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祓魔師の少女

 ――お前は世界がどのような場所であり、自分が一体何者か、本当に理解しているのか?

 

 そう問われたことがある人間は限られているだろう。幸か不幸か、少女は問われたことがある。

 ゆえに、少女はこう答えた。知っている、と。


 ――私は知っている。この世界の在り方を、私は知っている。

 

 だから、少女たちは尽力してきた。世界を守るために。気の遠くなるような昔から。

 だが、質問者は言う。これが運命だと。炎に抱かれながら、質問者は新たな問いを投げた。革命の嵐が吹き荒れる。


 ――愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。さぁ、貴様はどれを語る?



 ※※※


 

 この世の在り方は人間が思うよりずっと理不尽で、残酷だ。

 そう述べたのは一体誰だったか。育て親のウェイルズか。

 少女は記憶を手繰りながら道を歩いている。道端には浮浪者らしき人間がたくさんいて、金を恵んでくださいと物乞いしている。


「金の髪のお姉さん。お金持ちでしょう? どうか、お恵みくださいな」


 子どもの一人が少女の黒衣の裾を摘まんで引っ張った。少女は立ち止まって中腰となり子どもと目を合わせる。


「私がお金持ちに見えるの?」

「見えるよ。珍しい服を着てる」


 確かに少女の服装は珍しい。これは、滅多に見かけないという意味ではない。

 少女は男装していたのだ。黒いハットに動きやすいよう改良された黒衣とコート。少女は女ながら、男性の牧師のような格好で街中を歩いていた。


「これは……神父の格好よ。残念ながら、私は金持ちじゃない」

「そう……なんだ」


 子どもは悲しそうに目を伏せる。でも、と少女は言葉を続けて、


「お金なら少しあるわ。仲間がいるでしょう。みんなで分けなさい……リリスに魅入られる前に」

「リリス?」

「こっちの話よ。教会を頼りなさい。彼らはあなたたちを保護してくれる」


 少女は確信を持って言った。子どもに金を渡し、その周囲に同じような汚い身なりをした子どもたちが集まる。

 だが、少女は見逃さない――近くにいた浮浪者が金の音に反応したことに。


「警告しておくけど、これはこの子たちに渡した金よ。あなたにまで恵んではあげられない」

「くそッ。貴族どもが……ガキのくせに偉そうに」

「ガキではあるけど、強いわよ。それに、私は貴族じゃない」


 少女は腰に差してある銀色のリボルバーを見せつける。物乞いはすぐに委縮して、自分の居場所へと戻っていった。

 しかし少女は言葉とは裏腹に同情的な視線で男を一瞥し、道を歩いて行く。左隣に流れる川からは酷い異臭がしていた。遠くに見える時計塔の優雅さが、辺りに散らばる浮浪者や失業者、病人のせいで打ち消されている。持つ者と持たざる者の差は圧倒的だった。


(格差が激し過ぎる。このままではいけない)


 科学技術が発展しても格差は広がるばかりだ。それはいち早く産業革命を起こしたイギリスも例外ではない。ヨーロッパの至るところで革命の嵐が吹き荒れた後も、貧富の差は埋まらなかった。むしろどんどん悪化しているようにも見える。


(急がなければ。奴らに覇権を握られてからでは遅い)


 少女は自分の使命を思い出し、先へ先へと歩み進める。やっと目的地であるレンガ造りの家に辿りついた。赤茶色のレンガが特徴的だが、ところどころはくたびれて、ツタまで生えている始末だ。


