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神、或いは悪魔

 夜風が吹く塔屋上で、ローズマリーは白髪はくはつの少女と銃を向き合っていた。金と白、銀と金。異なる色を持つ二人は、全く同じ動作で視線を交差する。

 ローズは銃を向けながらも、殺意は乗せていなかった。正確には、殺すべきかどうか迷っている。

 十中八九敵である、とは考えていた。異質な存在感を醸し出すこの少女を。しかし殺すべきなのか?

 相手の正体はなんだ。人か、天使か? 堕落者か、悪魔か? 堕落者ならば、悪魔ならば躊躇いなく祓おう。だが、そうでないのなら――。もし、利用されているだけの人間ならば殺すことは憚られた。

 人道的理由。祓魔術の基本という観点と、マモンに関しての情報を引き出せるのではという淡い期待。この二つを鑑みて、あえてローズは問い直した。


「あなたは、私の敵?」

「あなたは私の敵です、怪物」


 未知のテクノロジーを有する鎧を身に纏う少女は臆面なく答えた。

 こうなれば、ローズとしても交戦は致し方ないと思う。仕方ないなら、それでいい。忌避するのは仕方がなくない殺しであり、やむを得ないのならむしろ積極的に武力を行使する。それが自身の祓魔術だ。


「後悔しないでね、天使!」

「――ッ!」


 先制射撃を行うと、天使のような儚さを持つ少女は驚異的な速度で交わした。反応速度が堕落者のそれである。驚嘆しながらも、ローズは銃撃を止めない。

 しかし、ローズの射撃技能を持ってしても、少女を撃ち抜くことはできなかった。今度はこちらの番と言わんばかりに拳銃で撃ち返してきたので、柱の陰に隠れて継承サクセションに持ち変える。再装填は後回しだ。

 自動拳銃オートマチックピストル同士の応酬。いずれ、世界は機械化していく。イギリスで開発が進む自動の車のように。産業革命は人間を高みに昇らせ、神により近くなったと自惚れさせる。それを見て、悪魔は嘲笑うのだ。また哀れな奴隷が、主人になったと誤解しているぞ、と。

 そんなことはさせない。人間を諭す存在として、まだ退魔教会は必要なのだ。

 ローズが強敵を前に己の意志と怪物を膨らませていると、銃使いにとってなじみある音が聞こえてきた。弾切れの音だ。あの変な装飾の施された拳銃を用いるのは初めてだったのだろう。不慣れな銃を交戦状態で使用すると、応戦に夢中で弾数を忘れてしまうのはそう珍しいことではない。


(好機か……!)


 ローズは意を決し身を乗り出した。装填するにも装備をライフルに切り替えるにしても若干ながら隙が生じる。未知の銃器を扱う恐れのある謎の敵に対して、悠長な銃撃戦を繰り返すつもりは毛頭なかった。ゆえに、少女のカバーする壁陰へレイピアを片手に飛び出し――。


「剣!」

「格闘戦へ移行します」


 剣での斬り合いへと勝負は変化する。これまた派手な刻印を拵えた剣を、白の少女は振り上げた。

 ローズは銃の扱いが上手いが格闘戦も不得意ではない。怖じることなくレイピアを突き、


(なんだ、この力は!)


 少女の腕力に恐懼する。大人や子ども、男や女という垣根を超えた次元の力だった。まさに堕落者の、悪魔の力。レイピアが危うく腕から離れそうになり、ローズは後退。ローズが飛び去った瞬間、少女は横切りを見舞い、鋭い刀身が壁を切り裂いた。


(格闘戦は不利!)


 瞬時に近接戦闘を中断し、水平二連を構える。勝利を確信し、引き金に指を掛けた。素早さと防御力は両立できない。鎧か少女特有の身体能力かは不明だが、至近距離での散弾を回避できるはずはない。

 ローズが撃発。散弾が銃口から放たれる。果たして、ローズの予想は的中した。


「何……ッ」

「く……」


 予想の斜め上の方向で。少女は両手を組んで顔を守った。とかく守るべきは急所である顔。そう言わんばかりに防御を行い、見事防ぎきってみせたのだ。衝撃が身体を射抜いたのか、苦悶の表情は浮かべている。しかし、外傷はなく鎧も退魔騎士の鎧のように頑強で、へこみはできたがそれだけだ。

