81話 スライム無双
【ナルス帝国】首都近郊の森の中でズルズルと動き回る物体。
それは何かを探し求めているかのように見えた。日が沈みかけている森は既に暗くなっており、その物体を目視するのは難しい。何故なら大きさがバスケットボール程度でしかないからだ。もしも視覚に頼らず感知するなら音や気配、温度、空気の流れなどに頼るほかない。
だが気付いただけではダメなのだ。
「ガァッ!」
獲物が居ると思って物体に近づいてきたのは一体の魔物。
鋼のような張りつめた筋肉と人を軽く超える体躯。薄緑の皮膚は夕闇に染まって漆黒を見せており、その右手には棍棒が握られていると分かる。ギラリと光る双眼は足元の物体を認識しており、もはや見逃すという選択肢はなかった。
「ガアァァァァァァァッ!」
咆哮して右腕を大きく振り上げる魔物。
その時に確認できた頭には一本の角が見えた。つまりオーガであると分かる。しかし、分かったところで意味はないのだ。振り下ろされた棍棒を止める手段などないのだから。
岩をも粉砕するオーガは鬼系統の魔物でも上位のB級といわれる。下位のゴブリンとは比べ物にならない強力な物理特化魔物なのだ。
グチャリ
何かが潰れた音がした。
所詮こんなものだろうとオーガは考える。何か強い気配だった気がして近寄ってきたのだが、こうして潰してみればあっけない。
そう判断して振り下ろした棍棒を持ち上げる。
二度目の咆哮で仲間も呼んだのだが意味はなかったようだ。
しかし持ち上げた棍棒に違和感を感じてオーガは一瞬止まる。
「グガ?」
持ち上げた棍棒が振り下ろした時よりも重かったのだ。それによく見れば薄明りに見える棍棒のシルエットは初めよりも太くなっているように感じる。
しかしオーガの知能ではそれが何かを即座に判断できない。それゆえに動きを止めてしまったのだ。これは致命的な隙となる。
ズルリ……ベチャ
叩き潰したはずの物体は棍棒に纏わりついていたのだ。完全に潰したと思っていたオーガは不意を突かれて一瞬の内に顔へと飛びつかれる。粘液のような物体で口を塞がれたオーガは騒ぐことも呼吸することも出来ずに地面に倒れこんだ。そしてオーガの顔を包み込んでいた物体はその侵食を徐々に体全体へと広げて行き、ついにはその全てを飲み込む。
ジュル……ブルンッ!
そうかと思えば物体は一気に収縮し、元のバスケットボールサイズへと戻っていったのだ。この間僅かに五秒といったところだろう。まさに瞬殺である。
だがこの物体がこれで終わることはない。
何故ならこの物体はランクA overと言われる魔物のスライムなのだ。つまり捕食した魔物に擬態することが可能なのである。
ブルブル……プルプルと震えながら形が変化していき、すぐに二メートルを超える巨体へと変化した。その見た目はオーガそのものであり、この擬態の瞬間を見ていなければスライムだとは夢にも思わないだろう。
「ガガッ!」
「グガ?」
丁度擬態を終えた瞬間にガサガサと草を掻き分けながら姿を現したのは二体のオーガ。スライムが捕食したオーガが呼んだ仲間である。「強い気配を感じた」という意味の咆哮を受け取ってここまでやってきたのだ。
普通オーガクラスの魔物がこうして群れるというのは珍しい。ランクBともなれば一般的な騎士でも相手にならないレベルであることが多く、生態系でも上位に位置するからだ。尤も、完全に物理特化であるために霊術師を引き連れた冒険者ならば討伐は容易い。
しかしこのオーガたちは完全に群れを成していると言えた。これはオーガより上位の存在が統率をしているのだということを意味している。普通ならば即座に討伐隊を組んで対処しなければならない案件だが、生憎まだ気付いた人物はいないだろう。
それはともかくとして合流した二体のオーガは擬態オーガに何かを話しかける。
「グガ、ギギガ?」
「ガァ……グルァ?」
「ギギィ。ガガ!」
何を話しているのかはサッパリ理解できない。しかし二体のオーガは深く頷いて擬態オーガへと背を向け歩き出したのだ。これは致命的な隙であるため、例えオーガ二体が相手だったとしても問題なく始末できるシチュエーションだろう。
しかし擬態オーガは攻撃する素振りなどみせず、ただ二体のオーガに大人しくついて行くのだった。
捕食本能で生きているといっても過言ではないスライムがこのような行動を取るのは非常に珍しい。知能が低いゆえにランクA overであっても何とか討伐できるのだが、こうして知恵を持って擬態をすればこれほど厄介な相手はいないだろう。
