ローズ」
にこにこと話すのは壺娘だ。ローズは少女に武器を与えるべく武器庫を訪れていた。医務室から少女を連れ出してからというもの、不思議がられはしたが、不審がれることはなかった。ここに来て、ローズの上級祓魔師としての特権が生きている。
「ウェイルズ卿は怒るかしら」
少女にふさわしい装備を見繕うローズはぼそりと呟く。壺娘はそんなローズにライフルを差し出した。
「怪物を放つばかりか、爪を研いですらあげるんです。普通なら怒るでしょう」
「そうよね……」
「でも、ウェイルズは普通ではありません。優れたエクソシストであり退魔騎士。退魔教会の守護者です。あなたもわかってるでしょう? 本当なら、こんな簡単に捕虜を脱走させることなんてできませんよ」
「ええ、わかってる」
壺娘にわざわざ言われなくても、よくわかっている。これはウェイルズの采配でもあるのだ。彼が許容するから、ローズは少女をここまで連れて来れた。ウェイルズは自分がマモンに辿りつけるか試している。全てはローズマリーを信用しての行動だ。少女が怪物だと聞いて、彼への信頼がほんの僅かにでも揺らいだ自分に怒りすら覚える。
「ローズは愉快ですね。この前と今日で、あっさりと思考がすり替わる。矛盾的思考。だから、人間ってのは本当に面白い。あなたもそう思いませんか? シュタイン」
「……私、ですか?」
少女が困惑。その戸惑いはローズも理解できた。
「シュタインって何? 名前?」
「そうですよ。フランケンシュタインから取りました。……フランケンシュタインは知っての通り創造主、博士の名前です。でも、呼び名が怪物じゃあ色々と面倒でしょう? それに被ってもしまいますし」
壺娘はローズに笑いかける。ローズは笑う気になれない。
「フランケンの方がわかりやすいわ」
「それもまた被ってしまうでしょう。誰でも思いつく安直な名前です。まぁ、それはそれで構いませんが、やはり少々趣向を凝らしたいところです」
「遊びじゃないのよ?」
「だからこそ、の提案ですよ? ローズ」
壺娘はあくまでも余裕だった。彼女の表情から笑みが消失することは有り得ない。常に、生という喜びを味わっている。人とは違う、他者とは違う、人生の楽しみ方を彼女は知っている。
その一つが武器製作だった。オーバーテクノロジーの銃器を祓魔師に与え、悪魔と戦う姿を見て愉悦している。彼女もまた、傍観者の一人だ。ゆえに油断できない。
「お? 私を疑いますか? それもまた結構です。悩むのがあなたの使命ですよ、ローズ。いっぱいいっぱい疑って、ぜひ疑心暗鬼に陥ってください。あなたの怪物が綺麗なままなら、犯人だけを殺すことができるでしょう。でも、まかり間違って穢れたら、疑わしき人間を全て殺してしまうでしょうね。そうして、世界は悪魔のものとなるのです」
「そんなこと、私はしない。それに、私が一番殺したいのは私自身よ」
ローズが本心を呟いても、壺娘は動じない。
「そしてまた、絶対に殺せないのもあなた自身ですよ、ローズ。怪物は怪物を持ってしても殺せませんから。コルシカに頼んで、記録でも残したらどうですか? 後世の怪物に向けたメッセージです」
「いいから、武器を用意して」
会話は不毛と判断したローズが早々に打ち切る。壺娘は残念がりながらも笑顔を絶やさない。装備を見繕い、シュタインのリクエストに応える。
癪だが、少女の名前はシュタインで決定だ。いい名前が思いつく予定もない。名づけの経験などローズには不要なのだ。
ボルトアクション式のライフルと、自動拳銃、デリンジャーと狩猟用サーベル、ロープピストルまでもが作業台に並べられている。これは全部、シュタイン用の装備である。
流石のローズもこの対応には不満を露わにした。ローズが武器を注文する時は、先に堕落者か魔獣を祓い、壺娘が自分の銃を使うに値するか吟味してからだった。その審査なしに、大量のオモチャがシュタインにはプレゼントされている。不公平だと思うのは、そうおかしなことではなかった。
「人生とは常に不平等で、不公平。片や肌の色が黒いというだけで所有物扱いされ、片や肌が白いというだけで我が物顔で差別する。世界がどれだけ理不尽なのか知っているでしょ? そんな子どもっぽい反応をしないでください。それに、彼女の実力はローズ、あなたもよくわかっている」