 咄嗟に二撃目を穿とうとしたが、敵もそう易々と許してくれない。少女は剣を投擲し、ローズは屈んで回避した。横回転する剣がローズのハットを巻き込んで地上へと落ちていく。


「チッ!」


 このままでは押し負ける。そう考えたローズは舌打ちし、階段へと逃げ込んだ。その瞬間にも少女は拳銃を装填し、見たことのないような円状の弾倉(ドラムマガジン)に付け替える。本能的に、あれは大容量マガジンだと判断を下したローズはロープピストルを反対側の段へ向けた。

 真横に移動するローズに階段へとやってきた少女が銃撃をする。ローズは縦横無尽に螺旋階段を動き回り、タイミングを見計らって着地すると崩壊コラプスを撃ち放った。

 こちらを撃ち落とすことに専念していた少女は回避も防御もできずに直撃。右胸に当たったが、黄金鎧に弾かれて、呻くことすらない。明らかに反応が変わっている。


「なぜッ!」


 ローズに降り注ぐ鉄の雨。ローズは走りながらロープを撃って、反対側や真上の壁や階段に移動し続けた。止まる時は反撃する時か死ぬ時だ。知能を持った敵と戦うとはそういうことだ。

 ローズはロープピストルで空中をクモのように移動しながら、右手ではレバーアクションでしかできない独自のコッキングを行う。スピンコック。レバーを支えたまま銃本体を回して薬室に弾薬を送り込み、威嚇の意味を込めて左腕を支点に放つ。偶然にも、こちらも的中。


「くッ……!」

「?」


 すると、また少女が苦しんだ。左脇腹に当たっただけであるはずなのに。

 瞬間、ローズは思い当たる。なぜ少女が左脇腹に苦痛するのか。パズルが組み上がるように考え至った。

 何ら難しいことではない。そこに少女は銃創があるのだ。


「あの時の狙撃手!」


 あの少女はマモンの配下の男を狙撃し、コルシカや仲間たちも撃った張本人。事故を起こして死んだとばかり思っていたが、コートを脱ぎ捨てて逃げ果せていたのだ。

 だから、逃走中にローズに撃たれた箇所が痛む。あれから数日と経っていない。マモンの錬金術を用いても治療は間に合わなかったと推測できる。

 もしくは意図的に傷を残したか。今はどちらでもいい。

 再びスピンコックをして、ローズは階段へ着地。撃たれる前に先手を打つ。


「ぐぅ!」


 苦しみ喘ぐ少女。そこへローズは容赦なく銃弾を注ぎ込む。レバーを動かし段を駆ける。少女の脇腹を狙いやすいように徐々に距離を詰めていく。

 もし弱点がない状態での射撃戦であれば、先に進むごとにローズは追い詰められていた。しかし、少女は弱点を庇おうとして狙いが定まらない。左腕で顔をカバーしながら、身体を逸らして脇腹を隠す。

 ローズの位置から弱点が視えなくなる。――その瞬間を待っていた。


「銃が無防備よ」


 ローズは狙いを少女の持つ拳銃へと変え、発射。弾丸で撃ち落とされた拳銃が螺旋階段の中心部へ舞う。


「ッッ!」


 少女は拳銃に一瞬気を取られたが、すぐにボルトアクション式のライフルを取り出した。単眼鏡のようなものでローズに照準。しかし、ローズはロープで天井に張り付いて、既に少女へ銃口を定めている。

 ライフル銃を構えたせいでがら空きとなった――少女の頭部へと。


「しまッ!」


 スコープ越しに殺意の銃口を目視した少女は顔を離し、ローズの弾丸がスコープと少女の右頬を貫通する。少女はデタラメな射撃をしたが、ローズには当たらない。ロープを少女の右腕へと絡み付け、そのまま加速する。弾切れとなった崩壊コラプスの銃身を握りしめて。