「お待ちしてました」


 家の前で立っていた老人が少女に頭を下げた。少女も一礼してまず遅れについて謝った。


「ごめんなさい。少し寄り道してて」

「いえいえ。警察も手をこまねいていたところです。専門家が必要な事案ですから」

「賢明な判断ね。下手に関われば死人が出るから」


 こちらへ、と家に通されて、少女は中へと入った。部屋の中はボロボロであり、薄暗い。あちこちに食べかすのようなものが散らばっている。

 少女は興味深そうにパンくずを拾い上げて、眺めた。


「ふむ……興味が惹かれる。死者は何人出た?」


 カンテラを部屋の真ん中に設置していた老人が応える。


「三名ほど。皆、食い殺されていました」

「……その人たち、市場から帰る途中ではなかった? もしくは、商人」


 老人が驚いた顔で少女を見る。どうやら当たりだったようだ。


「三人の内一人は商人で、二人は食料を買って家に帰る途中でした」

「やはりか。……食べ物、持ってる? 何でもいい」


 訊かれた老人は、訝しみながらも少女にパンを手渡した。理由がわからず困惑気味だ。


「どうするのですか?」

「食べるのよ。戸を閉めて、外に出て。この辺りは封鎖してね」

「は、はぁ……」


 老人の疑問は解消されなかったが、少女の言いつけ通り辺りを封鎖するべく動き出した。

 室内には少女一人となる。少女は部屋の真ん中に座り込み、木の床が軋む音を聞きながら、おいしそうにパンを食べ始めた。


「パンはいい香りのする、とってもおいしい最高の食べ物よ」


 誰かに言うように、金髪碧眼の少女はパンを頬張っていく。半分くらい食べただろうか。物音が聞こえたが、少女は気にする様子もなくパンを食べる。


「そう、例えば――お腹が減った、ひもじい物乞いならなおさらね」


 少女は三分の一ほどになったパンを床へ放り投げた。瞬間、凄まじい絶叫。叫び声と共にソレがゆっくりと姿を現す……。


「パン、粗末に、スルナ!」

「人の命も粗末にしてはいけないと思うわ」


 少女はリボルバーを構えて、向ける。見た目こそ人間だが、四足歩行で歩き、服が破れて半裸の状態となっている女へと。獣の唸るような声が響くが、少女は全く怯まない。

 むしろ、やっと調子が出てきた、というような顔をする。


「哀れな子羊よ。悪魔に魅入られて、獣へと変えられてしまった生贄よ。今、あなたの魂を私が浄化してあげる」

「おなか、すいた。オナカ、スイタ!!」


 人獣が少女に飛び掛かってくる。少女は突撃を予期していたように最低限の動作で躱し、リボルバーの引き金を引いた。二発命中。しかし、敵は痛みを感じないかのように打撃してくる。


「流石堕落者。一筋縄ではいかないか。……そうでなくては」


 少女は愉しそうに笑みを作る。もう一発撃発し、女の乳房を撃ち抜いた。怯んだ堕落者へと少女は接近し、その頭を銃杷で殴る。血が宙を舞った。女が悲鳴を上げて悶える。その隙を見逃す少女ではなく、すかさず頭へと銃口を突きつけた。


「カワイソウね、あなた。でも、あなたの罪は赦される。……私は祓魔師エクソシスト、ローズマリー」

「ろ、ローズ、マリー。ワタシ……わたし?」


 重傷を受けて、女は正気を取り戻したようだ。しかし、だからと言って放置はできない。ここで逃がせば、また別の人間を殺してしまう。一度堕落した者は殺すことでしか救えない。そう教えられている。そして、自分が堕落者を救う才能に満ち溢れているらしいことも。


「あ、わたし――なんてことを! あ、ああ」

「大丈夫。私が責任を持ってあなたを赦す。私は――悪魔すら凌ぐ、怪物だから」


 リボルバーの撃鉄を起こしたローズマリーは、一瞬の躊躇の後引き金を引く。

 女性が血を噴き出して、床を濡らした。女性はローズマリーにありがとうと感謝して、血の海に沈んだ。


「くっ、まただ。いつものヤツ――」


 しかし、敵を倒したはずなのに、ローズマリーはふらついている。これが彼女が堕落者を祓う適任者だと言われる所以の一つだった。

 ローズマリーは血濡れた床に膝をつく。痛そうに頭を押さえて、自らが射殺した堕落者の記憶を読み取る。


 