オーガはまんまと自分たちの巣へと捕食者を案内することになってしまったのだ。
「ガァ!」
門番代わりに集落の入り口に立っている一体のオーガが片手を上げて声を掛ける。恐らく挨拶のようなものなのだろう。帰ってきた二体のオーガと一体の擬態オーガも同じく片手を上げて挨拶を返した。
まさかスライムが混じっているとは思わない門番は完全に油断しており、さらに二体のオーガもスライムに背を向けていた。集落まで泳がせた以上、このオーガに利用価値はない。
スライムはそう判断して行動を開始する。
ズルリ……ブルブル……
オーガだったはずのスライムは形を変えてさらに体積も増していく。普段こそバスケットボールサイズだが、体内にため込んだ魔力によって体積を自在に増やせるのだ。そして知能を得ているこのスライムの保有する魔力は尋常ではない。
溢れるような魔力で一気に五メートルほどまで膨張し、その形を獣型へと収束させていく。
これに驚いたのは門番だ。
一番後ろにいたオーガが突然変形して巨大化してしまったのだから当然だろう。
「グガアァッ!?」
何かを叫んで警告するがもう遅い。
門番のオーガの視界からスライムが消えたかと思うと一瞬で真っ暗となったのだ。つまりは食べられて飲み込まれてしまったのである。当然ながら背を向けていた二体も同時に飲み込まれ、魔力抵抗の低いオーガたちは一瞬で消化される。
三体のオーガが目にも留まらぬ速さで屠られた後には一体の巨大な狼が存在するだけだった。
「ウオォォォォォォオン!」
森全体を震わせるような咆哮が響き渡り、バサバサと鳥が飛び立っていく。ランクBモンスターなど片手間に殺してしまうランクSモンスターのシルバーウルフの咆哮なのだ。当然の結果である。
そしてオーガの集落前で大きな音を響かせたことで、集落内部も一気に騒がしくなっているのが感知できた。その狼耳で捉えたオーガの声には怖れと慄きが伝わってきた。
しかしそんなものは関係ない。スライムが擬態したシルバーウルフはランクSモンスターとしての身体能力を十分に使うことすらなく集落の蹂躙を開始した。
「ガアアアアァ!」
「ギガ!?」
「グガッ!」
「グルァ……ガガッ」
「グオオオッ」
「ガァ!?」
その牙で噛み千切られ、その爪で引き裂かれ、触れただけで大きく吹き飛ばす。そんな災害がオーガの集落を恐怖のどん底に陥れていた。成体のオーガですら歯が立たないのだ。小間使いでしかないホブゴブリンやゴブリン程度では時間を稼ぐことも出来ないだろう。
現にその殆どが上位種であるオーガを見捨てて散り散りに逃げようとしており、もはや肉壁としての役目すらこなすことが出来ていなかった。
しかしそのゴブリンたちすらも逃げることは許されない。
「ウォォォオン……グルゥ!」
シルバーウルフだったスライムは素早く体を変化させて擬態を切り替える。五メートルの巨体は少しだけ縮んでしまい、凡そ三メートル程度の獣型となる。
だが先ほどと異なるのは背に翼があることだろう。
鷲の頭に獅子の体……グリフォンである。
ランクSS相当のこの魔物にはある特徴があり、殲滅戦にはピッタリなのだ。それは風を支配すること。広範囲の空気を魔力によって支配し、感知や飛行を手助けしている。以前ルシアがグリフォン討伐で放った音速を超える『白戦弩』を回避したのはこの能力があったからである。
「グルゥオ!」
短くそう鳴いたグリフォンは風を無数の刃として飛ばし逃げ惑うゴブリンを殲滅し始めた。さらにオーガの集落全体を風の結界で覆いつくし、何とか逃れたゴブリンたちを逃がさず捕らえる。空気の壁に弾かれるゴブリン種たちは絶望の表情のまま風に切り裂かれて崩れ落ちたのだった。
またそれに留まらず、グリフォン自身も動き回ってオーガを喰らい尽す。
その嘴で頭を破壊し、強靭な前足で四肢を叩き潰す。圧倒的に強者の前にはオーガの群れでさえもアリのように潰されていた。
しかしオーガ側も黙って死を受け入れるだけではない。
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
耳を劈く轟音が響き渡り、とある木造の家を吹き飛ばす。手先の器用なゴブリンに立てさせた家だったのだが、無残にも破壊されて中から四体のオーガが現れた。