「わかってる。言われなくても、わかってる。だから何も言わなかった」
少々大人げない反論をして、壺娘は片目を瞑ってトントン、と指で叩く。
「すみませんねぇ、少しばかり目がいいもので」
「…………」
もう慣れている。壺娘の不快さは。
ローズはほとんどの祓魔師がそうするように、この有能過ぎる武器商人の小言を無視した。ただでさえ悪魔の思惑通り動いて気が立っている。これ以上、誰かに良い様に弄ばれるつもりはない。
退魔教会に戻ってきてからというもの、ずっと何かの陰謀に巻き込まれている気がしてならない。シュタインとの出会いも全て偶然ではなく必然で、自分は悪魔の掌の上をころころころころ転がっている。
そう思うと癇に障るが、そうすることでしか抗えないのなら不満は言わない。この借りはきっちり返すつもりである。
祓う時に後悔してももう遅い。奴らはローズの大事な物を奪ったのだ。
「準備が整いました、マスター」
「……何、それは」
今度の疑問はシュタインに向けられたものだった。シュタインはローズをマスターと呼び、跪く。
「あなたは私に自我を植え付けるのですから、暫定的にマスターとして認定されます」
「おお、良かったですね、ローズ。あなたは創造主ですよ」
「人が神のフリしたってどうしようもない」
壺娘の茶化しを受け流して、ローズはシュタインを見下ろす。この天使は、主人に仕えるよう調整されている。創造物は創造主を愛する。人間は神を敬い、愛し、救いを乞う。無神論者でさえ、心のどこかで神という概念を信じている。
ある種、呪いのようなもの。それでいて、絶大な力を与える祝福。
神と悪魔は人より上位の存在として同じように見える。それと同じでシュタインの視点では、マモンとローズマリーでさえ仕える主としては大差ないのかもしれない。
自分は神ではないし、悪魔と同等とされるのは気に入らないが、都合がいいのは事実だ。
「わかった。でも、マスターって呼ぶのはやめて」
「では、何と呼称しましょう、マスター」
ローズはうんざりした口調でお願いをする。
「私のことは名前で呼んで」
「では、そのように。ローズマリー……ローズ」
シュタインは自身に刷り込むようにそう言い直し、ローズは微妙な面持ちとなる。この少女は自分が死ねと言えば快く死ぬだろう。何の不平も抱かず、疑問を感じることもなく、ただ自分の使命を全うするためだけに死ぬ。
本当の意味での人形。フランケンシュタインの怪物は彼に伴侶を寄越せと要求したが、シュタインはローズにもマモンにも何一つ要求しない。
それをローズは変える必要がある。あらかじめ設定された原子欲求ではない欲望を、彼女の心に芽生えさせる。
「プロメテウスの気分ね」
「では彼女はパンドラの箱、或いは壺ですか」
にやり、と笑って壺娘は近づく。パンドラが開いてしまった箱にはあらゆる災厄と、希望が眠っていたという。その話には別の説も近年浮上している。
パンドラの箱に眠っていたの災厄と……。
「これを差し上げましょう。必要になりますよ、きっと」
壺娘は壺を顎で示す。大きめの壺の中には擲弾発射機が二つ入っていた。ローズとシュタインはそれぞれ受け取ると、ふさわしい任務を選定するためにエントランスへと向かっていく。
「楽しみですね、ローズ。シュタインにどんな自我が芽生えるのか。……あなたがどういう人間なのか」
――予兆である。ゆえに、人類は絶望せずに生きられるのだ。
壺娘は笑う。言いつけを破り箱を開いてしまったパンドラに、希望を与えた予兆のように。
掲示板には連日、多くの依頼が張り出されている。悪魔が絡んでいる以上、どれも重要な案件であることは間違いないが、ローズは自分の力量にふさわしい依頼を選ぼうと取捨選択していた。より困難な任務。危険に曝される仕事をピックアップする。
(シュタインには後ろで見ていてもらう。あの子は私の言うことなら何でも聞くから大丈夫)
ある意味、友人たちよりも信用できるかもしれないと考えて、ローズは皮肉気な笑みを浮かべた。友達は自分を救おうと、自分の望まないことをする。やめてとお願いしているのに、命を投げ出して自分を助けようとする。
その行為がとても嬉しくて、同時にとても不安にさせられるのだ。その点、シュタインは安心できる。安全地帯から動くなと命令すれば、死地に赴くこともない。