「――うおおおおッ!」

「く、うッ!」


 少女がボルトを引き戻すが、ローズの接近速度の方が速い。

 気合の叫びと共に振り回した銃床の打撃が、少女の意識を刈り取った。



 ※※※



 自分が何者であるかなど、些末な問題だ。

 少女はずっとそう考えてきた。重要なのは自身の出自ではなく、何を成すべきなのか、ということだと。

 タイプライターの音が響いて、少女は目を覚ます。目の前には、自分の主が立っていた。


「マスター」

「やぁ、目覚めたか。……入力作業は滞りないようだね」


 意味不明にも思える呟きは、少女ではなく白衣の男に放たれたものだ。男は頷き、主は金貨を指で弾く。

 男は恍惚とした表情で床を転がる金貨を追いかけた。少女にはなぜそこまでソレに男が固執するのかわからない。


「君、自分が何者か考えたことあるかい?」

「いいえ。思考意義のある議題とは思えません」


 少女は即答し、主はご満悦だ。主の笑み。喜び、愉悦。少女の快楽は主の快楽と連動している。主が悦ぶことで少女も生きる悦びを味わえる。主に奉仕することこそが、少女の生きる意味だ。それさえわかれば、それ以外の概念は無駄である。


「神は、自分に都合の良い存在として人間を創り上げた。なるほど、心地はいいね。全て、自分が想う通りに行動する操り人形。だが、それではつまらない。だからリリスは反発し、我らの陣営へとなびいた。至極当然のことだな」


 主は全てを知っているかのように語る。事実、主は少女の知らない世界を、物語を知っている。


「神々は退屈だ。しかし、退屈を許容できる。生憎、僕たちはそうはいかない」


 マモンは少女の寝るベッドの隣に立ち、少女の頭を撫でる。強烈な快楽が少女の身体を駆け巡る。

 異性を湧き立たせるであろう魅惑的な吐息を少女は漏らす。頬は紅潮し、快感に悶えている。

 その手が唐突に、止まる。少女はせがむように主を見上げる。

 主はその眼差しに――失望を乗せた。


「やはり、これではダメだ。……グリゴリは本来忠実であるその意志を、人を愛することで歪めた。現状では、ただの奴隷だ。それもまた一時いっときはいいだろう。しかし、長期的になればそうはいかない。儚く弱い人間は、それで満足するかもしれないが……僕たちのような上位存在を満足させてはくれない」

「マスター……?」


 主はそっと手を離す。少女を直視して、質問を返す。


「僕が君に求めるものはなんだと思う?」

「絶対的な服従。隷属的奉仕。私は例えこの命を差し出しても、あなた様に仕えます」

「いいや、残念だが違う」

「え……?」


 少女は呆ける。自分の存在意義が揺らいだような気がした。

 主は少女が持ち合わせない概念を告げた。淡い期待を寄せながら。


「僕が君に求めるのは、自我だよ」


 主は笑みを浮かべながら、そう言った。




「ここは……」


 少女はゆっくりと目を覚ました。頭部に酷い痛みを感じるが、行動に支障はない。

 立ち上がろうとして、その少女の存在に気付く。金の髪を持つ、悪魔祓いの花。怪物の少女。


「動くな」


 祓魔師が、少女にリボルバーを突きつけている。


「動いたら、殺す」


 祓魔師は拳銃を向けながらも引き金を引かない。今なお生きているということは、何らかの情報を引き出す目的があるのだろう。

 主に関する目的を、祓魔師が収拾しようとしている。

 ならば少女に躊躇う理由はない。


「――殺すって言った!」


 祓魔師が焦る。少女は警告を無視し平然と祓魔師に殴りかかった。

 端から、死ぬことが目的である。ここで自身が生き残れば主に何らかの害を及ぼす恐れがある。なら、なぜ生に執着する必要があるのだろうか。自分の命は、主人のために存在するというのに。