 ※※※



「食べ物を恵んでください――お願いします。飢え死にしてしまいます!」


 汚い身なりの女性が、赤い軍服を着た兵士に懇願している。ライフガーズ連隊の制服だ。兵士は面倒くさそうに女をあしらって、


「ふざけるな、この浮浪者めが。あっちいけ、しっし!」


 兵士は女を手で払った。しかし、女は譲らない。終いには、食べ物さえくれたら何でもしますというセリフが口を衝く。


「何でも? ふはは、なら、応相談だ」


 兵士は女を連れてみずほらしい建物へと入っていく。

 そこからは筆舌に尽くしがたい蛮行が繰り広げられた。兵士たちは女を連れ込んで輪姦し、自身の性欲を夜が明けるまで満たし続けた。

 そして、あろうことか食べ物を与えず、家屋から放り出した。女性は約束と違います、と喚いていたが、すぐにそんな体力はなくなった。


「そんな……そんな……こんな、酷いことって」


 絶望が女性を包む。道端で震えている女性に、どこかから響く甘い囁き。

 ――空腹に飢えているのか? ならば、私が欲望を満たして上げよう。


「あなた、あなたは?」


 女性は辺りを見回して声の主を探し求めた。しかし、姿は見えない。私のことはいいのだと、声は話し続ける。


「私はお前を救う、言わば神だ。契約を結ぶか?」


 突然神を名乗る男に契約を迫られて、女性は僅かに躊躇った。しかし、飢えは、食べ物を食べたいという原始的欲求は、抑えきれないものだった。だから、女性は見えない相手の甘美な誘惑に従った。

 ――その声の主が神ではなく、正反対の悪魔だとは知らずに。

 悪魔の契約通り、女性は飢えをしのぐ手段を手に入れた。力を手に入れた女性は、欲望に頭を支配され、理性を投げ捨てて、食べ物を持つ人間を襲うようになる。



 ※※※



「これが真相か。忌々しい悪魔め」


 記憶の読み取りが終わったローズマリーは、嫌悪感を露わにして吐き捨てる。これは悪魔の常套手段だ。奴らは人間を堕落させることを至上の悦びとしている。世界に起きるあらゆる災いには悪魔が関与しているのだ。

 人はそのことに長らく気付かなかった。あるいは、気付いた上で放置していた。


「……、もう一仕事、しなくちゃね」


 ローズマリーはリボルバーを仕舞うと部屋の戸を開ける。老人が心配の眼差しを覗かせたが、大丈夫よと安堵させた。まだ仕事が残っているため、すぐさま足を運ぶ。目的地は決まっていた。

 しばらく進んで、見張りの兵士が立つホースガーズに辿りついた。ウェストミンスターにあるこの立派な建物にはライフガーズ連隊の本部がある。この近くでは数十年前に娼婦が通い詰める喫茶店があったらしい。そこを潰されたせいかは知らないが、どうやら性欲を持て余す兵士も多いようだ。

 記憶の残滓を頼りに入口へ近づくと、当然ながら番兵に止められる。男の顔には見覚えがあった。


「何だよガキめ。ここはお前のような奴が来るところじゃ――」

「いいから早く戸を開けなさい。私はエクソシストよ」


 有無を言わせず建物の中に入ろうとするローズ。だが、非協力的な番兵はローズを通しはしなかった。

 ――それが何を意味するのか、兵士は気付いていない。背中に掛けられたレバーアクションライフルと、日ごろの訓練が男に絶大な自信を与えている。


「うるせえ。一般人を通すわけにはいかない。もっとも、それなりの代価を支払うなら別だが」

「なるほど。いい考えね」


 ローズが興味を示すと、男は下衆めいた笑いを漏らした。この時代の大人の大半は金か性欲か、この二つにしか関心を持たない。もっと建設的なことを考えればいいのにとローズは常々思っているが、結局彼らは自分とは相いれない人種なのだろう。その思考の違い自体に、文句はない。