自我が備わる友達よりも、自我のない同行者の方が気楽かもしれない。
(何を考えてるのかしら、私は)
自分の思考に嫌気が差して、ローズは依頼文を眺めることに集中する。そこへ、唐突に声が掛かった。
「……何?」
「す、すみません、ローズマリーさん」
振り返ると自分よりも年下の祓魔師が緊張の面持ちをしていた。茶髪の少女だ。
「何か、用? 邪魔だって言うならもう少し――」
待って、という頼み言葉はシュタインに遮られる。
「彼女はあなたに用があるようです。ずっと機会を窺っていました」
「は、はい、その通りです……。あなたの噂はずっと耳にしていて……相談に乗ってくれるかと」
「私に?」
ローズは少女に向き合った。意外さを含む眼で彼女を見る。こともあろうに自分に相談を持ちかける。それが不思議でならない。相談事にふさわしいウェイルズか、もしくは人生経験の積んだ歴戦の祓魔師を頼るべきだ。
だが、彼女はあえて自分を選んだ。怪物を持つローズマリーを。
「いいわ。話を聞きましょう」
「では、こちらに……。あまり聞かれたくない話なので」
少女が周囲をきょろきょろと見回す。その行動と言動で、何となく内容を察したローズは気を引き締めて、彼女に追従していった。
誰もいない物静かな通路で少女は止まり、ここなら大丈夫そうです、と安堵する。口を開いた彼女に先手を打つように、ローズは答えを投げた。
「堕落者ね?」
「っ、そ、そうです。い、いえ、確実にそうと決まったわけではないんですけど」
案の定、ローズの推測は的中。眼が泳ぐ彼女にローズは質問を続けた。
「誰? 家族? 恋人? 友人?」
祓魔師でありながら苦悩し、わざわざ若輩者であるローズに相談を頼んだ理由。そんなものは、殺すべき相手を殺したくないから、という理由ぐらいしか思いつかない。
ローズが挙げた候補の中で、一番動揺が大きかったのは家族だった。
「家族か。……父親、母親? 兄弟?」
「妹、です。双子の……」
「双子」
ますます厄介だ、とローズは心の中で思う。ただでさえ、肉親を祓う時に祓魔師は暴走しやすい。そのため、身内が堕落した時は、全く縁のない祓魔師による討滅が慣例となっている。ローズがマリア女医を祓ったのは例外中の例外だ。
通例に倣い、ローズは少女の肩に手を置いて、諭した。
「あなたはこの件に関わるべきじゃない」
「嫌です! 私の家族なんです!」
少女は手を振り払う。気持ちは痛いほどわかった。シュタインはそんなローズの感情変化を、遠くから見守っている。
「みんな同じことを言う……確証を得たわけでもないのに! でも、あなたなら、わかってくれると思って……」
ヒステリックに少女は叫ぶが、なぜ彼女が自分に期待しているのかローズはわからない。むしろ、そういう事態には他の祓魔師より冷徹に対応するのが自分だと言うのに。
ローズの疑問に答えるように、少女は言葉を述べた。
「……実は、妹があなたに憧れてたんです」
「私に?」
これには意表を突かれて、ローズは目を丸くする。
「妹も、共感性が高かったんですよ。堕落者に。それで一度、エクソシストを辞めるか悩んでたんです。そんな時に、あなたとウェイルズ卿の話を立ち聞きしてしまったようで」
語られたのは、ウェイルズ卿に承諾を求める過去の自分についてだった。
堕落者を祓うのは自分に与えられた役目である。堕落者と共感できるからこそ、堕落した原因を他の祓魔師より明確に理解でき、傾向を読み対策を立てることができる。
昔のローズはウェイルズに、そう訴えていた。
ロンドン支部行きを了承してもらうべく必死に言い放った言葉の羅列だ。当時の意見はほとんどウェイルズとマリアの教えによって構成されていた。つまり、ただのオウム返しだったのだ。それでも自分が彼らに教わった意見は正しいとして、強く反目した。
そのことを思い出すと、少しだけ恥ずかしくなる。しかし眼前の少女はローズの気持ちなど露知らず、
「それで、妹は頑張ることにしたんです。共感できるからこそ、やれることがあるって。……その後すぐにあなたは発ってしまって、妹は残念がっていましたけど」
「……」
ローズは黙考する。今の話を聞く限り、自分には責任があると思う。リュンやマーセ、ケイは頭を振るかもしれないが。
