63話 ルシアの孤児院(前編)
ランドリス元公爵の邸宅をもらい受けることになったわたしはしばらく忙しい日々を過ごした。土地や屋敷の権利書の譲渡から始まって、雇うことになる執事さんやメイドさんの雇用関係書類を書いたり、その他庭を管理する庭師との契約や、内装の準備で冒険者の仕事もやる暇がなかった。
その後も皇帝のアルさんと何度か話を詰めて、スラムの子供の受け入れ態勢を整えたり、商人ギルドで食料の定期契約をしたりと大変だったのだ。
屋敷内の財産はだいたい処分されているので、家具もほとんどない状態だ。ベッドやらクローゼットやらから掃除用具に調理器具まで買い揃えて金貨が200枚ぐらいは飛んだ。まぁ、総資産が金貨9万枚ぐらいあるので大した額ではない。というか金貨200枚程度なら1か月で稼げるのだ。
照明や浴室にトイレなどの機能は全て魔石を動力としているので普通に過ごすだけで維持費がかかる。現代でいうところの光熱費みたいなものだ。執事やメイドのお給料は月に銀貨5枚以上が基本になる。銀貨1枚で大人一人が1か月過ごせるのだから、住み込みで働く以上かなりの好待遇だと思う。
食事は料理ができるメイドさんに指導してもらいながら子供たちで作って貰う。ただの孤児院なのだから調理師を雇って豪華なものを作る必要などないのだ。自給自足を覚えさせて自立を促すのが目的なのだから。
当然ながら掃除や洗濯も自分たちで出来るようになってもらう。メイドさんたちはあくまでもお手伝いをするのみだ。
このことを話すと、執事さんもメイドさんたちも困ったような顔をしていた。
本来は雑事を全てこなして主人に仕えるのが彼らなのだから、ただ手伝うだけというのは戸惑っても仕方ないことだと思う。どうしてもメイドとしての矜持を捨てられない人もいたようで、その人はこの仕事を辞退していた。執事の仕事の方は、メイド全体の指揮や給料の計算に屋敷の維持全般を任せる予定なので、本職とあまり変わらない。基本的にわたしをアシストしてくれる人だ。
こうして約2週間かけて準備を整え、暫定的に帝都の宿屋で保護されている子供たちを旧ランドリス邸へと連れてきた。
「――――とまぁ、こういう訳であなた達は今日からここに住むことになったからね」
『・・・・・・』
連絡も無しに連れて来られた子供たちは、あまりにも大きすぎる屋敷にポカーンと口を開けたまま黙り込んでいる。サプライズ成功だ。
正面門を潜れば広大な庭が広がり、池や木々、花が美しく配置されたその先には見たこともないだろうほどに大きな貴族屋敷が待っていたのだ。その反応も無理はない。
出迎えのメイドさんズと執事のルーベンスさんがズラリと並んで待ってくれているのは中々に壮観だね。
「ほら、そんなところに突っ立っていないで中に入るよ?」
わたしがそう言って屋敷の方へと向かうと、子供たちもゾロゾロと付いてきた。疑うことを知らない素直な子供はいいですね。
屋敷内部はさらにすごい。
まず、エントランスが吹き抜けになっていて、正面には2階へと上がる階段が付いている。よくある洋館風のお屋敷みたいな造りだ。
1階の右奥のほうにダイニングや調理場があり、そこで全員が食事を取ることになる。さらにその奥に風呂が付いているのでまずはそこに入って汚れと疲れをとってもらおう。
「じゃあ、あなた達はメイドさんについて行ってお風呂に入ってきなさい。順番は女子、男子だからね。あのアジトでも入ったことあるから分かるよね?」
コクコクと頷く子供たちを見てメイドさんが引率を始める。18人の子供たちは屋敷の奥へと消えていった。
それを見届けた後、わたしは残った執事のルーベンスさんとメイドさんに指示を出す。
「メイドさんは調理場に行って食事の用意をしてあげて欲しい。食材は地下室にあるからね。ルーベンスさん、そろそろアレが届くと思うから受け取っておいて」
『かしこまりましたルシア様』
わたしに一礼して行動に移っていく彼らを見ながら、これからのことを少し考える。
子供たちの反応を見る限りだと、まだ少し戸惑っているようだ。まぁ、いきなりこんなところに連れて来たわたしが悪いんだけどね。
それから子供たちを男女別に班分けして調理をさせよう。掃除や洗濯は自分の部屋と物を自分ですることにすればいいでしょう。手が回らないところはメイドさんにお任せだね。
子供たちは男子10人、女子8人の18人。男子を5人班で女子を4人班にする予定だ。部屋は2階の左側を男子、右側を女子が使う部屋としておけばいいか。幸い元貴族の屋敷だけあって1部屋がありえないぐらい広いし大丈夫でしょう。ベッドもちゃんと5台入りきったしね。
もう特にすることがないので子供たちが風呂から上がるまでは久しぶりにギンちゃんをプ二プ二突きながら愛でておいた。ギンちゃん可愛い。
「ルシア様、子供たちは全員ダイニングに集まっております」
「あ、そうなの? わたしもすぐに行く」