内三体は鎧を纏ったオーガであり、皮膚の色が普通よりも濃い緑をしている。体躯こそオーガと変わらないのだが、その力は数倍とも言われるランクA魔物、オーガジェネラル。
そしてもう一体こそ咆哮で家を吹き飛ばしたこの集落の統率種。他のオーガの1.5倍はある巨体と立派な二本の角。そして最も異なる点として、朱色に染まった肉体が挙げられる。これこそ今回のオーガたちのボスであるランクS魔物、キングオーガだった。
「グルゥ……」
これにはさすがのグリフォンも警戒しつつ様子を見る。如何に格下とは言え相手は複数だ。人間が役割分担と連携を駆使してより強い相手に打ち勝つように、このオーガもグリフォンを倒す可能性は十分にあると知っていたのだ。
グリフォンは……いや、スライムは一瞬の思考の内にそう結論して切り札を使うことにする。滅多に使わない擬態だが、最強と自負している姿に擬態するのだ。
ブルブル……ズブブ……
グリフォンの形は崩れ去り、魔力を使って体積を一気に増やしていく。度重なる擬態で多くの魔力を消費しているハズのスライムだが、オーガやゴブリンを捕食して魔力変換することで回復済みだ。最強の形態をとっても十分に余るほどの魔力が残っている。
先程五メートルあったシルバーウルフすらも超えて膨張を続けるスライム。いきなり巨大化したことで目を見開くオーガの将と王だったが、相手の強化を許すなど愚の骨頂である。強化する前に潰してしまうのが勝利の鉄則なのだ。
ブクブク、プルプル……
その大きさは十メートルにも達し、逃れようとしてオーガジェネラルとキングオーガは一気に飛びのく。これほどまで巨大になってしまえばスライムの弱点である魔核を狙い撃つのは難しく、増々撃退は困難になっていた。
しかしこの擬態はただ難しいなどという言葉では終わらない。
徐々に表面が硬化していき、その形もとある魔物へと近づいていく。
「グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
それは竜種。
最強の魔物として不動の地位を占めている孤高の生物だ。さらにその中でも竜鱗が銀に輝くシルバードラゴンという上位種。ランクにしてSSSとも言われる魔王級の魔物なのだ。
シルバードラゴンは咆哮によって動きを止めた隙に上空まで飛翔し、その口に膨大な魔力を溜めて圧縮していく。竜種の中でも最も有名な攻撃方法と言われるこの能力。
それは激しい閃光となってオーガの集落を包み込んだのだった。
ガアァァァァァァァァァァァァァァンッ!
目を塞ぎたくなるような閃光と立っていることも難しい揺れが森を支配し、多くの動物と魔物が我先にと逃げ出していく。
三体のオーガジェネラルと統率個体キングオーガがどうなったのかは想像に難くない……
―――――――――――――――――――――――――
「ん?」
わたしは魔力を感じて読んでいた本を机に置く。夜も遅くなったので孤児院兼家にあるわたしの執務室で魔法陣の勉強をしていたのだ。サマル教授と共同研究することになった以上、わたしもサマル教授のやっていることを理解しなければ話にならない。そこで彼の論文を読むことにしたのだが、魔法陣関連が全く理解できなかったので基礎から学んでいるところなのだ。
そんな時にわたしの尻尾感知がわたしと同質の魔力を捉えた。
「わたしの魔力と同じ……ってことはギンちゃんね!」
その言葉に呼応するかのようにわたしの影から飛び出してきたのはファントムという魔物。影転移による移動を使う厄介な魔物だが、これはギンちゃんの擬態だ。以前イェーダ教団を調査したときにも大活躍したモードである。
ギンちゃんはすぐにスライム形態に戻ってわたしの胸に飛び込んできた。
本当に可愛いやつである。
「ギンちゃんが戻ってきたってことは……準備できたの?」
ぷるん
(そうだよー)
「ホント? じゃあ何があったか具体的に報告お願いできる?」
ぷるるーん
(わかったー。えっとね……)
所々掻い摘みながら今日あったことをしっかり報告してくれた。
ギンちゃんは本当に良い子である。わたしが望んだとおりに仕事をこなしてくれたようだ。【帝都】近郊にある森の安全確保と偵察……
これはわたしの教師としての仕事が関わっているのだ。
ギンちゃんどこいった? という意見があったので丁度良かったです。
ルシアの教師としてのお仕事を手伝ってくれていたという訳でした。何のお仕事かは……次回と言うことでお楽しみに。