「殺せ!」


 少女は祓魔師に攻撃を加える。自分の殺害を促しながら。

 しかし、祓魔師は殺せない。貴重な情報源を喪う訳にはいかないからだ。

 ならば、こちらの行動もおのずと決定される。少女は祓魔師の腕からリボルバーをひったくり、側頭部へと突きつけた。


「止めた方がいい」


 祓魔師がゆっくりと諭す。しかし、少女は聞く耳を持たない。

 引き金を動かす。カチリ。……まだ生きている。


「――っ」

「だから、言ったでしょう? 間抜けさを露呈することになるから」


 祓魔師は少女が自殺することも見抜いて、あらかじめシリンダーを空にしていたらしい。

 祓魔師は少女よりも上手だが、甘い。もし自分が首を絞めて返り討ちにしたらどうなることか。試してみるのもいい。そう考えて、背後に女騎士が立っていることを把握する。


「万全を期してるの。あなたは強敵だから」

「まぁ、そういうことだから死ぬなよ。何か強要されてるのか知らんが……」

「私は何も強要されてなどいません。私は自分の意思でここにいる。自我を持って、この場にいる」

「自我を持っている人間はそんなこと言わないわ」


 祓魔師は淡々と言う。舌を噛むか悩んでいた少女は、その言葉に揺れた。


「私はあなたが誰であろうとどうでもいい。堕落さえしてなければね。私はマモンに関する情報が欲しい。あなたはどう? 何を求めてる? 死を選ぶ? 生を選ぶ?」


 祓魔師は試すように訊く。また試されている。少女の中で迷いが生まれる。

 このまま死ぬことは、主人が望むことなのか。主人は試験だと言っていた。これは運用試験だと。

 自分で考えて行動しろとも、主人は伝え残した。そもそも、主人は祓魔師を敵だとは一言も言っていない。

 死ぬべきか、生きるべきか。死ぬのは簡単で、生きるのは困難。生はいつでも取り返しがつくが、死は一度死んだら最後、やり直すことはできない。


「……降参、します」


 少女は両手を上げて膝をついた。赤髪の女がホッと息を吐き、金髪の女も安堵の表情を浮かべる。

 不思議な感覚だった。目の前の少女は――自分よりも、自分の生に喜んでいる。そんな気がした。



 ※※※



 マモンを取り逃がすという最悪な事態に見舞われたが、その配下を拘束することで手がかりを得られた。

 大聖堂へと謎の少女を連行したローズマリーは、治療室で横になる彼女にさっそく尋問を開始する。鎖に繋がれる彼女は、罪を犯して拘束された天使を彷彿とさせた。


「まず、あなたの名前を聞かせて」

「名前など、ありません」

「……」


 ローズは隣に立つマーセと顔を見合わせた。名前がないなどということは有り得ない。しかし、有り得ないこともまた有り得ない。

 すぐさま訂正し、次の問題を投げる。重要なのは彼女の名前ではないのだ。少なくとも、現状は。


「そう。じゃあ、名無しさん。……マモンはどこにいる?」


 単刀直入に訊く。回りくどいのは嫌いだった。

 少女は躊躇いの色を瞳に含みながらも、首を横に振る。


「わかりません。マスターは突然現れて、忽然と姿を消します」

「……そうか」


 ローズは唸る。少女の表情に嘘を吐いている兆候は見られない。

 これまたおかしな話ではなかった。マモンは直接音声を脳裏に届けることだってできるし、人体を金貨に錬成するのもお手の物。何ができても不思議ではない男が神出鬼没でも違和感はない。

 悪魔は全てにおいて人間に勝っている。人は弱い。だからこそ、勝てる。弱さは強さだ。


「じゃあ、何か言ってなかった?」

「……試験だと」

「試験?」


 遠慮がちに放たれた少女の言葉に、ローズは問い返す。彼女は同じ単語を復唱した。


「はい、試験です」


 顎に手を当てて、考える。マモンはもしや何かの実験をしているのかもしれない。

 その実験場として退魔教会を選び、パートナーとして協力者を選んだ。悪魔少女はそこに便乗してゲームを始め、教会内に混沌と邪念が渦巻いている。


(マモンが求めるもの。……全てにおいて人間に勝っている存在がどうしても手に入らないもの。――怪物……好敵手。狙いは私?)


