覚醒(めざめ)
朝。
企業に勤める戦士たちが電車やバスの座席を奪い合い、これから始まるであろう労働とストレスに向き合う争いに満ちた時間。
労働者に限らず誰しもが慌ただしく歩みを進め、その日の朝の出来具合でその後の1日を決めてしまうといっても過言ではない大切な瞬間に挑んでいる。
「至高の一杯だ…」
そんな喧騒にまみれた風景を窓から見下ろし俺はマグカップを傾けた。
馬車馬のようにせわしなく働く者たちを眺めながらコーヒーブレイクを楽しむのは愉快痛快でたまらない。
そう、俺は労働社会においてあえて『なにもしない』ことを選んだのだ。
俺の名前は神城 優也。
年齢26歳、職歴無し、彼女無し。
哀れむものがいようとも、俺には誰もが羨む唯一無二の自由といわれるものだけはあった 。
ありていにいえばそれしか無いのだ。
「優也!!早く起きな!いつまで寝てんの!!!!」
しかし唯一俺が持っている自由さえも許さないものがいた。
この母子家庭において最大の権力を振りかざし、誰よりも早く起き誰よりも早く動き出す母親という存在。
毎日毎日夜はゲーム朝は惰眠を楽しむ俺の邪魔ばかりし事あるごとに大声を出すパワフルなやつだ。
腹いせに今日ばかりは早起きして…というか、寝ずに朝を迎えていつものように大声で迫り来る母親をドアの前で待ち受けることにしたのだった。
「早く起きなっていってるで…」
「起きてるっての…あとノックしろばばあ」
ドアを開けた母ちゃんは硬直してコーヒーを片手に勝ち組感を演出するために引っ張り出したワイシャツを着た俺を凝視していた。
計画通り。
この驚いたまぬけ顔を見るために俺はわざわざ昼夜逆転生活からの徹夜を敢行した。
何年も朝寝て夜起きる生活を続けた甲斐があったというものだ。
「なんだそのバケモンでも見るような目は…こっちみん」
「あんた!やっと…やっと働く気になったんだね!百合ちゃん!大変!!お兄ちゃん働くってー!!」
どかどかと意味不明な事を喚きながら踵を返して部屋を後にする母ちゃん。
なぜか唖然とさせられている俺の頭の中にはある言葉が木霊する。
「働く…働くってなんだ!?はあぁぁ!?」
働くなんてどうして俺がそんなことをしなければならないんだ!
くだらない労働に身を費やし、ストレスの上ハゲ散らかしていくことを俺は認めない。
どこをどうみてそんな考えに至れるんだよ!28年間働いてなくていまさら働くわけねぇだろうが!
とんでもない勘違いを大声で叫びながら去っていった母ちゃんを追うようにドアを開け放ち、マグカップなど投げ捨てて階段を駆け下りると…
「聞いたぞゴミクズニート」
セミロングの黒髪にダサい猫がプリントされたTシャツと黒いミニスカート、子供っぽいなりのわりに胸だけは無駄にデカイ。
本当に親族かと疑いたくなるほどの整った顔立ちに一際目立つ大きな瞳は、仮にも兄へと向けるものではないほどの眼光を備えている。
目の前で腕を組みおはようのかわりに罵詈雑言を浴びせるこいつこそ、正真正銘我が妹 神城 百合 で間違いがなかった。