 だが、癪に障るとすれば、それは何の罪もない人間を堕落させたことだろう。


「これが私が支払うべき対価」

「へぐッ!?」


 ローズマリーは何の躊躇いもなく兵士を殴る。鼻が折れ、軍服と遜色ない色の血が地面を濡らした。

 仮にも男は軍人である。人に殴られる覚悟ぐらいは持っていて然るべきだろうとして、そのまま放置しようとしたが、男はローズの足を掴んできた。待て、と鼻を押さえながら言うので追い打ちをかける。強烈なキックを見舞われ、男は白目を剥いて気絶した。

 その音を聞きつけたのか、数人の兵士たちが現われる。何名かは腰に拳銃を所持していた。だが、ローズマリーは怖じることなく男たちの顔を確認していく。幸いにもこの場にいる兵士は全員、記憶で女性に乱暴した者たちだ。何の憂いなく暴れることができると確信しローズは心底ほっとした。


「ああ、良かった。正規軍人を殴ると手続きが面倒なのよね。まぁ……」


 ローズマリーはにっと笑みをみせる。瞬間、兵士たちはこの少女の異常性に勘付いた。

 まさに怪物のような笑み。自分たちを喰らう、悪魔の笑みだ。


「何だコイツ……!」「イカレてやがる! ぶっ殺しちまえ!」

「ありがとう」


 ローズは臨戦態勢を取った兵士たちに礼を言う。訝しんだ男たちは顔を見合わせる。

 しかし、ローズマリーが見据えていたのは後方でリボルバーを引き抜いた男だ。まず対処するべきはあの男だと、ローズの中の怪物が告げている。だから、彼に感謝した。


「銃を抜いてくれて」


 ローズは兵士が撃つよりも早くリボルバーを引き抜き、彼の銃を撃った。ぐわぁあ! と情けない悲鳴を男が漏らす。ローズはリボルバーを回転させながら腰のホルスターに仕舞うと、拳を握って格闘戦を始めた。

 ローズはにこにこしながら男を殴る。一対十という圧倒的不利な状況が、ローズの中の怪物を強めていた。数的有利がない状況の中、ローズマリーは全く恐怖を抱かない。それどころか、増援として敵が湧いて出る度に、ローズマリーの笑顔はより輝きを増す。

 その姿に、大の大人たち、それも軍人たちが恐怖した。この少女には勝てないのではないか。そう錯覚し、戦意を放棄する者も出てくる。


「こ、このガキは悪魔だ!」


 誰かが叫んだ。その一言が発端となり、ローズの動きが止まる。遠方からライフルを取り出し構えている兵士も止まった。警察の笛も遠くから聞こえている。が、まだこちらに辿りつく気配はない。軍人を警察が守るという滑稽な展開を彼らも予想していなかったのだろう。


「悪魔? その発言は赦さない」


 ローズマリーは自分を悪魔と罵った男を睨む。男が委縮し、恐怖で顔を歪めた。


「むしろ私は、お前たちを悪魔の協力者として断罪したい。でも、それではあまりにもカワイソウだから、制裁を与えるだけで済ましてやろうとしてるの。なのに、あなたたちは抵抗する。だから、応戦させてもらった。文句ある?」

「ふざけるな! 何がエクソシストだ!」


 兵士の一人が声を上げ、次々と反論の声が上がった。いつものことではあるが、やはり嘆息せずにはいられない。彼らは正当な権利を主張しているが、そもそも彼らは婦女暴行という犯罪を犯している。物乞いだから赦される、などということはない。

 ありきたりな光景に辟易し、次の一手を考えていると警察官を乗せた馬車が到着した。何をしている、とコートを羽織った紳士然の男が出てくる。その男の顔に、ローズマリーは見覚えがあった。


「アバーライン警部補。あなたはこの区域の担当じゃないはずです」

「エクソシストローズマリー。近くをたまたま通りかかっただけだ。毎度毎度、揉め事を引き起こしてくれる」


 ロンドン支部に派遣されてからというものの、何度か会ったことのある人物だ。ふと視線を泳がせて、謎を模索する知的な男を探してしまうが、彼はアフガン帰りの助手と共同生活を始めてから充実していると聞く。