 いや、とローズは思考を改める。マモンはローズに興味を持っているが、それにしてはアプローチが薄い。

 文字通り、実験なのだ。ローズはたまたま実験場に居合わせたイレギュラーのようなもの。


「……どういったものだか、わかる?」


 思考を振り切って、ローズは質疑を続ける。少女も素直に応答を返した。


「自我、です」

「自我? 自分の意識?」

「マスターは私に自我を求めていると。あなたを敵と認識するかどうかも、私の采配に任せました」


 ローズは戸惑う少女に視線を合わせて、無垢な瞳を覗き込む。何もない、空虚な目だ。人形のような……穢れを知らない、善と悪という概念がわからない眼。マモンはそこに意思を注ぎ込もうとしている。何でも創生できるはずの悪魔が。

 ――なぜ? ローズの疑念は尽きない。

 知恵の泉には謎が満ち、ローズの泳ぎを阻害する。目的地である真実には、暗く濁った水の中を泳いでいかなければならない。

 まだ早い、と結論付ける。焦れば取り返しのつかないことになるかもしれない。

 そう思ったローズはころころ転がってきた壺娘に視線を移し、尋問を中断した。


「うふふ、そろそろかと思いましてね」


 壺娘は訳知り顔で壺から手を出す。取り出したのは生肉だった。それを無造作にテーブルへ置く。


「何が?」

「食事ですよ。もう夕食の時間ですよ? 食事は生命の源です。食べるに越したことはない。特に……食欲に忠実ならばなおさらね」


 と壺娘は説明するが、ローズはまだ耐えられる。祓魔師になるための過程で、軽度な欲求をコントロールする術は学んでいる。無論、食事を摂れる時に摂るという彼女の意見には賛成だ。しかし、まだその時ではない。

 ローズはそう考えていた。壺娘はそれを見抜いているかのように続ける。


「ああ、別にローズのことでもエクソシストマーセのことでもありませんよ。別に一日食べなくたって、死にません。でも、今回の件については食事をさせないと死にますね」

「……空腹でか? 別に話が終わったら食わせるし――」


 マーセが呆れながら応じるが、ぶちり、という鎖が切れる音で表情が一変する。

 ローズもその腕力に目を見開いた。謎の少女があの不可思議な鎧を着用せずに鎖を引きちぎり、テーブルの生肉へと手を伸ばした。

 そして、ローズとマーセが掴んだ銃と剣には目もくれず一心不乱に食事を始めた。手で肉を掴んで、生のまま豪快に食いちぎる。先程の知性は感じられない、まさに獣の食事である。

 ローズは瞠目しながら、最初に抱いた疑問を改めて口に出した。


「この子は、人間じゃない……?」

「人間とは、何を差す言葉なんでしょうね、ローズ」

「な、に……」


 壺娘は流暢に語る。不気味にも見える笑みを振りまきながら。


「人とは何でしょう。人間とは、あなたのことですか? ローズ。あなたはいつも、自分が人間の分類から外れているのではないか、と苦悩していました。悪魔すら魅了する怪物を持つから。では、彼女はどうでしょう? 人の形をし、人の言葉を使い、人と同じように生活できます。違うのは、今披露する異常な食欲と、心を持たないということだけ。彼女は人ですか? そして、ローズ。あなたは人間ですか?」

「……っ。彼女は人間よ、今のところは」


 狼狽しながらも、かろうじて答える。マーセが不服そうに声を上げようとしたが、ローズは片手で制した。

 そこへ新たな来客がやってくる。ウェイルズ卿。彼は無駄なく少女の前に移動し、ローズと目を合わせた。


「彼女がマモンの協力者か」

「いえ、別に協力者は存在するかと。彼女は言わば――」

「操り人形と言ったところでしょうか。楽しい楽しい実験の産物でしょう。フランケンシュタイン。読んだことがありますか?」

「彼女が怪物だと?」


 ウェイルズは冷静に意見を呈示した壺娘へ応対。ローズの心臓が不規則に跳ねる。


「ふふ、それは定義にもよります。メアリー・シェリーの小説では、怪物は酷く醜い存在であり創造主たるフランケンシュタインはその容貌に耐え切れず逃げてしまった。でも、彼女はとても美しいでしょう? ある意味これが、人と悪魔の違い、なのかもしれませんね」