自分の言葉のせいで、少女の妹が祓魔師を続け結果として堕落してしまったのなら、それを解決するのも自分であるはずだ。そう結論付けて、ローズは了承の意を伝える。
「わかった。調査をしましょう。できる限りのことをさせてもらうわ」
「本当ですか……!」
「まずは家に行きましょう。馬車の手配を」
「は、はい」
「あ、それと」
馬車を準備するべく駆け出そうとした少女を呼び止める。最初に訊ねるべき事柄をまだ聞いていなかった。
「あなたの名前を聞かせて。私はローズマリー。あの子はシュタイン」
「そ、そうでした! 私の名前はエレン。妹の名前はヘレンです」
自己紹介を終えると、エレンは馬車の申請へ向かう。その姿を見送るローズを、シュタインが興味深そうに観察していた。
「ローズは責任感が強い。通常の人間よりも」
三人がまず向かったのはエレンとヘレンの家だった。二人は双子であるためか、普通の姉妹関係よりも絆が深いようだ。
常に情報を共有し、包み隠さず話していた。それが突然、疎遠になってしまったという。
それだけならただの仲違いで済まされそうなものだが、事情が一風変わっていた。悲劇的な方向に。
リビングに腰を落ち着かせたローズとシュタインに、エレンは事情を説明し始めた。
「ヘレンには好きな人が……まだ片想いの段階だったんですけど」
「……死んだの?」
ローズの単刀直入な質問に、反対側に座るエレンは眼を逸らす。
「はい。彼もエクソシストでした。……ヘレンの目の前でビーストに食われたんです」
「よくあることね」
ローズは窓の外へと目をやる。
外は幸福が満ち溢れていた。恋人と思われる二人組も歩いている。傷心した人間にとって、ここはあまり良い環境ではない。他者の幸福は、時として鋭利な刃物のように心を抉る。
「家出なら、いいんだけど」
「私も家出であって欲しいです……! でも、噂を聞いて」
「噂?」
興味を惹かれる。エレンが妹が堕落したのではないか、と疑惑を抱いた原因。
「私と……妹とそっくりな少女が、夜な夜な墓を荒らしていると」
「墓荒らし……ふむ」
ローズは無表情で二人のやり取りを記録するシュタインを一瞥した後、エレンを促す。
「掘り起こされた墓は、つい最近亡くなった人のものばかりです。つまり……」
「新鮮な死体が入っていた棺ばかりが狙われた」
脳裏をよぎるのは、怪物の作り方だ。
これが一般人による墓荒らしならば、少々面倒な事件ではあるが対処は容易い。墓を荒らす現場を押さえて説得すればいいだけだ。そんなことをしても、好きだった人は蘇らない。蘇生術は存在しない――そう強く言い聞かせれば。
しかし、ヘレンは祓魔師だ。死肉を集めてたところで、人間の力ではどうしようもないことを知っている。……人間の力であれば。
「あなたの心配する理由がよくわかった。……悪魔に誘惑された可能性が非常に高い」
好きな人間が死んで絶望した少女の元に、蘇生する術があるという啓示が降りたらどうなるか?
妄信し、声に導かれるまま言う通りに動いてしまうに違いない。通常のケースなら祓魔師が悪魔の囁きに乗ることなど有り得ないが、ヘレンが精神的に衰弱していたのなら可能性は排除できない。
今回は無知ではなく、既知であったことが仇となった。祓魔師である以上、悪魔の超常的な力に触れる機会は多い。悪魔の力を借りれば、確実に蘇生できる。ヘレンはわかっていた。片想いの相手が生き返ることも。自分が異形の姿へと変わり果ててしまうことも。
それでもいいと、吹っ切れている。自分が犠牲になることで彼とまた出会えるのならそれでいいと。
「くそ……」
あまりに厄介な事件だ。自覚している以上、口頭での説得は難しいだろう。
しかし、噂が真実ならまだ救える可能性が残っているのも事実。悪魔と直接契約を結んだのなら、片想いの相手はとっくに蘇り、ヘレンは堕落者として跋扈しているはずだ。まだそのような報告はない。堕落させしていなければ、間に合う。
一刻の猶予を争う事態だ。手をこまねいてる暇はない。ローズの方針は固まった。
「裏を取って、罠を張る。それでいい?」
「は、はい!」
エレンが顔を輝かせる。席を立とうとしたローズに、シュタインは冷静に意見を述べる。
「早急過ぎる気もしますが、ローズ。信用するのですか? 嘘を吐いている可能性もあるのに」