時間が過ぎるのは早いもので、知らない間に1時間ほど経っていたらしい。メイドさんの一人がわたしを呼びに来てくれたのでダイニングへと向かうことにした。
ダイニングは長机が置かれた広い空間で、天井もかなり高い。この世界では高級品のガラス窓からは庭の風景が楽しめる豪華な部屋だ。元々もランドリス公爵が食事をしていた部屋らしいし。
子供たちは並べられた椅子に座ってわたしを待っていた。一人一人の目の前にはシチューとサラダとパンが置かれており、いつでも食べられるようになっている。子供たちも待ちきれないようだ。
「お待たせ。いろいろと説明してあげるから、取りあえずはそれを食べなさい」
わたしの言葉を聞いてすぐさま食事に齧り付く子供たち。育ち盛りだからたくさん食べるといいさ。
子供たちは元スラム民だし、イェーダ教団の食事はかなり貧相だったから、こんな豪華なのは初めてだと思う。初めて食べるおいしい食事に驚きつつもあっという間に食べきってしまっていた。
9割方食べきった頃、改めてわたしは子供たちに説明を始めた。
「さてと、じゃあそろそろ説明するけどいいかな?」
わたしの言葉に全員がこちらを向く。
それを見てわたしも頷き、説明を始めた。
「まずは久しぶり、尻尾と耳があるけどルシアだよ。
元1班と元5班のみんなは知ってると思うけど、わたしは冒険者なの。イェーダ教団は悪いことしていた組織だから冒険者として潜入捜査していた。ここまでOK?」
既にわたしのことを話したパズたち元5班とリゲルたち元1班は特に反応がないが、他の子供たちはかなり驚いているみたいだ。まぁそうだろうね。イェーダ教団=悪者、は納得してくれていると思うけど、わたしのことは初めて話したしね。
「それでここはわたしが開いた孤児院だよ。あなた達は今日からここで生活することになったの。食事は朝昼晩の1日3食で毎日お風呂に入ること。この後に案内する各自の部屋は自分たちで掃除すること。それから洗濯も自分たちでするんだよ? ご飯はメイドさんに指導してもらいながら作れるように練習しなさい」
まぁ、食事以外はイェーダ教団でもやってたことだから大丈夫でしょ。
子供たちもコクコク頷いているから問題ないはずだ。
「それから、あなた達はいずれは大人になる。大人になってからもここに居座る訳にはいかないから、生きるための技術を身に着けてもらうよ。
例えばわたしのように冒険者になる。料理を覚えて食堂で働く。算術を習得して商人に仕えるとかね。そのための手伝いはするから自分がやりたいことを見つけてね」
子供たちは少し戸惑っているようだ。
まぁ、そうだろうね。今までは毎日の食べ物で精一杯だったのだから、いきなり将来のことを考えろと言っても分からないはずだ。この話は追々になるかな・・・。
「難しい話はともかく、今日からここに住む記念にこんなものを用意しました!」
パンパンと手を叩いて執事のルーベンスさんに合図を送る。
するとダイニングの扉が開いて台車を押したルーベンスさんが入ってきた。台車の上には至高のスイーツたるイチゴのショートケーキがたくさん載っている。
そう、この帝都の一等区のスイーツ店にケーキが売っていたのだ。甘味大好きな女子としてこれを買わないハズがない。そして子供たちもケーキの魅力に憑りつかれるがいい!
メイドさんが一人一つずつケーキを配っていくと、子供たちも興味津々でそれを見つめる。ある子は上下左右から観察し、ある子は匂いを嗅ぎ、ある子はクリームを指で掬ってつまみ食いしている。
「あの、ルシア様。ケーキがかなりの数余っていますが・・・?」
子供たちにケーキを配り終えたメイドの一人がわたしに報告をしてくる。ケーキは余らないように丁度の数を注文したはずなんだけどな・・・・? あっ、そういうことか。
「そのケーキね。あなた達の分もあるから余ってないわよ?」
「え?」
「目の前でケーキを食べているところを見るだけとか嫌でしょ?」
「は、はい。ありがとうございます」
わたしの言葉を聞いたメイドさんはパタパタ走って戻っていく。自分たちの分のケーキがあると聞いた他のメイドさんズはキャーキャー騒いでいた。やっぱり彼女たちも女子なんだね。
ルーベンスさんやメイドさんにも一人ずつケーキが回ったところでわたしが口を開く。
「今あなた達の前にあるのはケーキという食べ物よ。既につまみ食いしちゃった子もいるみたいだからどんな味か分かってるかな? これから何かの記念とかお祝いとかをするたびに食べることになると思うわ。さぁ、存分に食べるといい」
待ってましたとばかりにケーキを口に運ぶ子供たち。あとメイドさんズも。
わたしも一口食べると口の中に甘さが広がっていく。この世界に来てから、甘味と言えば果物だったから砂糖の甘さは久しぶりだ。確か日本の砂糖はマルトースとフルクトースを混合したものだったっけ? 化学知識も意外と覚えているものだね。
この日はこの後、歯磨きの大切さを教えて子供たちをベッドルームへと案内した。
明日から本格的に孤児院経営が始まる。