「……ふむ」


 ウェイルズは少女を観察する。ローズは眼中に入っていない。

 不安定になる心を、ローズは必死に制御する。自分で考えればわかることを彼は言わない。自分を心配しないのは、自分を信頼しているからだ。そう必死に言い聞かせる。


「彼女に二、三聞く必要があるな。マモンへの足掛かりとなる。ローズマリー、よくやった。今日はもう休んでいい」

「は、い……」


 しかしどこかで、彼が慰めてくれるのではないかと期待を寄せる自分がいた。ローズは不安の眼差しをウェイルズに向ける。だが、彼の反応はいつも通りだった。


「どうした? この場は私が引き継ぐ」

「いえ、何も。では、失礼します」


 ローズは沈痛な面持ちで医務室を後にする。肉を咀嚼する音が、室内にこだましていた。



 ※※※



 男と女、夫と妻、父と母。

 男女が目の前で口論している。それを幼い少女は不思議そうに眺めていた。

 なぜ喧嘩しているのだろう。なぜ、怒鳴っているのだろう。

 その声を聞きながら、ずっと考えていた。


「ずっと、疑問だった――なぜ髪の色が違う! 俺は茶髪で君は黒髪だ! 有り得ない!」

「神の……運命の子! そう言ってあなたも納得したでしょう!」


 言い合いの一部が聞こえて、ああ、と幼心ながらに納得する。

 自分のことだ、と。あなたは運命の子よ。そう語りかけてくれた母の声を思い出す。

 では、なぜ怒っているのだろう。その謎も、すぐに解明される。


「そんな話があるか! やはりそうだ! ずっと俺を騙してきたな! そうやって、良い様に騙せるカモだとでも思ったんだろう! だが、そうはいかない! もう我慢の限界だ! お前は俺を裏切ったんだ!」

「違う! 違うわ! 私はあなたを愛してる! この子はあなたの子よ!」


 聞こえてきた話の内容は、自分が両親の子か否かという壮絶な論議だった。事あるごとに自分を見つめる両親の眼差しに僅かな猜疑心が混ざっていることは常々感じていた。でも、少女にとっては、父と母と共に暮らせるだけで満足だった。

 しかし今、父親は怒りを爆発させている。興奮し、母親に喚きたてた後、少女の横を素通りしある物を持ってきた。

 リボルバーだ。人をどれだけ楽に殺せるかの極み。遠くから一方的に、安全に殺すための道具を父親は握っていた。


「あなた! 何をして……!?」

「この子は神の子なんかじゃない、悪魔の子だ! 悪魔は祓わなければならない!」

「パパ……?」


 父親は娘に銃を向けている。カチリ、と撃鉄が起きる音が響いた。冷徹で、無骨で、機械的な音だ。


「う、撃つなら私を撃って! この子に罪はないの!」


 母親が床で呆ける少女に抱き着いて、庇った。その言葉を聞いて、証言を得たとばかりに顔を歪める父親。


「やはりか、認めたな! この悪魔、淫魔め!」

「ち、違う、私はっ!」


 咎人が断罪される。死の弾丸が母親を射抜いた。

 中世において盛んに行われた魔女狩りでは、強引なこじつけで魔女認定し気に食わない者を抹殺した案件も多い。疑わしきは罰せよ、という精神で神の名の元に大勢の無実の人間が殺された。