「だから裏を取るのよ。疑心も必要。信心も必要。どちらか片方を疎かにした者を愚か者って言うの」
「なるほど」
シュタインは手記にペンを奔らせる。その様子を見ながら、ローズは別のことを考えていた。
もし仮に騙されていたとしても、それならそれで怪物が興奮するだけ。そう思って、自分の思考に嫌気が差していた。
シュタインが視線を上げたため、目が合う。ローズは気まずくなって、顔を背けた。
※※※
「命とは、何か」
闇が支配する時間帯、真っ暗な墓地の中で、声が聞こえる。語り部は饒舌に語るが、聞き手は意にも留めない。
ざく、ざく、ざく。シャベルで土を掘り起こす。無心の、どこか壊れたような表情で。
「生とは、何か」
墓の周りの地面が掘り起こされる。その周りをくるくる歩く少女。
否、悪魔。紫の髪を持ち、露出の多い恰好。取り分け目立つのは背中に生えた羽だ。天使のようにも見えるが、決定的に違う。黒い翼だ。
「そんなの、考えたってしょうがない。人間は享受することしかできない。創生は不可能。全ての知識は神と悪魔によってもたらされた。人間は、それを自分の力だと誤解していい気になっているだけー」
少女は愉快に笑う。しかし、墓荒らしの少女は笑わない。虚ろな表情で、一心不乱にシャベルを動かしている。
「あなたは結局、他者から貰うことしかできなかった。私たちについての知識も、別の人間から与えられた者。それを与えた人もまた別。別人が別人に語り継いで、知識を自分のものとして吸収する。歴史学なんてのを作って、どれだけ過去の人間が偉大だったか証明しようとする。儚いって、脆いって大変だよねー。まぁ、姫様はそういうのが好きらしいけど、下級悪魔の私にはわからないや。でも」
悪魔は少女に近づいて、その頬に口づけをした。少女の顔から精気が失せる。シャベルが落ちて音を立てた。
「私はあなたがだーいすき。あなたみたいな人間が。自分の性欲を肯定するために愛なんて概念を作って、自分たちの行為が清く美しいものであるかのように主張する。面白い面白い。人間はプライドが無駄に高くて、バカにされるのが嫌い。格好をつけるのに必死だ。でもさ、考えてみてよ。頭がいい人はバカにされても気にしないよ? でもさ、バカな奴はバカにされるのを極端に嫌うんだよ」
「か……ふ……」
少女は息を漏らして、よろめく。悪魔はその身体を支えて立たせた。
「ダメダメ。死んじゃダメ。彼に会いたいんでしょ? あなたが性欲を満たそうと努力することで、私の会いたい人にも出会えるの。姫様、ここんとこずーっと、構ってくれないんだもん。どんな奴が姫様を虜にしたのか気になってしょうがなくて」
「わたし……は……」
「君は? そう。一生懸命、パーツを集めるの。私が誰かから精液を取ってきてあげるから、あなたの卵子と組み合わせて命の源を作る。そうして、継ぎ接ぎ死体に注ぎ込んで、命を復活させる。これはね、とっても大事な儀式なの。ま、本当はこんなことする必要ないんだけど、今のあなたには気付けないよね? だってもう半分、死人だもの」
「死体……墓、掘る……」
少女は茫然としながらもシャベルの柄を掴み、悲鳴を上げる身体を酷使する。
悪魔は悦んで、褒め称えた。
「そうそう、いい子いい子。精子提供者のリクエストとか、ある? 母体を変えるって手もあるよ? 例えば、あなたのお姉さんでもいいし」
「ねえ、さん……」
「おっと、希望を見出しちゃうのか。恐ろしいね、愛は。姫様やマモンは崇高なものだって言ってる。愛ほど美しいものは存在しないって。でも、私にはさっぱりわからないやー。セックスの隠語としか思えないな。ねぇ、あなたは私に愛をみせてくれる?」
嬉々として問いかける。質問者は問いを投げる。
しかし、回答者は望む答えを発しない。ただ闇雲に土を掘り起こしていく。
「愛……ロレンス」
ざっ、ざっ、ざっ。死者を覆う土が奪われていく。
「エレン――」
棺が土の中から姿を現し、少女は疲労困憊とした動きで棺の蓋を開ける。必要な部位を吟味して回収すると、死人めいた足取りで墓地を後にした。
血がこぼれる。少女から漏れ出ているのか、死体から溢れているのか、少女には判別がつかない。――判断を下すための自我を、喪失している。