 少し残念がりながらローズはアバーラインに説明を始めた。彼はエクソシズムに理解を示してくれている。連中を婦女暴行の罪で引っ張ってくれれば申し分ない。


「軍人を逮捕、か。証拠もなしに? 無茶な注文だな」

「証拠はない。でも、私はエクソシスト。首相に異議を申し立てましょうか?」


 偉ければ誰でも良い。エクソシズムの重要性を上層部は理解している。末端の警察や軍人には理解できていないだろうが、世界の主は人間とは別にいる。彼らに対抗するため、祓魔師は独自の連絡網を構築し、独自の価値観で、独自の権利を行使することができる。例え国がノーを突きつけても、祓魔師がイエスと言えばイエスとなる。

 一種の横暴性とも取れるが、そうでもしないと統制が取れないのが嘆かわしい現状だ。望むべくは、ローズも権力を振りかざしたくはない。しかし、振りかざさなければ無実の人間が死ぬ。ならば、不満は後回しとなる。

 アバーラインは黙考し、すぐに肩を竦めた。そもそも、ローズマリーに暴行を加えた件もある、と判断したのだろう。


「やれやれ。この男たちを連れてけ」

「何を言ってる! 逮捕するべきはこのガキ――」

「警察が犯罪者を引っ張って何が悪い? 反論があるなら馬車の中でゆっくり聞こう」


 青い服を着込んだ警察官たちが、赤い服の軍人たちを問答無用で連れていく。後でゴタゴタが発生することを予想してか、アバーラインは疲れたようにため息を吐いた。


「参った。面倒な仕事が増えた。エクソシストに関わるとロクなことがない。ここは王室騎馬隊の本部だぞ?」

「でも、世界はそういう風にできている。文句は罪を犯したあいつらに言いなさい」

「わかってる。君も支部に戻りなさい。寄り道はせずにな。事件でも起こされたらかなわない」

「私は何もしないわよ、警部補。でも、忠告は受け取っておくわ」


 ローズが返事をすると、アバーラインは喚く軍人たちを連れて警察署へと馬車を走らせた。ローズは道を進み、数人の野次馬と興味本位で現れた記者たちの目を交わしながらロンドン支部へと歩を進める。途中、アバーラインの言いつけを破って寄り道をしながら。

 ロンドン支部は控えめな一軒家だ。イギリス王室はかつて大がかりな教会の建造を提案したようだが、ロンドン支部の祓魔師たちは拒否していた。悪目立ちはよくないし、それに教会と言えども通常の教会とはやることが違う。


(退魔教会、だものね)


 ローズマリーは戸を叩く。すぐに中から声が掛かった。


「合言葉は?」

「割れない壺はただの壺」

「よろしい。お帰りなさい、ローズマリー」


 戸を開けると、ひとりの少女……らしき物体が転がりこんでくる。それもそのはず、少女はすっぽり身体を壺の中に突っ込んでいた。青い髪と愛らしい顔だけが出ている状態だ。


「ただいま、壺娘」

「どうやら堕落者を祓ったようですね。流石、怪物を持つ者だけのことはあります」


 他のエクソシストたちは出払っているようで、中には壺娘しかいない。ロンドンは世界の中心と言われることもあり、悪魔絡みの事件も多い。

 この壺に入った変わり者、武器商人である壺娘は、そんなエクソシストたちの後方支援を担当している。対価は当然、決まっていた。


「で、お土産はありますか」

「はい、はい。壺よ」

「おお、これはいいものです! いいですね、ローズ。私も優れた武器を提供する気になるものです」


 適当に買ってきた小さな壺を渡すと、壺娘はころころ回って喜んだ。愛らしい反面、不気味に思える。何の知識もない状態で夜道で出会ったら悲鳴を上げる自信がある……とローズマリーは考えて、それはないかと否定した。