 今下された審判もまた、確証がない曖昧な判決だった。すぐに自分の過ちに気付いた父親は、ハッとして血を流す母親と、大量の返り血を浴びた少女を見下ろす。


「お、俺はなんてことをした……? なぜ、こんなことを?」


 父親は拳銃を落とし、自分の両手に目をやった。惑いと悲しみ。深い後悔。その姿は少女の良く知る父親そのものだ。

 まるで何かに操られたように、感じられた。悪い奴がいて、そいつに父親は操られたのだ。

 では、それは一体何者だ、と考える。ずっと教わってきたので、すぐにわかった。


「あく、ま。あくまの、せい」


 少女は呟く。父親は少女を見つめる。

 父親からは異常に見えた。母親が死んだと言うのに、涙一つ流さない。

 平然と、凛然と、父親を真っ直ぐ見据えるその少女に、父親は人以外の何かを見出した。


「やはり、悪魔なのか。悪魔の、子なのか……」


 父親は銃を拾い、再び撃鉄を動かした。


「お前は悪魔の子だ、ローズマリー。忌々しい怪物、悪魔の子め」


 銃声が轟く。血しぶきが舞う。

 幼いローズマリーは父親が死ぬ瞬間をはっきりと目に焼き付けた。悲鳴も上げない。涙も流さない。

 ただじっと、床に伏した父親を見下ろしている。


「パパ、ママ……? わたしはあくまのこなの……?」


 ローズは問いかける。だが、返事は返ってこない……かと思われた。

 床の軋む音がして、何者かが入ってくる。その侵入者を見て、ローズは息を呑む。


「――その通り。二人を殺したのは、悪魔の子である私よ」


 成長したローズマリーが、幼い自分を撃ち殺した。




「また、か」


 真夜中に、ローズマリーは目を覚ました。僅かに空いたカーテンの隙間から月光が漏れ出ている。

 幼い頃からずっと見る悪夢だ。本来ウェイルズが登場するところに自分が現われて、自分自身を殺す。


「自殺願望の表出、かしら」


 精神分析をしてみるが、まだまだ未発達の分野なので明確な答えは見つからない。ただし、ローズ自身もし自分が死ぬことで過去の清算をできるなら喜んで死にたいと考えている。

 もちろん、悪魔の手は借りないで、だ。


「水……」


 喉が渇いたので、ベッドから降りる。そこに有り得ないはずの人物から声が掛かった。


「そんなものより、紅茶はいかが? ローズマリー」

「……ッ!?」


 ローズは反射的に身構えて、椅子に座っていた悪魔少女と対面した。

 祝福や銀物質で建築された退魔教会内の祓魔師寮に堂々と進入を果たしている。彼女は優雅に紅茶を啜りながら、そんなに警戒しないで、と快活に笑った。


「殺すならとっくに殺している。はーい、質問でーす。じゃあ、何で殺さないんでしょうか? ローズせんせい!」

「殺したらつまらないから、よ」


 油断なく敵を睨みながら、武器となるものを探す。と、不意に悪魔少女は銃を放り投げてきた。純潔イノセントが弧を描き、ローズの手に収まる。

 訝しみながらも、銃を構えた。くすくす、と悪魔は笑う。


「その程度じゃ殺せない。悪魔は殺すものじゃなくて、祓うもの。あなたなら、よくわかっているでしょう? 悪魔を打ち負かすためには英知か、精神じゃないと。メフィストフェレスを出し抜いたファウストのように」


 頭を指でとんとんと突いて悪魔少女は立ち上がり、銃口に怖じることなくローズの前へ進み出た。


「あなたは頭で理解できている。でも心が言うことを聞かない。違う?」

「当たってる」

「なら、銃を下げ――」

「でも、悪魔の言いなりは癪」


 銃を撃ち放つ。左胸に穴が開いた。すぐに傷口が修復される。


「もう、短気ね。人間はそうやってすぐに敵を殺す。でも、悪魔は違う」

「それも知ってる」


 また撃発。しかし、悪魔少女は笑みを崩さない。


「悪夢にうなされた八つ当たりを私にしても意味はないわ。あなたはずっと苛まれ続ける。苦悩は増え続け、あなたを呑み込もうと迫り来る。さぁ、急ぎなさい。自分の心が壊れる前に」

「うるさい!」


 連続で引き金を引く。が壊れるのは部屋にある物ばかりだった。花瓶が割れて、鏡が砕ける。悪魔はローズが激昂する間にも、嬉しそうに言葉を放つ。


「自分が悪魔の子かどうか悩むなら……創造物に意思を与えなさい。神は自分とそっくりに人間を作ったわ。あなたがあの子にどういう影響を与えるかで、あなたが何者なのかを占える。マモンは素晴らしい贈り物をあなたにあげた。プレゼントをどうするかはあなた次第。彼の言葉を借りるなら、これは試験であり、試練。結果が楽しみね」


 カチリ、カチリ。銃が弾切れを訴える。ローズはがむしゃらに引き金を引くが、シリンダーには薬莢しか残っていない。

 悪魔少女は背後を見つめ、ローズを気遣うように忠告する。


「あ、そうそう。銃を扱う時は気を付けてね。じゃないと、ああなってしまうわよ」


 そうして、何事もなかったかのように掻き消えた。ローズの視界には立ち鏡が入り込んでくる。

 鏡にはローズマリーの全身が写っていた。――急所部分に撃ち込まれた弾丸といっしょに。


「余計なお世話よ」


 鏡を見ながらローズは言う。酷い表情を浮かべていた。

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