 自分は怪物だ。その程度では動じない。自分が動じるとすれば……一体なんだろう? 何が怖いのか、自分でもよくわからない。


「ふふ、悩める乙女ですか、ローズ」

「はて、何のことかしら」

「誤魔化さなくていいですよ、ローズ。私には何でも視えますから」


 壺娘は笑い、顎で近くのレバーアクションライフルを示した。ローズは机の上に置かれたそれを手に取り、状態を確かめる。


「これは私への贈り物、と受け取っていいのかしら」

「もちろんです、ローズ。あなたはしっかりと仕事を果たしましたからね。私はきちんと仕事をしてくれる人には、ちゃんとした武器を上げます。無能な奴にはやらないんです」

「相変わらず酷いわね。でも、あなたの意見には同感よ」


 ローズマリーは彼女の考えに同意する。これは弱者には弱い武器を与えればいい、という点にではなく、弱者はそもそも戦うべきではない、という意味での見解一致だ。堕落者を祓うのは怪物だけでいい。普通の人間は、普通に生活すればいいのだ。


「風変わりな名前をつけてるでしょう。私のこれと同じように」


 カチャ、と音を立ててローズは銀色のリボルバーを机の上に置く。名前を純潔イノセント。壺娘曰く、純潔なあなたにこそふさわしいのだそうだ。


「怪物って銃なら納得がいったんだけど」

「それは別の方に売るつもりですから」

「別の? 誰?」

「ふふ、誰でしょう。遠い未来の方かもしれないですね」


 壺娘は意味深に笑う。その間にも、ローズは新しい贈り物の具合を確かめる。


「ボルトアクションじゃないのね。ヨーロッパではボルトアクションの方が主流だと聞いたけど」

「流行りが何だって言うのでしょう。あなたは、流行りの銃を使うと簡単に堕落者を斃せるんですか?」

「それもそうね」


 要は効果的であればいいのだ。流行り廃り関係なく。堕落者を始末さえできれば、ローズマリーとしても言うことはない。

 ローズはレバーアクション式の調子を確かめる。レバーの名を冠する通り、装填はこのレバーを用いて行われる。連発銃ではあるものの、その連射速度は撃ち手の技量に依存する武器だ。引き金部分にあるレバーを前に倒すことで撃鉄も自動的に動く。後はレバーを戻すだけで撃てるという、数十年前まで実用化されていたパーカッションロックが過去の遺物だと錯覚してしまうほどのメカニズムを保持している。


「いいわね。撃つのが楽しみだわ」


 無論、銃を撃つ機会がなければそれに越したことはないのだが、残念ながら世界はそこまで優しくできていない。それに、ローズは銃を撃つことが大好きだ。義務ではなく、快楽を得るために戦闘をしている面も否定できない。そんな怪物だからこそ、ローズは堕落者を祓えるのだ。


「残念ですが、しばらくは撃てませんよ?」

「なぜ? 獲物には事欠かないわ。胸糞悪いことにね」

「ふふ、ローズは愉快ですね。戦闘が大好きでいて、人が堕落することには悲しみを感じる。矛盾した、純粋な怪物。……そこに手紙が置いてあるでしょう。ウェイルズ卿からの通達ですよ」

「ウェイルズ卿……」


 ローズの関心は新しい得物から手紙へと移る。手紙の封を切ると、綺麗な文字で命令が記されていた。

 自室で読もうともらったオモチャと共に階段を昇ろうとして、名前を訊き忘れたことを想い出した。


「壺娘。結局、この銃の名前はなんなの?」

「ああ、言い忘れてましたね。その銃の名前はコラプスです」


 ――崩壊コラプス

 不穏な単語を耳にしたローズは、改めて壺娘を見つめ直す。だが、彼女は笑みを湛えるのみで何も言わない。

 スリングでライフルを肩に回しながら、ローズは自室へと昇っていく。壺に棲む者は小さな声で独りごちた。


「続きが気になる時は、未来を覗かないんです。ローズマリー。あなたの美しい怪物が、穢れることなきよう、祈ってますよ。ふふふふふっ」

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